高い理念をもった大学・高等教育の創造をめざして
− 大学審議会「答申」を批判する −
1998年12月11日 全国大学高専教職員組合中央執行委員会
目 次
T はじめに−大学審議会「答申」をめぐる経過等と私たちの取りくみ
1.大学審議会「21世紀の大学像」をめぐる経過と私たちのとりくみ
2.「答申」をめぐる主な政策的背景
1.基本的特徴
(1)「中間まとめ」段階での基本的特徴
(2)「答申」の基本的特徴
2.私たちの基本的立場
(1)自治を基盤とした英知の結集と今日的な自治の発展の追求
(2)大学の社会的責任
V.特徴的な論点の分析・批判−改革の基本理念と方策を中心に−
1.課題探求能力の育成−教育研究の質の向上−(38〜72頁)
(1)教育内容の在り方 −課題探求能力の育成−
(2)教育方法等の改善−責任ある授業運営と厳格な成績評価の実施
(3)大学院の教育研究の高度化・多様化
2.教育研究システムの柔構造化―大学の自律性の確保―(73〜93頁)
(1)多様な学習需要に対応する柔軟化・弾力化
(2)大学の主体的・機動的な取組を可能とするための措置
(3)地域社会や産業界との連携
3.責任ある意思決定と実行−組織運営体制の整備−(94〜114頁)
(1)学内の機能分担の明確化
(2)大学の事務組織等
4.多元的な評価システムの確立−大学の個性化と教育研究の不断の改善−(115〜124頁)
5.高等教育改革を進めるための基盤の確立等(125〜128頁)
( 資 料 )
1.「中間まとめ」と「答申」の論点整理に向けたメモ ( 1998年11月7日 )
2.大学審議会「答申」について (見解) (1998年11月7日)
T はじめに−大学審議会「答申」をめぐる経過等と私たちの取りくみ
1.大学審議会「21世紀の大学像」をめぐる経過と私たちのとりくみ
大学審議会は、昨年10月の文部大臣諮問「21世紀の大学像と今後の改革方策について」を受け今年6月30日には「中間まとめ」を公表、これに対する関係団体よりの「意見」を集約しつつ、作業をすすめ、10月26日には「21世紀の大学像と今後の改革方策について(答申)」を文部大臣に提出した。
全大教は、21世紀に向けて大学が「学術・文化の中心」として充実・発展をはかり、人類社会から求められる期待に応えるため、憲法・教育基本法に立脚する大学像を積極的に探求する立場で、単組と共同して取りくみをすすめてきた。こうした中で出された大学審議会の「21世紀の大学像」は「学術・文化の中心」としての大学像として根本的弱点をもっており、今後の日本の大学像を規定する重大な問題と全大教は捉え、今期の取りくみの中心的柱と位置づけて、先制的に運動をすすめることを重視してきた。
@ 「中間まとめ」から「答申」提出まで
こうした立場から、全大教は7月10日、中央執行委員会として「基本的見解」を発表するとともに単組執行部討議資料を発行、機関紙「全大教(号外)」でこの問題を特集した大量宣伝をすすめてきた。
また、8月11日には、大学審議会に対し、委員長名で「意見」を提出するとともに、9月30日には「拙速に答申を行うべきでない」旨の要望書を提出してきた。
A 「答申」提出以降
10月26日の「答申」提出に際しては、ただちに当日、答申に対する「書記長談話」を発表すると共に、11月7日には答申に対する中央執行委員会「見解」を発表し、「(この問題に対する全大教の)基本的立場に立って『答申』をみると、全体としては、根本的弱点や矛盾をもっている一方、私たちの運動の結果として『意見』が一定程度反映した部分があり、それらを私たちは過大に評価することなく正確に評価し、今後の運動にいかすことが重要である。」との評価と視点を明らかにした。さらにその間、単組代表者会議や単組訪問等を通じた意見集約と交流・意思統一をはかるとともに、「答申」とも関連して研究教育基盤の充実を求める署名運動をすすめてきた。
また、これらの運動の一つの集約点として、12月4日には文教委員への要請行動を軸にした中央行動と、翌5日には日本私大教連との共催による「21世紀の大学像を考える大学人の集い」を開催、文部省からの「答申」に関する説明とシンポジウムを行ない多面的に議論を深めることにしている。
これに呼応し、各単組でもこの間、シンポジウムや学習会等様々な形態で、この問題についての幅広い議論と分析・批判及び今後の自らの大学像を主体的に探求するとりくみが急速に広がると共に、「声明」等の意見表明、学長等への申し入れ、「会見」など多様な運動が展開されてきている。
2.「答申」をめぐる主な政策的背景
@ 客観的に見て、社会から期待される大学・高等教育の比重が近年ますます高まってきていることにある。それは科学技術基本法の制定とそれをふまえた科学技術基本計画の策定、社会状況の変化と相まった「大衆化」「生涯学習化」「高度化」「国際化」等の大学の急激な変化、さらには「金融ビックバン」に象徴される国際競争力強化の課題、地球環境、教育問題、「不況」の深刻化など社会の様々な「病理現象」への対応が求められていることである。
A 昨年来の「財政構造改革法」の成立にみられるように、「財政危機」のもとで、前述した大学・高等教育に求められる役割をいかに効率的に果たしうるかという問題意識が強く働いている。
B そのことと関連して、今年8月に行われた小渕新首相の「今後10年間に『独立行政法人化』を含め国家公務員の20%削減」の所信表明と密接に関連した、「国立学校」などの「独立行政法人化」問題が「再燃」してきており、これに対し、大学審議会等の立場から、「独立行政法人化は長期の検討課題」とする旨の「答申」が出されるなど、国立大学を維持はするが、そのためには「抜本的改革」が必要との判断が働いていることである。そのため、文部省は「答申」内容の周知・具体化のため精力的に動いている。
