大学審議会「中間まとめ」について

− 特徴的な論点の分析・批判 −

 1998年7月31日

全国大学高専教職員組合中央執行委員会

 

1.はじめに ― 「中間まとめ」の基本的問題点と私たちの立場

大学審議会は、昨年10月31日の文部大臣諮問「21世紀の大学像と今後の改革方針」を受け、本年6月30日に「中間まとめ」を文部大臣に提出した。大学審議会は今後更に審議をすすめ本年10月下旬には「答申」をまとめる予定となっている。

一方、文部省は「中間まとめ」を受け、この7月14日には、異例の臨時国立大学学長・事務局長会議を開催している。

今回の「中間まとめ」は、その標題「21世紀の大学像と今後の改革方策について」が示すように、教育・研究・管理運営、大学と社会との関わりなど「基礎資料」を含め174ページにのぼる厖大かつ総合的なものとなっており、その内容も従来の枠を大きく踏みこんでいる。

「中間まとめ」は、教養教育の理念、目標と内容上の問題整理、大学院充実のための法令上の整備など個々には適切な提起もあるが、全大教中央執行委員会の「基本的見解」(別記)の主旨にもあるように、@憲法、教育基本法体系に基づき、法「改正」による「しばり」ではなく、大学人による今日的な学問の自由、大学自治の充実・発展、A過度の国家的利害に傾斜した目先の「競争主義」の導入ではなく、中・長期的視野に基づき「学術は人類を救うもの」という視点に立った大学・高等教育の総合的発展、B大学・高等教育の充実・発展をはかるための予算・定員等の総合的で調和ある研究教育基盤の裾野の広い充実、という観点から全体を通してみると、大学の「変質」にもつながりかねない重大な問題をもつものと言わざるを得ず、全大教として、検討内容の根本的見直しを求めるものである。

その際、充分留意すべきことは、制度「改正」自体が、「中間まとめ」の「V 21世紀の大学像と今後の改革方策」の「4 責任ある意思決定と実行―組織運営体制の整備」(p78)の枠内を中心にした制度「改正」にとどまるのか、先の国会で成立した「中央省庁等改革基本法」で新たに位置づけられた総合科学技術会議と教育科学技術省との関係や性格等に関連して、大幅な法制度の「改正」となるのか等、なお明確とされておらず、この点の情報集約・分析が重要となっていることである。

「中間まとめ」の基本的な問題点とそのことをふまえた全大教の立場については、中央執行委員会「基本的見解」で明らかにしており、ここでは、そのことをふまえ、「中間まとめ」の特徴的な論点について逐条的に分析・批判をおこなうものである。

なお、当然のことながら、私たち大学人は、「中間まとめ」の批判にとどまらず、現在の大学・高等教育の現状と問題点についても主体的立場から自省し、今後のあり方について深い洞察を行い、これまでの自主改革の努力をさらに創造的に継承し、その充実・発展の方向を探求するものである。

 

2.特徴的な論点の分析・批判について

 「中間まとめ」はその副題として「競争的環境の中で個性が輝く大学」を21世紀の大学像の基本的理念(キーワード)に据えた上で、その内容として、「21世紀の社会状況の展望と高等教育」(p11)の「学部教育」「大学院問題」「地域社会や産業界との連携の推進」(p74)「責任ある意思決定と実行」(p78)「多元的な評価システムの確立」(p98)を重要な柱として提起している。

 ここでは、これらを中心に、その問題分析と批判の論点を提起していきたい。

(1) 「T.高等教育改革進展の現状と問題点」について

高等教育に対する現状認識について大学審議会は、「T.高等教育改革進展の現状と問題点」(P2)の中で、例えば「研究重視の意識が強すぎて教育活動に対する責任意識が低い」(P5)「個々の教員の意識改革が不充分」(P5)などの表現に代表されるように、実証的分析も示さないまま、情緒的に大学人への「不信感」を表明している。

これは一部の否定的状況を誇大化させ、日々の教育・研究、急激な大学改革のための諸会議・作業に汗を流す多くの教員の労苦と「多忙化」の今日的実態を無視した一面的評価である。

