21世紀の大学像を考える大学人の集い 1998年12月5日 於・文化会館(東京・池袋)  大学人が一同に会し、大学審「答申」と21世紀の大学・高等教育のあり方、大学人が取り組む課題を明らかにするために、昨年12月5日、東京・池袋の文化会館において、私大連と全大教の共催で「21世紀の大学像を考える大学人の集い」が開催されました。「集い」は二部方式で行なわれ第一部は文部省高等教育局企画課大学審議会室長の戸渡速志氏が「21世紀の大学像と今後の改革方策について(答申)」について説明し、これに対する質疑が行なわれました。第二部のシンポジウムは、幅広い立場から「答申」の問題点を深めるため、早田幸政氏(大学基準協会研究員)、田中宏道氏(日本私大教連教研部長)、立山紘毅氏(山口大学経済学部・憲法)をパネリストに報告と活発な質疑・討論が行われました。この集いの参加者はこの問題への関心の高さを反映し、155名を数え、全大教からは46単組79名が参加しました。  なお、様々な角度からの御意見もありましたが、誌面の制約上、第一部の文部省による「御説明」、第二部パネリストによる「御報告」及び質疑の掲載とさせていただきました。  司会 ただいまから「21世紀の大学像を考える大学人の集い」を開催させていただきます。私は、第1部の司会をやることになっています全大教教文部長の斉藤です。  司会 同じく日本私大教連の副委員長をやっています手塚といいます。よろしくお願いします。  司会 今日の資料のなかに入っています運営要項に基づいて、進めていきたいと思います。  さっそくですが、主催者として全大教の蔵元委員長からごあいさつをお願いしたいと思います。 主催者あいさつ  全国大学高専教職員組合  中央執行委員長 蔵元英一  蔵元 ご紹介いただきました全大教委員長の蔵元です。本日はここにありますように、全大教と日本私大教連の共催で「21世紀の大学像を考える大学人の集い」という題名のシンポジウムを企画しました。土曜日で、しかも12月に入ってお忙しいところ、また天気の悪いなか、この広い会場いっぱいにお集まりいただきまして、ありがとうございます。  といいますのも、今日のシンポジウムのテーマがいかに大事であるか、大学で働く、われわれ教職員全員にとって、今日のテーマは本当に大事であるということを表していると思います。ご存じのように10月26日に大学審議会の答申が出されまして、本日はお忙しいなかを大学審議会室長でいらっしゃる戸渡氏に来ていただきまして、われわれが普段思っていることを素直に出して、質疑・討議し、これから先の進み方を決めていく大事な集会になると思っています。  思い返してみますと91年の大学設置基準の大綱化、これはいわゆる規制緩和が始まったときで、もう10年近くなるわけです。非常に大きな変化が大学・高等教育に起きてきているということを皆さん身に染みて感じていらっしゃると思います。非常に多忙になったと感じていらっしゃる方もいるし、さまざまな思いで91年の設置基準大綱化以来、変わってきているということを感じていらっしゃると思います。  大学審の答申が出て、これから先の10年はもっと激動の時代になるだろう。21世紀初頭は、これまで経験してきた以上に非常に大きな変動が起こることは必至であると思われます。そうしますと10年後、20年後に、あのとき開いたシンポジウムでこういう議論をしたということが必ずあとになって思い出てくる日が来るわけです。本当に大学・高等教育あるいはそこに働くわれわれ教職員にとって、98年の12月5日にこの場所でシンポジウムを開いたことが重要な意味をもつものと思われます。  答申は200ページにも及び、「知」の再構築から始まって、課題探求能力の形成、いろいろな教育の自由構造化、学長の強いリーダーシップ、有効的な資源の配分、評価、評価に基づく資源の配分、再配分というふうにいろいろなデータを交えて、今日の大学のあり方、高等教育のあり方が書かれているわけです。  皆さんが読まれて、今の経済危機の状態、日本のおかれている状態、競争主義、市場原理とビッグバンの時代で、こういうこともやむを得ないと思われている方もおられるかもしれませんし、大学にとってこれからは非常に大変な時代になると感じられている方もおられると思います。  一言、短くということであったわけですが、学問の中心が大学である。学問を発展させ教育する。このことは世の中の通常の仕事とはやはり違うわけです。評価はいやがおうでも必ず来ます。どこから来るか。もちろん第三者評価機関からも来るかもしれませんが、世界の各大学からいずれは来る。日本の大学はあのときこう変わった。国際的に見て、学会にこういう貢献をしたという評価はおのずから来るわけです。好むと好まざるに関わらず来ます。  ですからわれわれは、そのときに本当に日本の大学は学問の発展に寄与してくれたと、何十年か後に、世界から思われるような大学を目指したい。そこに働く教職員の願いは、いい学問をして、いい教育をして学生を出して、本当に役立ちたいと思っているわけです。そのためにはどうあるべきかということが、一番議論する基盤になると感じています。  そういうことから、今日の文部省大学審議会室長さんのご説明を十分伺って、皆さんでじっくり討議していただいて、今後の重要な第一歩を踏み出すという気持ちでいるわけです。今日のシンポジウムが本当に実り多いものになることを期待しまして、簡単ですがごあいさつといたします。  司会 どうもありがとうございました。それではさっそく第一部のメインの講演に入りたいと思います。文部省高等教育局企画課・大学審議会室長の戸渡速志さんに、今回出ました答申の話を中心に「21世紀の大学像と今後の改革方策について」という演題でお願いします。それではよろしくお願いします。 第一部 講演「21世紀の大学像と今後の改革方策 について(答申)」について 戸渡速志氏(文部省高等教育局企画課大学審議会室長)  戸渡 御紹介いただきました文部省大学審議会室長をしております戸渡です。本日は、大学審議会が先に出しました答申の概要及びその趣旨等につきましてご説明をさせていただきたいと思います。先ほどご紹介がありましたけれども、分厚い資料、答申ということもありまして、全体をご説明するのにちょっと早口になる部分があるかと思いますけれども、ご容赦いただければと思います。本日は資料として答申本体をご準備いただいておりますので、その本体に従って順を追って概要及び趣旨等についてご説明させていただきます。  大学審議会は、昨年の10月に文部大臣から諮問を受けて以来、約1年間にわたり合計84回に及びます総会及び各部会における精力的審議を重ねまして、去る10月26日に「21世紀の大学像と今後の改革方策について」を文部大臣に答申したわけです。今回の答申につきましては、去る6月30日に公表された中間まとめに対して寄せられた多くのご意見、全大教あるいは私大教連さんからもご意見をいただいていますが、そういったご意見を踏まえ、さらに精力的かつ幅広い検討が行われ、その審議を踏まえて取りまとめられたものです。中間まとめから比べますと、中間まとめで述べた趣旨の明確化を図るための全体構成及び表現等についての修正が行われている部分がかなりあります。  今回の答申取りまとめにおける基本的な考え方あるいは答申の概略につきましては、答申本文の1ページから3ページのところに、「はじめに」という部分がありますけれども、そこに記述されていますので、まずそこをご覧いただきたいと思います。  「はじめに」の部分の1ページ目、1というところに述べられていますように、大学審議会では今回の答申取りまとめに当たり、高等教育を取り巻く21世紀初頭における社会状況について「現状からさらに大きく転換をしていく。そしてその知的活動によって社会をリードし、社会の発展を支えていくという重要な役割を担っている大学等が、より幅広い視点から「知」というものを総合的にとらえ直していくとともに、知的活動の一層の強化のための高等教育の改革を進めることが強く求められる時代になっていくと考えられる。」とし、それを「『知』の再構築が求められる時代」と述べています。そういった時代になっていく21世紀初頭において、やはりその期待される役割を十分に果たすことができるようにするためには、さらに改革を推進していくことが必要であるという認識の上に立ち、大学等の多様化・個性化の推進、あるいは国際的な通用性の向上といった視点などを踏まえながら、大学等の自主性・自律性を高めるシステムの柔構造化といったことなどの一層の推進と、そのための基礎となる基本的な枠組みについての整備を図るということを基本として審議が行われて、この答申が取りまとめられたということです。  今回の答申の全体構成の概要は目次等をご覧いただくとおわかりいただけると思いますけれども、「はじめに」のところの3というところ、2ページになりますが、そこにも書いてあるとおり、第1章においては高等教育を取り巻く21世紀初頭の社会状況、あるいはそのなかでのわが国の発展の方向と高等教育の役割といったこと、またこれまでの高等教育改革進展の現状と今後の課題を整理した上で、21世紀を迎えるに当たって、いま何が大学に求められているのか、そして何をなすべきかという視点から高等教育機関の多様化・個性化の必要性や規模の考え方、あるいは今後の大学改革の基本理念というものについて述べられています。  それを受けまして第2章では、第1章で提言された四つの基本理念に沿った具体的な改革方策について提言をするとともに、そういった改革を進めるための基盤の確立について提言されているという構成になっています。そこにも記述されているとおり、今回の答申で提言されたいろいろな改革の諸方策については、一体的に推進されることが必要であるけれども、提言されている個々の具体的方策には、すべての大学等において共通的に取り組んでいくことが必要である事項のほかに、各大学等がその理念・目標に沿って自主的にそういった制度を導入するかどうか判断していただくことが適切な事項も含まれているということです。各大学等においてはこの答申の趣旨を踏まえながら、それぞれの大学等の理念・目標に沿って適切に取組を進めていただくことが必要になってくるのではないかと考えています。  答申は、各大学等においてそういった形で今回提言された改革方策が適切かつ総合的に推進されることによって、各大学等が教育研究の更なる発展を目指して下断の向上を図り、切磋琢磨するという状況が創出され、それぞれが個性が輝く大学等として一層発展していくことを願って取りまとめられたものです。  また「はじめに」の4のところに、最後ですが記載されているとおり、学術研究の振興に関しては現在学術審議会において別途審議が行われているところで、本審議会の答申とともに学術審議会における審議の結果も踏まえ、大学等における教育研究の総合的な推進が図られることが必要であるということも併せて述べられています。  以下、答申の概要をお話ししたいと思いますが、すでに中間まとめの内容については十分ご承知だろうと思いますので、主な変更点あるいは比較的ご質問を受けることが多い事項等を中心に、概要を説明させていただくという形にさせていただきたいと思います。  4ページからが、先ほど申しました「第1章 21世紀初頭の社会状況と大学像」という部分です。1番目として「1 21世紀初頭の社会状況の展望と高等教育」ということが述べられています。まず4ページにあります最初の「〓高等教育を取り巻く21世紀初頭の社会状況の展望等―「知」の再構築が求められる時代―」という部分です。ここについては中間まとめにおいても〓から〓に掲げてある視点から時代状況を整理するという形になっていましたけれども、高等教育との関わりでの時代認識を端的に示していくことが高等教育の重要性と改革推進の必要性を述べていく上で必要であるという観点から、答申においては先ほど申し上げましたとおり中間まとめで示した社会状況の展望を総合した時代認識ということで、「『知』の再構築が求められる時代」という認識を示すこととしてその旨が記述されています。  8ページに飛びますけれども、「〓我が国の発展と高等教育」という部分です。時代状況を踏まえながら書かれていますが、ここの部分では人類全体にとって一層困難な課題が生じてくると考えられる21世紀初頭において、我が国が世界と協調しながら、そのより良い解決に向けて貢献をしていくためには、大学をはじめとする多様な高等教育機関のシステム全体として、その知的活動によって社会をリードし、社会の発展を支えていくという重要な役割を十分に果たしていくことが不可欠であるということを述べて、高等教育が将来の世界、人類の発展、さらに我が国の真に豊かな社会の実現などにとって、いかに重要な役割を果たすものであるかということが強調されています。  10ページが大きな2番目で、「2 高等教育改革進展の現状と課題」という部分です。現状と課題の部分については、中間まとめにおいてはさらに具体的な進展の状況と問題点というものが、本文のなかで詳細に記述されていました。しかし、この答申が現状の問題解決型というものではなくて、21世紀初頭の状況を展望した総合的かつ具体的な改革方策を提言するものであることがより明確になるようにということで、中間まとめにおける具体的記述部分については本体と一体の別紙として129ページ以下に別途整理するという形で整理が行われています。  この10年間に各大学等においては、相当改革に取り組んできていただき、進展を見ているとわれわれは考えていますけれども、やはり外部の意見、見方には厳しいものがあるというのが実感です。それは大学等に対する大きな期待の裏返しであると思うわけですが、外部の厳しい見方にも私どもは耳を傾けて、さらなる向上に向けて改革に取り組んでいく必要があるのではないかと考えています。  13ページからが、そういった将来の展望と現状の課題を踏まえながら、「3 21世紀初頭の大学像」ということで、どのような大学等を目指していけばよいのか、どのような高等教育システムというものを目指していく必要があるのかということが整理されています。その概要については13ページのところに書いてあります。ここでは21世紀初頭において、我が国の高等教育がその期待される役割というものを十分に果たしていくためには、各大学等の自律性に基づく多様化・個性化を進めていくと同時に、卒業時における質の確保のための取組の抜本的な充実、大学院の役割の増大に対応するさらなる整備充実、国際的通用性や共通性の向上、さらには大学等の社会的責任といったものを重視しながら、今後以下に述べます大学改革の四つの基本理念に沿って、教育研究の見直しというものを大胆に進めて、新しい高等教育システムを構築していかなければならないとされています。  これにより各大学等が教育研究の質の不断の向上を図って、互いに切磋琢磨するという状況が創出されて、それぞれが個性が輝く大学等として発展していくことが求められているということが述べられています。そういった考えに沿って、以下より具体的に考え方が整理されています。  まず13ページからは「〓高等教育機関の多様な展開」ということで、まず多様化・個性化についての考えが整理されています。ここでは高等教育に対する質の高度化への要請、あるいは社会の需要の一層の多様化に適切にこたえていくとともに、長期的視点に立った教育研究の展開によって社会をリードしていく役割を果たすためには、大学・大学院、短期大学、高等専門学校、専門学校が、それぞれの理念・目標を明確にして、それぞれの特色を生かしつつ多様化・個性化を進め、国公私立の高等教育機関全体で社会の多様な要請にこたえていくことが必要になるという考え方が述べられています。  そういった考え方を踏まえながら、まず各高等教育機関の多様化・個性化ということで、それぞれの機関ごとに考え方が述べられています。たとえば大学について申しますと、14ページからに書いてあるとおり、大学というものについては、たとえばそれぞれの理念・目標に沿って、総合的な教養教育の提供を重視する大学、あるいは専門的な職業能力の育成に力点をおく大学、地域社会への生涯学習機会の提供に力を注ぐ大学、最先端の研究を志向する大学、また学部中心の大学から大学院中心の大学など、それぞれの目指す方向のなかで多様化・個性化を図りながら、それぞれの大学が発展していくことが重要であるということが述べられています。  国公私立大学全体で、現在600を超える大学があります。これらがすべて同じタイプの大学を目指すのではなくて、各大学がそれぞれの理念・目標に沿って特色を発揮しながら個性化を図っていくことが、各大学がよりよく発展を遂げるとともに、高等教育システムが全体としてその求められる役割を十二分に果たしていくためにも重要であるという趣旨です。この部分ではいろいろ、たとえばこういったあり方が考えられるのではないかということが述べられていますけれども、これは上からの種別化、構造化ということではなくて、高等教育に対するさまざまなニーズを踏まえて、各大学が主体的・自律的に多様化・個性化を図っていくことを基本として、それを支援するような仕組みを整備していくことによって多様なニーズに対応できる柔軟な高等教育システムを作っていくことが重要であるという趣旨であることをご理解いただきたいと思います。また短大、高専の制度上の位置付け等についてはさらなる大学審議会での検討が必要であるとされていまして、今後大学審議会でさらに検討が行われるということになる方向です。  19ページからは、国公私立大学の特色ある発展という観点から考えが整理されています。ここでは国公私立大学がそれぞれに期待される機能を発揮し、特色ある教育研究を展開していくことが、21世紀初頭における社会のさまざまな要請等に国公私立大学全体で適切にこたえていくというだけでなく、高等教育全体の活性化の上からもそういう多様な設置形態が存在することが必要であるということを基本として述べながら、国公私立大学それぞれについて期待される機能が述べられています。ここの部分については理工系重視の論調ではないのか、あるいは国立大学偏重ではないかといったような、さまざまなご意見が中間まとめの段階で寄せられました。そういったご意見を踏まえ、中間まとめの趣旨が必ずしも正確に伝わっていない面があるのではないかということで、中間まとめの趣旨がより明確になるように表現等の修正等が行われています。特に公私立大学については、その役割の重要性についてかなり大幅な記述の追加がなされています。  また国立大学の果たすべき機能として記述されている部分ですが、本文の20ページ、のbというところに記述されている部分をご覧いただきたいと思います。そこに記述されているとおり、ここで果たすべき機能として記述されていることは、現在各国立大学が果たしている機能は多様なものであるけれども、国費により支えられているという安定性等の特性といったものから、今後国立大学が特にその社会的責任として果たすべきことが期待される機能としてどういうものがあるかということで整理されているものです。  23ページから、今度は「〓高等教育規模の展望」について述べられています。まず大学(学部)、短大の規模という部分ですが、そこの部分については平成9年1月に大学審議会から答申として出されている「平成12年度以降の高等教育の将来構想について」という答申で示された考え方が基本になっています。今後18歳人口の減少により、高等教育への進学者の実数は減少する傾向にあるわけですが、進学意欲を積極的に受け止めていくといった観点からも、ある程度の入学者数の規模は今後も確保していく必要がある。しかし18歳人口の急激な減少のなかでの進学規模の確保は、同時に進学率の上昇を起こすわけです。そういったことを踏まえながら、進学率が上昇することによって大学教育の質が落ちたと言われるようなことになってはならないということで、質と量を常に両立させていかなければならないということが指摘されています。  また26ページからは、大学院の拡充について記述されています。大学院の在学者数は平成10年5月現在、国公私立を合わせて約18万人となっていますけれども、ここでは平成22年、西暦2010年における大学院の在学者数は、今後の制度改正や産業構造の変化などを考慮すると、全体としては25万人以上の規模に拡大していくと見込まれると予測されています。また諸外国の状況や今後の社会変化等を踏まえると、将来的にはそれ以上の規模になることも予想されると述べています。答申では特に大学院修士課程における高度専門職業人の養成に留意し量的な拡大を図る必要があると提言されています。同時に大学院における学術研究の高度化と、優れた研究者の養成機能の強化の必要性も指摘されている内容になっています。  30ページからが、「〓大学改革の基本理念―個性が輝く大学―」ということで、以上述べたような規模の展望、及び多様化・個性化といった方向を踏まえながら、今後の大学改革の基本理念として、どういう方向で考えていく必要があるかということが述べられています。ここでは、そこに書いてあるとおり、大学改革の基本理念として、〓課題探求能力の育成を目指した教育研究の質の向上、〓教育研究システムの柔構造化による大学の自律性の確保、それを支える〓責任ある意思決定と実行を目指した組織運営体制の整備、さらにこうした取組についての〓多元的な評価システムの確立による大学の個性化と教育研究の不断の改善、という四つの基本理念を整理して、それに沿って現行制度をさらに大胆に見直し、さらなる向上を目指して各大学が切磋琢磨し発展していくことのできる新しい高等教育システムというものに転換していかなければならないという考え方が述べられています。  