「大学改革」と大学の自治・再論 小沢隆一(静岡大学人文学部・憲法) はじめに  私は、先般「『大学改革』と大学の自治」という小論を「全大教新聞」(1999年8月10日号)に寄稿した。これを目にした中執の森田さんの「書き足りなかったことも含めて全大教時報に」との勧めについ軽く乗ってしまい「再論」を寄せる次第である。とはいっても、最近の大学をめぐる情勢を大学自治との関連でどう見たらよいのか、諸「改革」とその構想は果たして大学とその自治に何をもたらすのかを(その「語り口」に惑わされることなく)考えてみたいという思いは、時間的にも近接している先の投稿から一貫している。併せて読んでいただければ幸いである(多少の重複もあるがご寛恕願いたい)。また、本稿は、本誌23巻1号掲載の立山紘毅論文「大学自治の憲法論」に触発されてもいる。同論文が、今日における大学自治の「原理論」すなわち「理論篇」であるとすれば、本稿は、より大学情勢に近いところで論ずるいわば「実践篇」である。立山論文とは、問題意識を共有するところが少なくないと考えているので、併せて参照を願う。  ところで、「大学改革」をめぐる動きは、急ピッチで展開している。以下のようなこの間の推移を見るだけでも、それは誰の目にも明らかであろう。  大学改革のためと称して学校教育法(学教法)や国立学校設置法、教育公務員特例法(教特法)が「改正」された。6月17日の国立大学長会議では、有馬文部大臣が国立大学の独立行政法人化(独法化)について、(行革会議委員時代の「反対」という意見を捨てて)「文部省としてできる限り速やかに検討したい」とあいさつした。おりしも行革会議で第二部会長として行政機関の独法化構想をまとめた藤田宙靖東北大学教授が、法律専門雑誌に「国立大学と独立行政法人制度」という論文を発表した(ジュリスト1156号)。私の専攻分野である法学に関わっては、法曹養成制度を含む「司法制度」の改革との関連で「ロースクール」(法科大学院)構想が浮上している。この春には、全国の大学の法学部・法学科に対して法務省から司法試験や法学教育などについての意見聴取があった。この間いくつかの大学で、「法曹養成と法学教育」をテーマとするシンポジウムが取り組まれている。6月に出された学術審議会の答申「科学技術創造立国を目指す我が国の学術研究の総合的推進について―『知的存在感のある国』を目指して―」(以下、「学術審答申」と略す)では、「科学技術創造立国」路線を具体化するためのより踏み込んだ構想が語られている。  こうした大学をめぐる「同時多発」的な動きが深部で結びついていること、たとえば、一見関連性の乏しいかのように見える「科学技術創造立国」路線と法学の世界に固有に関わる「司法改革」の動きは、実は政府・財界の「21世紀戦略」の一環であり、その重要な柱であることなどについては、ここで詳述する余裕も能力もない。ここでは、この視点が本稿の奥にあることだけを指摘するに止め、現今の「改革」がもつ大学の自治に対するインパクトとその意味に考察をひとまず限定する。 1.学教法・国立学校設置法・教特法改正と大学自治 (1)学部とその教授会の自治の意義  先日成立した「大学改革」法は、大学の自治に何をもたらすのか。こうした問いに対しては、従来の大学の自治が旧式で現状に対応できないから法改正されたのだという意見があろう。しかし、そうした意見からは、旧くなり社会に適応していないのは、大学の自治の「理念」や「原理」なのか、その「現状」や「実定制度」なのか、あるいは両者なのか、私には判然たるものが聞こえてこない。また、新しい制度が大学の自治の何をどのように変えようとしているのか、そのもつ意味は何かなどについて、国会審議(全大教資料98―19「「改革」関連資料集」第49集所収)を見る限り十分につめられたとは言い難い。大学自治・その現行(旧)制度・新制度の三者の関係を慎重に検討する必要がある。  大学の自治は、総合大学にあっては、学部自治を前提にして発展してきた。単科大学でも学科の自治なり独自性があるだろう。学部内の学科・講座の運営にも一定の自治的要素が含まれているはずである。それは、一定の学的体系に結集する職能集団としての教授(=研究者)層にこそ、研究・教育・人事・予算配分等についてのよりよき判断が期待できるという想定に基づいている。この「想定」は、理念としては、現在でも妥当すべきものと考える。近代社会のなかで発展してきた学の体系の基盤の上に立って研究教育を担う職能集団による自治こそ学部や学科・講座などでの教授会や研究者集団の自治の本質であるはずである。  もっとも、私は、大学の管理運営のすべてが、ここでいう学部・学科等の自治によって行われるべきだと主張するものではない。事務系職員や学生がそのふさわしいあり方で大学の管理運営に関わること、すなわち「全学全構成員自治」の理念は否定すべきでないし、かつてに比べて「後退」状況が目立つ(例えば、一橋大学における学長選挙への学生・職員参加「制度」の廃止、この点については、阿部謹也「インタヴュー 大学改革と自由化」現代思想27巻7号(1999年)参照ただし、同氏の「談話」には違和感をおぼえる。)この理念の意義は、将来のその「再生」にむけてむしろ強調しすぎることはないともいえよう。しかし、それにもかかわらず、「全構成員自治」の理念と一定程度緊張関係に立つ「教授会(研究者集団)の自治」を今日あえて強調することは意義のあることだと思う。研究・教育を進める職能集団が、大学の場で行われる研究・教育の中身を決めていくこと、そのために必要な人員(陣容)と予算についての決定権を有すること、これは至極当然のことである。今回の「大学改革」法はこの当然の原則に手をつけたところ(例えば、「教員人事の方針に関する事項」を評議会の審議事項としたこと、学部教授会での教員の採用・昇任の選考に際して学部長が評議会の「方針」を踏まえて意見を述べることができるとしたことなど)に一つの重要な意味がある。 (2)「改革」における教授会自治の扱い  この問題に代表されるように、今回の法改正は、全体として、学部教授会の権限の制限を志向している。評議会と学部教授会の審議事項の法律による列挙もその現れといえよう。このことと関わっては、次の点も無視しえない。今回の法改正によっていずれ改廃されることになる「国立大学の評議会に関する暫定措置を定める規則」(昭和28年文部省令11号)では、評議会の権限として「学部その他の機関の連絡調整に関する事項」を掲げていた。