特に、大学改革についていえば、社会的変化の中で、一面では改革の必然性によって「中間まとめ」のデータにも表われているように、各大学で自主改革の努力がすすめられてきている。

同時に、政府・文部省の大学政策と大蔵省の財政政策等によって大学改革は、新規・先端分野に重点が置かれ、結局は改革自体が「画一化」せざるを得ない一面も作り出されてきている。しかし、今回の「中間まとめ」は、大学に対しては、厳しい評価をしつつ、そうした教育行政に対する批判的総括、問題の指摘は欠落しているのである。

(2) 「U.21世紀の社会状況の展望と高等教育」(P11)について

この項は「中間まとめ」の総論的性格をもつものと考えられるが、「中間まとめ」の副題「競争的環境の中で個性が輝く大学」が本文書の性格を象徴的に表わしている。

そもそも学問というものは普遍的性格を有しており、その探求は国家をこえた人類的性格を有し、とりわけ大学・高等教育における学問は、一国の利害にとどまらず、人類社会に貢献すべき役割と責務をになっている。

しかしながら、「中間まとめ」では一面ではそのことにもふれながらも、「国際競争力の強化が重要な課題」として、前述に示した「競争的環境の中で個性が輝く大学」として、大学・高等教育の役割を自国の生き残り策の中に位置づける方向に大きく傾斜している。

これでは、「21世紀の大学像」としては、あまりにロマンのない貧困な「大学像」と言わざるをえない。

今、まさに人類をめぐる地球環境問題を始めとした様々な危機の下で、「21世紀の大学像」は、「学術・文化は人類を救うもの」という理念とそのための施策こそが求められている。

この項で一つの注目すべき点は、「各高等教育機関の多様な発展」(P18)として、高等専門学校について「産業構造や社会構造の変化により」「従来に増して自主性・創造性が求められてきている。」「科学技術の進展に対応したより高度の専門職業人を養成」するため別途専門的な調査検討が必要としている点である。

 

(3) 「V.21世紀の大学像と今後の改革方策」について

 この頃では、前述した4つの特徴的柱「学部教育、大学院問題」(P28〜)、「地域社会や産業界との連携の推進」(p74)、「責任ある意思決定と実行」(p78)、「多元的な評価システムの確立」(P98)に絞って、問題分析と批判、論点を提起したい。

    @「V.21世紀の大学像と今後の改革方策」(p28)の「学部教育」「大学院」問題について

「1 大学改革の基本理念」において「わが国の高等教育システム全体が、大学等の自立性に基づく個性化・多様化を進め、教育研究の国際競争力を一層高めていくようなものになるとともに、国際的な通用性・共通性が一層高いものとなっていかなければならない」としており、対社会との関係を強調するが、個人の成長の観点を触れていないのは、前文の通りである。

教育研究の質の向上として「課題探求能力の育成」(p33)は、科学技術創造立国のための人材養成のためであることが強調されている。学部段階の「卒業時における質の確保を重視したシステムへの転換」と大学院における「一層の高度化と機能分化」を図るとしている。

学部教養教育の内容について、大学審議会発足以来の教養部廃止とそれに伴うその後の教養教育をめぐる問題について一定の改善策が提起されている。その中で「@教養教育の重視、教養教育と専門教育の有機的連携の確保」の項(P33)にはみるべきものがある一面、「教養教育の実施に当たっては、実施・運営の責任を持つ組織を明確にする」とされているが、その組織についての具体策は示されていない。

「専門教育の見直し」(p36)、「学部教育と高等学校教育との関係」(p37)、「国際舞台で活躍できる能力の育成等」(p39)などで、現在の大学教育の問題点を指摘はしているが、今の教育体系についての基本的な検討抜きの「改善」策は、対処療法的に留まらざるを得ない。

「2 教育方法等の改善」(p40)になるとこの矛盾点はさらにすすむ。「従来の一般教科目、専門教育科目等を廃止するとともに、単位の計算方法や授業期間等の基準の弾力化が行われた」(p2)にもかかわらず、p41では単位の基準が持ち出されて「大学当局はもとより各教員が十分自覚して授業の設計と学習指導を行うこと」(p40)と「成績評価基準の明示と厳格な成績評価の実施」(p42)が求められ、「履修科目登録の上限設定と指導」(p44)を促している。