また冒頭のところでもお話し申し上げましたけれども、この答申で提言されている個々の改革方策という部分については、すべての大学が取り組むことが必要なもののほか、各大学の自主的判断によるのが適切なものも含まれているということで、各大学においてその理念・目標を踏まえながら適切かつ総合的に改革を推進していただくことが必要であると再度述べられています。  そして四つの基本理念の考え方が31ページ以下に整理されているわけです。まず、一番目が「課題探求能力の育成―教育研究の質の向上」という点です。今後高等教育においては「自ら学び、自ら考える力」の育成を目指している初等中等段階の教育を基礎としながら、大学においては「主体的に変化に対応し、自ら将来の課題を探求し、その課題に対して幅広い視野から柔軟かつ総合的な判断を下すことのできる力」、これを課題探求能力と答申では整理されていますけれども、その育成を重視することが求められるとされています。そういった観点から、学部教育では教養教育及び専門分野の基礎・基本を重視し、専門的素養のある人材として活躍できる基礎的な能力を培っていくこと、また専門性の一層の向上は大学院で行うということを基本として考えていくことが重要になるということが述べられています。さらに高等教育の普及にともない、学生の一層の多様化が進行していくことを踏まえ、卒業時における質の確保、国際的通用性・共通性の確保といったものなどを重視しながら、教育研究の質の向上と高度化に一層努める必要があるということが述べられています。  それから二番目が「教育研究システムの柔構造化―大学の自律性の確保―」という点です。教育研究の質の向上と同時に、教育研究のシステム自体を柔構造化して、大学の自律的な選択あるいは自律的な判断が確保されるようにしていく必要があるということです。高等教育が期待に適切にこたえていくためには、一つは学生の主体的な学習意欲及びその学習成果を積極的に評価しうるような制度にしていくことが必要である。また、大学が自律性を確保しながら一層積極的、機動的に社会の要請などに対応できるような制度の柔軟化を進めていくことが必要である。それから国際的な通用性の高い制度へと、教育研究システム自体をより柔構造化していく必要があるという理念が整理されています。  次に、三番目の「責任ある意志決定と実行―組織運営体制の整備―」という部分です。以上述べた教育研究の質の向上、大学の自律性の確保ということでシステムの柔構造化を図っていくというなかで、各大学は自らの主体的な判断と責任によって、社会の変化が一層激しいであろう21世紀初頭において、社会の期待に応え得る効果的な大学運営を行っていく必要があり、そのためには学長のリーダーシップのもとに適時適切な意志決定を行い、実行できる組織運営システムを確立していく必要があるということが述べられています。  四番目が「多元的な評価システムの確立―大学の個性化と教育研究の不断の改善―」です。以上述べたような一番目から三番目の基本理念に沿った各大学における取組をより実行あるものとしていくためには、各大学における自己点検・評価の恒常的な実施と、その結果を踏まえた教育研究の不断の改善を図っていくことがまず必要なわけですけれども、そういったことはもとより、さらに、より透明性の高い第三者評価を実施し、その評価結果を大学の教育研究活動の一層の改善に反映させるなど、各大学の個性をさらに伸ばして魅力のあるものとしていく、そういう多元的な評価システムをすみやかに確立していくことが必要であるということが述べられています。  本文の37ページのところをご覧いただきたいと思います。さらに答申では再び国立大学の独立行政法人化についての議論がなされているという最近の動向を踏まえて、大学審議会としてその点に関しての考えが述べられています。具体的に述べられている部分を再度読み上げることは省略させていただきますけれども、そこに述べられていますように大学審議会答申は、行政改革会議の最終報告や中央省庁等改革基本法で定められている国立大学の改革に関する具体の方策についての回答であり、このすみやかな実現こそがまず必要であるということが述べられています。  38ページからが「第2章 大学の個性化を目指す改革方策」ということで、第1章で示された先ほどの四つの基本理念に沿った総合的かつ具体的な改革方策、及びそれらの改革を進めるための基盤の確立について提言がなされています。  まず1番目の基本理念である「1 課題探求能力の育成―教育研究の質の向上―」という部分です。ここでは先ほど述べましたように、初等中等段階における教育の動向を踏まえて、高等教育のあり方を示しています。今回の答申では、生涯学習時代における初等中等教育、特に高等学校教育から学部教育、大学院教育のそれぞれの役割のあり方についての基本的な考え方を踏まえながら、教育内容及び教育方法の両面から学部教育の再構築及び大学院の教育研究の高度化・多様化についての提言がなされているという内容となっています。  38ページから、まず「〓学部教育の再構築」ということで具体的な提言が整理されています。学部教育については今後進学率が上昇し、高等学校卒業者、同年齢者とお考えいただいたほうがいいかと思いますが、その2人に1人は大学に進学する時代になってくる。そういった時代の大学教育はどうあるべきかということから、教育内容、教育方法の両面から再検討する必要があるということで、具体的な提言がなされています。  39ページから、まず教育内容のあり方として、課題探求能力の育成という観点から四つの項目を立てて提言がなされています。ここでは、「今後、興味、関心、履修歴といったものなど、あらゆる面で多様な学生が大学に進学してくることが予想される。また時代の変化や社会の要請に対応した教育研究の展開が一層求められるようになってくる。そういうなかで各大学において、それぞれの理念・目標のもとに、どういった学生を育てようとしているのかということを踏まえて、教育内容のあり方を考えていくことが重要になる。」ということが整理されています。  答申のなかでは、こういった観点から1番目の教養教育の重視、教養教育と専門教育の有機的連携の確保、2番目の専門教育における基礎・基本の重視という部分では、教養教育及び専門教育それぞれについて、その基本的な方向性、考え方というものを示している。それから3番目の高等学校教育から学部教育への円滑な移行という部分においては、学部教育全体について初等中等教育の動向を踏まえる必要があるといったことが強調されています。4番目の国際舞台で活躍できる能力の育成という部分では、今後世界的つながりが強まっていくことを考えると、こういった能力の育成という視点が重要になるといったことなどが述べられているわけです。  それで「〓学部教育と高等学校教育との関係」という部分について補足してご説明をさせていただきたいと思います。ここでは今後、大学は高等学校教育では選択制の拡大などが一層進行していくことを認識して、初等中等教育の動向を視野に入れて、大学教育への移行を円滑に進めることが必要であることが強調されています。また大学入試のあり方については、この答申のなかでは高等学校と大学の接続のあり方についての今後の幅広い検討を視野に入れて具体的改善方策を審議するとされています。この点に関連して、去る11月6日に文部大臣から中央教育審議会に対して、「初等中等教育と高等教育との接続の改善について」という諮問がなされたところです。今後、中央教育審議会においても、高等学校と大学との接続を重視した大学入学者選抜の改善について検討が行われることとされていますけれども、大学審議会においても今後中教審における審議を踏まえながら改善方策について審議を行っていく予定です。  ここの教育内容のあり方という部分については、今後各大学において答申の趣旨、提言の趣旨を踏まえて、それぞれの大学における理念・目標に沿った体系的なカリキュラムの工夫・実施ということに、従来から取り組んではいただいているわけですが、よりその実施というものに取り組んでいただきたいということです。  それから46ページから、教育方法の改善ということで、責任ある授業運営と厳格な成績評価の実施ということが述べられています。46ページから50ページにかけては、「〓授業の設計と教員の教育責任」「〓成績評価基準の明示と厳格な成績評価の実施」ということが述べられています。答申では教育方法の改善についてさまざまな方策が提言されていますが、特に今回の答申では責任ある授業運営を行い、教育の質を確保していく上で、単位制度の趣旨の徹底、単位制度の実質化を図っていくことが重要であるということが強調されています。答申にも述べられているとおり、現在の我が国の大学制度は単位制度を基本としているわけです。その趣旨からすれば、学生の自主的な学習を待つというだけではなくて、授業の前提として読んでおく必要のある文献の指示といったことなど、事前に行う学習について学生に具体的な指示をしていくことをしなければ、教員はそれぞれの職務に応じた教育実施上の努めをまっとうしたことにはならない。そういう認識をもつことが必要であるということが強調されています。  答申では授業の設計と教員の教育責任というところでそのことを強調し、その上で成績評価基準の明示と厳格な成績評価の実施が必要であるとしています。この部分では大学の社会的責任として、やはり卒業生の質を確保していくという観点から安易な進級、卒業の抑制、厳格な成績評価を行うことを求めているところです、ここの厳格な成績評価という部分ですが、これは責任ある授業運営の展開が当然の前提となるもので、そういった努力が行われた上で、厳格な成績評価を行っていくことが重要であるとされています。授業は現状のままで、単に成績評価だけを厳しくするということでは、教育の実施というものの責任、務めを果たしたことにならないという趣旨から述べられていることをご理解いただきたいと思います。  またこの厳格な成績評価の実施という趣旨は、各大学は入学者について一定の付加価値を付けて社会に送り出すという責任を学生に対しても保護者・社会に対しても負っており、その責任を十分に果たすことが必要である。しかしながら学生の側において主体的な学習への取組が不十分な場合、大学が本来の教育責任を果たすことにより留年者が増加するということもあり得るという趣旨です。この点については一定率の留年者を出すことを求めている、あるいは大量に入学させて、どんどん退学させるということを容認しているといったような誤解がないようにお願い申し上げたいと思っています。  「〓履修科目登録の上限設定と指導」ということが、51ページから書いてあります。今回の答申では、さらに単位制度の実質化を図るために履修科目登録の上限を各大学が定めることを明確にすることが提言されています。中間まとめでは上限設定の考え方がわかりやすいように、例示として具体的な単位数等が示されていましたが、この点については一律にその単位数にすべきと求められているという誤解もあったことから、答申ではそういった具体的な数字は削除されて、上限設定の基本的な考え方のみが記述されています。卒業要件単位数あるいは必須の単位数など、大学により事情が異なりますので、この上限を何単位とするかということについては単位制度の趣旨、それから卒業要件単位数の状況など、各大学における状況を踏まえて各大学で自主的にご判断いただくということになります。  もちろん、履修科目登録の上限を設けるだけで教育の方法が変わらないということでは意味がないので、履修科目登録に上限を設ける以上は一つ一つの科目の学生の学習時間をこれまで以上に確保する必要があるということです。また履修科目登録に上限を設ける以上は、その分個々の授業を充実させることを学生や保護者に対して説明できなければ、その責任を果たせないのではないかということで、こういったことも授業の方法を考え直すきっかけになるのではないかということです。  それから53ページから56ページにかけては「〓教員の教育内容・授業方法の改善」、それから「〓教育活動の評価の実施」が述べられています。今後大学における教育の質の向上を図っていくためには、ファカルティ・ディベロップメントの実施あるいは教育活動についての評価を充実していく必要があるということです。こういった取組の推進を通じて、より充実した授業運営が行われるようにしていく必要があるということが述べられています。  56ページからが教育方法の改善の最後ですが、「〓学生の就職・採用活動に当たっての大学及び産業界の取組」ということが記述されています。現在、学生が就職活動のために3年生の後半から授業に出てこないために授業が成り立たないというご指摘もあるわけです。そういったご指摘があることも踏まえて、中間まとめにおいても採用活動の早期化が学生の学業に支障を及ぼさないように産業界の配慮を求めていたわけですけれども、答申においてはよりその部分をきちんと述べ、強調する必要があるということで、あらたに1項目を立てて、特に記述が行われています。  ここでは、大学においては責任ある授業運営と十分な就職指導を行うということ。それから産業界における大学の教育活動を尊重した採用活動の展開、人物・能力本位の採用といったことなどを求めています。さらには大学と産業界との連絡協議を実施することが必要であるということも併せて述べられています。  以上が学部教育の再構築についての部分です。  59ページからは、次に「〓大学院の教育研究の高度化・多様化」ということについて提言がなされています。今回の答申では、今後の大学院のあり方として、その教育研究水準の質的向上とあいまって全体として研究者養成に加え、高度専門職業人養成の役割をもより重視した、多様で活力のあるシステムをめざすことが重要であるとされており、このような観点からいくつかの提言がなされています。  まず59ページからの「1)大学院の組織編制の在り方」という部分の「〓大学院の制度上の位置付けの明確化」という部分です。ここでは、それぞれの大学の多様な発展を可能とし、多様な組織形態を許容して、それぞれの大学の教育研究を円滑かつ適切に遂行するためにふさわしい運営の仕組みを整えるということから改革方策が提言をされています。まず学部を基礎としている研究科であっても、大学が全学的な運営上の必要性等から必要だと判断した場合には、研究科教授会というものを置き得ることを明確にする必要があるということが指摘されています。また、大学院の教育研究活動の比重が高まって、大学院が中心的な役割を果たす大学においては、当該大学の教育研究目的を効果的に達成する責任ある組織体制を整備する観点から、研究科について学部と同等の基本的な組織として整備をしていくということで、こういった大学院の研究科については研究科教授会を置くのみならず、人事についても審議を行うとともに、全学的な運営に関与し得るような仕組みを法令上明確化する必要があるということが指摘されています。  ここではさらに学部や研究科を置きながらも、学系といった形のものと同様に研究上の目的から編成される組織を設けるという方式など、多様な組織形態を取り得る制度的な枠組みを考慮していく必要があるということが指摘されています。  62ページからは「〓一定規模以上の学生を擁する大学院の専任教員等」ということです。大学院の在学者数は近年著しく増加しているが教員数の増加などは必ずしもこれに見合うものにはなっていないという認識から、答申では一定規模以上の学生を擁する大学院については、大学院専任の教員や大学院専用の施設・設備を備えるべきことを大学院設置基準上明確にしていく必要があるという指摘が行われています。この一定規模という部分について具体的にどういう基準で考えていくかということについては、今後大学院設置基準の改正に向けて検討していく状況にあります。  64ページから「2)大学院の課程の目的・役割の明確化」ということが66ページまで書いてあります。ここでのポイントは、今後の大学院のあり方としては、教育研究水準の質的向上とあいまって、全体として研究者養成に加えて高度専門職業人養成の役割をも重視した多様で活力あるシステムを目指すことが重要であるということが述べられています。  66ページから70ページにかけては大きな3番目として、「3)高度専門職業人養成に特化した実践的教育を行う大学院の設置促進」ということが述べられています。特化大学院と略して申しあげますけれども、この特化大学院の基本的な考え方は中間まとめから変わっていません。すなわち大学院修士課程におけるこれまでの高度専門職業人養成の充実という部分を併せてこれをさらに進め、特定の職業等に従事するのに必要な高度の専門的知識・能力の育成に特化した実践的な教育を行う大学院修士課程の設置を促進することとして、制度面での所要の整備を行い教育研究水準の向上を図っていく必要があるということです。  このなかでは具体的な考え方、それからどういった分野で考えられるかといったことが具体的に述べられています。ここで挙げられている分野は当面設置が期待される分野として例示されているものであり、この部分だけに限られるということではなくて、今後の社会の進展あるいは取組状況に応じながら、どういった分野で整備していくか今後も考えていく必要があるということになっているわけです。  71ページから「4)卓越した教育研究拠点としての大学院の形成、支援」ということが述べられています。ここでは研究者養成の役割の重要性にも配慮した総合的な観点から研究者養成を志向する大学院として高い評価を得たものをより一層充実していくことはもちろんのこと、高度専門職業人養成を志向する大学院の形成、支援も考える必要があるということが指摘されています。また答申では、この大学院の形成、支援のための資源の重点配分を行うための評価に当たっての留意事項として、新しい試みや将来的な発展の可能性などの定性的な側面にも十分留意をして評価を行っていくことが必要であるという旨が、明確になるように記述が追加されています。  73ページからが2番目の基本理念である「2 教育研究システムの柔構造化―大学の自律性の確保―」という部分です。まず1番目に「〓多様な学習需要に対応する柔軟化・弾力化」ということで、学生の主体的学習意欲とその成果の積極的評価という観点からの提言がなされています。また、この部分については全大学が全制度の導入を求められているということではなくて、この制度のなかでどれを導入するのかということについては、各大学において自主的にご判断いただくことが必要であるということです。  まず学部段階ですが、74ページから1番目として「〓4年未満の在学で学部を卒業できる例外措置の導入」という部分があります。中間まとめの段階では、「3年以上の在学で学部を卒業できる例外措置の導入」となっていましたけれども、この部分については、優れた成績を修めた者を3年で卒業させる、どんどん卒業させていくといった誤解があったこと、実際には3年半等での卒業の場合が多いのではないかといったこと等から、そのことをより理解しやすくするために、表題については修業年限とされている4年未満の在学で学部を卒業できる例外措置の導入という表現に改められています。  ここで提言されている趣旨は、大学の修業年限は4年という原則は維持しながらも、1人残らず全員一律でなければならないということではなくて、早期に卒業したいと希望する学生については、諸外国の大学院へも進学し得るように、厳しい条件のもとではあるけれども、例外措置として3年以上4年未満の在学でも卒業できる道を開こうという趣旨です。これは制度上、希望する人には選択肢があるということで、4年未満の在学で卒業する学生と4年間しっかり勉強して卒業するという人のどちらが優れているとか、そういった問題ではないということから提言がなされているということをご理解いただければと思います。  76ページから79ページにかけては「〓秋期入学の拡大」それから「〓単位互換及び大学以外の教育施設等における学修の単位認定の拡大」「〓単位累積加算制度の創設の検討」ということが述べられています。ここについては本文に書いてありますとおりで、そういった方向で制度自体はより柔軟にし、大学で選択的に導入を検討できるようにしようということです。単位累積加算制度については、生涯学習時代に向けて、よりそういった制度も必要ではないかということで、今後実施に向けての検討を進めていくことが提言されています。  79ページからは大学院段階について提言がなされています。ここでは職業をもつ社会人の再学習の需要にこたえるために、勤務の都合や通学の便宜といったものなど、社会人の多様な状況に柔軟に対応し得るように、修士課程の修業年限について一層の弾力化を進めることが適当であるとして、修士課程1年制コース、それから修士課程長期在学コースの制度化が提言されています。  まず「〓修士課程1年制コースの制度化」ですが、ここについては夏休みや週末といった時期において集中して授業または研究指導を行うなど履修形態の工夫によると中間まとめでは書いてあったわけですけれども、答申では各団体からのご意見等も踏まえて、一定の職業経験の成果を生かした特定課題研究・修士論文の作成指導などのカリキュラムの工夫によることもあり得るということが追加されています。  