新たに法律として評議会の権限を列挙した改正国立学校設置法7条の3の第5項では、この規定は脱落した。これは何を意味するのであろうか。私は、このあたりに「自治主体としての学部」についての否定的な見方を感じる。「連絡調整」という概念は、学部を一個の自治の「主体」と見ることを前提にして成り立つと思うからである。このことと、「国立大学及び国立短期大学は、当該国立大学又は国立短期大学の教育研究上の目的を達成するため、学部その他の組織の一体的な運営により、その機能を総合的に発揮するようにしなければならない」という規定(改正国立学校設置法7条の7)を重ね合わせて読むと、一見「いわずもがな」の当然事を述べているようなこの規定が、「自治主体としての学部の否定」という実は大変な「意味」を持っているのではと勘ぐりたくもなる。国会審議での佐々木正峰文部省高等局長の次のような答弁にその「片鱗」がうかがえるともいえる。「国立大学の運営の現状を見ると、学部等の閉鎖性が指摘され、一つの組織体として明確な意志決定のもとに明確な方針で運営がされているとは必ずしもいえない状況というものがあるわけでございます」(1999年4月22日衆院文教委員会)。  以上の諸点は、国会での法案審議でも当然に問題とされ、それぞれ次のような政府当局者の答弁が引き出されている。「教授会は、合議体の機関として、それ(学部長の意見―引用者)を踏まえつつも、みずからの立場で審議を行うものでございまして、これが教授会の審議を拘束するというようなものではございません」(1999年5月13日参院文教・科学委員会佐々木正峰文部省高等局長答弁)。「教授会の重要性はいささかも変わることはございません。…全学にわたる問題であっても、特にその学部の教育研究の上で重要なことであれば、もちろん教授会で議論してしかるべきであります。そういう意味で教授会の力をそぐというふうな考えはございません」(1999年5月13日参院文教・科学委員会有馬朗人文部大臣答弁)。「(国立学校設置法7条の7について―引用者)この規定はあくまでも訓示規定でございます」(1999年4月22日衆院文教委員会佐々木高等局長答弁)。これらの「答弁」に共通しているのは、その「答弁」通りになるかならぬかは、ひとえに各大学の構成員の自覚と見識にゆだねられているという点である。そのためにも、大学構成員には、「教授会自治」の意義と役割についての深い理解が必要と思われる。 (3)教授会自治は非効率?  「教授会中心の大学運営は、時間がかかりすぎ非効率だ」という声をしばしば耳にする。ただし、こうした声の多くは、「審議すべきことを精選して、必要な議論をしっかりしよう」という趣旨だと考える(やみくもに「会議は無駄」という意見には、驚き当惑するしかない)。だとすれば、それは何も「教授会自治」を敵視することなく実現可能である。「審議事項の精選」は原理ではなく技術的対応で可能であり、教授会自治こそ「充実した議論」を可能とするからである。私も静岡大学に着任して足かけ10年になるが、教授会で特定の議題で長時間議論したという「経験」は、主として大学設置基準の「大綱化」を踏まえた教養部の改組、新学部設置とその後の教養教育の実施についてである。議論の過程では、しばしば「うんざり」させられたりもしたが、しかし、これらの問題こそ、大学としてどのような研究・教育体制を構築するかという、すぐれて学部(とその基礎を形成する学問)の間の「連絡調整」という理念が試され、鍛えられる事例であった。教育・研究のシステムに関わる重要事であるこの種の問題で、とことん議論した上で結論を出すことは、評議会だけでなく学部教授会の本来的使命であるはずである。これは、とうてい学長や大学執行部中心の「トップダウン」で片を付けるべき問題ではない。この種の問題で真に恐れるべきことは、(既存の学の体系に依拠するにせよ新しい体系を構築しようとするにせよ)学問や教育に内在した検討から結論が引き出されなかった場合である。教養部を廃止して新学部を設立した全国の国立大学で、この「悩み」を持たないところがいくつあるであろうか。 (4)運営諮問会議と「学術審答申」  さて、改正国立学校設置法によって「運営諮問会議」がいずれ各大学に設置されることになる。これについては、近現代が培ってきた諸科学・技芸のバランスのとれた発展に配慮した活動を求めていく必要がある。その点では、6月の「学術審答申」が、「人文・社会科学研究の振興と総合的研究の推進」を掲げるという新しい方向を打ち出してはいるものの、従来の「科学技術創造立国」路線の枠内での「軌道修正」であるような点もうかがえるのは気になるところである。例えば、答申は、「人文・社会科学研究の推進を課題として取り上げる背景」として、「自然科学及び技術の成果は、社会の発展や生活の向上に貢献する一方で人類の生存や基本的な倫理観さえ脅かすことがある」という点を挙げているが、人文・社会科学を自然科学に対して従たる位置に置くかのような発想が見え隠れしているように思う。また、人文・社会科学研究が取り組むべき課題の提示も、一方で抽象的である(例えば「情報化の進展に伴う生活の複雑化」)かと思えば、他方では実利的という意味での具体的であったりする(例えば「既存の経済理論では予測・対処できないような経済変動」)。諸科学・技芸の真の意味での「総合」的推進の志向は、この答申からはうかがうことができない。来るべき各大学での「運営諮問会議」の答申や勧告が「科学技術創造立国」論の引き写しであるとすれば、学問の個性ある創造的発展にとって危惧の念を覚える。 2.独立行政法人と大学の自治  国立大学の独法化問題それ自体の詳しい検討は、私の手に余る。すでにかなり詳細な検討も出始めている。(例えば、以下参照、山本隆司「独立行政法人」ジュリスト1161号(1999年)、フォーラム東大改革No.18、19(1999年・東京大学職員組合))。ここでは、大学の自治との関係で気になる点を、藤田宙靖論文への批判的コメントという形で示す。 (1)法人化による「独立」は大学の「自治」を促進するか  藤田論文は、基本的には「然り」と語っていると読める。もっとも、同論文は、大学の「自治」という表現を(周到にも?)極力避けて、大学の「自由」とか「独立性」という表現を多用している。