「大学院の教育研究の高度化・多様化」(p49)でも、現在の問題点の指摘においては、みるべき点も多いが、大学院拡大・学部縮小の理由づけとも捉えられ、実情と将来展望に基づく議論が必要である。また、そのことと関連して、「大学院の制度上の位置づけの明確化」(P49)自体は、遅れたとはいえ評価できる点であるが、その際の定員・予算などの教育研究条件整備についても、学部を含め重視すべき課題である。しかしながら、「中間まとめ」では、「一定規模以上の学生を擁する大学院にあっては、大学院専任の教員や大学院専用の施設・設備を備える必要があることを大学院設置基準上明確にする必要がある。」(p53)との指摘に留まっており、「一定規模以上」の内容も、明らかにしてされていない。また、そのことによって、大学院についても、「 3) 卓越した教育研究拠点としての大学院の形成、支援」(p57)と合わせ、あらたな「区分け」がされる危惧をもたざるを得ない。

「3 教育研究システムの柔構造化 (1)多用な学習ニーズに対応する柔軟・弾力化」(p60)では、まず、誰の何のためのニーズかが問われなければならない。「選別と多様化」の制度化・法制化が強調されているが、どのような機関が、いつ、どのように評価して学生を選別するかが明確でない上、多様化した学生を教育指導する体制についても触れていない。選ばれた学生の指導を重視すれば、その他の学生を軽視するか教員の過重負担にならざるを得ないのではないかと懸念される。

 

  A 「V−3−(3) 地域社会や産業界との連携の推進」(p74)について

   この点について、「中間まとめ」は次のように提起している。

  (3) 地域社会や産業界との連携の推進

 高等教育機関は、今後、その知的資源等をもって積極的に社会発展に資する開かれた教育機関となることが一層重要となる。各高等教育機関が地域社会や産業界のニーズに積極的に対応し、それらの機関との連携・交流を通じて社会貢献の機能を果たしていくため、リフレッシュ教育の実施、国立試験研究機関や民間等の研究所との連携大学院方式の実施、共同研究の実施、受託研究や寄付講座の受入れなど産学連携の推進を図っていく必要がある。

 企業と大学の学部や大学院が共同した教育プログラムの開発やサテライト的な学習の場の設定などを通じて、社会人が企業と大学を往復して学習するための環境の整備を図っていくことが必要である。その際、テレビ会議システム等により大学の授業を社会人が企業の会議室等で受講できるようにするなど、発展の著しい情報通信技術を利用する試みも大学の授業の将来的可能性を広げるものとして積極的に推進する必要がある。

 また、インターンシップ制度の積極的な導入や、学生のボランティア活動等地域社会に貢献する活動の促進に積極的に取り組むことも重要である。

大学が、地球環境問題や地域経済の活性化など人類と地域社会に貢献し、また、学問分野によっては研究教育の発展をはかる立場から、「アカデミック・フリーダム」の視点を堅持し、主体的に産業界と連携することは当然ありうるし、必要なことである。

しかし、科学技術会議の答申やそれをふまえた「科学技術創造立国」路線に基づき、最近制定された「大学等における技術に関する研究成果の技術の民間事業者への移転促進に関する法律」及び「研究交流促進法の一部『改正』」法や、大学での執行権限の「集中化」と学外有識者による「大学運営協議会」(仮称)の設置と合わせ、総合的に視ていくと、次のような重大な危惧をもたざるをえない。

第一に、大学全体の合意やチエック機能が充分働かないまま、官主導による産業界との特定分野の研究教育を中心にした傾斜が著しく強化されるという危険性。

第二に、そのことと関連して、「先端的的分野」を中心にした特定の分野がより一層ビルドされ、「中間まとめ」が国立大学の5つの機能の一つとした「現時点では、社会的に大きな需要があるわけではないが、我が国の学術・文化の面からみれば重要な学問分野の継承」とした「基礎学」的分野(人文系等)は、一層縮小を迫られるという危惧をもたざるをえない。そうなれば、「学術・文化のセンター」としての大学の明らかな「変質」につながりかねない危険性を指摘せざるをえない。