81ページからは、「〓修士課程長期在学コースの制度化」ということで、あらかじめ2年という修業年限を超える期間を在学予定期間として在学できる長期在学コースも、社会人の再学習需要にこたえるために必要ではないかということで、そういうコースを設けることができるようにする必要があるということが述べられています。  83ページからは「〓大学の主体的・機動的な取組を可能とするための措置」ということです。ここでは大学が教育研究上の要請、あるいは社会的な要請にこたえて、自律的かつ機動的に運営されるためには、大学の教育研究組織の柔軟な設計、それから行財政の弾力性の向上といったことなどを進めて、大学自らが定めた教育研究目標を自らの主体的な取組によって実現し得る道を拡大することが重要であるという観点から、さまざまな提言が行われています。  まず1番目として、「1)教育研究組織の柔軟な設計」ということで、国立大学については講座・学科目の編制については各大学の柔軟な設計や機動的な対応を可能とする方向で検討することが適当であるということが述べられています。また、公私立大学については社会のニーズに迅速に対応できるように、同一設置者内の大学・短大全体の定員増加を伴わない範囲における収容定員の変更及び学部・学科の設置審査について、教育課程の審査を省略するなど大幅に審査を弾力化して各大学が自らの判断と責任で教育研究組織をより柔軟に設計できるようにすることが適当であるとされています。今後この方向で制度の具体化を検討していくということになるかと思います。  84ページからは「2)行財政上の弾力性の向上」ということで、まず「〓国立大学の人事、会計・財務の柔軟性の向上」ということが述べられています。大学における教育研究活動をより柔軟で機動的に行うことができるようにするためには、国立学校特別会計における教育研究経費の使途や繰越しの取扱いなどについて、柔軟性の向上をより図っていく方向で検討することが適当であるとされています。併せてこれまでの諸制度の弾力化についての内容の一層の周知を図るためのマニュアル作成や研修の充実を図っていく必要があるということが提言されています。文部省としても国立大学の人事、会計・財務について柔軟性の向上を図っていくために、今後いろいろな関係省庁とも十分連絡をとりながら、その実現に努めていくこととしています。  87ページからは、弾力性の向上の2番目として「〓公私立大学に係る認可手続き等の簡素化」ということが述べられています。認可手続きについては、これまでもかなり改善されてきていますけれども、より一層機動的な対応が各大学でできるようにするためにも、答申に書いてあるような方向で一層簡素化を図ることが適当であるとされています。 この点についても、今後その提言の趣旨の実現ということで改善を図っていく予定にしています。  89ページから91ページにかけては、「〓地域社会や産業界との連携・交流の推進」ということです。ここでは大学は、今後、その知的資源というものをもって積極的に社会発展に資する開かれた教育機関となることが一層重要となるとし、そういった観点からの具体的な取組を推進していく必要があるということで、いろいろな取組の方法が提言されています。  92ページから93ページにかけては、国際交流の推進ということです。大学については国際的であることが基本的に必要であるという観点から、一層大学の国際化を進め、国際交流を進めていくために、大学の仕組みをより国際的通用性の高いものにしていくと同時に、海外の留学生の受け入れ先としても、より魅力のある大学を目指してさまざまな取組を推進していくことが重要であるということが強調されています。  次が3番目の基本理念である「3責任ある意志決定と実行―組織運営体制の整備―」という点です。94ページ以降、責任ある運営体制の確立ということで、新しい自主・自立体制の構築について述べ、97ページからは学内の機能分担の明確化ということで、以下具体的な提言がなされています。ここの趣旨は、組織運営体制の整備については大学の主体性と責任を基本としながら、教育研究の学際化・総合化、あるいは社会との関係の緊密化といったことなど、大学に対する今日的要請にこたえ得る、開放的で積極的な新しい自主・自立体制を構築することが重要であるということです。そして大きな方向として、1番目は大学運営をより充実した機能的なものとするために学内の意思決定の機能分担と連携協力の基本的な枠組みを明確する、2番目は社会の意見を聴取し社会に対して責任を明らかにする仕組みを整備する、この二つの方向で、法改正を含めて必要な改革を進めることが適当であるとされています。  この点については、中間まとめの段階でも同様の方向が示されていたわけですけれども、ここについての団体等からのご意見として、制度改正についてその必要性を踏まえつつも、各大学の創意工夫が生かされるようにすることが重要であるという意見があったわけです。こういったご意見を踏まえて、提言の趣旨をより明確にするという観点から、各大学においてそれぞれの状況に応じた運営上の創意工夫を行うことが重要であるという旨が、答申では併せて記載されています。  また今回の答申の趣旨ですが、組織としての大学全体の自律性を高めるとともに、大学としての合理的で責任ある意思決定の体制を構築することを目指しているもので、こういった観点から具体的な提言がさなれているということです。社会の変化が激しいなかで、教育研究の質の向上を図り、またいろいろ制度が柔軟になっていくなかで、大学が一つの組織体としてきちんとした意思決定をして、適時・適切に社会の変化に対応していくことがこれから重要になっていきます。そういったことのためには、やはり合理的で責任ある意思決定の体制を構築することが必要であるということが述べられています。  今回の答申では、学内の機能分担の明確化といったことが具体的に提言されていますけれども、ここは何度も申し上げるようですが大学が一体的・機能的に運営されて、教員が教育研究に専念できる体制を作るために、学内の機能分担を明確にした上で、学内において意見聴取や説明を十分に行いながら、それぞれの連携・協力のもとで質の高い意思決定を行い得るような、学内における組織運営体制の基本的枠組みを整備することが必要であるという趣旨です。  そういう意味で、これはあくまで自主・自律体制の構築、大学の主体性と責任というものを基本としながら、各大学において自主的な運営を確立するために必要な事項については制度上明確にしておくことが必要があろうということが提言の基本で、決して管理強化といったものではないことをご理解いただきたいと考えています。  99ページから具体的提言として、まず「〓学長を中心とする全学的な運営体制の整備」ということが述べられています。ここでは大学として取り組むべき全学的な課題については、学長が中心になって全学的な教育研究目標・計画を策定して、それを学内外に明らかにしていくことが必要であり、そのためにも学長補佐体制の整備などを進めていくことが必要だということが提言されています。またここの部分では学長の選考方法について、あるいは学部の運営体制についても全学的な運営体制の整備に準じて整備する方向で考えることが適当であるといったことなども併せて整理されています。  101ページから105ページにかけては、「〓全学と学部の各機関の機能」ということが整理されています。ここでは自主・自律体制の構築という観点から、21世紀初頭の複雑化し変化の激しい時代においても、大学の主体性と責任を基本としながら、全学的な見地から一個の組織体として適時・適切な意思決定を行うことができるように、各機関の審議事項を明確化するなどにより、大学運営の実質的な自由度を増して、各大学において合理的な意思決定システムをとり得るようにするための提言がなされています。  そういう観点から学内の機能分担ということで、評議会については大学全体として全学的教育に関する教育課程の編成などを含めた全学的な運営上の重要課題、あるいは学部間の調整を必要とする事項などについて審議をしていく、学部教授会については学部の教育研究に関する重要事項についての審議を行っていくという方向が示されています。それから審議機関である学部教授会及び評議会は教育研究あるいは運営の重要事項についての基本方針を審議し、執行機関である学長、学部長は教育研究上の課題についての企画立案や関係者の意見の総合調整を行うとともに、重要事項については審議機関の意見を聞きつつ、最終的には自らの判断と責任で運営を行うといった分担を明確にすることが必要であるとされています。  審議機関については、審議の基本的な手続きを明確にしていくことも必要であるとされています。特に各審議機関が必ず審議すべき事項については、法制度上の明確化を図る方向でその整理について検討することが適当であるとされています。また答申のなかでは、併せて単科大学についての記述も追加されています。  時間が経過して恐縮ですけれども、105ページからは「〓教員人事に関する意思決定の在り方」ということです。ここでの中間まとめからの主な変更点としては、教員人事に関する学長、学部長の関与のあり方について、学長について大所高所からの方向性を示すことが適当であるということや、学部長が全学的な人事の方針・基準を踏まえて、教員の採用・選考に際して必要に応じて意見を述べることが適当であるということなど、関与のあり方の趣旨がより明確になるように記述の追加等が行われています。  107ページからは「〓学校法人の理事会と教学組織との関係」ということです。ここでは私立大学については運営の実態もさまざまであるけれども、その建学の精神を実現し、大学改革を推進し、よりよき教育研究を実現するためには、理事会と教学組織は共通の目的の実現のために役割分担をするものであるという両者の基本的な関係を相互に理解した上で、意志疎通を十分に図っていくことが大切であるとしています。そしてそのような観点から、学校法人理事会と大学の数学組織との機能分担と連携協力のあり方については、数学組織における学長、教授会の役割や機能を明確化するほか、両者の連携、意思疎通を十分に行うために理事会の構成の工夫、あるいは理事会と数学組織の代表者との合同会議を設置するなどの方向で改善を図ることが適当だという提言がなされています。  それから「〓大学の事務組織等」について、109ページから述べられています。ここでは大学における主体的・機動的な改革の推進や教育研究機能の一層の充実を図っていく上で、大学の事務組織は数学組織とともに重要な役割を担うものであるとしています。そしてそのような観点から、大学の事務組織について、その支援体制の整備や国際交流や大学入試等の専門業務については、一定の専門化された機能を事務組織にゆだねていくことも、連携協力、機能分担という面から必要であるといったことが提言されています。また大学運営の複雑化、専門化に対応するためには、全学的な観点からの適正な職員配置、あるいは学部や大学の枠を越えた人事交流、研修機会の充実や処遇といったものについての改善を図っていく必要があるという提言がなされています。  111ページからが、「3)社会からの意見聴取と社会に対する責任」という部分です。ここでは外部有識者の意見を聞くために設置するということで、大学運営協議会(仮称)の設置が提言されています。これについては、大学は社会からの意見を聴取して、社会的存在としてその責任を明らかにしていく必要があるという観点から、大学の教育研究目標・計画、予算、自己評価、あるいは大学の運営体制や運営状況について、有益な意見具申や助言、勧告等を行う大学運営協議会(仮称)を設置していく必要があるとされています。この大学運営協議会(仮称)については、国の機関として国民に対して教育研究活動の成果を示す責任を負う国立大学について設置することとし、公私立大学については設置者である地方公共団体や学校法人の判断にゆだねることが適当であるとされています。また大学運営協議会(仮称)の具体的な人選については、各大学において行っていただくことになると考えています。  113ページからが「〓大学情報の積極的な提供」という部分です。ここでは大学入学希望者などの直接の利用者や一般の国民が必要とする大学情報をわかりやすく提供していくことは、公共的な機関としての大学の社会的な責任だという観点から、教育研究に関する情報を積極的に提供していくことを制度上位置付けることが必要であるとされています。また大学の財務に関する情報についても、その公表を促進する必要があるという提言がなされています。  それから四つの基本理念の最後ですけれども、「4多元的な評価システムの確立―大学の個性化と教育研究の不断の改善―」ということが、115ページから述べられています。ここでは、やはりわが国の大学が教育研究水準の向上などを図っていくためには、社会の理解と支援のもとに、それぞれの大学が教育研究に個性を伸ばして、質を高めるための環境を整備することが重要であるという観点から、自己点検・評価の充実ということと第三者評価システムの導入といったことなどが提言されています。  まず116ページから「〓自己点検・評価の充実」という部分です。ここでは大学評価の基本の自己点検・評価について、その実施と公表については義務化を図っていく必要があるとされています。また、学外者による検証を行い、自己点検・評価をより充実したものにしていくという部分については、大学の努力義務として位置付ける方向が適当であるという提言がなされています。この学外者による検証については、学外者の具体的人選は各大学にゆだねることが適当であるとされています。なお、人選の客観性を高めるために検証を行う学外者について大学団体等が推薦することも考えられるほか、学外者による検証については大学基準協会の機能を活用することによって充実を図る方向で検討することが適当であると述べられています。  120ページからが、「〓第三者評価システムの導入」という部分です。ここでは大学における教育研究活動について、第三者として客観点立場から評価を行う組織は大学団体、学協会、あるいは大学基準協会等が考えられ、それぞれの機関がその特質に応じた多面的な評価を行うことや、各大学が多様な個性を存分に発揮できるような評価が行われることが期待されているということがまず述べられています。その上で、さらに公共的機関として公財政の支援を受ける対象である大学というものが、社会的存在としてその活動状況を社会に対して一層明らかにしていくためには、大学団体等による自主的な評価のための取組だけに止まらず、より透明性・客観性の高い第三者評価を実施し、その結果を広く社会に公表するとともに各大学における個性の伸長と教育研究の不断の改善につなげていくことが求められているとしています。このような観点から、答申では、透明性の高い第三者評価を行うとともに、大学評価の情報の収集・提供、評価の有効性等の調査研究を推進するための第三者機関を設置する必要があるとして、第三者機関による評価の基本的な考え方が述べられています。  今回設置が提言されている第三者機関については、まずその基本的な性格について、第三者機関は大学共同利用機関と同様の位置付けとし、大学関係者の参画を得て運営を行い、その専門的な判断に基づき、自律的に評価を実施することが適当であるとしています。その上で、第三者機関による評価の意義・役割等について記述がされています。第三者機関による評価の目的については、その結果が各大学にフィードバックされることによって、教育研究活動の個性化や質的充実に向けて各大学の主体的な取組を支援・促進することを目的とするものであるということが明確にされています。  それから第三者機関による評価の対象については、国立大学を主たる対象とし、公私立大学については設置者である地方公共団体や学校法人の希望により第三者機関の評価を受けることができることとすることが適当されています。さらに第三者機関による評価の内容・方法等については、大学の行う活動について、その個性や特色が十二分に発揮できるように、複数の評価手法に基づいて多面的な評価を行うことが適当であるとされています。また第三者機関による評価結果については、国民に対してわかりやすい形で公表されること、それから評価を受けた被評価者に対して評価の結果及び理由が示されて、それに対しての意見を提出する機会が設けられることが適当であるということも併せて述べられています。  「〓資源の効果的配分と評価」が、次の124ページから述べられています。ここではきめ細かな評価情報に基づいてより客観的で透明な方法によって、資源というものを適切に配分していくことが必要であるということが述べられています。さらに評価に当たっては、数値化しやすい指標がいろいろあるけれどもこれらの指標は万能ではなく、それだけに止まらず教育研究の改革への努力あるいは将来への展望といったことなどについての定性的な側面を評価していく工夫が必要であるということが述べられています。なお第三者機関による評価と資源配分との関係については、国立大学の予算配分に際して第三者機関による評価が参考資料の一部として活用されることが考えられるということが述べられています。この記述が答申で追加された趣旨は、第三者機関による評価は資源配分に直結することを目的としたものではないということがより明確になるようにということでこの記述が追加されたわけです。  最後に125ページから128ページまで、「5高等教育改革を進めるための基盤の確立」という部分です。以上述べられた具体的な改革を継続的に推進していくために、答申では国としても施設・設備の整備や教職員の配置、教育研究経費の充実といったことなどについて、必要な財政上の措置を講ずるなど、改革推進のための基盤整備を積極的に推進していくことが不可欠であるということが強調されています。また、そのための経費負担という点については、教育というものは未来への先行投資であること、また現在高等教育についての学生や親の家計負担が非常に重くなっているということ、先進諸国と比較してもGDPや公財政支出全体に占めるわが国の高等教育に対する支出割合は低いということを踏まえながら、公的支出を先進諸国並に近づけていくよう最大限の努力が払われる必要があるということが強調されています。  そういった全体についての方向を踏まえつつ、授業料、奨学金、私学助成という部分について個別に考え方が述べられています。特に授業料については、現在でもかなり負担が重いということで、学生や親の家計負担がこれ以上あまり重くならないように努力する必要があるということが述べられています。同時に奨学金について、学生や親の家計負担が重くなっているということを考慮して、今後は主に経済的困難度を重視する観点から抜本的拡充を図ることが必要であるとされています。特に大学院学生に対する奨学金については、学生が自立した家計をもつ場合が多いということを考慮して、さらに拡充する必要があるとされています。このほかティーチング・アシスタントやリサーチ・アシスタント、あるいは特別研究員制度についてもさらに拡充を図る必要があるとされていますし、私学助成についてはさらにその推進を図る必要があるということが述べられています。  長くなって恐縮ですが、以上が答申の概要です。  次に今後の対応ということについてお話したいと思います。一つは今回の答申で示されている提言の内容には、具体的な制度改正を待つまでもなく各大学においてすみやかに取り組んでいただくことが可能な事項も多く含まれています。そういう意味でも各大学においては答申の趣旨を踏まえて、大学改革の推進のためにさらにご尽力いただければと考えているところです。  それから法令改正等のスケジュールですが、文部省としては今回の答申を踏まえて、各大学における改革の取組を積極的に推進していくために、教育研究経費の充実など、改革推進のための基盤整備については引き続き努力したいと考えています。また、制度改正については、今後国会での審議の関係もあって明確に定まっているわけではありませんけれども、おおむね次のような方向で考えています。  一つは組織運営体制の整備等の関係です。ここについては現在答申を受けて事務的に整理を行っているところですけれども、学長を中心とする全学的な運営体制の整備、評議会、教授会の審議事項の明確化、大学運営協議会(仮称)の設置といった事項については必要な法律改正を行うことが必要であると考えています。そのほか大学院の制度上の位置付けの明確化とか4年未満の在学で学部を卒業できる例外措置の導入という部分についても法律改正を要するものと考えていまして、これらについては必要な法改正を来年1月に召集される次期通常国会に提出する方向で予定しているところです。  それから国立大学の講座編制の柔軟化と人事・会計等の柔軟性の向上という関係については、今後関係省庁とも十分連絡をとりながら、その弾力化・柔軟化を早期に実現するように努めてまいりたいと考えているところです。特に国立大学の講座・学科目の部分については、現在文部省令で定まっているわけですが、そこを改めるに当たっては国立学校設置法の改正が必要となりますので、この部分については平成12年の1月に召集される次々期の通常国会に所要の法案を提出する見込みです。