行政改革と大学審議会答申 岡田知弘(京都大学大学院経済学研究科・経済学部) はじめに  1998年12月18日付の新聞各紙は、中央省庁等改革推進本部が、国立学校の独立行政法人化の結論を2003年まで先送りする方針を固めたと報じた。もっとも、共同利用機関や大学附属病院については、2001年から独立行政法人化する可能性が残されているほか、大学本体についても太田総務庁長官の言によれば2005年頃には移行する方向であり、独立行政法人化の流れ自体が修正されたわけではない。  ところで、中央省庁等改革推進本部は、結論先送りの理由として、先般の大学審議会答申にもとづく大学改革全体の動きを見る必要があることを挙げたと伝えられる。これは、文部省高官が、機会ある毎に「国立大学の独立行政法人化を避けるために、大学審議会答申の線で大学改革を推進してもらいたい」と述べてきたこととも符合する。  だが、大学審議会答申で描かれた大学像と、中央省庁等改革推進本部が描く独立行政法人型の大学像とには、決定的な違いがあるのだろうか。結論を先取りすると、大学審議会答申の具体化は国立大学の独立行政法人化の露払いに過ぎないのではないかと、私は考えている。小論では、今回の行政改革の全体像に遡って、やや広い視野から捉え直すことによって、この点を論じてみたい。その際、とくに政府と国立大学の関係に焦点を絞ることにする。というのも、今回の大学審議会答申の大前提でもある中央省庁等改革基本法によって、政府と国立大学との関係が、根本的に変えられようとしているからである。 〓 橋本行革と大学改革の  新たな段階  大学審議会は、臨時教育審議会の答申に基づいて1987年に設置された。この審議会設置の折にも、政府による「大学の自治」侵害の危険性が指摘されたことを想起しておきたい。結局、同審議会は「大学に関する基本的事項を調査審議」し、文部大臣に諮問する機関として、学校教育法上に位置づけられることとなった。  これまでの大学審議会答申による大学改革の流れを追うと、第一の山は1991年の大学(院)設置基準の大綱化にあったといえる。各大学で教養部改組が行われ、旧帝大系では大学院の重点化が進行する。また、大学設置基準に、自己評価の努力規定が盛り込まれ、各大学で大学の自己点検・評価が始まった。なお、この段階で、外部評価の義務づけやそれに基づく予算や教員の給与・研究費とのリンケージが既に提起されていたが、大学人の強い反対によって、自己評価の努力を規定するに留めたことも、確認しておきたい。  さて、90年代半ば以降になると、大学審議会の答申は、大学の教員組織、教員身分の問題に焦点を移していく。95年には「大学運営の円滑化について」を答申し、96年10月には「大学教員の任期制について」を答申する。大学審議会による大学改革は、教養部改組をはじめとする教育制度改革の外堀を埋め終り、大学自治の内堀にあたる教授会自治や人事システムの埋め込みに入ったといえる。今回の21世紀大学像をめぐる大学審議会答申は、いわば大学自治の本丸攻めともいえるものではないだろうか。  この大学改革の「新たな段階」の大きな特徴は、財政危機にともなう行政改革の一環としての大学改革という位置づけが前面に出てきていることである。1996年1月に発足した橋本内閣によって、この動きが加速した。同年の財政制度審議会答申には、経費削減の検討課題として、国家公務員の最大部分を占める国立大学のあり方そのものを見直すべきであると提起されている。つまり、「設置形態について、大学の運営の弾力化等の観点から法人化、地方自治体への委譲を検討する必要」があるほか、「大学への資金配分について、客観的評価に基づいた予算配分を検討する必要」があると述べているのである。財政当局によるこのような認識は、現在も変わらないといえる。  ただし、橋本行革は、財政危機に対し経費削減等により消極的に対応するのではなく、日本の国家システム・社会経済システムの「歴史的転換」をねらったものであることに留意する必要がある。大学改革を含む教育改革も、この橋本行革の「6つの改革」の一環として、行政改革、財政構造改革、社会保障構造改革、経済構造改革、金融システム改革との相互関係の下で、企図された。  1996年10月に自民党行政改革推進本部がまとめた「橋本行革の基本方向について」と題する文書は、橋本行革の時代認識と科学技術・教育改革の位置付けを知る上で興味深い。そこでは、今や企業が有利な環境を求めて国境を超えて移動し、企業が国を選ぶ時代、すなわち大競争時代に入りつつあり、「わが国がなおワールドセンターの一つとしての地位を維持していくべきだとすれば、この面からも、効率的でスリムな政府と活力ある社会・経済システムの構築は、待ったなしの課題である」と述べられている。このような時代認識論が、大学審議会答申の中間まとめで色濃く再現したことに注意しておきたい。さらに、同文書では「活力と創造力を生み出す行政」の一つとして、規制緩和の一層の推進とともに「科学技術の振興と人材の育成」を掲げている。具体的には、「欧米先進国へのキャッチアップを達成した今日、わが国社会の今後の活力を作り出す上で求められる独創的な人材を生むためには、高等教育を中心に大きな改革を施さなければならない。特に、大学における研究体制について、早急に研究者の自由尊重と競争原理導入のための改革」を行うこと等が必要であるとしている。高等教育改革を、今後の日本「社会」の「活力」を引き出すためにすすめることが必要であるという視点もまた、大学審議会「中間まとめ」に継承されることになる。  このうち「科学技術振興」については、96年6月の科学技術基本計画において、進行しつつある産業空洞化への対応策として新産業創出のために科学技術を動員することを前面に掲げた「科学技術創造立国」政策がまとめられた。国家による科学動員は、第2次世界大戦期に、戦争遂行のため、名ばかりの「大学自治」をも圧殺しながら、理工系を重視し文系を切り捨てて実施された苦い経験がある。今回は、新産業創出という「国策」のために、大規模な競争的研究資金の誘導配分による大学間・研究者間競争の組織化と大学の「自己責任」のもとに、ソフトな形態で「科学動員」が再版されようとしているところに大きな特徴がある。さて、この研究費の分配にあたっては、国策に対応した運営が必要であるとして、中央省庁等改革にあわせて設置される総合科学技術会議の機能が強化されることにともない、大幅な変更が予定されている。98年1月に町村文部大臣は「科学技術創造立国を目指す我が国の学術研究の総合的推進について」学術審議会に諮問したが、その答申は99年1月に予定されている。大学審議会答申で欠落していた学術研究体制・研究費関係の改革案が示されることになっているので、十分な注意を払う必要がある。  97年10月に、町村文部大臣が「21世紀の大学像と今後の改革方向について」大学審議会に諮問した背景には、以上のような事情とともに中央省庁等再編に関わる行政改革会議の最終報告づくりが並行して行われており、これへの文部省として対応という側面があった。また、97年1月の大学審議会答申「平成12年度以降の高等教育の将来構想について」が、私立大学の臨増定員の半数を恒常定員化したために、2009年度には志願者数と入学者数とが一致するという事態が予想されることになり、「教育の水準低下」、大学「業界」のリストラが具体的な問題として登場したことも大きな要因である。行政改革論議のなかで官民の役割分担の見直しがすすむなかで、大学「業界」においても官民間の「市場調整」を求める声があがったとしても不思議ではない環境になっていたといえる。 