C この間の急激な大学改革の流れや「行財政改革」の中で、「多忙化」や「業績主義」が大学では一層深刻化しており、財政や人材養成システムなど研究教育基盤が抱えるぜい弱性のもとで、大学自治の充実・発展を、私たち主体の側から探求することが困難な状況におかれていたことも一つの要因であり、それは今後克服すべき重要な課題でもある。
なお、本「討議資料」の性格と目的については、すでに全大教の「見解」で「答申」の基本的分析・批判や運動の方向性を明らかにしていることをふまえ、むしろ「答申」に対して、今後のとりくみに活用しうる政策的論点を明らかにすることを中心にすえている。ひいてはこれが自らの大学像を考える上での若干の問題提起となれば幸いである。
1.基本的特徴
(1) 「中間まとめ」段階での基本的特徴
「中間まとめ」については様々の論点を指摘しうるが、なかでも特徴的な論点は、@憲法・教育基本法が謳う「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成」や「普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育」に代えて、「科学技術創造立国路線」に過度に傾斜した教育研究の発展と「人材」養成・確保が全体を支配していること、A教育研究体制の充実をめざす「自治」に基づく各種の取り組みを顧みることなく、また研究と教育を統一的にとらえる視点を欠如させたまま、ほとんど論証抜きに「国際水準に達しない研究水準」や「教育に対する熱意の欠如」が語られていること、B「中間まとめ」が語る「大学像」を実現するために、学長・学部長のリーダーシップの強化と効率化の観点からの大学管理機関の再編が求められる反面、「自治」はそれらの阻害要因として捉えられ、学部教授会・評議会の権限縮小がめざされていること、C基盤的教育研究経費の充実や事務職員・技術職員等の増員要求に代えて、「資源の効果的配分」が重視され、「自律性に基づく個性化・多様化」を標榜しながら、過度に傾斜した「科学技術創造立国路線」への寄与の度合に応じた大学の再編・淘汰、種別化、はてはスクラップ・アンド・ビルドが露骨に語られていることであった。
全体を通じて、昨今の日本企業の国際競争力の低下、不況と財政危機をいかに乗り切るか、そのために大学の知的資源をいかに動員するかという危機感が正面に立ち現れ、結果的に21世紀の大学像を明らかにすると言いながら、実際には極度に短期的な視野からの大学像しか描き得ていないと評価せざるをえなかった。
それでは今回の「答申」の内容には、この「中間まとめ」の基本的特徴と比べて、どのような変化がみられるのだろうか。次に「答申」の基本的特徴について検討する(以下、『中間まとめ』からの引用箇所は「中〜頁」と記す)。
(2) 「答申」の基本的特徴
一見して明らかなのは、今回の「答申」は、私たちを含む関係団体の批判・意見を反映して大幅な書きかえを行わざるをえなかった点である。しかし、結論からいえば、いくつかの評価すべき変更点はあるとはいえ、そうした書きかえは「中間まとめ」の基本的枠組みを根本的に変更するまでには至っておらず、全体の文脈からすれば、依然として「自治」を改革の障害物とみなす「経営組織」的大学像の視点、評価と資源配分を結び付けて大学を再編・淘汰していく視点から「改革方策」が提起されていると評価せざるを得ない。登場する頻度が減って、トーンダウンしたかにみえる過度な「科学技術創造立国路線」も随所に見え隠れしている。また、国立大学の機能に言及した「間まとめ」の「理工系人材の養成など政策目標に沿った教育研究の実施」(中19頁)という表現は、「計画的な人材養成など政策目標の実施」(19頁)にとって替わったが、特定の政策枠組みから教育研究のありかたを規定するという発想そのものには変化がみられない。すなわち、「答申」全体を通して、特定の政策を遂行する目的に大学の教育研究や組織運営のありかたを統制・誘導しようとする基本的枠組みは堅持されている。
その一方、一定の修正が施されたのも事実である。例えば、「一国の利害に偏している」「大学という理念への眼差しがみられない」とした私たち全大教などの批判を考慮してか、「知の再構築」という新たなキーワードに象徴されるように「知」や「人類」を前面に出して一定の「理念」の書きかえを行っている点、「理工系偏重」という批判に対して人文・社会科学系への配慮した表現への修正がなされている点、「21世紀の大学像の全体が描かれていない」といった国大協等の批判を考慮してか、「21世紀初頭」という表現にトーンダウンしている点、大学・高等教育の研究教育基盤の整備への言及が不十分という批判を考慮して、高等教育に関する公財政の支出が欧米並みとなるよう「最大限の努力」が必要とやや踏み込んだ表現になっている点などである。また、「個々の教員の意識改革が不十分」「研究重視の意識が強すぎて教育活動に対する責任意識が低い」(中5頁)といった論証抜きに情緒的に大学人への「不信感」を表明した部分も、ややトーンダウンして、「一般に教員は研究重視の意識は強いが教育活動に対する責任意識は十分ではない」(11頁)となっている。