第三者機関の設置関係についても、平成12年1月に召集される次々期通常国会に予算関連法案ということで、所要の法律案を提出する予定です。  なお法律以外の省令等の改正事項については、規制緩和推進計画で本年度中の改正が求められている秋期入学の拡大、単位互換の単位認定の拡大といった部分、それからこれとは別ですけれども、公私立大学の審査の弾力化、手続きの簡素化の部分については、本年度中に所要の改正を行って、平成11年度から実施することができるように整理を進めていきたいと予定しています。それ以外の事項については、法律案との関係等を踏まえ、改正及び実施時期について現在検討中であるという状況です。  以上のとおりですが、現段階では法令改正が必要な事項を含めて、今回の答申で提言いただいた改革方策についていば、平成12年、2000年度からは全体的に実施できる方向で現在考えているところです。ちょっと時間を超過して恐縮でしたけれども、以上が答申及び今後のスケジュールについての概要のご説明です。長時間にわたり、ご清聴ありがとうございました。 第一部の質疑  司会 どうもありがとうございました。それでは質疑に入りたいと思います。ただ、第1部の質疑はこれから30分を予定しています。批判とか討論に関わることは第2部に時間を用意しておりますので、3人のパネリストの方々に、第2部での関連でぜひ聞いておきたいということがありましたら、そのことをまず優先していただいて、それから一般の方の質問をお受けしたいと思っています。 それではパネリストの方からお願いします。  立山 第2部のパネリストをやります立山と申します。山口大学の経済学部で憲法学を専攻しています。  この答申の目標設定について、多様性の問題と一様性の問題についての切り分けの部分の原則をお聞きしたいと思います。つまり大学が学術の中心として、多様な価値観を提示していく必要がある、その点はもっともだと思います。俗に言うところの金太郎飴的でよくないというのは、組織においても個人においても同じだろうと思われるわけですが、問題はそのような自由闊達で、かつ多様でなければならないかという部分と、それを実際に行っていくためには、さまざまな具体的な条件がなければならない。実際に現に存在する格差の問題はさておくとしても、いったいどうすればそのように、みんなが自由闊達に討論を行い、価値観を提示していくような環境が作れるのかという部分、すなわちそのための目標ないし最低限の水準というものをどのように多様性にゆだねるべき部分と、ある意味で一律に作っていかなければならない部分というものの切り分けをどのような原則でお考えなのか。  またその原則のよってたつ価値観をどのようにお考えなのかをお聞きしたいわけです。この点は、学生教育の問題でも同じだろうという気がしています。すなわち、100人いれば100通りの人生を育むような高等教育でなければならないことは事実ですが、いっぽうで昔で言いますと読み書きそろばん、昨今で言いますと立花隆さんの表現を借りて、調べて、書いて、発信するということになりましょうか、そういう部分との切り分けの基準あるいは価値観というものをどのようなところにおかれているのかということをお聞きしたいわけです。  これは付随しますと、所要の法整備のなかで学校教育法でいうところの高等教育の目標の設定というものをどのように据えていかれるのかということにも関わるかと思います。先ほどご指摘がありましたように、大学進学率が50%を超える、なかには全入という声すらありますけれども、そのようななかで高等教育像全体をどのような目標の方向へもっていこうとしているのか。そしてそのなかで自由で多様な部分にゆだねられるべき部分、文部省の方を前にして言うのはちょっと気が引けるのですが、文部省といえども立ち入ってはならない部分と、逆に積極的に文部省がリーダーシップをとって整備をしなければならない部分との切り分けをどのようにお考えなのか、その点をぜひお聞きしたいと思います。  早田 大学基準協会の早田と申します。一点ほど簡単に質問をさせていただきたいと思います。自己点検評価あるいは大学評価が学内において十分根付いていない理由として、評価の専門家がいないということ、それから評価の技術が確立されていないということが、広島大の大学教育研究センターの報告で指摘されていると述べられています。同時にこの自己点検評価を行うに当たっては、そうした自己点検評価に関わる専門的な調査・研究を学内的に行うことが重要であると言われています。また、いわゆる文部省のほうでお作りになられる第三者評価機関においても、そうした専門的な調査・研究の必要性が指摘されています。  それで、私がご質問申し上げたいのは、それぞれの大学において評価の専門家というものを考えられる場合に、どういうポジションあるいは資格の方を考えられているのか。特に私立大学の場合、これから定員変更をともなわない学部・学科増も含めて、そうした評価の専門家を学内的に置いていることが、一つの審査の視点というか、一つのハードルになるのかどうかという点についてお伺いしたいと思います。  田中 私大教連から片山が質問させていただく予定になっておりますので、私から一点だけ補足ということで質問を先に申し上げます。今回の答申について、大学の教育機能については非常に詳しくお触れになっているんですけれども、研究機能についてはあまり詳しくお触れになっていないということがありまして、その面については現在ご審議中というお話を伺いました。そうであれば、その答申が出たところで、研究条件の整備等々のお話がまた提案されるのかというようにも伺いましたが、そうしますと、今回の答申はその段階で、その側面については修正していただけるのか。その点を付け加えさせていただきたい。主要な質問事項については、片山のほうからさせていただきます。  戸渡 まず第1点目にご質問を受けた部分ですが、私の答えが十分なお答えになっているかどうかわかりませんけれども、各大学で、大学というものは自由闊達で多様でなければならないという部分とそれを支える部分で、一律に作っていく部分とをどういうふうに切り分けているかというご質問だったかと思います。これについては、たとえば教育研究をどういうふうにやっていくかといった部分、そこは各大学でどういう大学づくりを目指しているのかということで、各大学でそれぞれご検討いただく部分だと思いますし、そういった大学づくりを支えるための基盤という部分については、全体的に支援をしていく必要がある部分だろうと思います。  そういった各大学が多様にいろいろな方向を選択していけるために必要な基盤としては、財政的な部分もあると思いますし、法制度的に整備が必要な部分もあると思うわけですけれども、そういった部分については一律に整備を行って、各大学がより動きやすい形を作っていく必要があるということです。何をメルクマールとしてきちんと切り分けているかという部分については、いま申し上げたようなことで整理を考えているということです。学生の教育ということで言えば、どういった教育を実施していくのかは、最終的には各大学でどういった学生を育てようとしているのかということから整理をいただく部分であろうと思います。今回の大学審議会で提言しているように、これからの時代を考えると幅の広さとか、課題探求能力という部分を重視することが重要になってくるのではないかと考えられる。ただ全体としてはその方向が必要だろうけれども、各大学のなかでそれではどういう教育をやるかということになれば、それぞれの大学において学生の状況あるいは学部・学科の構成とか専門分野等も違うだろうから、そこは基本的な方向を踏まえながら、各大学のなかでわが大学ではどういう方向での教育を展開していくのか、あるいはそれを支える研究を展開していくのかということをご検討いただきたいというのが答申の基本的な考え方ではないかと理解しています。  それから2番目の自己点検・評価に関連しての学内における評価その専門家という点ですけれども、今回の第三者評価のための第三者機関の設置という部分でも専門的な調査研究あるいは情報の提供を評価について行っていく必要があるということが述べられています。おそらく自己点検・評価等を含めてどういう評価が教育研究という活動を推進していく大学にとって最もよい方法なのかというのは、これはそれぞれの国の大学の事情もあるかと思いますけれども、世界的にみてもこれで完璧だというものが確立されているわけではない。したがってわが国の大学にとって最もよい方法、それから大学の個性化を推進していける方向をこれから専門的に研究していく必要があるというのが答申の基本的な考え方であり、それをやるためにも第三者機関というところでは、評価についての専門的な調査研究や必要な情報の収集・提供を各大学に対して行っていく必要があるとされているところだと思います。  それで各大学のなかでこの評価だけをやる専門家を育成していくことが、本当に大学において評価だけを行う専門家を整備することが一番いい形なのかどうかという部分については、これからの専門的な調査研究等のなかでも、よくご検討をいただく必要がある部分ではないかという感じが、個人的ですけれどもしています。  3番目の研究という点ですけれども、大学というものは教育と研究の両方が両輪として重要な役割をもっている、つまり教育の部分についても、やはり研究の成果というものを踏まえながら教育が行われるのが大学であり、その重要性は十分この答申でも認識されています。特に大学院については、教育研究の推進、研究者の養成といったこと、その両面から提言がされているわけです。そういったことを十分踏まえながら今回の答申では、研究分野についてはかなり充実して行われている部分もあるけれども、特に学部段階における教育という部分を中心に、より教育機能の充実を考えていくことがこれからの大学における教育研究の質の向上という観点からは必要となるということで提言がなされています。  「はじめに」のところで学術審議会の審議状況に触れたのは、今回の答申でも研究ということで触れられている部分があるわけですけれども、いろいろな分野毎の研究の推進体制とか、そういったより学術研究推進の上で重要な事項については、学術審議会で審議をされている部分もありますので、今回の答申と学術審議会における審議とその結果の両方を含めて学術研究の振興、それから大学における教育研究の充実の両方を考えていく必要があるということです。その学術審議会の審議の結果で、大学審議会における研究について述べている部分が変更されることを当然の前提としているわけではありません。そういう意味では重なる部分はないのではないかと思いますけれども、方向としては両審議会は基本的に同じ方向にあるのではないかと思っています。以上です。  司会 どうもありがとうございました。一般の質問をお受けしたいと思いますが、なにぶん時間が限られていますので、手短にお願いします。  ○ 第1点は37ページの独立行政法人化の問題です。これは今度新たに入れられたのは、原則として独立行政法人化というものをあり得るオプションの一つとして検討する、導入を前提にして検討するということなのかどうなのかという問題で、この前の中間まとめになくて、ここに入ったということは、導入はあり得る、オプションの一つとして真剣に検討するという意味なのかどうかという点が第1点です。  それから第2点は20ページ前後の問題ですけれども、こういう機能を果たしていない国立大学については、適切な評価に応じて改組転換を検討するとありますが、この具体的な中身は何なのかということです。各地で大学審議会に関する文部省の研修が行われているわけですけれども、私どもが漏れ聞くところでは、そのなかには、これは要するに教員定員の削減を含むことをやるための布石なんだということをおっしゃっておられる方がいらっしゃるということなので、要するにパフォーマンスの悪いところについては改組転換というのはどういうことなのかということが第2点目です。  第3点目は、104ページの執行機関と審議機関の関係の問題ですが、執行機関は重要事項については審議機関の意見を聞きつつ、自らの判断と責任で運営を行う。これはこういうことなのでしょうか。つまり執行機関は、今までは教授会自治とも言われていまして、教授会が基本的に審議して、その承認を得て進めていくというスタイルだったわけですが、それに対する本質的な変更を意味するものであるかどうかという問題、つまり執行機関がいかなる事項については審議機関の意見に反しても、自らの責任でやることができるのか。どういう事項については教授会の議を経ないでも進められるのか。その辺、どういうふうにお考えになっているのか、その3点について趣旨を明確にさせていただきたいと思います。  司会 私大教連の方お願いします。  片山 私大教連の片山と申します。私大教連を代表するというよりも、私はこの答申を読んでの感想からの質問と、私学の置かれている状況を鏡にしてこの大学審答申を見るときに、どういうことが疑問として出てくるのか、その辺をお答えいただくと行間がさらにわかって、この答申が言わんとするところがよく理解できるのではないかという意味で、いくつかご質問をしたいと思います。  まず教育機能の充実に関わってですが、46ページあるいは56ページに関連して、この答申が公表された際にマスコミ関係の報道、社説などが、出口管理を厳しくするという趣旨の報道が非常に多かったわけです。私学の実態から言うと、300人クラスとか500人クラスというのがいまだにあって、そういうところでの出口管理、成績管理は具体的にはどうするのかということをすぐ疑問に思うわけです。教員の増員をともなわないような出口管理があり得るのかということが、現場からは疑問が出てきます。毎日新聞が「条件整備に明確な支援を」というタイトルで社説を書きましたけれども、そのことと関連して、それぞれの大学の条件整備にどういうふうに大学審答申は援助しようとするのか、あるいはこたえようとするのか、その辺がやや見にくいのでお話しいただきたいと思います。  併せて56ページに就職・求人活動早期化の問題で触れられています。配慮を産業界に求めるということなのですけれども、中日新聞の社説で就職・求人活動の早期化に対する具体的な歯止めは触れられていないと書かれていました。私は名古屋にいますので中日新聞はよく読むのですけれども、そういう社説があって、やはりここは世間が注目しているところです。大学審としてどういうふうに、今の早期化あるいは早期化にともなう弊害を具体的に解決するのか注目しているところで、そういうところからの社説だったんだろうと思うのです。私もそこは具体的にどうするのかということをお聞きしたいと思います。  それから答申が発表される2、3週間前の日本経済新聞の教育欄のなかに、地域振興の役割が重要だという記事がありました。国立もそうですけれども、私学は都市部だけではなくて、多くの地方に所在していて、そういう大学は学術文化、学問の拠点になっているわけです。ところが18歳人口の減少などのあおりを受けて、そういう大学の存立が現実には非常に厳しくなってきています。そういう地方の大学をどう振興していくのかということは、21世紀の大学像を考えるときに、そこは避けられない問題だろうと思います。したがって地方の大学をどういうふうに振興されようとしているのか、大学審のなかでちょっと読みにくかったので、ご説明いただければと思います。  あと簡単に三つです。105ページ、106ページの教員人事の問題についてですが、やや私大の恥さらしな質問になりますが、新年度になると突然隣に新しい教員が座っていたという話が珍しくなく私学のなかでは存在するわけです。だから教員の公募制の問題とか、あるいは専攻課程はどうするかという問題ではなくて、理事会や教授会等が教学組織を無視している問題が私学のなかでは非常に多くて、そこをどう具体的に解決するかというのが、いま求められているのだろうと思います。たとえば学校教育法に言われているような、教授会の審議事項をより充実させる方向で改定を図っていくのかどうか。そうないといま言ったようなことは解決していかないのではないかというような気がしています。  それから情報提供の問題と関わって、107ページあたりのことですけれども、大学審答申の後半部分全体を通して、片山流の表現で言えば、この通り私立大学の運営がなされればかなりの程度近代的な大学らしい大学の運営になるところが多いと思うのですが、たとえば情報公開ということで、私の税金はどう使われてるのか知りたいと言っても、財政・経理公開を拒む大学は依然として多い。だから財政の公開という1点でお答えいただければ結構なんですが、そうした大学の情報を積極的に提供していくことと関わって、私学の姿勢をどういうふうにするのかというところです。  最後に多元的評価システムの問題ですが、、論理の問題としてお聞きします。透明性・客観性の高い第三者評価をどう生かしていくのか。その結果をどう生かしていくかということと関連して、財政支援とか予算上の支援に連動させていくということであれば、国立大学をさせるということですけれども、公立大学や私立大学は希望するところだけ受けなさいということになっているのは、ちょっと筋が違うのではないかと思うんです。いいかどうかの評価は置いておいて、むしろ国公私立すべての大学をきちんと評価して、よりよい大学改革の方向へ進めていく、そのための財政支援をしていくということならば筋が通るような気がするんですけれども、国立をとりあえずというのはちょっとよくわからないので、そこを論理の問題として説明していただければと思います。  戸渡 質問事項が多いので若干ずれたら恐縮ですが、まず最初の独立行政法人化の問題です。独立行政法人化については、行政改革会議の最終報告等では、あり得ない選択ではないけれども長期的に検討すべき課題だということにされております。また中央省庁等改革基本法では、まず国立大学についていろいろな改革を進めることが必要だということで法律のなかにその方向が記述してあります。答申で書かれている趣旨は、そういう最終報告や基本法で求められている国立大学の改革の実現については、まずこの大学審議会の答申をすみやかに実行することが、その求められていることに対する回答そのものであるということです。まず答申をすみやかに実行することがいま求められていることへの回答なのであって、独立行政法人化という部分については、これから取り組む改革の状況を見ながら行革会議の最終報告にあったように長期的視野で検討すべきことであって、いま性急に独立行政法人化というようなことが言われているのは当初の方向と違うのではないかという趣旨です。文部省としてはこの独立行政法人化という問題については、いわゆる国立大学におけるあり方としてはなじまないということで、私どもとしては独立行政法人化については反対しているということです。  国立大学の改組転換が記述されている部分の具体的な意味は何かということですけれども、ここについては国立大学ということで特に大きな公的資源、税金を使っている国立大学については、やはり社会から果たすべきと期待されている機能があるということで、ここに整理されているわけです。そういった機能を踏まえながら、それぞれの大学がその機能を果たしながら国民の期待にこたえているのかという部分は適切に、常に評価に基づいて、機能を果たしているかどうかを見ていく必要があるということです。そういった評価に基づいて、それぞれの大学の実情に応じて改組転換を図っていくことが必要な場合も出てくると考えられるというのが答申の趣旨です。改組転換については、教員の削減をやることがまずあって、そのためにこういうことが書いてあるというわけではございません。各国立大学もこれからは、税金を払っている国民から自分たちの期待にこたえているかということで一層厳しく見られるようになってくるので、そういったことを踏まえて、より期待される役割を果たせる大学を目指して改革に取り組む必要があるという趣旨です。  それから執行機関と審議機関の関係についてのご質問があったと思います。具体的に学部教授会あるいは評議会が審議すべき事項は具体的にどういうふうに法的に整理をしていくのかといった部分については、これから調整をし、整理をしていくということです。答申に書いてあることの繰り返しになるかもしれませんが、学部教授会、評議会の関係で言えば、評議会については全学的な観点から審議が必要な重要事項についてご審議をいただき、教授会については学部における教育研究の重要事項について審議をいただくという方向です。そういった審議でのご意見あるいはそこの会議だけではなくて、全学的にいろいろな意見とか説明を充実して実施しながらも、最終的には学長あるいは学部長が責任をもって決めていく必要があるということが述べられているということです。いわゆる位置付けとしては、教授会および評議会についてはご審議をいただいて、その審議を踏まえながらも最終的には学長、学部長が大学全体あるいは学部全体の方向を踏まえながら決めていくという役割分担の明確化によって、組織体として非常に適切な判断ができるような体制をつくることが必要だという趣旨です。具体的にどういう事項が掲げられてくるのかは、法令上等含めて整理しているところです。  次の教育機能の充実という部分です。ここで出口管理を厳しくするという部分があったけれども、マスプロ授業と言われるような授業でやっているという部分については教員増をともなわないと難しいのではないかという御質問についてです。