B 「V−4 責任ある意思決定と実行」(p78)について

「大学は教育研究活動を進め、その水準の向上を目指す自律的な機関である。」と述べて、一応、大学の自治を前提に考えているかのような記述がある(P81)。しかし、これまでの学部中心の自治、とくに、現行の大学における意思決定が教員の加重負担、教育研究への支障を来しており、機動的な意思決定が困難になっていて、「今後必要性が増すと予想される学内での資源の再配置等の問題を考えるとき、現行の意思決定のあり方には限界がある」(P79)とのべて、戦後の大学の自治のもっとも基礎的な単位であった教授会を中心とする学部自治の「縮小」を目指すことが明確に意図されている。

また、今回の「中間まとめ」がもっているもう一つの重要な特徴は、これまで通り、学部自治の「縮小」ついて、各大学の自主的な対応(実際は予算の配分等を通した事実上の「強制」)を求めることの重要性を指摘しつつも、大学紛争の時期以後は絶えていた「大学運営に関する基本的な枠組みに関して、法制度が不明確」であり、「機能分担が適切にされていないことも見受けられるので、制度の明確化など法改正を含め必要な措置を講じた上で、各大学の取り組みを求めていくことが必要である。」(P81)と述べ、憲法・教育基本法の理念に基づく学校教育法や教育公務員特例法といった学部自治を支えてきた基本的な法制度そのものの「改正」を語るに至った点である。

確かに、社会の変化と関連した大学の急激ともいえる改革の中で、大学の業務は多様化、複雑化の一途をたどっており、その意味では、今日における大学自治のあり方について、大学人を主体として、探求していくことは必要となっている。

しかし、今回の「中間まとめ」の大学の管理運営に関して提起は、あまりにもドラスチィックかつ法律「改正」を含む「上からの強制」であり、こうした方策は、むしろ今日的自治のあり方を含めた今後の大学のあり方を真剣に探求しつつある大学人の主体的創造的議論と自主改革の気運・努力に水を差すものでしかないことは明らかと言わざるを得ない。

以下、具体的にその問題点と論点を明らかにしていきたい。

まず第一に、学長を中心とする執行機関に権限を集中し、かつそれを強化する施策が述べられている。たとえば、学長を中心とする執行機関は、全学の教育研究目標・計画の策定をはじめとする企画立案・調整の権限が付与されることになった。

これによって、学長等の執行機関には、それが決めた重要性に基づいて当該大学の教育研究上の課題を序列化して学内の予算・定員・施設等の資源の「効果的配置・再配置」を行えるようになる。そして、学長等執行機関に集中した企画立案・調整権限を円滑に行使するために、従来の副学長制に加えて、「例えば運営会議(仮称)(副学長、学長が指名する教員、事務局長等)を新たに設けるなどの方向で考えることが適当である。」(P82)としており、内容についてはなお明らかにされておらず、その位置づけ、性格等についてさらに検討・分析が必要となっている。

一方、実際のその姿がいかに不充分としても、全学の教育研究目標・計画等の企画立案・調整について、本来、直接責任を負っていた「大学管理機関」である各学部の代表からなる評議会は、たんに「意見を聞いたり、その実施状況を報告したりすることが適当」(P83)な機関に留められている。

第二に、この評議会とそれと並んで「代表管理機関」であった教授会は、ともに「審議機関」という新たな低い位置づけを与えられて、「各審議機関が必ず審議すべき事項については、法制度上明確化をはかる方向でその調整について検討することが適当である」(P83)と言われて、審議できる事項を学校教育法で限定列記することが目指されている。これは、従来、それぞれの大学が自らの自治に基づく慣行によって重要事項を「大学管理機関」である教授会・評議会で広く審議していたこととの対比でみるならば、明らかに、国の法律による自治権の吸い上げであり、その一方的な執行機関への付与である。さらに、「執行機関は、重要事項については審議機関の意見を聞きつつ、最終的には自らの判断と責任で運営を行うことが適当である。」(P87)とまで述べており、評議会・教授会が「大学管理機関としてこれまでそれぞれの大学の慣行によって保持していた決定権限も奪われて、ここでも、それらは単なる「意見を聞く」だけの審議機関に留められている。