特に、前段の社会状況の展望にかかわる部分は大幅に書きかえられている。すなわち、「答申」は、「高等教育を取り巻く21世紀初頭の社会状況」を、「その知的活動によって社会をリードし社会の発展を支えていくという重要な役割を担う大学等が、知識の量だけでなくより幅広い視点から『知』を総合的に捉え直していくとともに、知的活動の一層の強化のための高等教育の構造改革を進めることが強く求められる時代―「知」の再構築が求められる時代―となっていくものと考えられる」(1頁)として、大学・高等教育の理念と役割を一定程度認識したとみられる表現に修正されている。さらに、「21世紀初頭」における社会状況を、「我が国」からだけではなく、「人類にとって真に豊かな未来の創造」(4頁)と広く展望する視点とあわせ読めば、地球環境問題をはじめとした様々な人類社会の危機ともいうべき事態に対して、「幅広い専門研究者と学問の蓄積を有する大学・高等教育が『学術・文化の中心』として問題分析と社会への発信を行うことが求められている」(全大教「中間まとめに関する意見」98年8月11日)とした私たちの認識への一定の接近がみられる。
しかし、「21世紀初頭の大学像」の根幹をなす「大学改革の四つの基本理念」については、「中間まとめ」のそれが踏襲されている。「第2章 大学の個性化を目指す改革方策」(38〜128頁)において、この四つの基本理念に沿った具体的な改革方策とそれを進めるための基盤の確立等について提言がなされているが、一部に表現上の修正はあるものの、その基本的内容は堅持されている。ここに「答申」の根本的弱点と矛盾、問題点がある。すなわち、「基本理念」とそのための「改革方策」が先に決められた後で、その前提たる状況認識が修正されているという感を否めない。したがって、状況認識において人類的普遍的見地をやや前面に出した部分も、改革の理念や方策に十分に反映されておらず、全体を貫くものにはなっていないために、説得力を欠くものに終わっている。
中央省庁等改革基本法は、国立大学における「適正な評価」「大学ごとの情報の公開」「外部との交流の促進」「人事、会計及び財務の柔軟性の向上」「大学の運営における権限及び責任の明確化」等(第43条)を盛り込んでいるが、「答申」は「この答申で提言した改革を速やかに実現すること」が「行政改革会議最終報告や中央省庁等改革基本法で求められている国立大学の改革を実現することになる」(37頁)とし、「答申」が今日の行財政改革を明確に意識したものであることを表明している。さらに、国立大学の独立行政法人化問題について言及し、「独立行政法人化をはじめとする国立大学の設置形態の在り方については、これらの改革の進捗状況を見極めつつ、今後さらに長期的な視野に立って検討することが適当である」(37頁)と、長期的視野からの検討を求めている。
しかし、「独立行政法人化」圧力をはじめとする「行財政改革」圧力や近年の日本経済の国際競争力の低下等への対応という、きわめて短期的視野からしか大学像を展望しえていないという根本的弱点は、この「答申」を魅力に乏しいものとしている。そのことは「答申」標題が「21世紀の大学像」から「21世紀初頭の大学像」にトーンダウンしていることに端的に表れている。すなわち長期的視野を欠いた大学像という印象がどうしても払拭しきれないのである。
2.私たちの基本的立場
以上のように、「答申」には、教職員の自立性、自発性と、それに内発する大学の「自治」を基盤として教育研究活動の自由で多様な発展を促進しようとする視点はみられない。むしろ、国の政策目標の遂行にとって「自治」は障害物とみなされている箇所さえ存在する。このような「答申」に対して、私たちの基本的立場をここで確認したい。
(1) 自治を基盤とした英知の結集と今日的な自治の発展の追求
まず、あくまでも「自治」を基盤とした英知の結集をめざしていく立場である。大学が学術・文化の中心である以上、それを確保する制度的な枠組みを作り上げなければならない。大学構成員の主体性・自律性に依拠した、大学の内発的な改革を進めるには、「企業経営」的な効率性の追求や評価と資源配分等を結び付けた統制・誘導ではなく、「自治」を基盤とした改革を可能とする条件整備こそ必要なのである。ここでは「自治」とは、改革の出発点であると同時に、改革の目標と位置づけられるべきである。
しかし、単に「自治」を守れという「守り」の姿勢では、今日の組織の構造の変化、組織内部の構成員の価値観や意識の変化、そして、より広い社会経済の変化に対して、機敏に対応していくことは困難である。私たちは、そうした変化を踏まえながら、「自治」の中身を組織論も含めて今日的に発展させていかなければならない。
例えば、学部自治の枠組自身にしても、講座制をもつ大学・学部等においてままみられるように、新たな教育研究の可能性に対して、むしろ阻害要因として働くことがあることも認識しておく必要がある。それだけではなく、例えば教養部「解体・分属」以降、顕著になった現象であるが、学部個別の利害が前面に出る結果として、総合大学としての教育体制をどのように維持・発展させるのかという視点を欠いたまま、「ポスト分捕り」と批判される現象が見られることも、また率直に認めないわけにはいかない。それに限らず現状の大学自治の枠組において、意思決定の主体と責任の所在が必ずしも明確でないまま、既成事実の積み重ねによって、なしくずしに意思決定が進行するといった事態があることも、むしろわれわれの側から改革提案を積極的に提示すべき性質の問題といえよう。学部を越えた全学的な視野からの自治のありかたを、意思決定の主体と責任の所在を明らかにしながら構築していくことが求められているといえる。
また、事務職員等を大学の自治にどのように位置付けるかも重要な問題である。すなわち、学校教育法第59条が予定するような、教授による教授会を前提とする学部自治の枠組に対して、いわゆる全構成員自治をどうとらえればよいのかという課題は大学紛争から30年を経ようとする現在もなお未解決のままである。しかし、「教授会自治」等の現在の自治の仕組みでは、執行権限の強化に対して十分な牽制機能を働かせるには限界がある。協業と分業の視点から、教員と事務職員が連携して、組織全体としての牽制機能を強めていく必要がある。私たち自身の自治をめぐる組織論が求められているのである。