〓 中央省庁等改革と国立大学  1998年12月の行政改革会議『最終報告』は、同年6月の中央省庁等改革基本法に踏襲され、現在にいたる行政改革の基本線を示している。すでに指摘したように、今回の行政改革は、単に省庁再編をしたというものではなく、国家の機能、中央政府の業務と権能の大幅な見直しをねらったものである。  第一に、内閣・官邸機能の抜本的な拡充・強化を図るとともに、中央省庁については政策立案機能に特化し、事業実施部門については独立行政法人化や民営化によって切り離そうとしている。第二に、政府内における政策評価機能の拡充を図り、各省ごと及び総務省による二段階の評価によって事業の存廃や予算配分の調整を行おうとしている。第三に、官民分担の徹底による事業の見直しや独立行政法人化によって、行政の「簡素化・効率化」を一層すすめようというものである。  第一の点と関わって重要なことは、新たに創設される総合科学技術会議の機能と大学の研究費との関係である。同会議の任務は、「人文・社会・自然科学を総合した科学技術を対象とした総合戦略を策定」し、「科学技術に関する予算、人材等の資源配分の基本方針や、国家的に重要なプロジェクト等についての評価」を行い、「科学技術振興調整費」配分の基本方針を決定することにある。なお、国立大学を所管する教育科学技術省(仮称)との関係は、「総合科学技術会議の策定する科学技術に関する総合戦略を踏まえ」て、教育科学技術省が具体的な、調整費の配分機能をもつとされている。要するに、国家が必要とする重点研究費配分によって、大学での研究内容を自在に操作することができる仕組みになっている。  また、第二の点に関わって重要なことは、文部省と科学技術省が併合されて新たにつくられる教育科学技術省の権能と国立大学との関係である。この点については、中央省庁等改革基本法第26条に、教育科学技術省の編成方針が掲げられ、「四 国立大学の組織、運営体制等の改革その他高等教育の改革を行うこと」という項目が入っている。現在の文部省設置法では文部省の所管事項を国立大学の事務に限定していることと比べると、大学の改革権限そのものを新省が掌握するというところまで踏み込んでおり、豊島耕一氏も指摘しているように大学自治への介入を合法化する恐れが強い(『週刊金曜日』第227号など参照)。この点は、新省設置法案における具体的規定をめぐる問題として、争点化すべきところである。また、たとえそのような文言が盛り込まれなかったとしても、中央省庁の機能は政策立案と、評価にもとづく現業事業のスクラップ&ビルドに特化する方向が全体として確認されているので、大学審議会答申に見られる第三者評価機関の評価を介することによって、新省が特定国立大学の改組転換を強要することが十分考えられることにも、注意を払う必要がある。  周知のように行政改革会議『最終報告』では、国立大学の独立行政法人化については「大学改革方策の一つの選択肢となり得る可能性を有しているが、これについては大学の自主性を尊重しつつ、研究・教育の質的向上を図るという長期的な視野に立った検討を行うべきである」として先送りし、中央省庁等改革基本法でも同様の扱いとなっている。しかし、同時に、『最終報告』でも、また同上基本法においても、国立大学に関わる業務の「見直し」として具体的な改革方向が明示されたことに留意したい。同法第43条2項の規定を以下に引用する。  「政府は、国立大学が教育研究の質的向上、大学の個性の伸長、産業界及び地域社会との有機的連携の確保、教育研究の国際競争力の向上その他の改革に積極的かつ自主的に取り組むことが必要とされていることにかんがみ、その教育研究についての適正な評価体制及び大学ごとの情報の公開の充実を推進するとともに、外部との交流の促進その他人事、会計及び財務の柔軟性の向上、大学の運営における権限及び責任の明確化並びに事務組織の簡素化、合理化及び専門化を図る等の観点から、その組織及び運営体制の整備等必要な改革を推進するものとする。」  すでに明らかなように、法文には、大学評価システムの充実、外部との交流を促す組織運営体制の整備、執行機関の管理運営能力強化を図るための権限と責任の明確化等、大学審議会答申の骨格部分をなす内容が盛り込まれているのである。逆にいえば、大学審議会では、あくまでも以上のような法的な枠組みの範囲内で、「21世紀の大学のあり方」を検討したにすぎないといえる。したがって、「中間まとめ」では、「21世紀」という表題にふさわしい百年スパンの大学論・学問論は打ち出しようもなく、各界からの痛烈な批判を浴びることになる。このような批判の結果、結局「21世紀」を「21世紀初頭」という文章表現にすべて書き換えるという文言上の修正を行ったわけだが、「21世紀初頭」とはまさに中央省庁等改革が開始される2001年から2010年にかけての時期であるといえる。 〓 大学審議会答申の描く大学像  98年6月に大学審議会が「中間まとめ」を出し、10月に本答申を出すまでに、行政改革をめぐる条件変化があった。参議院選挙の惨敗によって退陣した橋本前首相の後を継いだ小渕首相が、向こう10年で公務員数を20%削減することを表明した点である。これにより、国立大学の独立行政法人化問題が再び浮上し、大学審議会の本答申作成作業にも微妙なインパクトを与えたといえる。  本答申では、国立大学に関して、「中間まとめ」では見られなかった重大な書き加えがなされている。第一に、国立大学については、学外者が大学運営に参加する大学運営協議会(仮称)の設置を必ず求めることにした点である。第二に、新たに国立共同利用機関として設立を予定している第三者評価機関による外部評価を、国立大学に義務づけるとした点である。これらは、国立大学の独立行政法人化の動きに対応して盛り込まれたものであるといわれている。  このうち前者については、筑波大学などに設置されていた参与会制度が機能していないことから、大学運営協議会には助言・勧告権限をもたせ、大学側は「その内容を十分踏まえた上で、大学としての主体的な意思決定を行うとともに、その結果を大学運営協議会に報告すること」が求められるシステムとなっている。  大学審議会答申では、大学の意思決定システム自体を、学長権限を強め、教授会・評議会の審議事項と権限を限定化することによって「円滑化」することを構想している。また、大学運営の中心には、学長、副学長、事務局長らからなる運営会議(仮称)があたるものとされている。さらに、学長の選挙についても、評議会などによる適任者の事前絞り込みが提起されている。いうならば、学長を、大学内部で働く一般の教員や職員からできるだけ遠ざける一方で、大学運営協議会に参加する学外者の意見については十分に配慮し、勧告に対して「報告」する義務さえ設けるというものである。  しかも、学長は、学内構成員自身による自己点検・評価よりも、第三者評価機関による外部評価や大学運営協議会による評価に全神経を注ぐことになる。というのも、第三者評価機関による学部評価が義務づけられるうえ、その評価と「資源配分」、要するに予算や定員配分等がリンクされることになるからである。しかも、「その機能を十分に果たしていない」と評価された最悪の場合、「適切な評価に基づき大学の実情に応じた改組転換を検討する必要」もでてくると明記しているのである。  すでに述べたように、外部評価とその予算配分へのリンクについては、学問の領域が多岐にわたり、教育研究内容を一律的な基準で評価することが不可能であるうえ、学問内容そのものを歪めることになる恐れがあるため、以前から強い反対があった。