第三に、戦後の大学の自治、とりわけ教授会の自治という点で、もっとも手厚い保障の仕組みが法定されていた教員等の人事権についてさえ、「大学全体、学部全体の幅広い視点に立った教員選考を進めるため、学長・学部長の関与のあり方を明確化することが適当である」(P90)と述べていて、大学管理機関である教授会が選考を行い、任命権者(文部大臣、学長)は教授会の選考に拘束されており、任命権者に申し出を行う大学管理機関(評議会)は単なる経由庁にすぎないと解されてきた教育公務員特例法4条や10条のみなおしを意図している。

第四に、「学長の選考方法・任期」について、学長について「評議会の責任で数名の適任者を事前に絞り」「投票に参加する教員の範囲について適切なものとすることなどが必要」(P84)としている点も、大学人の自治意識の向上をはかる上で重大な危惧がある。

第五に、「社会からの意見聴取と社会に対する責任」という観点から大学運営協議会(仮称)を設けることが必要であり、その機能として「必要に応じて助言・勧告を行うことが適当である。」としていることである(P94)。

大学として社会に対する責任を果たすことは大事であり、現に大学人の創意による自主改革の取組みなど様々な形態での地域社会との交流はすすめられている。

今回提起されている「大学運営協議会」(仮称)は、法律上明定されることが充分想定され、しかも「必要に応じて助言・勧告」という相当強い権限をもつものであり、学内での権限の集中と合わせて考えると「アカデミック・フリーダム」の精神が損なわれる危惧をもたざるを得ない。

このように、戦後50年間、いろいろ問題を含みつつも存続してきた教授会を中心とする学部自治を「縮小」することを目指した今回の「中間まとめ」は、何を目指しているのであろうか。

国立大学を理工系人材養成等の政策目標に沿った教育研究の実施など五つの機能を列記しており(P20)、「このような機能を十分果たしていない大学については、適切な評価に基づき大学の実情に応じた改組転換を検討する必要も出てくる」(P20)と述べているように、上からの政策に基づく大学の改組転換=予算・定員・施設の再配置を実施することは、これまでのような「多様化・自由化」の名の下に大学の自主性に任せてやっていく方法ではなく、いよいよ国の法律と大学の執行機関の責任で行われようとしているとみざるをえないのである。

第六に、「大学の事務組織等」の問題である。

「大学の事務組織等」について、基本的な問題意識として「大学の事務組織については、教学組織との機能分担と連携協力の関係の明確化が求められる。また、大学運営の複雑化、専門化に対応するために、職員の研修や処遇等について改善する必要がある。」(P92)としている。

そして、その一つとして「事務職員の定員が減少している状況がある。大学における教育研究条件が低下することのないよう、人事・会計・財務の柔軟性の向上等事務の合理化を進め、専門化を図ることが特に重要である。」(P93)とし、別項の「@国立大学の人事・会計・財務の柔軟性の向上」の項では、「人事・会計・財務の制定について……わかりやすいマニュアルの作成や職員研修の充実などを通じて、制度についての理解を深めることも必要である。」(P72)としている。

これらの指摘についていえば、

1つには、特に会計・財務等が強調されている点であり、一面では、会計制度等の「弾力化」は、私たちも要求してきたものもあり、評価しうる点もあるが、同時に、そうした背景には、前述のように官主導による過度の「市場原理」の導入、「効率的経営」論があり、その推進をはかるための「人事・会計・財務制度の合理化と専門化、及び職員の企業研修と外部の優れた人材の登用の考慮」など、新たな企業との人事交流等の施策を通じて「効率的経営能力」を有する事務職員・組織の養成システムを確立し、大学について過度の「効率的経営論」に基づき運営をはかるという危惧を持たざるを得ない。