(2) 大学の社会的責任
「答申」は「社会からの意見聴取と社会に対する責任」の項で、その具体的方策として「大学運営協議会(仮称)」をおくことを少なくとも国立大学についてはその責務として提起している。
全大教としてこの問題を考える前提として「大学の社会的責任」についての基本的視点を明らかにしておきたい。
第一に、科学技術の発展や「大衆化」「国際化」「情報化」等社会と大学をめぐる状況の変化の中で、大学の社会に占める位置が客観的に高まっていることである。
第二に、そのこととも関連するが、地球環境問題の深刻化や政治、経済、文化など、人類と社会をめぐる様々な病理現象が進行するもとで、大学が「学術・文化の中心」として、社会に対して、その研究教育機能を通して積極的に発信していくことが求められている。
これらは、「財政民主主義」や、それに基づく「説明責任」の範疇にとどまらない、国民への主体的責務と言わなければならない。また、現に少なからぬ大学・単組でそうしたとりくみがすすめられていることを見逃してはならない。
以上の視点に立って、「大学運営協議会(仮称)」について考える場合、次の諸点をおさえておく必要がある。
@ 大学が社会の意見に積極的に耳を傾けることは重要である。しかも、その方法論は多様であるべきである。したがって、「法制度」で義務づけるというやり方ではなく、大学人が主体的創造的に社会の声を生かすシステムを創り出していくこと、その仕組みを積極的かつ無差別に支援していく制度的枠組みを形成することが必要である。
A したがって、「大学運営協議会(仮称)」については、法制度で義務づけるのではなく、大学の主体的判断によるものとし、設置する場合も、その構成、権限と目的、情報の開示等について、大学人の意見が充分反映されること、社会の多様な意見が公正に反映されることなど、大学の自治と自立性をより多面的に発展させる方向性が必要である。
V.特徴的な論点の分析・批判−改革の基本理念と方策を中心に−
以下、大学改革の四つの基本理念とその理念を実現するための改革方策について検討する。
1.課題探求能力の育成−教育研究の質の向上−(38〜72頁)
理念に関する記述の部分で「中間まとめ」から修正が施されたのは、初等中等教育とのつながりや学部教育と大学院教育とのつながりを意識した表現が新たに付加され、「国際的通用性の向上等」(特に工学教育の国際通用性)が強調されている点である。すなわち、「21世紀初頭」の社会状況を展望して、今後、高等教育においては、「自ら学び、自ら考える力」の育成をめざす初等中等段階の教育を基礎とし、「主体的に変化に対応し、自ら将来の課題を探求し、その課題に対して幅広い視野から柔軟かつ総合的な判断を下すことのできる力」(課題探求能力)(31頁)の育成を重視することが求められているとしている。また、「学部教育では、教養教育及び専門分野の基礎・基本を重視し専門的素養のある人材として活躍できる基礎的能力等を培うこと、専門性の一層の向上は大学院で行うこと」(31頁)となっている。しかし、そうした「つながり」を実現するための改革方策は具体性に乏しく、図式的な理念の表明で終わっているという感が否めない。
「中間まとめ」と基本的に変わっていないのは、「求められる人材」(32頁)とあるように、「卒業時における質の確保」や大学院重点化等、大学院改革の提起の背景に、国や産業界が求める特定の「人材」像がある点である。すなわち、従来の追い付き型システムから脱して「世界の先駆者」として次代を切り拓くような「課題探求能力」を有する人材、「科学技術創造立国の実現」(32頁)のためには質の高い「人材」や研究者が強く求められているのである。もちろん、私たちは「人材」養成の必要性やそれが大学の重要な機能のひとつであることを否定するものではない。しかし、大学の社会的責任は「人材」養成にとどまるものではない。憲法・教育基本法の理念に則って、「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成」(教育基本法前文)の視点から学生を育成することが、私たちの社会的責務なのであり、そうした「人材養成」は本来の責務のごく一部分にすぎないのである。こうした観点からすれば、「答申」の教育観から「『知の再構築』が求められる時代」にふさわしい、ゆたかな「人間」像を読み取るのは困難であるといわざるをえない。
(1) 教育内容の在り方 −課題探求能力の育成−
学部教育における「教養教育の重視、教養教育と専門教育の有機的連携の確保」(39頁)という考え方はみるべきものがあるが、教養教育の「実施・運営に責任を持つ組織を明確にする」(40頁)としながら、そうした組織を実現する具体的な方策は明示されていない点などは、教養教育の重視という理念と矛盾するものである。さらに踏み込んだ具体的な提起を求めたい。「一部の教員に過度の負担が集中」という教養教育の実施における問題点も、「全学的な実施・運営体制を整備する必要がある」(40頁)という提起にとどまっており、問題解決のための具体的な方策は何ら示されていない。
(2) 教育方法等の改善−責任ある授業運営と厳格な成績評価の実施
「答申」は「卒業時における質の確保」に言及して、「大学は公共的な機関として、社会に貢献する人材の養成に当たるという役割を担っており、学生に高い付加価値を身につけさせた上で卒業生として送り出すことは大学の社会的責任」(49頁)であるとしている。しかし、大学の「公共性」「社会的責任」をいうのであれば、前述したように大学の機能は「高い付加価値」を持った「人材」の養成に収斂されるものではなく、より普遍的見地からとらえ直すべきものである。