この部分については、一つはご指摘のようにきちんとした教育で目の届く教育をやっていくためにはあまり過大な規模での授業は充実した授業の実施という上では困難な部分があるかと思います。現在でもティーチング・アシスタントの整備といったような部分については、いろいろな支援の措置を文部省でも講じているところです。なお、教員数という部分で申しますと、実はわが国の大学の学生と教員数の比率とアメリカをはじめとする欧米諸国での学生と教員数の比率という部分の比較でいきますと、そんな大きな差があるわけではありません。むしろ日本のほうが比率だけで見ると、全体的にみて1人当たりの学生数でみると少ないという部分も、国公私大全体を通じた比率ですので個々の大学でみるとばらつきがあると思いますが、そういう部分もあるということです。科目登録をどれくらい認めているかという実際のやり方の部分もあるかと思いますが、方向としては充実した提業をやるためにはあまり多くの学生規模での授業は無理かと思います。そこについてはいろいろ学内で工夫いただける部分がまだあるのではないかということと、ティーチング・アシスタントの整備など支援の部分についても引き続き充実に努めていきたいという部分と両方考えているところです。  それから就職活動の早期化についての具体的歯止めの部分です。ここについては、就職活動が早期化しているということで、教育活動に支障が生じているという部分と一方では早期化というか長期にわたっていろいろな企業と接触できるということでむしろ選択の機会が広がっているのではないかというご意見もあったところです。いずれにしろ学生の採用活動の早期化あるいはその実施のやの方が、大学における充実した教育活動の実施に支障を来たさないように、産業界におけるそれを尊重した取組を求めていきたいということです。具体的にどうするかという部分については、今でもいろいろな場で大学における教育研究活動に支障が生じないようにということで取組を求めているわけです。たとえば土日や長期休業中にそういった採用活動を行うとかという形で、支障を及ぼさないようにと今でも求めているところですし、いろいろな形でこれからも求めていきたいと考えています。  地域における大学の重要性ということで、地方の大学をどう振興しようとしているのかという部分ですけれども、やはり地域における大学の重要性はこれからますます高まってくる部分があるだろうと思います。答申のなかにも書いてありますが、かつて大学はいろいろな地域で知的活動の中心的拠点として、大学であるということだけでそのようにみなされてきたわけですけれども、これからはいろいろな知的活動拠点が地域においても広がってくる。地域でも直接国際的な活動も行われるわけですし、情報化も進んでくるなかで、やはり地域においてこれからも大学が知的活動の中心的拠点として評価されていくためには、大学自身がその周辺の地域との連携交流といったようなもの等を進めて、その地域における知的活動の拠点として地域社会のなかで本当に評価されるような大学になっていくことが必要ではないかと思っています。そういう意味で、そういうご努力をいただくという部分とともに、そういった形で地域社会のなかで評価されている大学が、きちんとそのよさが評価されて、そういう社会的な要請等に対応した大学には、きちんとした支援が行われるようなシステムになっていく必要があると考えています。そういった面で、社会の人材養成の需要等も考慮しながら、私学助成を充実していくことも今後重要であるということも指摘されています。  それから教員人事ですけれども、ここについてはそれぞれ国公私で状況が異なるかと思います。特に私立大学について申しますと、審議会の場でもありましたが、やはり私立大学といってもいろいろな形があるということで、教員人事についても理事会と教学組織との関係の部分もいろいろな形があるし、それは私立大学における建学の精神の尊重、あるいは私立大学の運営の自主性の尊重の基本として考える必要があるということが言われています。そういう意味で答申のなかでは教学組織と理事会は同じように大学における教育研究の質の向上を図っていくということで協力していく関係にあるわけなので、そういった観点で教員人事についてもそれぞれの大学でよりよい方向を目指していろいろ検討いただきたいということです。  次に私立大学の情報提供の在り方についてご質問がありました。財務状況の公開というもについても積極的に取り組んでいく必要があるとされているわけですが、財務状況の公表まで義務化するという部分についてはいろいろまだ問題点もある。それは財務状況自体がおかしいとか、そういった問題ではなくて、財務状況を公表することによって、むしろ自律的な大学運営という部分に支障が生じる部分もあるのではないかというご指摘もあって、そこの部分については大学の判断で公表を促進するという方向で考えることが適当だとされています。  それから多元的評価、透明性の高い評価という部分で、なぜ国立が第三者機関による評価についてとりあえず対象なのかというご質問ですけれども、一つ申し上げておきたいのは第三者機関による評価という部分は財政支援とかに直接結び付けることを目的としたものではないということです。先ほども申しましたけれども、いろいろな評価というものについて、これから専門的に調査研究する部分もある。また一つ一つの大学が自分のところですべての評価委員等を用意して第三者評価に取り組んでいくということについては、相当な負担が生じる部分ではないかと思います。そういった部分については第三者機関が総合的に調査研究あるいは情報の提供を行うとともに、各大学が第三者評価を受けたいと思ったときには、そこを通じて受けることで自分たちの大学を客観点に評価してもらって、それを自分たちの大学の個性の伸長あるいは教育研究の質の改善に結び付けていけるような評価機関が必要であるということで第三者機関は提言されているものです。大学共同利用機関と同様の位置付けの機関というのは、このような趣旨からその位置付けが適当だとされているものです。  具体的に言えば、大学入試センターのようなものが大学共同利用機関と同様の位置付けの機関というもので、そういうところを利用していただいて、各大学の向上に役立てていただきたいというのがその趣旨です。国立についてはすべて受けていただくことが適当だとなっている部分は、基本的にはそういった評価を受けるかどうかは設置者の判断によるというのが、国公私を通じた全体の考え方であるかと思います。ただ大学審議会答申では、設置者の判断になるということが基本だけれども、特に国立についてはそのほとんどの経費が国民の税金で賄われていることを考えると、まず国立については設置者は第三者評価を各大学に受けてもらって、税金がこのように使われて向上に役立っていることがその評価を通じてわかるようにすることも重要であるということで、まず国立についてはすべて受けていただく方向が適当だという考え方が示されているわけです。したがって公私立大学については原則である設置者の判断ということでお考えをいただくことが適当であるという考え方で整理をされているということです。以上です。  司会 どうもありがとうございました。大変申し訳ありませんが、、司会者の不手際もありまして、時間が15分を経過しています。第2部の予定もありますので、これで質疑は終わらせていただきます。大変申し訳ありません。ご意見については2部のほうでできるだけ反映していただくことをお願いします。 第二部 シンポジウム  司会 それでは第二部のシンポジウムに移らせていただきます。第二部の司会を担当します全大教中央執行委員の塚本です。  司会 引き続き司会を担当します手塚です。  司会 若干私のほうから第2部の進め方についてご説明します。時間は6時までなので、できるだけ有効に、効率的にやっていきたいと思います。パネリストの方が3人いらっしゃいますので、早田さんが30分、田中さんがだいたい25分前後、それから立山さんがやはり25分前後ということで報告をしていただいて、そのあとで質疑・討論、最後にお三方から補足を含めたまとめをしていただきたいと思っています。  司会 それではそういうことで進めさせていただきますので、ご協力をよろしくお願いします。パネリストのご報告に入りたいと思います。最初に大学基準協会の早田先生お願いします。 パネリスト報告 早田幸政氏の報告  早田 大学基準協会の早田です。大学基準協会はご承知の方が多いかと思いますけれども、国・公・私立大学を横断する団体です。私は今日は個人としての立場から、大学審議会答申に対する感想あるいは論点についてお話しさせていただきたいと思います。  私は、特に、大学評価システムの充実・強化が今回の大学審議会答申のなかで非常に重要な位置付けを演じているという立場から、評価システムの問題にテーマを限定して話を進めていきたいと思います。  まず評価システムの充実・強化が要請される理由ということで、答申がいくつか理由を挙げていますが、このなかで私が個人的に評価システムと直接関係ある部分として注目したいのは、次の2点です。  まず第1点が、国際標準への適合性の問題です。これについて、答申において端的に述べられているのは、工学分野の評価に関わる部分です。すなわちそこでは、工学教育の国際的な通用性を担保する目的で、大学の工学教育の質の維持・向上を図るとともにその評価システムを国際的な共通標準に準拠させる仕組みがわが国において検討されており、そういう取り組みを視野に入れて改革を進めることが大事であると述べられています。これはおそらく現在、日本工学教育協会において工学分野のアクレディテーションができないかどうかが議論されていることを指すのではないかと思っています。  それからもう1点は、先ほど審議会室長さんからもご紹介がありましたように、やはり少子化にともなう進学率の大幅な上昇ということが、評価システムの重要性を惹起させる大きな誘因になったのではないかと考えています。この少子化に伴い、西暦2010年前後で18歳人口が120万人ぐらいまで下がってきます。入学者数も70万人ぐらいまで減少することが予想されています。ところが18歳人口の減少が入学者の減少より急激であるために、全体として進学率が上昇して60%近くまで上がってくる、数値上は志願者に対する入学者の割合が100%になる、要するに大学の志願者が全員入学できる時代を迎えるという状況認識があるわけです。これが評価システムの重要性を指摘するきっかけになったのではないかと思います。  ところで、いわゆる18歳人口の急減と進学率の上昇との関係で言いますと、当初の見通しとしてはこれほど早く大学全入時代が来ることについて、文部省あるいは大学審議会のほうで予想を立てられていたのではないのではないか。と考えています。  私は、現在、各大学、特に公・私立大学に導入されている臨時的定員の5割恒常化が、この問題に大きな影を投げかけているのではないかと見ています。この臨時的定員は、ご承知のように1986年からわが国大学に導入され、特に私立大学においてその大幅な導入が図られたという経緯があります。臨時的定員は1999年を終期とする期限を限った定員増で、文部省や大学審議会の一部の人からはこれは期限を限って設定した経緯があるので期限の到来により終結すべきとの意見があり、実際にそういう方向で動いていたわけですが、私学関係者等の強い意向により5割存置されることになりました。ところで国策として推し進められた臨時的定員ですけれども、ここで特に重視しなければいけないのは、経営の立場からとにかく定員を設定し大量の学生を受け入れることにつながったという以上の意味があった、ということです。臨時的定員を私立大学が設定するに当たっては、単に設置基準に準拠するに止まらず、それ以上の人的・物的条件を整備し、同時に多様な学生に対応するために教育の内容と教育方法の多様化への改善努力も払われてきた、そういう意味において、臨時的定員の導入によって私立大学の経営上の安定化がもたらされたにとどまらず、教育内容・方法の改善に私立大学が大きく貢献してきたいという点を忘れてはいけないのではないかと考えています。  結局、当初計画に反し臨時的定員の5割恒常化が図られたこととあいまって、それぞれの大学が収容力を上昇させる一方で、実入学者数の継続的減少が予想されるといった厳しい環境のもとで、従来にも増して受け入れ学生の資質・能力に見合った教育を施すとともに、その教育研究水準の維持・向上にまい進していくという、ある意味では一見矛盾する二つの要請を同時に満たして教育研究を行っていくことが必須の課題になってきたわけです。  大学審議会答申も、入学者数の減少に比して、18歳人口そのものがさらに急激に減少し、結果として進学率が上昇するという時期の到来を背景に、各大学に教育研究の多様化を求める一方で、厳格な成績評価の実施など、卒業時における学生の質を確保するための取り組みに着手することを要請したのだと思います。同時に、こうした状況を背景に、この答申が大学の教育研究水準を確保するための装置として、多様な多元的な評価システムを確立し重層構造的な評価を通してわが国の大学の質を確保することの必要性を訴えたのだと思います。そういう意味において、この臨時的定員の5割恒常化と今回の厳格な成績評価や多元的評価システムの提言の間に密接な関係があるのではないかと、私は考えています。  ところが、この大学評価システムの提言までの道筋として、大学間の役割分担ということも、また併せて、答申では強調されています。  そのうちの一つが、各大学間の役割分担の問題です。そこでは、それぞれの大学が明確にした理念・目標の実現を図っていくなかで、教養人を育成する大学とか職業人を育成する大学とか、あるいは研究指向の大学を目指していくことの必要性が指摘されている。この点については、上からの大学の種別化や序列化を求めるものではないとの説明がなされる一方で、自己点検・評価を行う中で理念・目標を明確にすること、すなわち大学の方向性・筋道をつけることにおいて、自己点検・評価により自身でその大学の役割分担を決定させるという方向性が示しているのではないかというご意見があるのも、われわれは承知しておかなければいけないと思うのです。  もう一つは、国公私立大学間の役割分担の問題です。このなかで特の国立大学の特性が非常に強く打ち出されている、要するに国費に支えられた安定性とか、国の判断において定員管理ができるという特性があることから、国立大学の担うべき役割の重要性が具体的に指摘されているわけです。私としては、そこでは国立大学の特性とか機能がやや突出して書かれている憾がしますが、この点については、多くの私学関係者も指摘してきたところです。ただ、そうは申しましても、現在、行政改革等の流れのなかにおかれている国立大学の立場を考えると、この答申において、そうした国立大学の位置付けや役割、それから特徴点というものを明確に出さざるを得なかっという事情があったことも理解できなくもありません。  続きまして、評価システムに関わる提言について、私の感想を述べさせていただきたいと思います。お話しする時間も限定されていますので、ここでは、概念的に異なるものも一括してこの問題を考えていくこととます。  まず第一に学生の学習成果の検証システムの確立について見てみたいと思います。  ここで中心になっているのが、厳格な成績評価の問題です。それと関連して、単位制度の実質化、履修科目登録の上限の設定、GPAシステムなどがかなり詳細に紹介されています。私は、大学審議会答申のなかで、これらの部分は、今後、大学教育においてドラスティックな改革をもたらす契機となるのではないかと考えます。その一つのポイントになるのが、セメスター制のことについて触れている箇所です。また、私はこのセメスター制の記述が、わが国の大学教育を変えていく大きな誘因になると考えています。端的に申しまして、いわゆる成績評価の問題とか科目登録の上限設定について書かれた部分も、すべてセメスター制の確立というものが一つの核になっているのではないかと思います。それは、わが国大学がアメリカ的な高等教育システムに移行していくことを示唆しているというか、あるいはそういう方向性を提示しているようにも思えるわけです。  この点をさらに具体的に見ますと、答申には、「学生の学習効果を高めるためには、1学期の中で少数の授業科目を集中的に履修し学期ごとに完結させる制度であるいわゆるセメスター制等の導入を促進し、学期の区分ごとに授業科目を完結させて成績評価を行い次の学期の学習につないでいくことが重要であるとする記述があります。それから履修科目登録の上限設定との関連においては、「単位制度の趣旨の逸脱を改め、学生の主体的学習を促し教室における授業と学生の教室外授業を合わせた充実した授業展開を実現するためには、少数の授業科目を集中的に学習することが必要である」と、少数の授業科目を集中的に学習させるということが力説されています。それは、本来のアメリカ流のセメスター制の採用が目指されていることを意味します。  たとえば、ある大学・学部で、従来、1学年で8科目を1科目4単位合計32単位で履修させていたのを、セメスター制の導入で、この4単位を輪切りに2単位にして授業をしていたとします。いちおう、2単位完結型の授業をしているからセメスター制だけれども、実際には1学年で1人の学生がとることのできる履修単位数はやはり32単位なんです。ところが「少数の授業科目を集中的に学習」させるということは、アメリカのセメスター制のシステムによれば、いわゆる1学年の授業30コマのところを1セメスターで30コマ授業をすることを意味します。ですから仮に4単位の授業を行う場合、週1回ではなくたとえば2回とか、あるいは1週で行う授業時間数を従来の2倍にする、上の例で言えば、1つの学期の履修単位数を32単位にする、1セメスターで1つの授業科目を完結させる、各セメスターごとに関門を設ける、ことなどを念意させたシステムへの移行を提言しているというようにも読み取れるのです。  こういうことになると、各大学において、既存のカリキュラムをドラスティックに改革していかないといけない、そこは、この大学審議会答申であまり見えてこない、あるいは議論されていないところなんです。そういう非常に重要な改革を、この答申は示唆しているようにも思えるわけです。  第二に、教育活動の評価システムの確立という点ですけれども、ここでは、個々の教員に対する評価と、教員団としての教育改善への取り組み状況の評価という側面が指摘されています。と同時に、そのなかでFD活動の努力義務化が示唆されています。  第三に、「卓越した教育研究拠点としての大学院」の形成、支援のための評価の充実が挙げられています。  第四に、大学評価の充実の必要性が挙げられています。このうち自己点検・評価の一層の充実に関する指摘の箇所から、「大学共同利用機関と同様の位置付けの第三者評価機関」による評価システムの確立の提言の箇所までが、大学審議会における大学評価の充実、多元的評価システムの確立に関する部分です。この部分は、先に公にされた中間まとめでは、非常にわかりにくかったのですが、今回の答申では、すっきりと整理されているようにも見えます。しかしながら、私自身には、ここで示された多元的評価システムの記述をどう整理して考えたらいいか、ちょっとわからない点がある。ですからこれから私がご紹介するのはあくまでも私見であって、あるいは読み方を間違えているのかもしれない。そういう意味で「私の意見」をご紹介したいと思います。  答申の示す多元的評価システムは、大きく分けて二つ評価のラインで構成されているように感じます。第一のラインが「自己点検・評価」のラインです。第二のラインが「第三者評価」のラインです。  自己点検・評価のラインには「狭義の自己点検・評価」と「広義の自己点検・評価」が含まれていて、自己点検・評価の結果の学外者による検証の部分を広義の自己点検・評価と私なりに整理しています。狭義の自己点検・評価については、学長のリーダーシップのもとに、4年に1回実施する、ということが一つの方向性として示唆されています。それから全学及び学部、必要に応じて大学院研究科を単位に実施するということも示されています。自己点検・評価の公表の問題については、点検・評価報告書の概要を要約した資料を作成し提供・公表するということが示されている。さらに、自己点検・評価の実施と結果の公表を法的義務化することが、方向性として示唆されています。そして、この自己点検・評価のラインにおいて、点検・評価結果の学外者による検証システムの確立が提示されているわけです。審議会室長さんのほうからもご紹介がありましたけれども、こういう検証システムは、各大学が自主的に確立することになるわけですけれども、ただその場合、学外者を大学団体が推薦することも考えられるし、そうしたなかで大学基準協会の役割というものについても検討することが考えられるということが、そこで指摘されています。学外者による自己点検・評価の結果の検証は、今後、努力義務として規定されることが方向性として示唆されています。  この「自己点検・評価」のラインと別のラインとして登場するのが、「第三者評価」です。