例えば「国立大学には、現行の制度の下でも、他の一般の行政分野に比して、相当広範な「自由」ないし「独立性」が与えられている」(117頁)、「国立大学には、既に現行制度の下でもかなり広範な独立性が与えられているため、仮に独立行政法人化したとしても、その限りにおいて、本質的に変わりは無い」(同)という具合である。藤田論文がここで語る大学の「自由」・「独立性」の中身は、従来公法学で「大学の自治」の内容の一部として論じてきたもの、すなわち研究・教育内容や教員人事の自主的決定権のことのようである。これはこれで単なる「呼び換え」にすぎないかもしれないが、次の点は、「呼び換え」では済まされない重要な意味をもつ。  私は、藤田論文が語る大学の「自由」・「独立性」とは別のところにも、すなわち同論文が黙して語らないところにも、大学の自治の意義とその本来の基盤がある(今まであった)と考える。それは、国立大学の場合、定員法(行政機関の職員の定員に関する法律)による人員管理と校費積算のシステムである。これらは、従来から「定削」や予算執行上の制約の根拠となってきただけに「わずらわしい」ものとだけ受け止められがちだが、私は、他方でこれらは国立大学における研究・教育活動の安定的基盤として「自治」を支えてきたと考える。私立大学にしても、1975年の私学振興助成法による国庫助成の法制度化以降、経営に一定の安定性がもたらされたことを考えると、国立(公立)・私立の設置形態の別を越えて、財政的基盤の安定が、大学を大学らしくさせるといえる。ちなみに、裁判官の身分保障は「司法の独立」の柱であり、日本国憲法は「裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない」と規定している(80条2項)。程度の差はあれ、同様のことは大学にも妥当すると思う。  大学における教育・研究や人事の「自由」は、大学が財政管理を含めて内部秩序の形成すなわち自治の主体となることの一部であり、財政面など自治の他の要素に依存する。これは従来からの「大学自治」論のイロハではなかったか。この点では、近代日本の大学は、その創設以来一貫して「財政自主権」の欠落に悩まされてきたことが、専門研究の知見として示されている(寺崎昌男『大学の自己変革とオートノミー』(東信堂・1998年)183頁以下参照)。藤田論文における大学の「自治」の「自由」「独立性」への呼び換えは、こうした大学自治の総体性(トータリティ)の否定、すなわち大学自治論の「放棄」の宣言と読むことができる。 (2)独法化で予算・定員管理は「自由」になるか?  「それでも(例えば予算管理が)『自由』なほうがまだましだ」という意見もあるかもしれない。日経の1999年8月18日付の社説「進めたい国立大学の独立行政法人化」は、そのことを強調する。さらに「独法化によりとりあえず定員の枠外に出て『定員削減』の直撃を避けよう(自・自連立政権の政策合意は『国家公務員の25%削減』である)」という判断もありそうだ。藤田論文も、こうした情勢「判断」を勧めているかのように読める。「国立大学が、現在のような国の直営の形で残る限り、正面からこの削減計画(行革会議「最終報告」のいう平成13年度から10年間で定員10%削減―引用者)の対象となることになる。他方、独立行政法人化した場合には、定員管理は、基本的に当該法人の判断に委ねられる」(118頁)という。「国の厳しい財政状況をリアルに見て対応せよ」といいたいのであろう。  しかし、独立行政法人になって予算や定員の管理の「自由」度が増すことが将来的に大学にメリットをもたらすとは、にわかには思えない。藤田氏自身にしても、独法化後の人件費の原資となる「運営交付金」について、「(その)額は、業務の評価次第では、将来減らされることもあり得る」としている(118頁)。こちらの「判断」のほうが、はるかに「リアル」ではなかろうか。それを裏付けるものとして、太田誠一総務庁長官の次の国会答弁に注目しよう。「効率性を求められる独立行政法人の職員削減は、25%くらいでは困る。もっとハイピッチで減らさないといけない」(1999.5.31衆院行政改革特別委員会)。これは、大学以外の独立行政法人を念頭においてのものではあるが、独立行政法人制度の導入が、「行政のスリム化」という要請に基づいている以上、あまた生まれる(ことになる)独立行政法人のなかでひとり国立大学のみが潤沢な予算と人員に恵まれるということはおよそ想定しがたい。独立行政法人通則法では、人件費の見積もりを含む「予算」も各法人が定める「中期計画」の事項とされ(30条)、この「計画」は、主務大臣が定める「中期目標」(29条)に基いて(すなわち従って)各法人で定められることになっている。これによって人員・人件費の厳しい中央統制がなされることは、火を見るより明らかである。  「独立」によって定員の枠外に出ることそのこと自体は、何らの見返りもないばかりでなく、むしろより厳しい「スリム化」の要請にさらされる位置に大学を置くことになる。 (3)「経営システムの整備」の意味  藤田論文は、独立行政法人たる大学にとって「経営システムの整備」が必要だとする。(120頁)これは、掛け値なしの本音であろう。独立行政法人通則法は、法人の長は主務大臣が任命するとしたその20条で、法人の長の「資格」者を次のように規定する。「一 当該独立行政法人が行う事務及び事業に関して高度な知識及び経験を有する者 二 前号に掲げる者のほか、当該独立行政法人が行う事務及び事業を適正かつ効率的に運営することができる者」。これに関連して興味深いことは、この条項の原案段階では「経営に関して高い識見を有する者」という趣旨の規定が第三号としてあったそうである(座談会「行政改革の理念とこれから」における森田朗発言、ジュリスト1161号(1999年)30頁)。このことが仮に事実だとして、また「法人の長」が各大学の学長職だと仮定すると、独立行政法人制度とその通則法が「志向」するものは、「人格が高潔で、学識がすぐれ、且つ、教育行政に関し識見を有する者」とする教特法の学長の「資格」とは、およそ思想的境位を異にするといわねばならない。「通則法」の想定する人事システムが手続的に教特法と矛盾することは明白であり、この点は「個別法」で治癒すべきことは当然であるが、とはいっても、こうした「制度思想」の違いは、「個別法で調整する」で済まされる問題であろうか。  