今回の「中間まとめ」に際しても、大学評価の専門機関である大学基準協会が痛烈な批判をこめた意見を述べていたところである。すなわち同協会の意見書によれば、「政府主導で作られた機関が直接評価を行うことは、評価基準の画一化をもたらすにとどまらず、本来、大学自身の改善・改革と多様な発展を指向するシステムであるはずの自己点検・評価に対しても細部にわたる規制が及ぶことが危惧される。そして何よりも、政府の威信を背景に行われる『評価』により、各大学の個性的かつ多様な発展への動きが減殺されること、より端的にいえば、そうした『評価』が各大学の自由な発展に対する『萎縮効果』を惹起させることが強く危惧され」、「『教育研究の自由』、『学問の自由』という人類共通の普遍的価値原理に支えられ、憲法によって『自治』が制度的に保障されている『大学』に対し、『官』が『評価』を目的に新たな行政上の事後監督システムを構築することは、大学の自治的本質、『自治』の根幹を保障した憲法の精神に大きく抵触する惧れがある。特に、こうした機関による評価と、大学財政をコントロールする機能とが抱き合わせになることは、大学の自律的な教育研究機関としての機能を根底から覆すことになる」という。  あらためて再論する必要はないが、このような批判があったにもかかわらず、大学審議会本答申においてあえて第三者評価機関の設置と国立大学に対する義務づけを行ったことは、米国などでの民間組織による大学評価システムをとりえない確かな理由があったことによる。それは、何よりも、小論で縷々述べてきた中央省庁等改革における評価と資源配分をめぐる基本的枠組との整合性を図ったことによるものと考えて間違いないだろう。国家予算の配分を決定するのに、複数存在する民間機関の評価を用いるわけにはいかず、国立の評価機関でなければならないのである。ここでも、大学や学問の発展の内在的必然性から導かれた制度改革ではなく、行政改革の一環としての外在的大学改革であることを見て取ることができよう。 おわりに  大学審議会の本答申が出る直前の98年10月12日、中央省庁等改革推進本部顧問会議が開かれ、江崎玲於奈前筑波大学学長が「21世紀におけるわが国の科学技術、研究体制のあるべき姿について」と題する講演を行い、質疑応答が行われた。その議事概要によると、国立大学の独立行政法人化についてどう思うかという質問に対して、江崎氏が「ゆくゆくはエージェンシー化するのだろうが、急な独法化は混乱を招くだけであり、反対である、まず学長が然るべき方法で選考され、自分でマネージメントできる能力を身につけることが先決であり、独法化の前に一段階そのプロセスを経る必要があろう」と答えている。  冒頭で述べた中央省庁等改革推進本部の基本姿勢は、この顧問会議での方向性を踏襲したものであるといえる。そうだとすれば、大学審議会答申に盛り込まれた、国立の第三者評価機関を媒介にした国立大学と政府との行財政関係のリンケージ強化、また学長権限の強化等の改革は、独立行政法人化への露払いともいえるだろう。  したがって、問題なのは、独立行政法人化の道か大学審議会答申の道かという選択ではない。問題は、「学問の自由」の制度的表現である「大学の自治」が、それを「保護」すべき政府(ユネスコ『高等教育教職員の地位に関する勧告』1997年)の手によって蹂躙されようとしているところにある。大学の社会的貢献・人類史的貢献は、自由な教育研究活動を保障する大学の自治なしにはありえないことを歴史は教えている。21世紀の社会に向けて、どちらが国民や人類のためになるかを、広く訴えていくことが必要である。 (1998年12月22日記) 大学審答申と大学財政 高山 英男(大分大学経済学部) 市原 宏一(大分大学経済学部) 1 大学審答申を読んで 1、なぜ21世紀の大学像を  提示できなかったのか  「中間まとめ」では「21世紀の大学像」となっていたものが、「答申」では「21世紀初頭の大学像」に変更された。これは国大協の厳しい批判に応えたものだが、言葉だけのものである。「21世紀初頭」とは3年後のことではないか。なぜ示すことができなかったかといえば、少子化による大学入学人口の減少のために大学間競争が激しくなること、および、財政危機のために教育予算が減少し、国立大学の民営化の危険があること、さらに、先端技術のグローバルな競争に日本が生き延びる為に少ない予算を効率的に先端技術を研究する部門に割り当てる為の枠組みを作り出すこと、以上のような三つの題目を与えられた三題話であったからである。議論の出発点が既に決まっているのであるから、答えはみるまでもない。もし本当に「「21世紀の大学像」を検討するなら、それぞれの学問分野毎にプロジェクトチームを作って、将来どのような研究が行われるようになり、そのためにどのような大学や学部の配置が必要になるかを論議しなければならないはずだ。 2、大学の「個性化・  多様化」とは結局何か  「答申」では、「大学は、それぞれの理念・目標に基づき、総合的な教養教育の提供を重視する大学、専門的な職業能力の育成に力点を置く大学、地域社会への生涯学習機会の提供に力を注ぐ大学、最先端の研究を志向する大学、学部中心の大学から大学院中心の大学など」へと「多様化・個性化」を図ることが求められている。これはいったい何なのだろうか。元々国立大学は、ユニバーシティーを目指して、上記の目標を全般的に果たそうとしてきたのではないか。地方国立大学も学部数が少ないなど不十分な点がおおいが、分野毎に努力している。大都市の総合大学はすべての領域をカバーしつつ、上記の役割を全部一手に引き受けるのか。それとも、役割ごとに大学を分割民営化するのか。結局この「多様化・個性化」論は、「大学とは何か」ということを見失わせる。それぞれの大学はそれぞれの力量に応じて、みずからの役割を分担しなさいということか。 3、教授会を生かす方法を  考えるべきではないか  大学の管理・運営について「答申」は、全大教などの批判には耳を貸さず、学長の権限強化や、「運営会議」、「大学運営協議会」など学長のリーダーシップを補佐する体制を形成することを求めている。なぜ教授会の権限を縮小するのか。大学改革が教授会によってはばまれてきたという認識があるのだろうか。改革の内容が悪かったという反省はしないのか。今まで行われてきた改革には不満の声のほうが大きく聞こえる。全国の大学の教員の声を聞くべきである。  教授会が大きすぎて、なかなか意見がまとまらないというならば、学科ごとに会議をするとか、委員会で実質審議を尽くして教授会では承認するだけにするとか、さまざまな手だてがあるはずだ。われわれの大学では、それほど規模も大きくないので、今のままで十分である。大体学長といえども、理解できるのは自分の学問分野だけで、他の分野のことには素人なのだから、そのリーダーシップのもとで改革をするといっても、教授会全体の意見を聞かなければまともな改革はできないはずだ。また大学の管理・運営についても、実質的にそれを実行するのは一人一人の教員であって、それを納得させないで管理・運営することは学長独裁でしかない。むしろ教授会を活性化させるような方法を考えたほうがよっぽどためになるというものだ。 2 学長裁量経費をめぐって  大学審「答申」を契機に、国立大学の存在意義から自治機構のあり方など、様々な点で大学の将来像が論議されている。ここでは、そうした将来像や理念の問題にも関わる、現時点での大学の運営及び財政のあり方について、現在私の所属する大分大学でも論議になっている学長裁量経費に関わる問題を指摘したい。