これはあくまでも私の個人的な読み方ですけれども、この第三者評価のラインは、大きく分けて二つの部分で構成されている、一つ目が「多様な主体」による評価という部分で、二つ目が「大学共同利用機関と同様の位置付けの第三者機関」による評価という部分です。  「多様な主体」による評価としては、大学団体が設置形態の特性を考慮して評価する、学協会が専門分野別の評価をする、大学基準協会が「加盟判定審査」と「相互評価」等を通じて評価を行うこと、などが提示されています。  一方、「大学共同利用機関と同様の位置付けの第三者機関」の役割としては、評価の実施と、評価に関わる調査・研究の実施ということが挙げられています。評価を実施するに当たっては、ピア・レビューを基本にしながら、相当数の専門スタッフを配置し、学生や卒業生を雇用する企業、共同研究を行う企業の研究開発担当者の視点も加味する。評価対象は、国立大学を基本とし、希望により公・私立大学も受けられる、評価内容は、教育活動、研究活動、地域社会や産業界との連携交流、社会貢献等である。評価の結果は社会に向けて公表される、被評価者には、その結果と理由が示され、意見を提出する機会が与えられる、というようになっています。評価に関する調査・研究としては、大学評価に関する情報を収集・分析する、評価の指標の有効性について検討する、検討結果や収集した情報等を社会に対して公表していく、ことなどが明示されています。この第三者評価の結果がどう活用されるかということについては先程来ご議論されていますので、繰り返しませんけれども、資源配分とか国立大学の改組再編の際に活用されるというように述べられています。  「大学共同利用機関と同様の位置付けの第三者機関」をどう見るかという点について、実は大学基準協会は「中間まとめ」でこの構想が浮上してきたときに、次のような若干の疑問を呈しました。まず第一が、そうした第三者機関が大学を評価すると、大学の多様な発展可能性が阻害され、自己点検・評価活動も画一化に陥る恐れがある、ということ。第二が、評価結果を資源配分と連動させると大学の自治が損なわれる危険が出る、ということ。第三が、多元的な評価システムの中での「大学共同利用機関と同様の位置づけの第三者機関」の位置付けが不明確である、ということ、第四が、国・公・私立大学間の格差が厳然として存在し、対等な土壌が形成されていないなかで、一律にわが国の大学を評価すると、こうした格差が一層広がる懸念が払拭しきれない、ということでした。  さらに加えて、私の意見を若干申します。  まず第一に、「大学共同利用機関と同様の位置付けの第三者機関」の評価プロセスは、答申を見る限り、自己点検・評価プロセスもしくはその延長線上にはないようにも、取りようによっては読めます。すなわち自己点検・評価のプロセスが、この第三者評価のプロセスに組み込まれていないように見える、果たしてそういう解釈でよいのか、それともこの第三者機関の評価プロセスでは教育活動の評価も行われ、教育評価には、答申によれば、自己評価を伴うこととされるので、結果的には各大学が実施し自己点検・評価がなされることが、こうした第三者機関の評価を受ける上で不可欠と考えるべきなのか、その辺のところが少しあいまいなのではないかというような感じがします。  第二に、この第三者機関は評価結果の公表に非常に積極的であるように、この答申では読めます。それはそれで非常に結構なことだとも思いますが、第三者機関が問題点を指摘しその大学に不利な結果が出ていても、本当にそういう状態なのか見解が分かれる余地があることまで公表していくのかどうか、その評価プロセスには一応弁明の機会が用意されているようですけれども、こうした機会が保障されているからといって、白黒の断定が難しいものまで公表することが果たして大学自治の保障の観点から見て妥当なことなのかどうか、そういうことも私にとって疑問に思えるわけです。  非常に雑ぱくでしたけれども、私の報告をとりあえずここで締めさせていただきます。(拍手)  司会 どうもありがとうございました。討論のところで質疑も併せて行いたいと思います。時間の関係もありますので、次に日本私大教連の教研部長の田中先生のほうから、お話しいただきたいと思います。 田中宏道氏の報告  田中 日本私大教連の田中です。よろしくお願いします。皆さんのお手元に、私どもで用意させていただいた文章として11月29日付けの「『大学審議会答申』に対する日本私立大学教職員組合連合の見解」というのがあります。それと「中間まとめ」が発表されたときに、私どもが大学審議会のほうに、「意見書」を提出させていただきました。その「意見書」が非常に細かい字で2枚、裏表にわたって印刷されたものがお手元にお配りしてあると思います。そういうものを参考にしていただいて、お聞きいただければありがたいと存じます。  大学審議会の「中間まとめ」が発表されたとき、まず最初に私どもは新聞の報道でごく簡単な内容を知りました。その最初の印象は、先ほどから話題になっています出口管理、卒業時の学力をしっかりしたものにという趣旨で、新聞などがいっせいに報道しましたので、非常に新鮮な印象をもって拝見しました。私どもが大学で教育をしていて、学生諸君の教育がどの程度できたかということになると、やはり忸怩たるものがありまして、これではいけない、もっとしっかりした教育をしなければいけないという思いを恐らく私学の先生方はほとんどお持ちなのではないかと感じていましたので、そういうものが出されて非常に新鮮な印象を受けました。そのほかにも多様化、それから個性を伸ばす教育、特徴ある教育等々を言っておられるのと同時に、もういっぽうで基礎教育、教養教育というものを充実させなければいかんかとか、いろいろんことをおっしゃっていて、これは非常におもしろいなというように読ませていただきました。  大学審議会のほうに提出させていただいた、「中間まとめ」に対する私どもの「意見書」の結論部分は、これとはまさに180度逆転ということになるんですけれども、やはり相当慎重な評価をさせていただかざるを得ないことになりました。今日、ここの会場にお集まりの皆さまも、そういう非常に新鮮な提案の部分と、もういっぽうでこのまま実施された場合に非常に心配になるということと、両方の間で戸惑いが大きのではないかと思っています。こういう戸惑いをどのように埋めていくのかということが、非常に大事なことではないかと思っています。  私どもが考えたことは、答申のなかで出ています収容定員に関わる部分が、ある意味では議論の出発点となりました。臨時定員を半分減らしまして、上限70万人という表現をなさっていますが、もう少し少ないものになるのではないかという予測を室長さんもお持ちではないかと思います。私どももそのあたりから考え始めました。18歳人口が減っていきますと120万人程度ということですが、その際に70万人というのがどういう意味合いを持つのかということです。実はこの中間まとめに対する私どもの意見書の一番最後の部分のところで、私大教連の運動としては今まで「国民のための私学づくり」というスローガンをずっと掲げて、大学改革に取り組んできた経緯がありますので、今回私どもが申し上げたことは、「全国民に大学教育を=全国民にかかりつけの大学を!」というスローガンを付けさせていただきました。恐らく戸渡室長さんは、この言葉をご覧になったときに吹き出されたか、あるいはゲラゲラと大笑いをなさったのではないかと想像していますけれども、私どもはこの高等教育をどういう人たちを対象に今後考えていくべきなのかというところから、まず考えようではないかということにさせていただきました。  日本で現在、進学率はだいたい4割程度ということになっていますけれども、たとえばアメリカのクリントン大統領の演説などを見ますと、大学に行きたい人には奨学金を保障するということをやりましたし、将来については今のハイスクールくらいと同じ程度まで教育対象を広げるんだと言っています。それからヨーロッパのイギリスとかフランスでも、やはり教育対象をもっと広げなければいけないのではないかという提言がされてきています。そして高等教育の無償化についての提言とか、いろいろ世界を見渡しますと、高等教育の対象をもっと広げなければいけないという発想が世界の大きな潮流として存在しているのではないかということが、一番最初に考えたことです。  そうしますと、70万人というようなことでよろしいのでしょうかということが、当然問題になってきます。それで先ほど申しましたようなスローガンを掲げさせていただいたという経緯です。高等教育が果たす役割、国民生活にとってどういう役割をもっているのかということについては、この答申でも述べていますけれども、国民生活の充実、何をもって充実というかというとまたいろいろ議論があるかと思いますが、やはり1人1人の国民がいろいろな知識を身につけて、そのなかで自分の行動について選択幅が広がる。その際に正しい判断基準を持ち得ることが、国民生活にとって非常に大事なことなのではないかと考えています。そう考えますと、可能な限り教育対象は広げたほうがいいだろうという考えになります。教育基本法などを見ますと、高等教育について「能力に応じて教育を受ける機会を保障する」ということになっていまして、能力という言葉に注目しますと高等教育を受ける人は少なくていいんだという発想が出るかと思いますが、それも時代の移り変わりとともに、その基準は必ずしも少数の人たちということにはならないのではないかと思っています。  振り返って考えますと私が教育を受けた先生方は、たぶん昔の帝国大学で教育をお受けになって大学の先生になられたという方だと思います。そういう方から教育を受けまして、私どもも知らず知らずのうちに、そのまねをして教壇に立ってる。多かれ少なかれそういうスタイルになっているのではないかと思いますので、大学教育について進学率が上昇したことに関わって、教育現場でいろいろ工夫しなければいけないという問題が山ほど出ていて、それが今回の提言につながっているのはその通りなんですけれども、その質の充実ということと量みたいなものを兼ね合わせてどう考えるのかということを、今後もっと議論しなければいけないのではないかということです。  この「中間まとめ」に対する「意見書」のなかで、それが21世紀の高等教育を考えるということで提案されましたので、差し当たりはそれでいいのかもしれませんが、将来20年、30年を見渡した場合に、先ほど申しましたアメリカとかそういった国々と比較した場合、相当大きな格差が広がるのではないかという危惧をして、「志がない」と、大変失礼であったかもしれませんがそういう言葉を使わせていただきました。日本の高等教育の充実について、「もっと大きな志をお持ちください」という意見を出させていただきました。  実はその収容定員のところに関わって、先ほど片山のほうからも質問させていただきましたけれども、今後18歳人口の減少に関わりまして、小規模な大学あるいは短期大学等々が一種の経営危機に遭遇するだろう。現にそういう現象がちらほら出てきています。こういうものをいったいどうするのか。場合によっては淘汰に任せることにつながりかねないんです。それには大学の規模の大小ということもありますけれども、もう一方で、立地条件と非常に密接にからんでいまして、超マンモス大学はだいたい大都市部で、地方にまいりますとどうしても規模が小さくならざるを得ないことになります。ですから今後の日本の高等教育を市場メカニズムに任せるということになりますと、これは規模の小さいほうから、まさに経済の原理がそのまままかり通ります。それから立地条件として申しますと、地方のほうから切り捨てられるということなるのではないかという危惧を非常に強くもちました。そういうことになりますと、先ほど「全国民に…」といいますか、日本のどこに住んでいても高等教育を受けられるようなそういうチャンスが保障されなくなる、そのあたりを非常に心配しておりまして、小さな規模の大学は今でも相当財政的には苦しい状況ですから、何かにつけて今後充実させなければいけない課題はいっぱいお持ちだと思いますけれども、それはそれでしっかりしたものに育て上げていくことが、世界に誇り得る高等教育のあり方ではないのか。だいたいの大枠はそういうように考えています。  そういうように考えた場合に、日本の高等教育予算全体がどうなのかという問題が当然出てくるわけです。先ほど室長さんも、それは諸外国に比べて立ち遅れているから、充実させなければいけないというお話で、その限りで非常に心強く伺いましたけれども、「中間まとめ」にはそういうことが書かれているのと同時に、もういっぽうで日本政府の財政状況、台所の事情が極めて苦しいので、効率よく予算を使わなければいけないというただし書きみたいなものが付いています。そういうただし書きと、今後充実させなければいけないというのとどういう兼ね合いになるのかということに関わりまして、私どもは展望が持てませんでした。  私学振興助成法では、私学については経常費の2分の1助成ということが言われまして、最盛時約3割程度まで助成を増やしていただいたんですけれども、現在では13%程度という水準に下がっています。ですから結局学費で賄わざるを得ない。あるいは民間から資金をちょうだいしなければいけないということになってきております。ですから、そのあたりの兼ね合いがいったいどういうことになるのかというのは、非常に心配事でありまして、この「答申」が出される場合には、私どもの申し上げたことの意を汲んでいただきまして、「苦しい政府の財政状況」という言葉は削除していただけるのかと期待していたのですが、今回もやはり同じように残っています。ですから恐らく今後充実していただけるとは思いますけれども、全体の日本政府の台所事情みたいなものがいったいどう作用してくるのかということについては、大変心配事としてずっと残っている状況です。  それから教育現場のいろいろな問題について、もっと大学の先生方に一生懸命やってもらわないといけないということが書かれていまして、これは私どももその通りもっといろいろ工夫して、学生諸君のしっかりした学力養成のために努力しなければいけないのですが、とりわけ私学のところは本当に手一杯という状況でして、私どもは夜間部ももっておりますので、きのうも夜まで90分の授業を3回担当して、今日こちらにまいりました。そういうことを多かれ少なかれ、ほかの先生方も同じようなことをおやりになっています。しかも教室の規模も結構大きいです。それから今の学生諸君は前のほうに座ってくれるといいんですが、後ろのほうに座るんです。後ろのほうにおりますと、だいたい集中しない。そうなりますと教室についても間仕切りをいれなければいけない等々、教育現場ではそういう困難な問題を一杯抱えていまして、そういう意味でも私どもはやりたくてもやれなかったという無念さみたいなものを持っていますが、今回の提案を機会にぜひともそういうものが改善されるように、実効のある措置をとっていただきたいと強く願っています。  あといくつか問題がありまして、大学がもっと近代的な教育内容を考えて工夫しなければいけないと提案されている部分は、おそらく当たっていると思います。ヨーロッパの統合だとか、2、3日前の新聞を見ますとエクソンとモービルの合併等々の企業活動がより一層世界規模になる。そういう意味で国際的な関連を考えなければいけない等々、こんなことに関わって教育内容の改革についても提言されていまして、それについて私どもがほおかむりしていいというようなことには決してならないわけです。私どもも、一生懸命そういう時代の変化に対応するような教育内容を創意工夫して開発していかなければいけないということになっているわけですけれども、もういっぽうで先ほど私が最後にちらっと質問させていただいたんですが、研究に支えられた教育内容の改善をいったいどういうように図っていくのかについて、実はこの「答申」では国立大学のところで、研究面では若干ゆとりがあるというようなことを念頭においてお書きになったのかもしれませんけれども、私学のところはそれはそれはみんな四苦八苦しているという状況です。その面でもやはり研究条件の改善も含めて、新しい教育内容が創造できるような措置をぜひともおとりいただきたいと、私どもは願っています。  それから大学の管理運営に関わりまして、いろいろな方々がご心配なさっています。今回の提案はごく一般的に申しますと、私学の場合は理事会ということになりますが、その理事会側の権限強化、教授会の審議事項の制限等々、こういう形で提言されていますが、私学の場合、学校によっていろいろで、理事会が非常にしっかりしていて、いろいろな事柄に対して先取り的にいろいろ手を付けてという大学もありますし、こういうことを申しますと失礼なんですが、極端に申しますと、大学を作ったまではよろしいのですが、そのままおざなりにされているところとか、いろいろなところがあります。そういう意味で理事会にもっとしっかりしてもらわなければいけないというのは、ある意味では当たっている部分があります。その限りで理事会のリーダーシップということが言われるのは、理解できるところですけれども、実は4月ごろだったと思いますが、日経新聞に三菱総研の調査報告の記事が出ていました。それは三菱総研が大学に問い合わせ調査をおやりになったんですけれども、その結果大学がどう答えたかというと、理事者側と教学機関、教授会等が非常に密接に論議をして、両者の合意の上で運営していくのが一番よろしいというのが、だいたい3分の2という答えであったという記事でした。  これは確かに理事者側がリーダーシップをとらないのであれば、ある意味ではいらないわけでして、その限りではやはりちゃんと考えてもらわないといけない。それなりの仕事をしていただかないといけないのですが、やはり全員が納得ずくでいろいろな大学改革に手をつけていかないと、とりわけ教育機関というのは現場がそっぽを向いていますと、ろくなことにならないというのが実情です。そのあたりの意思統一をどうするのか。徹底的な情報公開、その上での時間をかけたていねいな議論が大学というところでは、何にもまして大事なことではないのか。民間企業でも優良企業と言われるようなところの名を成した経営者というのは、そのあたり非常にうまくやります。組織というのは一般的に申しましても、そういうことだと思いますけれども、とりわけ大学では本当に腹の底から納得して運営する仕組みがぜひとも必要なことではないかと思っています。  先ほど申しました高等教育予算については、大幅に増やしていただきたいという要望を私どもはもっております。それについては、先ほど申しましたように財政事情が苦しいので、効率的に運用しなければいけないという提言になっていまして、その際にどのように有効な資源配分をするかということに関わっては、先ほど室長さんは第三者評価とはストレートには関わらないとおっしゃいましたけれども、やはり外部評価みたいなものと何らかの形でつながるという提言になっている。そのあたりをどういうようにしていくのか。積極的な課題設定をされて、新しい課題に取り組もうという大学に何もしないで冷たいそぶりをするのは、ある意味では具合の悪いことかもしれません。積極的な意義があることをやりたいということであれば、それなりの支援をするのはある意味では正当なことだと思いますけれども、一般論として申しますと、やはりそのベースになる基礎部分というのを、タクシーの運転手の基本給ではないですが、どこともしっかりしたものにしていただくということが、何にもまして必要ではないのか。それがないと何か時代を先取りするような改革に手をつけようという発想自体が出てこないのではないかと思っております。そういう意味で私学の場合ですと、最低限、私学振興助成法の2分の1助成というのを、ぜひともお願いしたい。その上でいろいろな新しい改革については、支援の措置をとっていただければ非常にありがたいと思っています。  それから先ほど、世間の人がお聞きになると笑われるかもしれないようなスローガンを申し上げたんですけれども、これはやはり今後の大学教育を考える場合に、長期的にはそういう方向に向かって進んでいかざるを得ない。世界的にそういう潮流になるのではないかと思いますので、そのあたりに関わりましてもう一度、規模問題、規模問題に関わって、さらに具体化する場合は、地域文化の守り手としての高等教育機関の地域配分みたいなものも関わりまして、もう一度ご検討いただければありがたいと思っています。  時間になりましたという司会者からのお申し出でございますので、これくらいにさせていただきます。どうも失礼致しました。(拍手)  司会 ありがとうございました。パネリストの最後になります。山口大学経済学部の立山先生お願いします。 立山紘毅氏の報告  立山 ご紹介に預かりました立山です。大変失礼ですが、座らせてお話をさせていただきたいと思います。  今日のシンポジウムの運営の要綱のなかで、私だけなぜか山口大学経済学部と書いてありますので、山口大学経済学部を代表して来ているのかと思われる方がおいでかと思うんですが、最初に、私はどういう立場でここに参加しているのかということをまず明かしてから、お話をしたほうがよろしいかと思います。  憲法学を専攻しております。そのなかでも特に表現の自由の問題を中心としています。そのなかでもマスメディア、最近はメディアはメディアでもどちらかというとインターネットのほうのことをやっています。私はどちらかというと、そのなかでいわばマスメディアの活動を直接に支えているジャーナリストの個人の自由のありようは、マスメディアの枠のなかでどのように発揮されるべきかという問題関心から研究してきました。  