「厳格な成績評価の実施」については、「学生が1年間あるいは1学期間に履修科目登録できる単位数の上限を各大学が定める旨を大学設置基準において明確にする必要がある」(51頁)として、履修科目登録の上限設定を提起している。しかし、その一方で「厳格な成績評価の下で上限一杯の単位数を優れた成績で修得した者」(52頁)については、上限を超えた履修登録を可能とする「例外的取り扱い」を認めている。これは先の上限設定からすれば矛盾しており、教育現場に混乱をもたらしかねないという危惧を抱かざるをえない。
また、「答申」は産業界に対して、「可能な限り休日や祝日等に採用活動を実施するとともに、過度に早期の採用活動を行わないよう期待する」「男女雇用機会均等法に沿い、女子学生の雇用の機会均等が図られることを期待する」(57頁)と秩序ある採用活動を求めている。これは「中間まとめ」公表後、新しく付加された点であり評価に値する。しかし、例えば、労働省と文部省の本年10月1日現在の「就職内定状況調査」をとってみても、男女別の内定率は男子71.3%、女子59.2%で、女子学生の就職の厳しさが目立つ。産業界においては、依然として女子学生に対する採用差別が行われているといわざるをえない。こうした現状からすれば「期待する」では不十分な感はあるが、大学生の就職問題が「答申」に盛り込まれたことそれ自体は、今後の取り組みにも活用しうるものであり積極的に評価したい。
(3) 大学院の教育研究の高度化・多様化
「大学院の制度上の位置付けの明確化」については、学部を基礎とする研究科であっても、「研究科委員会に代えて、研究科教授会を置きうることを明確にする必要がある」(59頁)としている。大学院の制度上の明確化それ自体は評価できるが、なお弱点や矛盾点を指摘せざるをえない。
例えば、学部教育との連携については、「学部との連携・調整に十分な配慮が必要」(61頁)という表現にとどまっており、「大学院の規模の拡大に重点」「学部段階の規模の縮小」(27頁)という提起とあわせ考えると、学部教育の軽視につながりかねないという不安を払拭しきれておらず問題である。「高度専門職業人養成に特化した実践的教育を行う大学院の設置促進」(66〜70頁)については、当面、修士課程が高度専門職業人養成の機能を担うことが期待されており、「大学院設置基準等の上でもこれまでの修士課程とは区別」(67頁)して扱うとしている。すなわち、通常の修士課程と高度専門職業人養成の修士課程が併存することになるが、このことが大学院の教育研究の現場に混乱をもたらしかねないとする不安に答えるものにはなっていない。「卓越した研究拠点」としての大学院に対しては、「客観的で公正な評価に基づき、一定期間、研究費や施設・設備費等の資源を集中的・重点的に配分することが必要である」(71頁)と資源の重点配分が提起されている。こうした区分は、大学院の種別化につながりかねない問題をはらんでいる。
とりわけ、提起されている内容は制度上の整備面に偏っており、そのための予算・定員等の条件整備についての言及はきわめて不十分である。教職員の多忙化の現状に配慮するものになっておらず、むしろより一層の多忙化が進行するのではという不安を抱かざるをえない。しかし、上記の問題点・矛盾点の克服を求めながらも、大学院の制度上の明確化を謳ったことそれ自体は今後の取り組みに積極的に活用し、あわせてより一層の教育研究基盤の整備を強く求めていくものである。
2.教育研究システムの柔構造化―大学の自律性の確保―(73〜93頁)
「答申」は、「学生の主体的学習意欲及びその学習成果を積極的に評価し得るような制度、大学が自律性を確保しながら一層積極的・機動的に社会の要請等に対応できるような制度、国際的な通用性の高い制度へと、教育研究システムをより柔構造化していくことが必要である」(33頁)と制度改定を謳っている。そして、これらの制度改革が「答申」の目玉商品のひとつとして喧伝されている。
しかし、これは「各大学が自由で多様な発展を遂げ得るよう大学設置基準を大綱化する」とした90年の「大学教育の改善について」の「答申」を思い出させるものである。設置基準大綱化には大学人の主体的判断を可能とする側面があったとはいえ、それに対応する条件整備が不十分であったために、教育現場の教職員に多大な負担と混乱を生じさせたという教訓を踏まえて、「答申」は条件整備について明らかにすべきであったはずである。しかし、今回の「答申」でも、条件整備については明確にされておらず、以下述べるように、提起されている制度改革の内容にも矛盾や弱点を指摘せざるをえない。
(1) 多様な学習需要に対応する柔軟化・弾力化
学部段階での「4年未満の在学で学部を卒業できる例外措置の導入」「秋季(九月)入学の拡大等」「単位互換及び単位認定の拡大」「単位累積加算制度の創設」などが提起されているが、これらはいずれもカリキュラムの混乱を生じさせる問題であり、それらの実施は一律に強制されるべきものでなく、立地条件や規模を考慮すれば各大学で自主的に判断すべきものであることはいうまでもない。さらに、この一部でも実施されれば、現在の教職員の多忙化、労働過密の状況をさらに悪化させることは明らかであり、それに対する適切な措置こそ求められるはずであるが、この点についての言及はきわめて不十分である。
大学院段階での「修士課程1年生コースの制度化」「修士課程長期在学コースの制度化 」は、通常の2年生コースの併存によって生ずる混乱と、高度専門職業人養成に特化した修士大学院の設定などとも絡んで、学部段階と同様の問題を生じるものであり、「 教員の増などこれを実施するための研究指導体制、教育環境の整備を求めたい」(81頁)とあるが、具体的な整備については言及されていない。