要するに、ここでいう「経営システムの整備」が、大学というシステムにふさわしいかを、今真剣に考えなければならない。というと、「外国の大学はとっくにやっている」「日本でも私学はそうだ」と言われるかもしれない。しかし、「やっている」というのとそれが「成功している」というのは、別である。ある大学あるいはある国の大学システムの「成功」が(何をもって「成功」というか議論がありうるが、とりあえず大学の研究・教育水準の高さがその重要な基準だとして)、「経営システムの整備」で研究者を大学管理から解放することによって確保されるものなのか、それとも別の要因、例えば、潤沢な研究・教育費、教授集団の職能的自由・自治の強さ、国や自治体―ひいては国民―の高等教育への責任・期待意識の強さなどによるものなのか、専門的知見も踏まえて冷静に検討してみなければならない。 (4)誰も「お薦め」しない政策がなぜか「進む」この国の不幸  藤田論文は、全国の大学で広く読まれているようである。私の所属する静岡大学でも、ある部局では教授会メンバー全員に論文のコピーが配布された。ただし、よく読まれれば読まれるほど、この論文と現在の政策動向の問題性が浮き彫りになってきているように思う。この点での理解を深める上で、藤田論文が掲載された法学専門誌「ジュリスト」の最近の号(通巻1161号、1999年8月1・15日合併号)における行政法・行政学・憲法の研究者の座談会「行政改革の理念とこれから」を一読することを本誌読者にもお薦めする。この座談会からも国立大学の独立行政法人化がいかに「お薦め」できない政策かがわかるからである。  座談会では、「行政改革会議」の事務局スタッフであったある大学教授が、「独立行政法人という全く新しい考え方は、とにかく行政改革会議では、ほとんど皆さんにイメージがなかった」、「(行政機関の―引用者、以下同じ)スリム化の手段としてそれ(独立行政法人)がとりあげられたところに、初めからその基本的な発想が違っていたのではないか」、「いびつなものとなってしまった」、「理論的な帰結としてこうなったとは、とても言い難い」などと述懐している(30頁)。立案当局者自身が、この制度は当初の意図からずれて「お薦め」できない政策になってしまったかのような言い方をしているのである。実は、この政策がいかに「危うい」ものであるかは、藤田論文それ自体からも、読みとることができる。論文は、本稿の2―(2)で指摘した点に関わって、「仮に独立行政法人へと移行するとした場合、…所管大臣の監督・関与の規定を国立大学に適用するについては、よほど慎重なものがあるのでなければならない」(119頁)としている。また、大学は通則法がねらいとする領域とは異なる領域である以上、通則法に定められた内容と異なる定めを「個別法」ですることが必要で、その条件が充たされなければ、「独立行政法人という制度は、国立大学には、その性質上ふさわしくない」(122頁)とも述べてもいる。藤田論文をもってしても、国立大学の独法化は、それほどまでに「お薦め商品」とは言い難いのである(その他の論点や「通則法」と「個別法」の関係把握の行政法学上の問題点については、前掲山本論文、フォーラム東大改革No.18、19を参照のこと)。  誰も「お薦め」しない政策が、なぜ粛々と「進め」られようとしているのか。将来的な「カタストローフ」(前掲山本論文の表現)が予想されるにもかかわらず、なぜ大学人は、「独立行政法人化反対」の声を大きくあげることができないのか。私には、とても奇妙に見えてならない。 結びにかえて  現在の「大学改革」は、私たちの研究・教育・生活の基盤を揺るがすきわめて危険な、ただしなかなか抗しがたい動きである。「ならば、波にとりあえず乗るしかない」、「推進・反対どっちに頑張っても疲れるだけ。私は私の仕事をやらせてもらう」という声が聞こえてきそうである。しかし、私たち大学人にとって「真に守るべきものは何なのか」を真剣に考え横につながらなければ、「守るべきもの」も手からこぼれていく。今「守るべきもの」とは、狭く国策や産業界の要求に従う大学にしようという動きに抗して、すべての地域のあるあゆる階層の国民に対して広く開かれた大学づくりを進めること、そのための高等教育への公的責任を明確にすることである。国立大学の独法化は、この「公的責任」のあいまい化の端緒となるがゆえに阻止しなければならない。私たちは、そのためにも、研究・教育だけではなく「自治」の専門力能も身につけるよう努力する必要がある。全大教には、是非そのための意見・行動の交流・集約・結集の場になってほしい。 (1999年8月3日脱稿、8月27日補訂) 高等教育の国家責任を放棄する 「国立大学の独立行政法人化」 岐阜大学教職員組合大学問題検討会  文部省は、本年5月の国立大学事務局長会議、6月の国大協総会・学長会議において、「国立大学の独立行政法人化」に対し、従来とってきた反対姿勢から一転して「速やかに検討する」ことを表明した。文部省は年内に案をまとめ、来年の概算要求時にはその現実化措置に向けた諸要求を行おうとしている。  独立行政法人化は、教育論なき大学改革であり、学術政策なき高等教育再編である。しかも、独立行政法人の基本単位を99大学が単一の法人となるのか、地域あるいは性格別などに応じた複数のグル−プで法人を構成するかといった具体案を公式には−非公式に各大学を説きふせるための材料は作られたようだが−示さない無責任ぶりなのである。なのに年内にも結論をだすことを迫っているのである。  構想の内容においても、議論の手続きにおいても、国立大学の独立行政法人化はふさわしくない制度設計である。文部省も、大学行政を担う省として反対の立場に立ち返るべきである。  ところが、多くの国立大学では、文部省の指示を受け、評議会を通じて学部長及び学部教授会で、導入に向けての議論が行われているようである。その際、藤田宙靖著「国立大学と独立行政法人制度」(『ジュリスト』99年6月1日)が指針的検討材料とされることが多いようだが、後に明示するように、この論文には、致命的な欠陥がある。  再度強調しておこう。現在議論されている「国立大学の独立行政法人化」は、明治の学制施行、戦後の学校制度改変にも匹敵する高等教育制度の抜本的改革である。