その際に、かなり早い段階である先生から指導を受けたのは大学の自治のあり方、すなわち大学という枠組みのなかで、個々人の頭脳の力が学問を支えているのだ。そのことを念頭において、ジャーナリストの自由と自治的な秩序というものを考えてみたらどうかというサジェスチョンを受けまして、なるほどそういうものの見方もあるのかなと興味をもってきた。そういう視点です。  このように申しますと、何か事あるごとに「ヒ素を盛ったのはだれか」とか、「カレーの鍋の近くにいたのはだれか」とか、そういうのばかりに浮き身をやつす者と、こともあろうに大学と同一視するとは何事かと大変なおしかりを受けるかと思うんですが、若干反論させていただきますと、戦前以来、たとえば戸坂潤などは、アカデミズムとジャーナリズムを対比しつつ、真実とか真偽といったものへのアプローチという点で、非常に真剣な議論があります。ですから、そのあたりに免じてお許しをいただきたいと思うわけです。  考えてみますとジャーナリズムの世界でいろいろな報道が行われる。たとえばある疑惑などというものが報道される場合に、特にそれが国の政治に関わるような疑惑の場合ですと、結果的に誤っていたとしても、必ずしも責任を問われない。逆にそうでなければ自由が保障できない。枠組みがあるわけです。学問研究にしたところで、よくよく考えてみますと、先ほどからいろいろ話に出ておりますけれども、かなり大きな社会的な資源というものを使って研究して、結果的に的外れというような話はいくらでもあるわけなんです。だからといって、そのことが学問の発展にとってマイナスだと簡単に評価してよいのかどうか。実は大学における学問の自由とかいう問題を考える場合、あるいはもっと広く言って知的活動というか、学術研究とか教育活動とかいうものの場合に、そういう観点を案外どこかに置き忘れていないかなということをまず最初に考えるわけです。もっともこれが大変難しい問題なのは、大学が大学の名において、人々を戦場へ駆り立てた時代があったという厳然たる事実もありますから、そのまさに許されない活動と学問の発展の上でやむを得ざる失敗というものと、どういうふうに切り分けていったらいいのかということは、また頭の痛い話です。  ただ少なくともそのような学問の活動あるいは教育研究活動のなかで、必ずしも結果につながらない、むしろ結果の点で言えば的外れである場合もある。にもかかわらず、そのことはそのこととして大事にしていきましょうという原点、あるいはそのことにとにかく専念して、一心に学問に対して忠実であろうとすることによって、人々と協力して学問を支えていく。学問の自由というのは、そういう意味で個人的な営みであると同時に、多くの人が協力し合わなければ成り立たない。その協力のあり方というのは千差万別というか、むしろ多様であればあるほどよいというところをもっているのではないかということをずっと考え続けてきたわけです。  もう一つ言いますと、私は山口大学という地方大学に籍を置いています。たとえば、マスコミなどにおいて社会への発信度の高い大学とか、発信量の多い研究者といったようなランキングが大変流行しています。実際それをやっている人と話をしたときに聞いてみますと、「やっぱり偏差値だけじゃよくない、ということでもって、いろいろやっているんですが、結果的に大都市の大きい大学のほうに有利になるんですよね」、「『窓際のトットちゃん』ではありませんけれども、みんなが1等賞を取って、喜んで帰っていくようなものは何かないものでしょうかね」という悩みを聞いたことがあります。語弊がありますが、光が当たらないところでしっかりとこの社会を支えるような学問の研究、あるいは教育活動というものに専心している人が私の身の回りにたくさんいる。高等教育の専門家に伺ってみますと、そういうものの総体としての統計的な数値という点において、決して日本の高等教育あるいは研究の水準は、何ら劣るものではないというのは常識なのだそうです。それゆえに田中先生がおっしゃったような、「かかりつけの大学」というのは、なるほどそれを実現する基盤は確かにあると言えると思います。  さらに言えば、ここでも頭に浮かぶのは、先ほどの私の質問のなかにありましたけれども、多様性と、どうしても必要な一様性ということになるでしょうか、そのバランスをどうとるのかということです。たとえば多様性という点で言いますと、日本の大学のシステムによっては国公私立の大学が非常に多様に併存していること自体、私は極めてプラスだと考えています。すなわち公教育としての高等教育が行われるなかで、設置主体が違う大学があることは公教育というものが多様性に恵まれているという点でプラスだと思うんです。しかし、たとえばこのなかには学生さんもおいでかもしれませんけれども、その負担する教育費の問題とか、あるいは教育研究基盤の問題という点においては、そのような公教育としての1人の人格を育んでいくというベースとなるべき活動にとって、無視できない差があるということ。むしろ格差というふうにはっきり申し上げますけれども、その事実をこれからいったいどのようにとらえていかなければならないのか。それがこの大学審議会の答申のなかには見えてこないというのが大きなわだかまりであるわけです。  角度を変えて、今度は大学システムではなくて、各大学のなかを見てみますと、大学のなかにおいて教育研究活動についてさまざまなバックグラウンドをもつ人々が集まっているということ。この持ち味といいます、特質というものをもっと大事にすべきではないかという気がします。全大教のなかで科学技術創造立国路線という言葉に対して、非常に厳しい態度をとったというのは、それが悪いというよりもむしろ、バランスが悪いということに非常な懸念があったということが言えるわけです。  私自身は先ほど申し上げましたように、マスメディアであるとかネットワークの問題とかいうものの法律問題をやっておりますので、科学技術については、むしろ私の専門分野ではもっと正面に据えて議論すべきだと思っております。しかしながら、いっぽうでそれと逆に、こういう分野に深入りしていくと、何やらコンピュータを買ってきてネットワークを引っ張ったはいいが、その上で人間がいったいどのような精神的な営みをするのかということに無頓着な人がずいぶん多いのに戸惑うことが少なくありません。私はそういったものに、憲法学をやっている立場から深入りしているのは、そこに人々が知恵を出し合って、一つの大きなフォーラムを作るという可能性に――あえて「賭けている」という言い方を申し上げます。これは丸山真男先生の言葉にならいたいということで、こういう表現をしますが――そういうこととして臨んでいるわけです。考えてみますと、大学というのはいろいろなバックグラウンドをもっている人々が、いろいろな立場からものを言える。言ってみれば非常に得難い場であることが言えると思うんです。  大学審議会の答申のなかでも触れられていますように、現代という時代、さまでまな問題が生じているわけです。たとえば地球環境問題というのは、一番世間でもよくとらえられている問題かと思います。また、いわゆる公共性の崩壊と言われる現象という部分も、無視できない部分があり、そこにたとえば今月号の「世界」で特集されています「小林よしのり『戦争論』はなぜうけるのか」というような、そういう問題性がはびこる。あるいはさまざまな非合理的な宗教活動というか何というか、そういうものへ人々が傾斜していく現象をどう考えるか等々、さまざまな問題が見えてきているわけです。それに対して、このところいろいろなところで聞くのは、いったいどう考えればいいんでしょうか、あるいは答えは何でしょうかという問いかけです。  実はこちらに参ります前にも、地域の問題で、ある町議会で、参考人ということで意見を述べる機会がありました。もちろん「自治」ということは自ら治める、自ら決めることをその内容としておりますので、大学の先生、答えはなんでしょうかと聞くのは、ちょっと待ってほしいという部分は確かにある。しかしながら問題があまりにも錯綜していて、問題があまりにも複雑で考え方の道筋がわからないという部分も間違いなくある。そのことについて、さまざまな知識やあるいは情報を提供するだけでなくて、その考え方の道筋を整理して一緒に考えていくこと、そこに大学の役割あるいは個々の研究者の役割があるのではないかというあたり、そういうことが大学のこれからを考える際に、大変重要な点ではないかと思うわけです。  ただそういう場合、これはできるだけ多くの人が、できるだけ多様な立場から闊達に議論を進めていかなければならないし、もう一つ言うならば一つの社会的装置、制度あるは法的な枠組みと申し上げてもいいんですが、大学あるいは高等教育システムというものが、それに携わっていくことになりますと、そのなかでどうしてもみんなの自発性・自律性を最大限に発揮していかなければならない。あえて問題のある言葉を使いますが、リーダーシップを発揮すべきは、個々の個人あるいはすべての大学の構成員ではないかと、そういうふうにも思うわけです。実際に私自身は「大学の自治」を、いわゆる教授会自治の枠組みでは、必ずしもとらえておりません。すなわち大学という組織全体を今しがた申し上げたような意味の一つの知的なセンターとして機能させていくために、さまざまな形でそれを運営していく人々が必要だろうと思います。全大教のなかで技術職員の問題を中心に、いろいろ議論されている方もいらっしゃいますが、そのなかでは技術職員の組織化が果たして公務員組織ないし官僚組織と横並びでよいのかどうかというのは、非常に重要な論点だったように記憶しています。このあたりもし誤りがありましたら、ぜひ改めていただきたいんですが、そういう観点から見ますと大学の組織というものをいったいどうやってみんなが参加して、みんながリーダーシップを発揮して作っていくのかというのが、私のなかには非常に大きな問題意識としてある。  そうしてみますと、果たして審議機関と執行機関といったような役割分担という形で端的に二つに切っていくことが、本当によいことなのかどうか。もちろん現実の大学の運営のなかにおいて、たとえば恥ずかしい部分にもなるんですけれども、いったいだれが決定の権限をもっているのか、責任を負うのかという意識が明確でないまま、なんとなく既成事実でいろいろな決定が一人歩きをするというのは、遺憾ながら先ごろの教養部の解体・分属の際に、いろいろなところで見られた病理現象ではなかったでしょうか。そういうやり方で、果たして責任ある大学の運営というものができるのかということを真剣に反省しなければならない。そしてそのことを踏まえた上で、みんながいったいどうすればそういう主体性を発揮できるような基盤を作っていけるのかという観点から、管理・運営問題を考えていかなければならない。そうすると端的に役割分担をして、効率化しましょうというだけでは済まないはずだと思うんですが、残念ながら答申のなかでは、そのあたりが必ずしも十分ではないように思うわけです。  この点はいわゆる学生と大学自治の問題にも関わってくるかと思います。実際のところ、いろいろな方からご指摘がありましたように、学生の社会に占める比率がかつてとまったく変わってきている。量的変化が質的変化に転化したと言えるかどうかは別としても、また、そのなかで変化や多様性の拡大はありつつも、1人の人格としてそうした組織のなかで、自ら主体性を作っていき主体的に活動していく。そしてともに成長していく場として機能するやり方は、果たしてこの答申のなかで言われているような「意向を反映する」とか、「尊重する」という形で済むことなのだろうかということが、私には疑問として残っています。  もちろんそのためには、おそらく教育研究システムというもの自体が、いろいろな形で考慮を巡らしていく必要はあると思います。単なる成績評価の問題ではなく、1人1人の人生を大事に育んでいくという観点から、1人1人と向き合っていく関係をどうやって作れるのか。そしてたとえばの話だけれども、そういうことに対して献身的に活動するのは美談の対象であっても、どこかにしわ寄せを作って運営していかなければならないシステムというのは、絶対に長持ちしないわけです。おそらくそのあたりがユネスコの高等教育機関の教職員の地位に関する勧告のなかで、もっぱらその仕事を達成する人々にとって、地位あるいは収入の保障が重要だと指摘されていることにも表れているのだろうと考えています。  ここで問題になっているもう一つの基軸として、社会との関係ということです。われわれが社会に対して多様な価値観、あるいは文明観といったものを発信していくことの重要性の認識はおそらく共通だろうと思います。そしてそうであるがゆえに、このユネスコの勧告のなかでは、高いプライオリティをもって公的な資源が支出されるべきであると書かれているわけですが、そのいっぽうで逆にアカウンタビリティ、説明責任があることも明記されている。そしてそのいっぽうでその大学の組織の構成員の自治、あるいは自律性というものが説かれている。この三つの間で、いったいどういうバランスを保っていくのか。もっともよい関係をどうやって作っていくのかということ。このことを考えますと、たとえば大学の運営協議会とか、あるいは評価の問題というものにもう一つの視角が出てくるのではないかという気がするわけです。  たしかに一方では私などがやっている学問の研究に対して、特に法律学、憲法というものは価値に関わる学であることもあり、たとえば実際に教研集会の際にあった話なんですけれども、小林よしのりの「戦争論」で理論武装した学生が教師に総攻撃をしかけてくるという局面があったということです。あるいは小中高校などにおいて、それが父兄の意見という名のもとに、教員に対して非常な圧力になるというケースもある。その危険性や懸念を見すえつつも、社会に対して普遍的にわれわれが行った活動が還元され、社会的な討論を組織していくようなプロセスとして大学が機能していくには、どうしたらいいのかということ。このことはもっと真剣に考えていかなければならないのではないか。大学の一つの目指すべき目標として、われわれが掲げていく必要があるのではないかという気がするわけです。何やら綱渡りのような側面もあるわけですけれども、やはり現代の大学というものが、かつてあったような特権的なエリートの教育機関であるとか、そういった人々にだけ開かれた機関でないとするならば、そうであってはならないとするならば、考えるべき点ではないかと思います。  最後に一つだけ申し上げておきますと、先ほどのお話のなかでも、各大学のなかで自主的に考えていかなければならない点があるということが強調されていたと思います。このような場合、注意しておきたいのは、実際に身の回りに見られることですけれども、生き残りのためにということで、自分のところだけの生き残り競争というものが始まる懸念がもういっぽうにあります。  実際にこれは「囚人のジレンマ」という状況になるでしょう。それを避けるために、こういう場でお互いの状況について話し合う。ここでもそういった自主的・自律的な活動というものが重要ではないか。全体としてのバランスのとれたよりよいものを作っていくために、こういう場が果たすべき役割として、これから極めて大きなものになるのではないかということを最後に申しあげて、締めくくらせていただきたいと思います。まとまりのない話で申しわけありませんでした。(拍手) 質疑  司会 どうもありがとうございました。時間が限られていますので、質疑等に入らせていただきます。  それではフロアとパネリストの間で質問等自由にお願いしたいと思います。その前提としてパネリストの方々の問題提起についてあらためてポイントを紹介させていただきます。  パネリストのなかで早田先生は特に評価の専門家という立場から、特に第三者評価機関の問題で答申の問題点を中心に報告されたと思います。結果の公表についてもちょっと問題があるのではないかということも、視点として付け加えて報告されたと思います。  それから田中先生のほうは、特に高等教育を充実させる立場の視点から報告をされたと思います。研究条件の整備についても重要な問題提起をされたと思います。立山さんのほうからは、憲法学者の立場から自治や多様性、社会に対する発信というか、社会と大学との関係ということから自治、多様性というのが重要だといったお話があったと思うんですが、こういった論点を噛み合わせる形で、また質問・意見をお伺いしたいと思います。どうでしょうか。   早田先生に評価システムなかでの学生の位置付け、役割機能についてお聞きをします。自己点検評価、学内での評価システムのなかでは、学生の授業評価も含めて学生側の意見を反映させる方法が考えられるんですけれども、たとえば言われたような特異な機関として設置をした評価機関になると、学生との関係がどうなるのかと思うんです。  学生の機能・役割をまずどういうように押さえるべきかということと、学外の評価になったときに、学生の役割とか機能というのがどういうふうに変化するのか、あるいはもうそれは切り捨てられる問題ということになるのか、そのへんを教えていただきたいと思います。  早田 いまのご質問に対する私の理解としては、二つの問題が含まれているような気がします。すなわち、個別の大学の自己点検・評価システムの中での学生の位置付けと第三者評価システムのなかでの学生の位置付けという二つの問題が、ご質問のなかに含意されているのではないかという感じがします。  まず第一の自己点検・評価システムのなかにおける学生の位置付けについて言えば、一般論として、学生による授業評価は、現在において一般に認知されている有効な手立てであると思います。また学生の意見を反映させるための会議体を置き学生参加のなかで運営することも一つの方策であろう、ただその会議体は、あくまでも自己点検・評価活動の中で、学生の立場から教育改善についての意見を表明する場と考えた方がいいと思います。  もう一つ、答申には「大学共同利用機関と同様の位置付けの第三者機関」の評価に関わる部分に関連して、教育活動の評価という部分が独立して設けられています。この答申の比較的前の部分に教育活動の評価の記述がありますが、それとは別にまた教育活動の評価ということが語られているのです。そこでは、学生の授業評価の結果が教育改善にどうフィードバックされているかということが、評価の対象となると述べられています。この教育評価がいわゆる文部省の構想する第三者機関の評価とどう連動しているのか、いま一つわからないところもあるんですけれども、文部省が設置を構想する第三者機関による評価のなかで、いま述べたような形で、学生の意向の反映度を見るということもなされる可能性があるのではないかと考えます。  先ほどお話したことで言い足りなかったことですが、この答申を見る限りどうも成績評価を通じて学生の質を確保するという面が非常に全面に押し出されているような感じがするんです。アメリカの評価システムのなかでは、成績評価を通じて、大学あるいは学部・学科が設定した教育目標に学生がどの程度到達したかという学習達成度を測定し、教育改善に資するようなデータを把握するというようなことが行われています。見方を若干変えて言えば、学生の成績評価は、個々の教員あるいは教員団全体による内容・方法の改善に資するデータを把握するという視点から行われているということ、こうしたことも、忘れてはいけないという感じがします。  アメリカでは、また、学生満足度というものを非常に重視するんです。いわゆる授業評価も大事なんだけれども、特に1年次から2年次に進級する際に行われる満足度のサーベイが非常に重要な意味をもっています。アメリカでは学生の獲得競争が非常に厳しいなかで、あまり厳格に成績評価をすると、学生がほかの大学に逃げてしまうということがあるようです。ですから1年次終了時の満足度のサーベイをもとに、学生が果たして自分たちの大学に満足してくれているかどうか、今後とも継続して自校に居残ってくれるかどうかということについて、非常に神経を使う、そういう形での学生の側からの評価というのもあるわけです。答申ではその辺は触れられていないところですけれども、今後は各大学でそうした調査の実施が、諸条件の厳しい変化のなかで求められてくるだろうという感じがします。  立山 よろしいでしょうか。早田先生に対して直接反論するほどの根拠を持ち合わせているわけではないんですけれども、私はこの学生への評価、たとえばGPAの採用とか、あるいは逆に学生から教師の授業評価、満足度といったものにどうしても根源的なわだかまりがぬぐえないのは、それを通じて授業を改善するとか、あるいはそれを通じて学生が自ら受ける教育の質を確保するということが言われているんですが、だったらその前にどうしてコミュニケーションを図るような努力とか、そのための枠組みとか、あるいはそのための基盤となるべきゆとりとか、そちらのほうにいかないのかというのが、根源的なわだかまりなんです。  たとえばの話、実際いまの大学において、それこそギリシャ時代のように菩提樹の木陰で教師と学生がともに語り合うなんていうのは、たしかにユートピアに過ぎない。しかし、だったらどうしてそれを補うためのさまざまな制度的な枠組みにもっと真剣にならないのか。なぜ数値化されるようなものだけが、表面に出てくるのかという点が、私は根源的に問題があると思います。