大学審「答申」では、国による大学の財政的整備の文脈で「学長のリーダーシップ発揮等のための教育研究経費の充実」がうたわれている。これに対応してすでに文部省の99年度概算要求主要事項の中にも、「学長のリーダーシップ発揮へ」(第2章5(ア)国における基盤整備の推進)と強調された。文部省は資源の有効配分と、これによる学長・部局長の権限強化という意味あいを持たせようというのだろうが、個々の大学運営におけるその意義はどのような点にあるのだろうか。それぞれの大学の規模やこれまでの大学財政・運営問題への論議の積み重ね方にもよるだろうが、私は“学長裁量経費=中央当局への予算権限集中=教授会自治を柱とする大学自治の形骸化”という図式で捉える必要はないのではないかと考えている。  なお、大分大学教職員組合執行部では組合の宣伝物の中で学長裁量経費に言及する際には「大学裁量経費」と呼んでいる。いまだ学長裁量経費は内実が不明で、呼び名が定着していないのであるから、組合自らその名称を宣伝する必要はなく、むしろ、裁定のレベルが大学にあるという性格を明示した学内裁量ないしは大学裁量という名称こそ普及させるべきだと考えるからである。 拡大された大学裁量経費  (学長裁量経費)  今年の大学裁量経費は大幅にその範囲を広げた。今年度、文部省は「営繕費」と「一般設備費」を廃止したが、これらに相当する経費がそれぞれ、「教育基盤設備充実費」(旧一般設備費)、「教育研究環境整備費」(旧営繕費)として学長裁量という様式を取るようになった。これにより、大学裁量の範囲が広がり、その結果総額も増加した。大分大学の場合、今年の総額は1億を越え、昨年の倍以上となった。ただし、昨年の営繕及び一般設備の実績と今年の対応する経費の額は同じといわれ、実際の経費額が増加しているわけではない。  今年度大学経常経費の基幹的部分であるはずの校費は前年と比べて2%も削減されたが、その一方従来から、使途と額を文部省から直接に定められた「ひも付き予算」は多様に配布され、大学が自主的に決められる部分はごく限られていた。営繕費にしても、一般設備費にしても、文部省に要求して、文部省からの示達を待って実現した。これに対して、今年度からは、1億円を越える予算が文部省からの直接の指示なしに、個々の大学レベルの判断によって使えるようになったのである。  従来、一般設備費や営繕費は、各部局の該当する委員会や機関で検討し、教授会等の審議を経て案が確定し、その採否は文部省が直接裁定していた。その結果、案策定後、学部教授会の手を離れれば、要求内容の実現の度合いについては、あまり大きな関心が持たれなかったといってよいだろう。今回の変更により、わざわざ文部省にまで要求するのではなく、より現場に近いレベルで経費内容が決定されるようになったという点は、国立大学の予算システムがしばしば硬直的で不合理な点が多いと指摘される中、実態に即したより効率的なシステムへの変更である。  また、各学部・部局割りの経費要求システムでは、福利厚生施設や図書館、教養教育講義室など全学に共通する施設設備への十分な配慮が実現しにくく、しばしば見落とされることもあったといえよう。大学裁量経費という大学レベルでの経費裁定により、こうした全学的課題への財政的配慮が容易になり、従来のルートでは扱われ難かった経費実現の可能性が生まれたのではないだろうか。  今回の大学裁量経費の枠拡大が、経費策定・執行のレベルをより現場に近づけた合理的・効率的な制度に変更しうるとしても、しかし、全国の大学において大学裁量経費枠拡大は、大学財政の改善に生かされているのだろうか。全学的な知恵を生かし、工夫して乏しい財政問題の打開をはかるのではなく、学長裁量という名称を盾にして、当局の一部が経費策定から執行まで専断するような事態に陥ってはいないだろうか。  そもそも「学長裁量」という名がついたからといって、文字通り学長の裁量によって専決しようという姿勢は、重要な案件は必ず教授会・評議会に諮られ、全学的な納得と了解の上で決定され、執行されるという従来からの決定ルールを踏み外すものである。経費要求の汲み上げ方、優先順位のつけ方、具体的な配分の仕方などについて、全学的に合意のできる民主的な意思決定のルールを確立する必要があろう。 大学裁量経費こそ 大学自治が試されている  大分大学教職員組合もニュースや学内集会などの場で主に疑問点を提起し、情報公開と、経費策定・執行の新たな学内システムの確立を教授会・評議会で慎重に検討するよう主張した。また当局に対しては、以上の要求を柱とした学長交渉を予定している。  今後大学審「答申」の実現がさまざまな分野で求められ、同時に独立行政法人化の論議も一層現実味を帯びてくると考えられる。この路線をいわば先取りしている大学裁量経費問題は、今後かりに国立大学が民営化・第三セクター化する場合にも、上からの官僚的な運営・管理を民主的・各大学の実態に合致した制度にするかと言う課題に有効な、予行演習になるのではないだろうか。そうした意味で各大学の自治の仕組みを生かした活動が問われているように思える。  本論稿は、全大教の「大学改革・研究プロジェクト」での事務組織・事務職員のあり方に関する「勉強会」をもとに構成されたものです。  大学審議会答申「21世の大学像と今後の改革方策について」が過度の「効率的経営論」に基づく事務組織像を提起していることに対し、教育・研究の充実と事務職員の地位確立をはかる立場から、実践的とりくみをすすめている立命館大学の経験に基づく本論稿は私たちが今後の大学・高等教育のあり方を考えていく上でも重要な示唆に富むものとして掲載しました。(編集部注) 立命館大学における 事務組織・職員の位置づけについて 小林 義夫(立命館大学総務部長)  私どもは大学審の中間答申以来、全学の教職員すべてのところで、討議を集中して繰り返してやっている最中です。そのなかで、先ほどの議論でお聞かせいただいた点についての感想等、また私どもが学内で議論している何点かだけかいつまんで、先に報告させていただきます。  一つは、先ほど来、知的再生産とか人の問題が議論になっていましたが、私どものところでも、その点について随分議論がされています。その大前提となっている高等教育におけるユニバーサルアクセスをどう評価するのか、その現象をどう見ていくのかという議論が片一方にあります。文部省等々で出されてきたこの文章とこの文章に至るまでの文部省答申の意見等々は、背景的には先ほど少しご紹介がありましたが、やはり科学技術庁と文部省との統合の影響が非常に色濃くその前提として入ってきているのではないかと思います。  それ以前に文部省の諸文書のなかで、日本における知的ストックの危機問題が、いろいろな角度で論じられました。その辺を見てみますと、科学技術を中心にした知的ストックに対する危機意識みたいなものが相当色濃くあって、それをベースにした流れが一つになっていることと、もう一つは、日本におけるこういった社会的な制度にしても、制度疲労が随所で起こってきているはずなので、制度疲労に対する今日の問題をどう見ていくのか。教育における制度についても、制度疲労という点については、現実的な判断のところで見ていく必要があるし、それに対してどのような形で位置づけていくのか。  したがって、ユニバーサルアクセスの現象についても、私どもはむしろ肯定的に評価していきたいし、またそうすべき問題ではないのか。それに立脚すれば、知的な問題についてもどのような視点から見直していくのか。文部省が言っている事柄だけでない問題が随所にあるのではないか。そういう検証を含めて、取り組んでいく必要があるのではないか。