にも拘わらず、独立行政法人化という新たな制度の内容や高等教育を享受する機会がどのように変化するのか、研究教育条件や教職員の職場環境がどのように変化させられるのかについて議論は不十分なままであり、国民的合意が形成されているとは言い難い。  こうした状況の中で、7月8日に独立行政法人通則法を含む省庁改革関連法が国会で成立したのである。  我々は、このような政治状況を前提としつつも、大学人としての原点にたちかえり、国立大学の独立行政法人化に断固反対するべきであると考える。なぜなら、藤田論文と通則法を検討すればするほど、独立行政法人という制度設計は高等教育機関には馴染まないこと、国の高等教育への責任をさらに投げ捨てるものであること、教職員の身分を不安定化させるものであることが明らかになるからである。  以下では、述べてきた結論的内容について検討を加えたい。 〓 高等教育を投げ捨てる制度設計に断固反対を  我々は、国立大学の独立行政法人化には断固反対である。なぜか?  もちろん、現状の国立大学に対する社会的批判について、我々も真摯に受け止めることにやぶさかではない。実際、そのような批判に応えるためにも、大学は大学自治を基礎とした学術の振興、有為な人材の育成を目指した教育改革に真剣に取り組んできた。大学自治に基づいた自主改革は、すべての大学で持続的に取り組まれている。  しかし、今回政府が行おうとしている国立大学の設置形態の変更は、こうした真摯な取り組みを考慮したものではない。それは、いたずらな設置形態の変更であるにすぎず、教育現場に混乱をもたらすだけである。それはまた、高等教育に市場原理という企業経営一般の原理を導入するものであり、各大学がそれぞれの教学目的に応じて果たしてきた社会的役割を、その基盤から堀り崩すものである。  従って、如何に巧みに論述しようと政治的術策を凝らそうと、合理的でないものは合理的ではない。今回の設置形態の変更プランは、公務員の25%削減という政治的目的のための数合わせ、辻褄合わせのために国立大学を標的にしたにすぎない。そこには、高等教育の基本方針や将来構想、学術の発展を通じた国際社会への貢献、人類社会の進歩への貢献などの議論は全くない。欧米に比して少ない高等教育予算をさらに縮減することに対する反省や、高等教育に対する責任を果たそうとする意思は全くない。  我々は、このような不当な攻撃を甘受することは、大学人として絶対にできない。全ての大学人が、国立大学の独立行政法人化の不合理性、不当性を理解し、反対運動にともに立ち上がることを願ってやまない。  以下で藤田論文と通則法の概要を検討するのも、そうした反対運動の一助となることを願ってのことである。 〓 「国家行政組織の減量化」を国立大学にシワ寄せ 藤田論文の概要  藤田氏は、東北大学の行政法学者であるが、同時に橋本内閣行政改革会議(96.11−98.6)委員、小渕内閣中央省庁等改革推進本部(98.7−)の顧問でもある。行革会議では、小委員会の責任者として独立行政法人の制度設計の中心的役割を果たした。  藤田氏は、国家行政の減量化には行政改革委員会及び地方分権推進委員会が検討した「水平的減量」とともに、「垂直的減量」、つまり「企画立案機能」と「実施機能」を分離し、「実施機能」を担う行政組織を民営化及び独立行政法人化することが、必要であるという。  ここでいう独立行政法人とは、「組織の減量化」→「人員の減量」→「財政負担の軽減」→「業務の効率化」を目的として作られる、国家行政組織とは別の法人格を有する組織体のことである。組織は企業会計原則に基づき経営され、その職員は本来非公務員である。その対象は、公共的必要性はあるが国が主体となって実施する必要のない事務及び事業であるとされる。  したがって、「国家公権力の行使に当たる業務等は」、原則として国家行政の固有の組織・活動として存続する。しかし、「他方で、民間にも広く存在する文化的業務等は、正面から検討の対象とされ得る」。しかも、日本の独立行政法人化案では、そのモデルとされたイギリスのエ−ジェンシ−とは異なり(イギリスでは大学はエ−ジェンシ−の対象外である)、登記登録事務などの大量反復的な性質をもつ業務が対象外に置かれた。そして逆に、試験研究、文教研修・医療厚生、検査検定の業務について、先行的にその設置形態の変更が図られることになった。この意味で独立行政法人は、「イギリスのエ−ジェンシ−の日本版」ではなく、「改良型の特殊法人」であるという。  国立大学への適用については、行革会議「最終報告」(97.12)で、「一つの選択肢」とされ、中央省庁等改革推進大綱(99.1)で2003年度までに「結論を得る」とされてきた。ところが、他方で、行革会議「最終報告」で2001年から10年間で10%とされていた公務員の定数削減(閣議決定)が、98年8月の小渕内閣発足時の施政方針で20%に、10月の自・自連立で25%へと上乗せされる。この目標を達成するためには、国立大学を定数削減対象の枠外扱いとする独立行政法人化は避けられないとされた。そこで、来年の概算要求時までに各国立大学は独立行政法人化への移行を結論づけるべきであると、藤田氏は解説する。  ところが、藤田論文でさえ、国立大学の独立行政法人化の無理は否定しがたいと認めざるをえないのである。すなわち、国立大学は「(独立行政法人)通則法が行っている制度設計が本来狙いとした領域とは異なる領域である以上(中略)、独立行政法人という制度は、国立大学には、その性質上ふさわしくない制度であると結論せざるを得ない」と述べるのである。が、藤田氏は、「にも拘らず」として大急ぎで付け加えるのである。「国立大学にそもそも不適合なものであるとして、(略)政治状況から国立大学もまた、独立の法人格を持つ(国家行政組織の外に出る)ことは避けられない(必要である)のである」と。そして、独立行政法人以外の選択では、「政府の予算措置の保障がどこまで得られるか」分からないと結論を誘導する。さらに公務員身分を有する特定独立行政法人を要求し、教育公務員特例法による「独立性」を確保した個別法を要求すれば、現状とほぼ変わらないで生き残れるという幻想を振りまくことを忘れない。 教員研究機関の独立行政法人化は不当な攻撃  藤田論文を子細に検討すればするほど、よりはっきりしてくるが、この論文では、二律背反的な内容が「にも拘わらず」という接続詞で結合され、政治状況を考えて大学人は独立行政法人化を受け入れろと迫る政治的意図を表明した内容に満ちている。