先ほど私が本質的に評価という形がなじみにくいのではないかという言い方をしたのは、誤解していただきたくないのは、評価そのものをしなくていいとか、おざなりでいいというつもりはないんです。あくまでも現にどういう状況にあるだろうかという、できるだけ客観的、科学的に認識しようという努力は必要だと思う。しかしそれが数値面だけに止まっていて、その前提として、学術とか知的活動というにふさわしいコミュニケーションにつながらない。あるいはそういうものがどうしても読み取れないままのGPAの採用とかセメスター制の採用というのは、あえて非常にきつい言葉を使えば、「小手先」という評価を浴びせられる一つの原因ではないのかと感じている。そのあたりを私は少しわだかまりに思っているということです。大変失礼な言い方をお許し願いたいですが、そういうことです。  司会 評価システムが一つ論点になっていますが、授業の質の改善に評価を結び付ける前に、コミュニケーションを図る努力とかゆとりといった制度的な枠組みの問題ですが、パネリストの方いかがでしょうか。  早田 実は、私は必ずしもGPAの制度の導入とか、大学審議会が提言しているセメスター制の積極的導入に、賛成しているわけではない、もちろん反対しているわけでもないんですけれども、その評価については少し判断を留保させていただきたいと思います。そして、先生のお考えに反論するというものではないんですが、二つの点で私の意見を述べさせていただきます。  たしかにいま先生がおっしゃられたことは、非常に重要なことだと思います。そこで答申を擁護するわけではないですけれども、学生と教員との知的交流を通じた相互の人格の陶冶が重要であるということは、この答申中でもきちんと触れられているのではないか、だからこそ教育の改善というものが、いま求められているということが言われているような感じがします。ですからあまりその辺が強く出ていないということはあるかもしれませんけれども、そのこと自体については触れられているのではないか。私自身はそれについて、それ以上に判断する材料やそれをサポートするような意見はいまのところ持ち合わせていません。  もう一点、学生満足度のサーベイやGPAは、アメリカの評価システムの中でも、これらの活動イコール評価とは見倣されていないんです。要するに、これらはアセスメントと見倣されているんです。GPAを通じて、また学生満足度のサーベイを通じて現状を把握する、それによって得られたデータをもとに定性的な基準、それは大学のあるいは学科などの教育目標かもしれませんが、そうした目標への到達度を検証することで、そこではじめて定性的な評価ということがなされるのです。GPAなどの数値データから直接その大学の教育内容や教育方法の良し悪しの評価がなされるということではないと思うんです。  ですからアセスメントとエバルエーションというのは、ここでは、いちおう区別して用いるべきなのだろうと考えます。   立山先生に教えていただきたいことがあります。学生の主体についてですが、先生のお話のなかにも「ユネスコの高等教育教育職員の地位に関する勧告」がありましたけれども、私どもがこの答申をいろいろ解析していく上で一つわかったことは、このユネスコのもう一つの側面なんです。最近ドイツやタイや韓国で日本と同じような答申が出ているということで、国際的な一つの動向があるだろうと思いますが、その基盤になっているものが、98年に日本で開催されたユネスコの国際会議でのアジェンダだということです。その内容は大学のユニバーサル化、すなわち大衆化・国際化も含め、学習の生涯化というものも含めて、学生の質の確保のための競争、そして勝ったものに厚く資源配分する、どこの国でも同じような方針がだされている。それは国際的な政治・経済を含めた新自由主義の一連のなかで、教育もそういう国際競争力強化の契機と位置付けられているという検討をいま私どもはしているわけです。  そういう国際的な流れがあるとすると、各大学また各個人、教職員個人も自分たちが何とかそのなかで生き残っていこうというところにどうしても行き着いてしまうと、考えざるを得ないわけです。そのなかで一つ伺いたいのは、そういう状況のなかで、絶対に守っていかなくてはいけないのは、学生の成長を目指した教育です。そのなかで考え方としては学生の主体化が必要となってくるだろうと思います。そこで伺いたいのは、学生の主体化というのを精神面ではなくて、制度的にどういうふうに確保していけばいいのか、位置付けていけばいいのか。伺いたいと思います。  司会 難しい質問ですけれども、立山さんいかがでしょうか。  立山 ユネスコ勧告については、少し認識が違う面があると思います。といいますのは、実はこれはこれから詳しい分析をやっていく必要があると思っているんですけれども、ユネスコ勧告に限らず、この種の国際人権法と言われるものの場合、人権の観念がわれわれが考えているところの、憲法の観念と少し違う面があるんです。もう一つ押さえておくべき必要性というのは、国際連合憲章自身がもっている二つの面がありまして、簡単に言いますといわゆる連合国の後継組織という面と、もう一つは世界平和の基礎としての人権と民主主義の擁護という部分の二つの顔が、特に最近必ずしも一致しないという場面、すなわち両方があい矛盾する場面がいくつかあるということであり、それがたとえば国連の運営などを巡って、例のユネスコを巡るアメリカの脱退騒動などにも反映するところがあって、国連というものをたとえばPKO、PKF、いまご指摘になったような次元からだけ押さえると見誤るということは、一つ注意しておいたほうがいいと思っています。  そのなかでもう一つユネスコの勧告に関しては、1996年から2001年までの第四次中期戦略期間全体の流れで見る必要もあります。その中では、持続的な発展とか平和的な学問の発展といった目標が掲げられていまして、それが果たしていまご指摘のあったような新自由主義と言われるようなものと、どういう関係にあるのかということについては、はっきり言ってよくわかりません。ただ勧告の案文に反映されたもの、実はこの種の勧告というのは各国の利害がいろいろからむので、必ずしも論理一貫しないという恨みはあるんですが、にもかかわらずご指摘のような側面とは反対の、むしろ市場経済に高等教育を従属させるということに対する非常に厳しい批判がなされています。  たとえばいわゆる効率性重視ということは掲げられておりませんし、人的な資源というか1人1人の人間を大事にしていく、それも各国の状況に応じて大事にしていくという点は、ある面で日本でやられている議論以上に非常に進んだ面があるんです。日本の場合、深刻になったとはいえ、まだ諸外国に比べると状況がよいという面はあるんでしょうが、たとえば学生の就職、あるいは社会においてよい地位を得られるかどうかということについてまで小委員会で議論が進められていますし、それから女性、身体的・社会的なハンディキャップをもった人々、マイノリティ、こういう人々それぞれについて人権のありよう、あるいは高等教育におけるありようというものが考えられているという面もあります。それから、おそらく東北大学でもあるのではないかと思うんですが、途上国からの留学生が大学における労働力として使われているということについては、厳しく批判されており、むしろ逆に先進国から途上国への人材の派遣が積極的に追求されるべきだということもありまして、ご指摘の点ははっきり申し上げると、むしろ私はそれはあまり大きくないと考えております。  もう一つ、学生の主体化ということについて、具体的に制度的枠組みというのは、正直申しまして私もまだよくわかりません。あくまでもいま申し上げているのは、そういうコミュニケーションを通じて、ともに学ぶ環境を作るなかで対等の主体として、そのなかから共通の理解を作っていくという方向性でありまして、それを具体的にどのように進めていったらいいのかというのは、いろいろなレベルでの議論があると思います。おそらく個人のレベルでできることから、教室単位、学科単位のレベルのことまでさまざまあるわけで、そこらへんの具体化については、私は高等教育論が専門でもありませんので、勘弁していただきたいと思います。  司会 ありがとうございました。   先ほどお話のありました第三者機関に関して、ご意見を賜りたいと思います。私はこの第三者機関というものは、いわゆる予備校の偏差値以上の権威をもった国のお墨付きの格付け会社ではないかと理解しています。たとえば最近ですとムーディーズとかスタンダードプアーズとか、この辺のところが格付け会社として有名ではないかと思うんです。けれども、たとえばトヨタ自動車が終身雇用を継続したいということを述べたがために格付けが下がった。そのことに対して社長が抗議に行くという新聞記事をここ1カ月ぐらい前の新聞で読みましたが、それと同じことが大学に関しても起こり得るのではないか。つまり国の公的な第三者機関が格付けをすることによって、極端な話、格付けを上げるための教育を行いかねないのではないかという気がするわけです。さらにPRのうまいところ、俗にいう特化したところなどは評価が上がり、地方でこつこつと研究、教育をしているところ、地方の私立は特に評価が下がってしまうのではないかという感じがします。最近ですと教育活動の評価に関しては、予備校や新聞社が「日本の大学」という本を出版していまして、ここでは大学の敷地面積、図書の蔵書、教員の研究活動、有名教師の数とか、そういった偏差値以上のものを大学評価として用いるという記事が出ていましたが、、それがもっと激しいものになってくるのではないかという気がするわけです。  パネリストの方にお伺いしたいのは、第三者機関というのを聞いたときに、いくつかネガティブな面が頭に浮かんだんですけれども、こうしたネガティブな面についていかがお考えかということについて、少しお教えいただきたいと思います。  司会 ありがとうございます。もう時間もありませんので、最後にもう1人お願いします。   個人的な見解・質問ですが、うちも私学ですからそうなんですが、2010年までではなくて、去年、今年、短大を中心に私学の大幅な定員割れが起きています。そういうなかで短大はどうするんだ、大学をやっていけるのかという問題が出ているわけですが、大学審答申では答え切れていないんです。ある短大の組合員の方がこんなことをおっしゃっていたんですが、短大も含めて大学教育、高等教育の役割の一つに、文化の消費者というものを作っていく。その文化を享受する人たちを作っていくことで、社会の文化をより広く発展させていくという側面があるんですよ。たとえばお茶とかお花とか、あるいはその他の職人さんの仕事についても、職人を作っていくということではなくて、そういうものがいいということがわかって、それを消費しようという人たちを作っていく。そういうところが新たに日本の社会の文化的な高度化につながっていくんです。われわれはそういう仕事をしているということをおっしゃったのが印象に残っています。  田中先生がおっしゃったことなんですけれども、すべての国民に高等教育を、社会の高等教育の水準を上げるというのはどういう意味があるかというのが一つ、問題なんです。そういう意味でいえば、そういう新たな分野での社会の成熟を図っていくなかで、経済的に言えば新たな高度な市場というか産業ができてくる側面があります。私は大学審の答申を見まして、国家の財政が苦しいというなかで、答申の5番目が一番大事で、大学に基盤整備やお金がいるんだということを言わざるを得ない。そうしないと実は60%の進学率自体が確保できない。授業料が高いから学生さんが来れないというわけです。だから奨学金を含めてこれにお金を回すことを社会が決断していくことが大事だけれども、そうするためにはそうすべきであることを社会に説明しなければいけないという問題があるんです。今回の大学審答申は、われわれが見ていてももちろ不十分ですし、自治のあり方についてはこれはもういらだちとしか思えない。教授会の審議が遅いから、こういう話になっているのではないかと思うぐらいの学長権限の強化かなと思っていますけれども、大学審あるいは文部省が政策を決めるのではなくて、大学審、文部省も含めて高等教育政策をどうするかという、より政策官庁的な色彩を強めていただいて、逆に日本社会あるいは国際社会に対して、ここに資金を投入する、あるいは資源を投入することの重要性を強く説得的に訴えていく。そうしないと学生さんの授業料も下がらない。そういう目でこの答申を読んでみて、これについてどう発言すべきか考えてみたらどうかとさっきから思っていました。  大学の外の社会に向けて発信されていくことの重要性というのを改めて感じていますので、こういう催しをぜひ何度も続けて、しかも外に向かって発信をしていただきたいと思います。  司会 ありがとうございます。もう時間もありませんので、ここで質疑を打ち切らせていただきますが、最後に、第三者機関が国の格付け機関になるのではないかという危惧の念、それからすべての国民に高等教育をといった場合に、それの理由を積極的に社会に説明しなければいけないという視点の質問等があったと思うんですが、それも含めて最後に非常に手短に御三方からお願いしたいと思います。  早田 答申の構想する国立第三者機関が国の大学格付け機関になるのではないか、そういう格付けへの危惧の念を表明されたものと思います。この機関がどういう役割を果たすことになるのかは、私にはまったくわからないところですが、もう文部省では、その辺の青写真あるいはおおよそのアウトラインができているのかもしれません。  第一次的な直接評価の対象となる国立大学の連合団体である国大協のほうでも、この評価システムの問題について議論されているようですが、そこでもランキング付けをするようなものであってはいけない、問題点を指摘してもらい改善方策を提示してもらうという形の評価システムが望ましく、そういう方向でこの第三者機関ができないものかどうかが模索されているようです。こうしたことは、国大協の会報の記述などからある程度推察できると思います。そういうことを踏まえれば、この第三者機関が国の大学格付け機関に向かって直進していくことは、私、個人的には考えにくいと見ています。  もう一点、それと関連することですけれども、国立第三者機関の直接評価対象は国立大学である、この第三者機関が国に支えられた国立大学を評価するということであれば、当面は文字通り「第三者」的に国立大学の評価機関として機能することになったとしても、次第に、それは国立大学が「国立」として存続することの正当性を社会に対して明らかにするという形で機能していくことが予想される、要するに、それは第三者評価機能から、今後は、国が設置・運営する大学に対する一種の自己評価機能に軸足をシフトしていく可能性すらある、そして、自己評価ということであれば、それは、設置者である国と設置されている国立大学が相互に連携し合いながら改善点を模索していくという方向で機能する可能性も否定できないのではないかと考えています。  ですから、大学格付け機関になることへの危惧もありますけれども、中・長期的に見ればそうでない方向にいく可能性もあるのではないかと考えています。  司会 田中先生、よろしくお願いします。  田中 非常に問題が複雑でして、大学で十分教育機能を果たしていないということに関わりまして、いろいろ問題になっているんですが、実は大学に入ってくるまでの教育の状況の問題、これをともすると忘れがちになりますので、私どももまだそれほどよく承知しているわけではありませんけれども、教室での実感というのは、学生の行動スタイルとか頭の使い方とかいろいろなことも含めて、20年前とはかなり変わった、これは実感です。ですからそういう意味で、日本の教育システム全体をどう考えるのかというように問題を立てて、そのなかで高等教育機関の位置付けみたいなものもしっかりやらなければいけないと考えています。ご指摘いただいた初等・中等教育の問題は、私どもも大いに勉強しなければいけない大問題だと考えています。  それから最後にお話しいただいた点は、実は私どもがこの夏以来ずっと考えてきたことでして、いまから約30年ほど前になるでしょうか、高校全入時代というのが日本で起こりました。私の年代ですと、私は田舎でしたから高校に進学するものが15%程度ではなかったかと思います。それが10年ほどの間の高度成長時代にガラッと変わりまして、ほぼ高校全入ということになりました。そのことが日本社会の成熟にどれだけ貢献したかということについては、たしかに費用負担という点では大きなものがあったと思いますけれども、それ以上の効果があったのではないか。そういう経験を踏まえて、先々高等教育についてももっと普及という方向を追求すべきではないのかと大ざっぱに考えています。  ただし、そうは言いましても中身をどういうようなことにしていくのかということについては、もっと研究しなければいけない。日本私大教連は将来の高等教育を、長期的な視野でどうするのかということについて、構想を描こうという課題をもっています。それについてはいろいろな先生方にご相談申し上げて、私学の先生方だけではとてもじゃないができないと思いますし、国立大学の先生方にもいろいろお教えいただいて、1年ぐらいを目途に近々そういう作業を一生懸命やらせていただこうと思っています。  それから先ほど私が地域ということを申し上げたんですが、当面のところ地域の文化をどのように守るかということに関わって、私ども日本私大教連は労働組合の組織ですから、差し当たりそこが焦眉の課題になっていて、もうすでに問題が出かかっている。たとえば大学が移転でいなくなった町がどういうことになったかという事例も耳にしています。私どもの年代あるいはもう少し上の方ですと、大学というのは近づきがたい存在という印象をおもちだと思いますけれども、地域ということから考えると決して近づきがたい存在ではなく、むしろ1人1人の人たちの生活に極めて密接に関わっていることをおわかりいただけることになるのではないかと思いまして、そんな運動を一生懸命やらせていただこうと思っています。  立山 最後になりますが、最後にご発言いただいた点について、これは私は大学が学術の中心である以上、当然のことだと思っています。いろいろな形で地域との間のコミュニケーション、あるいは、幅広い教育関係者とのコミュニケーションは絶対大事だと思っています。私は評価の問題というのは、先ほど早田先生のほうからきちっと区別したご指摘ありましたけれども、資源の効率的配分と直結しないような、アセスメントあるいは客観的に認識する一つのきっかけとしてのものは、むしろ追求していくべきではないかと思うわけです。  ただ第三者性ということについて、この辺が一つの大きなカギになるのではないかという気がします。今日はあまり議論になりませんでしたが、学校運営協議会等の社会への参加ということについても、これは一つの大きなカギになるのではないかという気がしています。その際に私が一つ参考にしていますのは、私自身がドイツの憲法などを少し勉強していることもありまして、たとえば教育のような分野について、いわゆる国家や行政の支配からも独立であると同時に、先ほど東北大学の方がご指摘になったような、いわゆる市場経済からの支配からも独立が、第三のパブリックな領域というものを作る。最近これを社会学者などは公共空間とか公共圏という呼び名で、公共性という言葉とは違う言葉として使っているようですけれども、それを承認し、それが憲法上も重要な位置を占めるということで、憲法秩序のなかに組み入れていく。その一つのきっかけとして、社会の多種多様な構成員をまんべんなくカバーし、いわば出身母体ではなく、公的な領域に対する責任を負うべき存在として組織を作っていく。それがさまざまな見解などを述べていくという形態が一つの参考になるのではないかという気がします。  もちろんその組織のありようは非常に問題になると思います。たとえばドイツの場合でも、その種の協議会システムが実際には議会による支配に服してしまっているという指摘もあります。したがって議会の別の発言の場が確保されただけという、非常に厳しい批判もあるんですが、少なくとも理念的なモデルとして、第三者性ということ、あるいはその組織原理と行動原理ということについて、一つの手掛かりを与えるような考え方になり得るのではないかということ。それだけをいまとりあえず考えているとお答えして、発言を締めくくりたいと思います。ありがとうございました。  司会 どうもありがとうございました。今日は長時間報告を引き受けていただいた3人のパネリストの方に、改めて拍手をお願いします。(拍手)  これで第二部のシンポジウムを終わらせていただきます。最後に日本私大教連の松田委員長から、閉会あいさつをお願いします。 閉会あいさつ 日本私立大学教職員組合連合  中央執行委員長 松田良介  皆さん、長時間ご苦労様でした。答申が出た以降、また今日の文部省の話ではありませんが、法制化に向けてというスケジュールもあります。われわれ全大教、日本私大教連ともども協力・共同しながら、その法制化の反対に取り組んでいきたいと思っています。また今後こういう機会も、できることならば企画をしまして、おおいに交流をするとともに大学問題をさらに広く運動化して、国民のなかに入っていくというような壮大な考え方のもとで、一致団結してやっていきたいと思います。  今日は皆さん、どうもありがとうございました。(拍手)