(2) 大学の主体的・機動的な取組を可能とするための措置
「教育研究組織の柔軟な設計」と「行財政上の弾力性の向上」とが提案されているが、「中間まとめ」からは大きな変更はみられない。
前者については、具体性に乏しく講座・科目の自由な編制や教員の定員配置・選考権など不明な点が多い。大学の教育研究組織が、「従来、教育研究の進展や社会的需要に対する取組が遅れがち」(84頁)という指摘も論証抜きになされている。従来の組織のありかたが柔軟な設計を阻害しているというのであれば、その原因を制度面、条件整備面も含め実証的に明らかにすべきであろう。
後者の行財政上の弾力化においては、国立大学の人事・会計・財務の柔軟性の向上が提言されている。この背景には、「行政改革会議最終報告」が、国立大学の「人事制度及び会計・財務面での柔軟化」を指摘したことにわざわざ言及しているように、「独立行政法人化」圧力をはじめとする「行財政改革」圧力がある。こうした圧力を背景として、「答申」では、「企業経営」的発想からの効率性の視点から人事・会計・財務の制度改善が提言されている。例えば、「国立大学については、教育研究の特質を踏まえたとしても教育研究の成果が国民にとって見えにくいのではないか、あるいは国の機関としてより効率性を高める余地があるのではないかなどの指摘がある」「大学自身が、学内における事務の合理化、簡素化などの運営改善を行い、自らの教育研究活動の成果や組織運営の効率性について明らかにしていく必要がある」(87頁)と述べている。私たちは、事務の合理化、簡素化や効率性の向上そのものを否定するものではない。大学の現状には、研究教育の進展にとって適合的ではないシステムも厳然として存在するからである。しかし、大学という組織が、効率性という短期的視野からその価値を測ることが困難な教育研究活動の場であること、そうした教育研究活動が教員と事務職員の協業と分業によって成り立っていることからすれば、安易な「企業経営」的な「効率主義」の導入を認めるわけにはいかない。
(3) 地域社会や産業界との連携
ここも「中間まとめ」とほとんど変化していない。過度の「科学技術創造立国」路線は、一見後ろにひいた感もあるが、「はじめに」の最後に学術審議会への諮問に言及していることをみても今後の成り行きには目を離せない。本年4月以来、「技術移転促進法」「改正研究交流促進法」の制定を受けて、「産学連携」が様々なかたちで進んでおり、また政府もその流れを積極的に推進していることは、文部省がその施行令の公布を待って、学術国際局研究助成課が8月「未来を拓く産学連携―大学と産業界とのパートナーシップの構築―」というパンフレットを発行して、その宣伝に努めていることからも覗える。
この問題の分析・批判にあたっては、私たちとしては「大学審議会『中間まとめ』について−特徴的な論点の分析・批判−」や第10回教研集会の「基調報告」で展開した基本的立場を改めて確認したい。すなわち、人類と地域社会への貢献、また学問分野によっては研究教育の発展をはかる立場から、「学問の自由」「大学の自治」の視点を堅持し、主体的に産業界と連携することはありうるし、必要なことである。しかし、大学全体の合意やチェック機能が十分働かないままに、また研究者の主体性・自律性そのものを否定する方向で、産業界との連携が進むとすれば問題である。例えば、研究者個人が、大学という組織の意思決定を媒介せずに、すなわち、自治の重要な構成要素である教授会・評議会の承認の手続きや十分な情報公開抜きに民間企業に対して「技術移転」を行うことは、研究者自身が研究者としての主体性・自律性を失い、企業と一体化してしまう危険性をはらんでいる。また集団的なチェック機能の欠如は、大学という組織そのものの「企業化」にもつながりかねない。私たちは、新しい産学協同の動向に対しては、自主・民主・公開の原則を今日的に発展させチェック機能を働かせていく必要がある。
なお、私たちは社会的存在である大学が、積極的にその社会的責任を果たしていくことを否定するものではなく、むしろ学術・文化の中心である大学が積極的に社会に対して発信していく姿勢が求められていると考える。その場合、「社会」というものは、産業界も当然含むとはいえ、特定の利害集団によって代表されるものではなく、多様性をもったものと捉えている。そういった多様性を持った社会に対して、私たちが社会的責務を果たしていくためには、大学という組織には多様な学問の集積が求められ、そうした多様性を保障するためにも自治の仕組みが必要とされるのである。
3.責任ある意思決定と実行−組織運営体制の整備−(94〜114頁)
「中間まとめ」では、学長・学部長の強力なリーダーシップを期待する反面、これまで大学自治の根幹を形成すると考えられてきた教授会・評議会の権限を縮小することに主眼が置かれていた。そのことを端的に表すのが、学長・学部長=執行機関、教授会・評議会=審議機関という「機能分担」であり、「審議機関」の審議事項に関しても限定を加えていく方向性であった。このような「中間まとめ」に対して、全大教は、そのような大学運営が今日の大学にとってふさわしいものではないこと、教職員の自律的・自発的活動を阻害し、「上からの」押し付けが逆に大学の活力をそぐことを指摘して厳しく批判した。
「答申」においてもなお「中間まとめ」に現れた路線は基本的に堅持されている。すなわち、学長・学部長=執行機関、教授会・評議会=審議機関という「機能分担の明確化」という名目の区分けは維持されているし、それを見越した「学長補佐体制」の強化、「運営会議(仮称)」の設置、審議事項の制限、「大学運営協議会(仮称)」の設置などが盛り込まれている。特に問題なのは、「中間まとめ」同様、こうした大学自治の根幹にかかわる組織運営体制上の改革が法改正を通じて行われようとしている点である。