接続詞の誤用・乱用に依拠して、政治主義的イデオロギーを吹聴するという致命的欠陥のある論文なのである。  それ故、「にも拘わらず」である、と我々も使わせていただくが、学術の発展に貢献したいと考え、国民のための大学づくりに取り組んでいる我々は、大学人として藤田論文とは異なる結論を出さざるをえない。なぜなら、藤田氏も認めるように、教育研究活動においては「企画立案機能」と「実施機能」は不可分の一体性をなしているからである。教育公務員については、教育公務員特例法が定められ、また、学問の自由と教育の自由を核とする大学の自治が認められてきた理由の一つも、この「企画立案機能」と「実施機能」との一体性にある。言うまでもなく、大学自治は、学術振興の基礎であると同時に歴史的反省を踏まえた民主主義社会の規範でもある。  改革するとすれば、大学自治の破壊ではなく、自治の拡充にむけた改革こそが必要なのである。ところが実際には、大学改革に対する社会的要請の名の下で、文部省の財政誘導や窓口指導によって大学の自治が形骸化されており、大学が国民の要求に応えようとして行う自主的で民主的な改革は大きく制約されている。大学人が文部省のさまざまな介入によって膨大な資料作成などに追われ、研究教育のための活動が時間的に制約されている事態こそ改革されなければならないのである。大学自治と結合した自主的改革を制約している行政指導の情報公開こそが、国民のための大学づくりには必要なのである。これまでも、大学の自主改革を装わせ、大学の「企画立案機能」を形骸化させ、「実施機能」に一元化しようとしてきた文部行政こそが問題なのである。独立行政法人化は、こうした誤りを一層拡大し制度化するものなのである。  学術研究のために、国民の高等教育を享受する機会を保障するために、思い切って教育予算を拡充こそが必要である。独立行政法人化することで教育予算を縮減したり、学費の一層の高騰を招来することによって、国民のための大学づくりは実現するはずがない。  大学が、学術発展への取り組みの度合によって評価され、情報公開などを通じて国民の社会的評価を真摯に受け止める取り組みが今後一層必要となることは言うまでもない。しかし、国民による社会的評価は必要であっても、特定の利害関係者や政治的意図による評価は不当であり、排除されるべきである。  だから、内閣府の「総合科学技術会議」や総務省・文部科学省に作られる「評価委員会」といった政治的・官僚的・企業的意図による評価、つまり独立行政法人としての大学に対する評価は、本来の大学評価に最もふさわしくない。個別法の内容を工夫するということではなく、国立大学を通則法の適用対象から除外することこそが、学術文化の振興を図り、学問の自由、教育の自由を守るために必要なのである。  そのためには、国立大学の独立行政法人化議論の原点を明らかにすること、つまり、行政改革が必要とされた事情に遡って考えることが必要になる。  第一に、日本の行政組織における中央集権的構造の硬直性・権力性や特権化・利権化への国民的批判こそが行政改革必要論の原点だったこと、この点から捉えるべきことがある。つまり、公共事業依存国家や地方自治支配からの構造転換を行う改革こそが国民の求める行政改革である。しかるに、この度の中央省庁再編においても、この構造は温存されたままである。省庁数の減少によって国土交通省、総務省などの巨大官庁を誕生させ、利権の集中化が図られるという逆行した改編すら行われている。藤田氏のいう「水平的減量」「垂直的減量」が必要なのは、まさにこの分野なのである。藤田氏が学者として主張すべきは、国民の批判を政策に反映させることであって、高等教育機関の制度改変によって、政府の行っている誤りのシワ寄せを正当化することなどではないはずである。  第二に、「組織の減量化」による予算の縮減のあり方についても同様の問題がある、そもそも現在のように約600兆円という巨額の累積債務を生み出しているのは、教育予算ではない。日本では、先進諸国の中でも貧困な教育予算配分となっていることは周知の事実である。財政破綻の原因は、公共事業費の肥大化であり、大銀行への救済融資などである。健全な国家財政運営に復元するためには、これらの政策を転換させることこそが必要なのである。この課題を回避したまま、国立大学予算の縮減を目的とした独立行政法人化や「将来は民営化」(経済戦略会議、99.2)などを根拠づけることは言語道断である。  第三に、行政組織の減量化には、官僚の天下り先となっている特殊法人などの外郭団体を改組することこそ必要なのである。藤田氏が言う「(独立行政法人)通則法が行っている制度設計が本来狙いとした領域」の組織の減量化こそが必要なのであって、本来は狙いとしていなかった国立大学に独立行政法人化の狙いをねじ曲げてまで適用することが必要なのではない。  第四に、国立大学は度重なる定員削減によって、学生への教育サ−ビスの提供や研究の遂行のための人員が不足しているのが実情である。高等教育機関としての使命を十全に果たすためには、定数増こそ必要だというのが現場の声である。「業務の効率化」と「財政負担の軽減」・経営管理のために教職員数を削減することにならざるをえない制度設計、すなわち事業体としての独立行政法人化という制度改革は、逆立ちした議論である。  以上の検討からして、国立大学の独立行政法人化によって公務員定員の削減を図ろうという施策は、高等教育を発展させることを目的にした制度設計では断じてないことは明らかである。他省庁の族議員を始めとする政治的圧力によって、国民の政府批判、官僚機構批判を文部省という「弱い環」にシワ寄せしてかわそうとしたものであることは明らかである。かかる政策手法は、高等教育機会の拡充を願う国民の要求を裏切るものであり、学術振興を阻止するものであることも明らかである。  我々は、国立大学の社会的役割を守り、職場環境を守るために、この不当な攻撃に断固として反対しなければならない。攻撃の不当性を国民に明らかにする活動を早急に展開しなければならない。断固として反対運動に立ち上がることは、大学人としての社会的責務でさえある。 〓 独立行政法人通則法の概要 通則法と個別法  通則法は「独立行政法人の運営の基本その他の制度の基本となる共通の事項を定め」、個別法は「各独立行政法人の名称、目的、業務の範囲等に関する事項を定める」。