学内の議論のところで個々人のいろいろな意見を踏まえて言いますと、日本の対外外交政策、アジア政策の問題にしても、科学技術だけではなくて、本当に日本としてあるべき対応になっているのかということから、その問題についてはきちんと見ておかなければならないという議論が随所にありました。  もう一つの大論点は、高等教育における教育コストの問題と、そのコストを誰れが負担すべきかということですが、これは国立大学と違った私学独特の問題があります。欧米に比べて教育費に対する日本の国の対応はあまりにも低いものです。教育費のコスト問題、また設置形態のいかんを問わず、教育としての公共性は私学であっても国立であっても変わりはありません。教育費の問題は受益者という点でいいますと単に父母、父兄の問題ではなくて、基本的、全体的には、特に知的ストックの危機とか、国としての知的再生産を唱えるならば、受益を基本的に還元するのは国ですから、21世紀に向けて教育費の問題にきちんと明確な展望を示すのが責任ある対応ではないかというのが第2点の論点です。  第3点の論点は、表題としても掲げられている「競争的環境」についてです。競争的環境という点においては、これも私学と国立の間では厳しい論争になる論点があるかも知れませんが、それは別として、少なくとも税制上における負担の問題は、経営体としての私学はどうあるべきかということではなくて、教育を受けている学生の父母は、どういう形で税制上の平等・対等に益を受けられるのかという観点から、税制上における平等、均等な環境をまずきちんと国が保証すべきではないか。これが近年、私学のなかで急速に重点化されてきている問題です。  1例だけ挙げさせていただくと、たとえば科学技術における受託研究費の問題がありますが、受託研究費を私学が受けた場合は、全部収益事業として課税されます。国立大学の場合は税制問題は一切起こりませんが、課税は勿論、それを出した企業側、また、そういった寄付をした個人にかかりますので、少なくともそういったものについては非課税とすべきではないかということを、いま緊急に国の方に要請しています。文部省もやっとその点については聞く耳を持つようになってきましたが、大蔵省は残念ながら頑として聞く耳を持っていない状況です。  今回、「21世紀」と表題をしているわりには、ここに書かれている大半の課題は、国立大学を中心にした書き方になっていて、私学については、補足的というぐらいの書き方にしかなっておりません。しかし、この文章を文部省として出さざるを得なかった背景は、根本的には18歳人口の激減問題があります。最大ピーク時には18歳人口が205万人ぐらいいたものが、2009年ぐらいには120万人そこそこぐらいになるわけで、今年度の入試では、全国の短期大学の半数弱がすでに入学募集定数枠を維持できなくなっています。しかも、私どもが把握している関西の4年制大学においても、定数を割る状況が出てきています。これが2007年ぐらいになりますと、そういうところが大量に発生してきます。  たぶん文部省はそのことを十分承知していて、現在、臨時定員の問題であって、臨時定員を暫時2分の1変換という政策を取っていますが、いずれ決定的に行き詰まることは目に見えています。定員割れしている大学で、経営的に持ち堪えられるのはあと2年ぐらいだと思います。短期大学では、すでに半数ぐらいしか学生を確保できない大学が出てきていますから、大量にそういう問題が浮上してきますが、この問題をどうするのかという明確な方策は、この中にはほとんど出ておりません。  たぶんこのあと、緊急的な問題として、高等教育に関する救済的な法案がつくられると思いますが、そのときどういう姿になるのかという問題があります。そういう問題が背景に隠れて、ほとんどクローズアップされないまま、今回の答申が出されている。したがって、今回、総論的に危機的状況を片一方で出しながら、競争的環境でそれに合わないところは整理されていくという下敷きだけをつくったレベルの政策だと、私どもは押さえております。これは私の見解も入っておりますが、私学のところではあまり大きい違いはないのではないかという感じを受けています。  それらを前置きさせていただきまして、私どもの学園の状況を報告させていただきます。昨日、急ぎ資料をつくりましたので、不十分で参考になるかどうか分かりませんが、本題に入りたいと思います。私学と国立の決定的な違いとしては、私学は経営に責任をもつ理事会があり、片一方で、先ほどどなたかが議論として論点を出されておられましたが、大学の運営そのものに責任を持つ教学と経営における二重性という問題を根底に含んでおります。私学の設置形態にはさまざまな設置形態があります。たとえば宗教関係には本願寺とか、ミッション系とか、そういったところが学校法人の経営母体となっているところがありますし、私どもみたいにまったくそういう母体のないところもあります。また、実際上、経営母体である理事会そのものの運営につきましては、ほとんど世襲的に運営されているところもありますし、様々な違いがあります。  管理、運営という点では、今日の日本の私学が一定の体をなし始めた歴史はそんなに古いわけではありません。60年末から70年ぐらいにかけて、私立学校が経営的困難に陥った中で、いま私どもは「公費助成」と呼んでおりますが、国から私立学校に対する補助を要請して、国会でその法案が通った。そしてそれと抱き合わせの形で、助成をするけれども、その基本となる在り様をきちんと確立するための根拠というか、基準ということで私立学校会計基準が導入されて、今日、補助金を受け取る大学はすべてそれに沿った経理上の運営をされています。  これは参考ですが、私どものところで進めている私学助成運動のパンフレットです。このパンフレットは、全学の公費助成運動の事務局を担っているメンバーが、学生向けに作ったものです。そういうかたちで取り組み始めてから、財政的、経理的な基準の一定の秩序がとれるようなやり方が統一的に取られ始めました。70年ですからまだ二十数年しか経っていませんが、それまではどちらかというと経理そのものについても、どんぶり勘定的な経営が主流であったと言っても過言ではないと思います。  私どもの学園の沿革は、お手もとの資料に、学園のパンフレットで出しているものがありますので、お読みいただけたらと思いますが、2000年でちょうど100周年を迎えます。西園寺さんが京都の御所のなかで私塾を開設し、中川小十郎さんが京都大学の建設が終わったあと、西園寺さんの意思を引き継いで設立したのが始まりです。そのとき以来、学園には西園寺さんの影響を受けた自由主義というか、国際主義の風潮が基盤にあってスタートしています。戦前は御所の隣にあって、御所禁衛隊を組織しているという色彩があって、終戦直後にGHQから、きわめて軍国主義的要素が強いと指摘されたこともあって、戦前の国粋主義的学園の一つと呼ばれた時代がありました。いま100年史の編纂をずっと進めてきておりますが、実際上の教育の中身そのものについては、むしろそういうものとは違った、西園寺さんの影響が強い、かなり自由主義的な精神が主流であったと言われています。  戦後に末川総長を迎えるにあたって、戦後の立て直しのなかで戦前の反省も含めながら、平和と民主主義を学園の教学理念に据えた学園運営をしてきております。したがって、私どもの学園のいろいろな政策を語ったり、また新しいものをつくるときに教学理念が常に登場してきます。そういう点で、平和と民主主義という教学理念をどういうかたちで生かし切るのかというのが永遠のテーマになるし、これが一つの生きた理念として継承されていると言ってもいいのではないかと思います。  