(1) 学内の機能分担の明確化
学長を中心とする執行機関には、全学の研究教育目標・計画の策定をはじめとする企画立案・調整の権限の付与が提起されている。これによって学長を中心とする執行機関は、それが決めた重要性に基づいて当該大学の教育研究上の課題を序列化して学内の予算・定員・施設等の資源の「効果的配置・再配置」を行うことが可能となる。さらに、こうした執行機関に集中した権限の行使を円滑にするために、学長補佐体制の整備に加えて、副学長、学長が指名する教員、事務局長等で構成される「運営会議(仮称)」の設置が提案されている。
これに対して、各学部の代表からなる「大学管理機関」である評議会については、執行機関が策定する目標・計画について「意見を聞いたり、その実施状況を報告したりすることが適当である」(100頁)という程度の位置付けにとどめられている。また評議会と並んで「大学管理機関」である教授会は、ともに「審議機関」という低い位置付けを与えられて、「各審議機関が必ず審議すべき事項については、法制度上の明確化を図る方向でその整理について検討することが適当である」(102頁)として、審議できる事項を学校教育法で限定列挙することが目指されている。これは法律によって自治権の「吸い上げ」を企図するものといわざるを得ない。
自治を前提とした人事に対しては、「中間まとめ」では「学長・学部長の関与のありかたを明確化することが適当である」(90頁)として、教授会自治さえ否定する姿勢をみせていたが、今回の「答申」では、批判の多かった教員人事への「関与の明確化」に関して、「全学的な人事の方針・基準を設定するに当たって、必要に応じて学長が大所高所からの方向性を示すことが適当である」「学部長が上記の全学的な人事の方針・基準を踏まえて、教員の採用選考に関して必要に応じて意見を述べることが適当である」(107頁)と表現を修正している。しかし、「大所高所からの方向性を示す」という表現は、一見トーンダウンにもみえるが、学長の執行権限の強化とあわせ考えると、単なる意見の表明にとどまるかどうかは微妙であり、引き続き慎重な検討が必要である。
さらに、学長・学部長の独断専行という批判を考慮してか、教職員や学生の意見・意向の反映も盛り込まれているが、意見・意向の把握とその尊重・反映が重要であることは論をまたないとしても、それならなぜ、これらを自治の主体として位置付け、明確化する努力を表明しなかったのか疑問が残る。
卒業生の採用者、連携協力の相手方となる地域の関係者等が関与する「大学運営協議会(仮称)」の設置についても、社会からの要望を聞く機関が必要であることは否定しないが、助言・勧告という強い権限を有する機関の設置を画一的に押し付けることには問題がある。あくまでも各大学の自主性に委ねるべきである。
以上のように、「答申」は、大学自治の根幹である教授会・評議会の権限を縮小し、執行機関の権限とリーダーシップを強化しようという姿勢を崩していないが、私たちは法「改正」による「自治の吸い上げ」と「画一化」には反対である。本来、自主的内発的な活動であるべき教育研究の多様な発展を保障するには、自治の仕組みが必要であるからである。また、積極的に自治を基盤とする英知の結集をめざす立場からすれば、教職員の自治意識の高揚を阻害するような改革には反対する。自治の縮小は、むしろ教職員を教育研究のありかたや大学全体の問題に対して無関心にさせる危険をはらんでおり、自主的な改革のための動機づけやリーダーシップの発揮を阻害すると考えるからである。
また大学と社会との関係のみならず、大学内部の関係についてみても、学生と教職員との関係、教職員同士の関係も意識や価値観が多様化するなかでますます複雑になっている。こうした状況のなか、大学内部の問題や対外的問題に、学長を中心とする執行部だけで対応し有効な意思決定をなすことはもはや不可能であり、今日こそ、自治的な組織を基盤とした大学構成員の広範な意思決定への参加が求められているといえる。自治的な組織が教育研究や組織のありかた、社会との関係のありかたについて考え、議論する場となることが自治意識を高揚させ、自主的な改革の動機づけとなり、自主的な改革を進めるリーダーシップの訓練、発揮の場となると考えられる。
私たち自身も、単に自治を守れと主張するばかりでなく、今日、問われている社会的存在としての大学の社会的責任を敏感に自覚し、その責務を主体的に果たしていくために自らを律し、リーダーシップを発揮しうるような今日的な自治のありかたを発展させていかなければならない。
(2) 大学の事務組織等
事務組織については、「大学の事務組織と教学組織との機能分担と連携協力を進めていくためには、事務処理の業務の高度化のための条件整備が必要である」として、民間企業等での研修機会の充実や、「業務の効率性を高め必要な業務を充実していくため、人事・会計・財務の柔軟性の向上」を図るとしている(110頁)。
これも「経営組織」的発想からの効率論に偏った問題提起であり、事務職員の教育研究組織を支える専門性をいかに向上させるかという視点はみられない。研究教育の質の向上には、それを支える事務職員との連携が不可欠であり、そうした連携のためには、当然、教員の側に事務職員の職務に対する理解が求められるが、事務職員の側にも研究教育に対する理解と「学問の自由」の見地からの広い視野が求められる。こうした専門性の向上を可能とするための研修制度が整備される必要がある。
また定員削減下の多忙化が進む職場のなかでは、教員と職員がコミュニケーションを持つこともますます困難になっている。教員と職員の連携を保障するためにも、定員増、労働時間の短縮をはじめとした労働条件の向上が必要である。