両者は「相まって(中略)事務及び業務の確実な実施」を図る(通則法1条1項)。「組織、運営及び管理については、個別法に定めるもののほか」通則法の定めによる(通則法1条2項)。成立した通則法は、個別法を通則法の枠内に取り込み、通則法で詳細に定め切れない事項を補足するものとして個別法を予定している。  国立大学について通則法とは異なる個別法の制定が可能であるかのように主張する藤田氏の主張は、法技術的にはありえても現実的ではない。なぜなら、国立大学は本来独立行政法人の対象としては考えられてはいなかったのに適用対象に取り込まれたのは、藤田氏が解説するとおり、公務員の定数削減であり、財政破綻のシワ寄せなのだから。その政策目的の達成を使命とする通則法に包摂されない国立大学に関する個別法というのは論理矛盾である。両者は、一体となって独立行政法人化された国立大学の運営を拘束することを目的としていることは明らかである。 独立行政法人と特定独立行政法人  独立行政法人化した組織の「役員及び職員に国家公務員の身分」を与えた場合が特定独立行政法人である(通則法2条)。しかし、独立行政法人職員に公務員身分を与えることを可能にしたのは、政策的判断によるものでしかない。つまり、藤田氏が解説するように「本来は公務員であってはならない」のであって民営化にいたる過渡的措置として公務員身分を与えることを認めたにすぎない(行革会議活動記録)。実際、行革会議の議論では、非公務員では独立行政法人になる組織が少ないだろう、「公務員として働いている人はその身分にこだわりがある」、そこで独立行政法人化を受け入れさせるためには「入り口は2〜3の選択肢があってよい」(行政改革会議活動記録)といった政策的判断があけすけに語られていた。と同時に、そこには、争議権を与えないという意図もある。 中期目標、中期計画、年度計画  独立行政法人は、3−5年の期間を対象に、業務運営効率化、提供業務内容改善、財務計画などにつき達成すべき業務運営計画を定め(中期目標という。通則法29条)、その目標達成のための詳細な事項につき中期計画をたて主務大臣の「認可」を受ける(通則法30条)。さらに、毎事業年度の開始前に、中期計画に基づいて年度計画をたて、主務大臣に届ける(通則法31条)。その上、各事業年度における業務実績につき評価委員会の評価を受けなければならない(通則法32条)。  事業計画及び実績報告は、数値化することが考えられている(行革会議活動記録)。計画達成率に基づいて評価委員会は、年度途中であっても改善「勧告」をだすことができる。「勧告」は、審議会からもだすことができる(通則法32条)。  また、主務大臣は独立行政法人の長及び監事を「任命」する(通則法20条)。他方で「業務が悪化した場合」は「解任」することができる(通則法23条)。  つまり、人事及び主務大臣の意向にそった年次計画をたてさせ、その進捗度合が悪い場合は人事統制、業務統制を行うことができるのである。また、予算計画(人件費を含む)による資金統制を通じて現存の大学間予算配分格差をさらに拡大することもありうるのである。  したがって、独立行政法人の「独立性」の実態は、為政者からの「独立」ではなく、現在よりも一層の従属性の制度化なのであり、国民の意思や教育現場からの「独立」=「乖離」と言うべきなのである。独立行政法人化の「独立」への期待は、たんなる幻想に留まるものではなく、主務大臣や評価委員会などへの従属を正当化するだけである。 評価委員会  これは、総務省及び文部科学技術省に設置される(通則法12条)。委員は「実務経験の豊富な外部有識者を起用する。また、必要に応じ、法人の役職員、所轄官庁の職員等の出席を求めることができる」。主たる業務は、中期計画、各年度計画の業務審査・実績及び運営交付金額の審査である。評価を踏まえて「勧告」をだし、「長・役員等の人事に反映し、任期途中の交代もありうる」。また「評価結果を踏まえ、職員のボ−ナス等に一定の増減を行うなど、職員の処遇に反映」させるというものである(以上、行革会議活動記録)。  こうした評価委員会は、従来導入が試みられてきた第三者評価、99年の学校教育法等改定で導入されることが決まった「運営諮問会議」を受け皿として、主務省及びその統括組織としての総務省に設置されるわけだが、教育行政の支配統制構造・大学の国家政策への従属構造を具現するものなのである。この意味でも、独立行政法人化によって自由な大学運営が可能であるかのようにいう見解は、幻想であり、完全な誤りであることは明らかである。 財務・会計 「原則として企業会計原則による」(通則法37条)、と言われている。「政府は、予算の範囲内において、独立行政法人に対し、その業務の財源に充てるために必要な金額の全部又は一部に相当する金額を交付することができる」(通則法46条)。この運営費の交付についても、「評価委員会の評価を経て、一定のル−ルに基づいて算定した金額」を交付するとされている(行革会議活動記録)。  近年の私学助成の縮減や一般助成から特定助成への切り換え、国家財政の破綻による教育予算の縮減からして、このまま放置すれば、教育予算がさらに削減され、財務運営の効率化がより一層強化されることは目に見えている。国立大学の独立行政法人化は、私学助成のより一層の削減にも連動するのであり、この意味で、私立大学も含めた全大学が反対すべき問題である。  加えて、政府は、99年4月に今後10年間に行政コスト30%削減を達成するため、一層の「行政の減量化」と「行政の効率化」に取り組み、積算単価の切り下げや必要数量の削減を行うことを閣議決定している。一方で、独立行政法人会計基準研究会を組織し、「費用概念」や「収益概念」、「資産概念」、債務行為の範囲などにつき検討が加えられている。  これらにみられる独立行政法人化にむけた準備作業は、予算の縮減と効率的・重点的運用を図り、予算執行の統制を強化しようとするものであり、独立行政法人化によって予算執行の自由度が高まるという見解が幻想であることを、さらに裏づけている。また、政府が行うとしている予算政策は、国の高等教育の責任放棄を予算面で教育現場に押しつけ、貧困な教育環境をつくりだすものであるだけでなく、教育効果の停滞を現場の責任に帰し、第二段階の制度改革(行革会議では公設民営方式、公私協力方式、事務組合方式など多様な設置形態や広域行政・自治体連合による受け皿づくりなどを含めた地方移管、民営化を含めた改革がすでに議論されていた)を行うことを余儀なくさせるものでもある。  