制度そのものについては、実際上の基本制度はありながらも、状況に応じていくつかの変遷があります。大きい点でいくと、総長公選制と全学協議会、学部長理事制のほかに、組合とのあいだに業務協議会という制度があります。総長公選制につきましてはコメントを入れていませんが、通常、「私はこういう学園にしたい」「私はこういう政策を出す」という形で、政策なり考え方があって、実行者がいて、論争をして、それで選挙するのが選挙だと見られがちですが、そういう選挙ではありません。私学のなかで取られている圧倒的多くは、いま言ったようなかたちで政策なり一つの主張を持って出される総長選挙がありますが、得てしてこの場合は学内が割れてしまいます。学園がこちらの人に付くか、あちらの人に付くかということで、大手私学のなかでもそういった事例に遭遇して、学園の運営等々に支障を来しています。  したがって、先ほど来のなかで、国立大学における経理、運営の問題としての役割と、こういう制度という問題で、どういう制度を選んでいくのかというのが一つの重要なポイントかと思いますが、私どものところでは、「私がやりたい」「立候補したい」という人を選ぶ選挙ではありません。簡単に申しあげますと、学部、教職員のそれぞれのセクションから、「この人になってもらいたい」という人を推薦する推薦委員を選び、推薦委員が上位者何名を投票で選出し、それに対して間接選挙人を選んで、この間接選挙人の投票で候補者を決めます。その時点で初めて、「あなたは来期の総長の候補者になったけれども、受けてくれますか」という交渉をします。受けなかったら第2順位の人に替わっていくというかたちですから、言わば押しつけ選挙です。この人に総長をやらせるための選挙になります。  したがって、学園の政策とか方向性を決めるのに、総長の見識とか政策を問うているわけではありません。それは学園全体の別のところで基本政策についての合意形成をして、それを執行していくために学園として全体のバランスを取りながらリーダーシップを発揮してくれる人が、総長としての適格基準と見られています。  したがって、通常で言う選挙とは性格がだいぶ違います。もちろん、いろいろな段階で学生にも参加させています。高等学校の生徒まで参加させています。さらに最終的には、それで確定した総長に対して、学生は拒否投票権を持っています。この人では絶対にぐあいが悪いという場合には、さらに学生が拒否投票をして罷免することができる。そういう運用をしています。  もう一つの大きな制度は、全学協議会という方式です。戦後の混乱期のなかで組み立てられてきて、学園紛争等々の試練を経ながら今日に来ています。全学協議会には当然、大学の理事会は入りますが、学生の自治を構成している学友会、教職員組合、大学院の院生協議会も入って構成されており、4年に1回開催しております。と申しますのは、4年に1度、学費の見直しを行います。私学ですから、経営の基礎は学費ですから、学費をどう提起するのかが最大のテーマになってきていきます。そのときに、学費を提起するだけで議論ということにはなりませんので、向こう何年かの学園の基本政策をそれに合わせて全部発表します。  あとのところに書いてありますが、長期計画というかたちで学園の基本政策を全部学生に提示し、それを推進していくためにどの程度の費用がかかって、学生に対してどの程度の負担をしてもらわなければならないかということを付けて学生に提示して、それについて、4年間の教学総括と言いますか、実際上、前回に学費を上げてから約束した事項がどこまで実現したのかという総点検運動を、学生とのあいだで行います。これには膨大なエネルギーが掛りますが、全学協議会というところで長期計画における基本政策についての基本合意を取ることにしています。立命館の政策のもっとも重要な部分については、全学協議会で確認し、その確認文書をつくっています。  現実にはいろいろなことで不満を言う人がいますが、制度的、組織的にそういうことが起こらないのは、全学協議会で基本政策についての合意点を全学的に確認するところが非常に大きいと思っています。ただし、学費については、基本的に立場が違いますので、学生が最終的に同意することはあり得ませんから、基本的に学費そのものについては、経営の固有責任だということをかなり明確にしております。しかし、学費についても、やはり自分が支払った費用に対して自分が受ける教育的な利益等々について、合理的な説明を、可能な限りしようという立て方にはしております。そういう限りで、とことんそういう説明をし、理解を求めるというところまでしますが、最終的決定について学生が同意することは、いままでの最終局面であったためしはありません。最終的には決裂というかたちを取りますが、教学政策については合意を取るかたちでの教学改革を進めてきております。  あとの理事会のところでも触れますが、本学の理事会は、学部長が自動的に理事になるような仕組みをつくっておりますから、学部長は、各学部における教学の責任者であると同時に、学園、学校法人における理事との責任という二つの責任を持ちます。これも当たり前ですが、実際の局面では、教学の責任問題と理事としての経営責任問題は一致しない場合が時として起こりますので、そういうときには、担当する学部長等は相当苦労されると思います。しかし、そういう場合も、私どもは多数決などの採決をして進める方式は取りません。基本的にはコンセンサス方式、全学一致を基本にしておりますから、食い違った場合については、様々な方法を使って、一致できるまで繰り返し、繰り返し議論します。そういう点では相当のエネルギーを使いますが、そういうやり方をしております。  しかしながら制度はあくまでも制度に過ぎないと思っております。実際上、制度は運用の仕方でどうにでも変わっていきますし、制度そのもの、また制度は状況に応じて変えていかなければなりませんから、原則となる考え方をある程度きちんとさせておかなければなりません。ここに6点ほど書いてありますが、学内で歴史的に形成されてきた原則があります。一つは、教学優先の原則です。私学ですから、つねに財政と教学の問題が出てきます。そしてこれは不可分というかたちで、過去ずっと、財政を教学の論理のなかできちんと財政政策を組んできましたが、最近4、5年のところでは、スローガン的な表現ですが、2行目に書いた「教学改革こそ財政政策」という視点を重視しております。  と申しますのは、私ども立命館のように、もともと財政基盤が脆弱な大学が、新しく時代にマッチした教学改革をしていこうという場合に、財政的な基盤の保証がなければ、何一つ新しいことはできませんので、そういうときにどういうふうにして財源をつくり出していくのかという論理が必要になってきます。  伊藤先生がうちにいらっしゃったころは、2万人までの中規模大学構想を言っていた時期がありますが、それでは教育研究費を十分に確保して、レベルを上げることはできない。そういう点では、私学としての宿命ですが、一定の財政基盤を築く必要がある。そのためには一定の規模拡大も避けて通れないし、新しい分野の教学を創造することも必要です。そういうなかで新しい学部・学科増設に取り組みました。政策科学部や国際関係学部をつくりましたし、理工学部においてもいくつかの学科を創出してきました。これらの学部・学科の増設によって、学生数の規模も増やしながら、財政力もアップしていく。同時に、それを学生の新たな負担で賄うことは、許されませんので、それ以外の新たな財源をどのようにして確保していくのかというあたりで、大規模な公私協力の展望に行きついたわけです。  