最後に学長等執行機関の専制・独走に対しては、教授会・評議会を中心とする自治の仕組みだけでは限界があることを指摘したい。私たちは協業と分業の視点から、事務職員等も自治の担い手として位置付け、現在、自治の仕組みから疎外されている事務職員等の参加も積極的に視野にいれた、新しい全学的自治の仕組みを考えていく必要があると考える。今後ますます大学という組織にかかわる構成員の利害が多様化し、権限の構造が複雑化していくことが予想されるなかで、教員、事務職員等構成員の利害を調整し、専制的なリーダーシップに対して有効な牽制機能を発揮しうるような大学組織全体の統治構造、すなわち「ユニバーシティ・ガバナンス」のありかたを追求する、私たち自身の組織論が求められているといえる。そのためにも教職員の利害を代表する労働組合が、自ら新しい組織論を提起できるよう、議論を深めていくことが、現下の急務である。
4.多元的な評価システムの確立 −大学の個性化と教育研究の不断の改善−(115〜124頁)
「答申」は、先験的に「第三者評価」を透明性・客観性の高い評価とみなしているが、そうなる保証が十分示されているとはいえない。何よりも問題なのは、こうした評価が、各大学に対して、自発性に基づいた多様な個性の発揮の動機づけとして機能するのか、それとも資源配分と結び付けられて「誘導」の手段として機能するのかという点である。
確かに、第三者評価機関について、大学関係者の参画を得て運営を行うこと、その結果の各大学へのフィードバック、被評価者への情報の開示と意見提出が明確にされたことなどは、私たちを含む関係団体の意見を一定程度反映したものといえよう。しかし、大学関係者の参画等の中身が不明であることからすれば、より具体的な提起が求められる。
「答申」は、「国公私立大学の特色ある発展」(19〜22頁)について述べた箇所で、国立大学に期待される機能として、「計画的な人材養成の実施など政策目標の実現」「社会的な需要は少ないが重要な学問分野の継承」「先導的・実験的な教育研究の実施」「各地域特有の課題に応じた教育研究とその解決への貢献」などをあげている。そして、「このような機能を十分に果たしていない国立大学については、適切な評価に基づき大学の実情に応じた改組転換を検討する必要も出てくる」(21頁)としているが、この問題を含め、評価と資源を結び付けることは、私たちが「中間まとめ」の重大な問題として批判してきたところである。しかし、この考え方は、「答申」でも基本的に踏襲されている。すなわち、「答申」では、第三者機関による評価と資源配分の関係について、「国立大学の予算配分に関して第三者機関による評価が参考資料の一部として活用されることが考えられる」(124頁)としており、評価と資源配分を結び付けることによる大学・学部間格差の助長、大学の再編・淘汰に結び付くという危惧の念を抱かざるを得ず、大きな問題である。
以上のように、「第三者評価機関」の「評価」が、「大学の自治」「学問の自由」への介入に利用されることへの有効な歯止めがみられない点で、「答申」の提起には重大な問題があるといわざるをえない。しかし、私たち自身も、「評価」一般を否定するのではなく、「評価」の中身についてもっと真剣に考えていく必要があるだろう。例えば、評価の基準と方法の客観性、公正性が確立され、結果のフィードバックが保障され、なおかつ、研究教育の従事する者の自己研鑽を喚起し、自主的内発的な研究教育と自主的な改革の動機づけとなりうるような評価システムもありえよう。また、ユネスコ勧告が指摘するように、大学が膨大な社会的資源を利用する以上、特定の利益集団と結びつくものであってはならないし、普遍的に社会へ還元するメカニズムはもっと真剣に検討すべきではないだろうか。今後、統制・誘導の手段としての評価システムに積極的に対案を対置していくためにも、望ましい評価システムのありかたについて考えていく必要がある。
5.高等教育改革を進めるための基盤の確立等(125〜128頁)
高等教育の基盤整備については、私たちも含め関係団体が具体的な方策に乏しいと批判してきたところである。こうした批判を一定反映してか、「答申」では高等教育に対する公的支出について、「公的支出を先進諸国並みに近づけていくよう最大限の努力が払われる必要がある」とあるように、「中間まとめ」の「〜配慮が望まれる」(105頁)と表現から一歩踏み込んだ表現に修正されている。しかし、具体的方策には乏しい点では「中間まとめ」と基本的に変わらない。特に「積極的に改革に取り組みその成果を挙げている大学等を重点的に支援していく必要がある」(105頁)という点は、いわば「改革」の強制にもつながり、重大な問題である。
授業料や奨学金についても、「家計負担が余り重くならないよう努力する必要がある」「経済的困難を重視した拡充」(105頁)とあるように一定の配慮がみられる。しかし、現行の高学費やきわめて貧困な、そして「ローン化」した奨学金制度が、経済事情によって学習意欲を持った学生が就学を断念せざるをえない状況をつくり出していることへの根本的批判は回避されており、改善策としてはきわめて不十分といわざるをえない。
以上分析してきたとおり、「答申」は多くの問題点・矛盾をもつ不十分なものとなっている。しかし、今後はこの「答申」を軸に「法改正」や各大学での具体的「改革」が始まるという新たな段階を迎える。私たちは大学・高等教育機関に携わる教職員として徹底した構成員の討議・合意形成をはかりつつ、社会にむかって積極的に問題提起をおこないながら、21世紀の大学・高等教育像を自らの手で形成していくため、この討議資料をふまえて壮大なとりくみとして発展させていくものである。