2つには、「大学の事務組織については、教学組織との機能分担と連携協力の関係の明確化が求められる。」(P92)と言うのであれば、むしろ今日の大学自治のあり方の一つとして、大学が教員と職員の「協業と分業」によって構成されていることをふまえ、大学職員を教員と同様の大学自治体系の中に位置づけ、「アカデミック・フリーダム」の広い視野と高い専門性を有する職員を養成するシステムを確立し、大学の教育・研究、管理運営を教員との「協業と分業」によって自律的に担っていくことこそ必要ではないだろうか。

3つには、これらと関連して、学生、教員の増大や、それと関連した業務の複雑化等大学等の教育・研究の特性によって業務範囲が拡充していること、その中で事務職員の定員削減が進行していることを認めながら、研究教育基盤の充実にとって不可欠な定員増という視点は欠落している。

 

 C 「V−5 多元的な評価システムの確立」(p98)について

「中間まとめ」は「V−5 多元的な評価システムの確立」(P98)の項で、(1)自己点検・評価の充実、(2)客観的な評価システムの導入、(3)資源の効果的配分と評価の3点をあげている。

その中で、特に(3)の「資源の効果的配分と評価の導入」は前項(2)と合わせて考えるとその問題性が浮き彫りとなる。

それは、「中間まとめ」の中で、「大学院の規模の拡大に重点を置く必要があるが、関連して状況に応じ学部段階の規模の縮小も検討していくことが必要である」(P24)、「卓越した教育研究拠点としての大学院の形成、支援のためには…客観的で公正な評価に基づき、一定期間、研究費や施設・設備等の資源を集中的・重点的に配分することが必要である。」(P58)、「5つの機能」を「十分果たしていない大学については、適切な評価に基づき大学の実情に応じた改組転換を検討する必要も出てくる」(P20)、「公的支出を先進国並に近づけていく配慮が望まれる。その際、厳しい財政状況も踏まえ、積極的に改革に取り組みその成果を挙げている大学等を重点的に支援していくことが必要である。」(P105)、「研究中心」や「教育中心」の大学等「大学の多様化」の促進(P16)の提起ですでに明らかである。

「中間まとめ」は、「評価に基づく資源の効果的配分」により、「科学技術創造立国」路線に基づき、「先端的分野」を軸に大学院の重点化をはかりつつ、大学間、学部間の新たな再編・淘汰をすすめ、「結果としての大学の種別化」を一層促進することを提起している。

また、注視すべきことは、V−3−(2)−@「国立大学の人事、会計、財務の柔軟性の向上」(P70)の中で、「国立大学の人事、会計、財務などについて、大学における教育研究活動がより柔軟で機能的に行うことができるよう」教育研究経費の取扱い等と合わせ、大学教員の給与決定等について、「柔軟性の向上を図る方向で検討することが適当である。」としている点であり、この間の「成績主義」の促進及び「評価に基づく資源の効果的配分」との関連をよくみておく必要がある。

 

3.結びにあたって

 大学審議会についていえば、その問題性はありつつも、出発点は、「大学審議会−ユニバーシティ・カウンシル」であり、大学という理念への眼差しがあったはずであり、その「大学」の自主性・自律性および創造性を尊重することの重要性であり、大学審議会の創設を提起した臨時教育審議会答申においても「改革に当たって、とくに大学についてその自主性が尊重されるべきことはいうまでもない。」としていることである。

 大学審議会の発足から10年がすぎ、今回の「中間まとめ」には残念ながら、そうした視点は「風化」したものとなっている。

 その背景には、「中央省庁等改革基本法」及び「独立行政法人化」などの圧力を要因とした官主導による大学への過度の「市場原理」、「競争原理」と「効率的経営」論の導入が見えてくる。その帰結として「中間まとめ」がいう「21世紀の大学像」は、あまりにも大学という理念に対する貧困と言わざるを得ない。それは、学問は一国の利害をこえる人類的普遍性を有するものであり、「学術は地球を救うもの」という視点に立った大学の理念とロマンを欠いた、およそ大学人の良識からかけ離れたものとなっている。

 私たちは、こうした重大な問題点をもつ「中間まとめ」を公表した大学審議会に対して、今後その検討内容の根本的見直しを強く求めるとともに、全大教と各単組であらためて「学術・文化は人類を救うもの」という視点に立ち、今後の大学の在り方について創造的探求をすすめるものである。