琵琶湖のキャンパスで、新しいキャンパスを実現していったのも、滋賀県と草津市との公私協力が得られたからです。滋賀県ではたまたまそれまでは18歳人口の流出県であり、教育立県としての政策をどうしても組み立てたいという思いがありました。私どものところでは、京都市内におけるキャンパスの狭隘が教育研究の飛躍にとっての桎梏になっていました。また文部省の設置基準上の条件が、都市計画法上の問題とか、工業等制限区域の制約等もありますから、京都市内で新しい学部を増設することは不可能でした。しかし、制限外の草津市だったら実現可能だということもあって、両者の思いが非常にうまく結びついて、キャンパスの土地、および造成費等々は全部草津市と滋賀県で賄っていただくことができました。当然、滋賀県や草津市がそれだけの膨大な出費をすることには、県・市議会に掛けて了承を取る必要があります。そのため想定される学生数規模で滋賀県なり草津市における経済的な効果、大学と地域との関係については研究のテーマとしてもかなり多くの先生にかかわっていただきまして、それらを滋賀県なり草津市等々に提示しました。このような取組みを経て土地と造成費を含めた公私協力を実現させることができました。  幸い、その後の状況は、滋賀県、草津市とも、予想以上の経済効果があったと評価されており、いいキャンパスができたと思っております。これが教学政策をどう前進させるかというかなり思い切ったテーマを打ち出すことによって、新たな財政的な基盤づくりの根拠を見いだしていこうという考えです。  2点目は、社会に開かれた学園づくりと、学内責任の原則です。要するに、理事会等の構成の問題、またそこで行う組織上の組み立ての問題です。理事会の構成メンバーをどうするか。理事会の理事メンバーは学内外で編成できますが、本学の場合は、学部長理事も含めて、数のうえでは学内の理事を圧倒的に多くしております。社会的な関連もありますから、学外の理事も当然入っていただいておりますが、基本的な政策等々を実現するために、理事会のもとに常任理事会を置いています。常任理事会は理事会から委託を受けたかたちで、日常的な諸課題を全部判断し、学内の理事だけのメンバーで運営する制度です。  3点目は、全学合意という形式を取っています。先ほどの全学協議会でもそうですが、多数決はほとんど取りません。学内合意方式、全員一致方式という立て方を取っております。そのための仕組みとして、全学協議会もその組織ですが、組合と協議・懇談する業務協議会もそういう点では非常に大きい役割を持っています。また学生とのあいだでは全学協議会のもとに学園振興懇談会という、いまは「全学協議会代表者会議」と呼んでいる学生の代表者の協議会を、課題に応じて頻繁に行っております。  4点目は、政策の一致に基づく統一の原則です。大学ですから、いろいろな考え方があって、さまざまなものが出てきますが、琵琶湖に新しいキャンパスをつくろうではないか。そこにどの学部を移転させるかとか、大分に新しい大学をつくるという基本政策については、長期計画として調査をしたうえで提起をして、それについて全学協議会で基本確認をし、また組合等々のあいだでも基本的な確認をする。そういうことを確認していったら、あとはそれぞれの教学上の責任者、経営上の責任者はその政策にとって具体的に執行していくというかたちになりますから、基本政策で確認された限りについては、そこで対立してどうこうという問題は、基本的には起らないという枠組みをつくってきました。  5点目は少し違いますが、学園紛争時における反省も踏まえて、暴力否定の原則を学園の原則として入れております。些細な暴力等々については学生、教職員のなかでもありますから、やはり原則を立てておかないと、そのつどぶれてしまいますので、そういう議論はことあるたびに繰り返し行っていくことにしております。  それと最近は、学外との問題で、いろいろなかたちでの新しい研究のスタイルをつくり上げてきたというか、現在はそれが主流になってきておりますので、学外の倫理基準みたいなかたちでのこういった自主民主公開、平和利用という原則を立てて、これに基づく処置は別途つくって運営しております。  次は寄付行為についてですが、私学ですから、最高の規定は寄付行為によります。どういうかたちで理事会や評議員会を構成するのか、理事会・評議員会の構成メンバーはどうであるかということを寄付行為で明確にします。理事会は、学園としての最高意思決定機関ですから、文部省等々にいろいろな設置上の申請の諸文書は、理事会、評議員会の議決した議事録等々を基本的に添付することになります。  本学の理事会は、年に10回から11回ぐらい開いております。したがって、それ以外の日常的な業務については、常任理事会というかたちで、学内で構成される理事のメンバーが中心になって、理事のもとに各部長等々も参加します。常任理事会は総長が議長になって、毎週約半日かけてこれらを運営しています。その常任理事会のもとに、常任理事会運営委員会をおいています。常任理事会運営委員会は正規の設置機関ではなくて運営上の機関ですが、ここはさらにいろいろな部局から出てくる意見、また常任理事会に上げる議題上の整理等々を兼ねて、これも毎週、常任理事会の前に行っています。困難な問題、それから常任理事会に直接出しても意思統一がとれないような問題は、事前にこの段階で整理をして出していくことになっており、株式会社で言ったら常務会に当たる部分でしょうか、そういう運営をしています。  評議員会は、学内外で、年間6、7回行っております。  理事会の構成で、私どもはこの間いろいろ経験するなかで重要だったと思うのは、1点目は理事長の常勤化を図ってきたことです。私学ですから、非常勤理事という置き方もできますが、やはり常勤理事制にして、通常、教学の責任と経営の責任をきちんと据えていかないと難しいと思います。  2点目は課題がどんどん増えていきますので、総長一人では多くの課題を担うことはかなり困難です。また総長は総長選挙で選出されますが、総長にイニシアティブを取ってほしい課題は、学内課題もさることながら、私どもはむしろ日本の私学行政におけるイニシアティブをもっと取ってほしいというのが基本的な考えです。この点が、日本における高等教育における私学の役割で、弱点だと思っております。私学の全国的な機関として私大連盟がありますが、この連盟が対文部省との関係のなかで、国大協と両輪となって、そこにもっと政策的な意向を反映できるようなものになっていかなければならないと思っております。しかし、少し個人的な意見をはさませていただくと、この点においては、日本全体の私学は、まだまだ保守的であると思います。残念ながら、慶應大学さんと早稲田大学さんとの持ち回り的な体制を依然として克服できていない。これはすべての私学に共通した責任であって、両校以外の私学もきちんとそういうことを担おうとする努力が欠けていたことも含めての話ですが、そこの限界をどう超えていくのかということは非常に大きいテーマだと思っています。  そういう点で、大学におけるトップの総長が果たす役割は、そういう対外的な諸機関における役割と、学内における教学の最高責任者としての教学の意思統一を図っていく責任があります。また、副総長は、BKCキャンパス、新大学(創設)を含めて3人置いて分担体制を取っております。  あとは具体的な諸課題を遂行するうえで、専務理事と4人の常務理事を置いています。総務担当の常務理事、財務担当の常務理事、学生担当常務理事と教育担当の常任理事の4常任理事を置いていますが、片一方で中等教育も広げていきましたので、中等教育を担当する常任理事が必要だということでこれも制度化される方向です。  教学上の制度では、国立大学さんとあまり変わらないと思いますが、学部の教授会と全学の教学課題を統括している大学協議会という制度があります。この大学協議会と理事会のかかわりが、先ほど来のところで指摘されていた問題かと思いますが、私どもでは、重要な課題については、必ず両方に掛けることにしています。もちろん、先行してどちらから議案を出していくのかという点については、大学協議会を通じて上がってくることもあります。教員人事については、大学協議会を通じて、大学協議会で決定したものを理事会に報告して承認されるかたちになっていますが、政策的な議論はむしろ理事会に出して、それを大学協議会に諮るかたちです。  もちろん、大学協議会のもとに、通常、学部等々の教学上、政策上の調整をするための機関として、教学対策会議を置いています。これも組織上は制度的な組織ではありませんが、実質的には非常に重要な組織になっています。要するに、制度的なかたちで置かれている機関ではありませんが、学部における教学の課題と、学部を連携していくような課題については、すべて教学対策会議で議論をされて、そこと学部の調査委員会なり教授会との往復作業をしながら、ここで基本的な問題点をほぼ整理されたかたちで、大学協議会に諮られる。大学協議会に出された段階では、そういう対立事項は基本的には整理して、大学協議会に上げていくという運用を取っています。  もちろん、政策上の課題については、教学対策会議でやっている事項は、毎回常任理事会に併せて報告され、並行して常任理事会でも議論されますので、最終の詰めの段階、制度が確定する段階では、教学機関の大学協議会での決定、常任理事会での決定等々で、対立して成立しなかったという事例は、少なくともこの間ではありません。制度的機関でない、事実上の機関がそこを全部運用としてやっております。  その前提になっているのが、ランダムに書いてありますが、長期計画です。先ほど言いましたが、大きい政策については、長期計画というかたちでやっています。戦後からずっと始まりまして、現在、第5次です。6か年ないし8か年間のサイクルで長期計画を組んでおりますが、重点課題はそこで提起をして確認されて、それを全学協議会を踏まえて全体の確認をした後、それを具体化するための委員会を長期計画委員会のもとにつくっております。長期計画委員会の下にはさまざまなプロジェクト委員会を設け、各プロジェクト委員会が個々の課題を具体化し、それを先ほど言った教学の機関なり、大学の理事会の機関に提起していく。こういう機関を運営するために、調査企画室というポストを行政上置いております。  事務体制上の問題ですが、私どもの事務体制は決して近代的な事務体制だとは思っておりません。むしろ、きわめて非近代的と言っていいかもしれなくて、これといった制度らしいものはありません。どういう組織になっているかというのは、後ろの資料を見ていただいたらいいかと思いますが、沿革のあとに組織図があります。学校法人立命館のもとに、理事会、常任理事会、評議員会があり、そのもとに立命館、それと各付属高等学校があり、大学には大学協議会という教学の最高機関があるという関係になっています。  また、各部局をずらっと並べておりますが、これはどこの大学、どこの組織をとってみても、そう大きい違いはないのではないでしょうか。そのなかで、変な名称のものがいくつかあるかと思いますが、先ほど言った調査企画室は第5次長期計画の事務局としての役割を担って、それを系統的に計画を進めていくために、進捗と課題を各機関に提供していく役割をしております。最近私どものセクションのあり方自体は、全体がプロジェクト的なあり方に変わってきているということで反省しています。こういう少数部課が増えていくことについては、どこかで歯止めを掛けなければならないと思っていますが、新しい政策提起が多くて業務がどんどん増える一方です。研究分野では、従来の研究部のなかに産官学交流推進室を設けて、そのもとで、特に自然系を中心にして、外部資金の獲得とともに産官学との交流を積極的に進めております。したがって、この分野を担うためにリエゾンオフィスを設置しております。その課だけで2課編成(衣笠及びBKCキャンパスに設置)をしておりますが、ほかはだいたいどこでも組織図にあります名称と類似した課を置いているのではないかと思います。  事務体制のなかで、私どもがいま最も重視していることは、後ろのほうに書きました。新しく教学創造をしたり、課題を遂行していくために、仕事がどんどん増える一方ですけれども、私学ですから、それに合わせてポストをつくり、それに合わせて人を付けていったのでは、経営が成り立ちません。私学ですから、収入は、学生の納付金と検定料収入、文部省からの補助金がベースになりますから、支出のところをどうコントロールしていくのかというのが非常に大きいテーマとなってきます。したがって、私どもが教学創造を進めるための原資をどうやって捻出するか。一つは、人件費を全体としてコントロールしながら進めなければなりません。ざっと言って教職員の人件費は東京の大手私学さんに比べて、年間で六、七十万円は安いと思います。後ろに資料を出しておりますが、専任職員一人当たりの学生数についても、東京の大手私学と比較して多いことがお分かりかと思います。そういったものを積み上げて、教学創造の一つの原資に当てています。この人件費枠を長期計画と合わせて編成していきますので、その枠を何としても維持していかなければならない。これが職員全体の構成をつくっていくところで言ったら、いちばん頭が痛いし、難しいところです。  新しい分野の業務はどんどんやっていってもらわなければならない。新しい仕事を開拓してもらわなければいけません。そういうことから職員数の枠を想定していくと、「教学創造こそ財政政策だ」と立てていることもあって、そういう分野については、必要なセクションをつくって、必要な人材を付けていきますが、同時にその増員分に相当するリストラを行う必要があります。リストラ対象は、既存の業務の見直し―合理化、省力化、縮小・廃止、アウトソーシング等々があります。そういう点で、職員一人一人に業務の広がりに対応できる力量と、コスト感覚を付けること、業務をどう組み立てていくかという課題を検討させているのが率直な姿です。  また、部下編成についても、私どもは最近は定員という考え方はやめて、要員という考え方を取っています。  目標管理とか、職員組織における会議としては、部課長を集めた会議と、次長以外の会議と、職場における業務会議を設定しております。力を付けていくという点では、職場における業務会議を研修的な意味も含めてやっていくのが、この間、経験的にもいちばんだと考えました。個人でどんな優秀な人間が出てきても、業務遂行そのものとしては、どうしても限界があります。集団として職場の力量をどう高めていくかということなしには、新しい課題をこなしていくのは難しくなっていきますので、そういう点では職場の業務会議のなかでいかに職場集団をつくるかということにポイントを置いています。  最後になりますが、本学は現在、新大学を含めて6キャンパスありますが、それに纒わる問題があります。京都だけのキャンパスであったときはきわめて効率的でしたが、京都以外のキャンパスができて以降は、倍とは言いませんが、相当のむだは避けがたく発生します。それについて取り組んできた内容は、時間があったら見ておいていただきたいと思います。