以上の検討から明らかなように、国立大学の独立行政法人化は、日本の高等教育を破壊しかねない愚策である。政権と官僚機構に対する国民の批判に対し、高等教育をスケ−プゴ−ドとして既存の利権構造を生き残らせようとする本末転倒した術策の産物である。  国立大学協会は、明確な拒否の姿勢を鮮明にするべきである。文部省はただちに反対の姿勢に復帰すべきである。大学人は、大学自治と結合した学術振興と国民のための高等教育をより一層発展させるために、攻撃の不当性を広く国民に訴える運動に立ち上がるべきである。 大学と社会 −戦後高等教育の回顧と展望 塚本一郎(佐賀大学経済学部) 1.はじめに−適応と主体性  高等教育制度は社会的制度であり、大学をはじめとする高等教育機関は、歴史的社会的に規定された存在である。このようないわば当然の前提を確認するのは、今日、高等教育に対するかつてないほどの世界的な関心の高まりのなかで、高等教育の制度のありかたそのものが、その構造や機能も含め社会から厳しく問われているからである。特に高等教育制度の中心に位置する大学は、それが社会的存在である以上、社会の変化に対してより機敏に、そして、主体的に適応していくことが求められているといえる。しかし、一方で大学は、「大学の自治」「学問の自由」に代表される歴史的に形成された固有の組織原理を有しており、社会への適応と大学が主体性・自律性をもってその特性を維持し続けることとの間にはジレンマが生じうる。戦後日本の大学も度重なる改革のなかで、こうしたジレンマを経験してきたことは周知の通りであるし、現在もその渦中にある。  以上のように、本稿では、大学と社会との関連に注目する視点から、戦後高等教育の一定の歴史的総括の上に立って、一連の大学改革の総仕上げともいえる大学審議会答申(1998年10月26日)の歴史的位相とその限界について考察する。あわせて、21世紀の高等教育のありかたを展望していく上で求められる社会と大学の関係に対する視点について若干、提起したい。 2.大学と社会 (1)大学と国家  「ユニヴァーシティ」の原語であるラテン語の「ウニヴェルシタス」が本来、「団体」または「組合」を意味するように、中世ヨーロッパにおける大学の創設以来、大学は歴史的にその自治的な「団体的原理」と「国家的原理」との間で相克が宿命づけらてきた(島田、1990年、5頁)。今日の大学においても国家との関係が大学をめぐる基本問題のひとつを形成していることには変わりはない。「大学の自由」を脅かす国家による「専制」が、人類社会から完全に消え失せたわけではないし、「専制」とは性格を異にする様々な形態での大学に対する「誘導」や「統制」も存在し続けている。  とりわけ大学就学率の上昇に伴う高等教育の量的拡大のなかで、増大する高等教育財政と国家財政との緊張関係が高まっており、一方で大学の教育研究は、国際競争力の維持とますます結び付けられるようになってきている。各国政府は、イギリスの「デアリング報告」(『生涯学習における高等教育』1997年7月)等に象徴されるように、大学の教育研究に対して国際競争力の維持への貢献と財政支出に見合う成果や質の保証を求める政策を打ち出してきている。すなわち、国家は、高等教育政策を、国家財政との均衡をはかりながらも、経済成長や国際競争力と緊密な関係をもつ国家の重要な政策のひとつとして位置づけるようになってきており、今日、大学に対する国家の関与は強まる傾向にあるとさえいえる。  また、今日では、高等教育の量的拡大のみならず、研究の高度化に伴い、科学研究そのものの規模が巨大化し、そのための資金を国や企業から大量に調達する必要が高まっている。その際、大学の自主性、内発性を喪失することなく、先端的研究を行いうる環境をつくっていくことが課題となる。大学は、「資金の導入によって、大学の自由が阻害されるとき、自由な研究を行う雰囲気がこわされ、真の意味における独創的な研究を期待することは困難」(宇沢、1998年、76頁)になるといったジレンマに直面することになる。 (2)大学と社会  しかし、「大学と社会」との関係を「大学と国家」との関係というように矮小化することはできない。大学に対する国家の圧力の背景には、高等教育政策の再検討を、そして、大学自体に自己変革を余儀なくさせるより大きな社会的圧力が存在するからである。高等教育が量的に拡大した国々において最も大きな社会的圧力として存在するのは、進学率の上昇による大学の大衆化と人口構造の変化である。  アメリカの社会学者マーチン・トロウの高等教育の発展段階説によれば、高等教育制度は、就学率15%、50%を境にエリート、マス、ユニバーサルの三つの発展段階をたどることになる。高等教育の発展段階が、就学率が50%をこえるユニバーサル・アクセス型に達すると、高等教育には、希望するものはだれもがアクセスしうるような制度的構造をもつことが求められると同時に、その質的転換がせまられることになる(トロウ著、天野・喜多村訳、1976年)。  また、一方での18歳人口の減少に代表される人口構造の変化と他方での社会の生涯学習化は、大学の教育研究体制を生涯学習ニーズに合わせることを余儀なくさせるだろう。アメリカの高等教育機関在学者の3分の1が25歳以上の成人といわれている。わが国においても、いずれ高等教育人口を18歳から22歳の限定する発想そのものが、近い将来問い直されるかもしれない。  当然ながら、大学に変革をせまる社会的圧力は、こうした大衆化圧力や人口論のみで説明しうるものではなく、もっと複雑多様である。社会経済の急激な構造変化とグローバル化、情報通信技術の急速な進展に象徴される科学技術の未曾有の発展と他方での科学技術の陳腐化の加速化、地球環境問題や社会病理現象の深刻化等は、高等教育に対する社会のニーズをますます多様化させるとともに、従来の学問体系では説明しきれない様々な社会事象を現出させている。大学をはじめとする高等教育機関は、そのシステム全体が、急速に変化し不透明化する社会経済状況のなかで生み出される多様な社会的圧力にさらされて、いかにその存在意義を社会に説明し、適応していくかが問われているといえる。  しかし、大学は、社会的存在であるとはいえ、社会の要請に応えるだけの受け身の存在ではない。大学はそれ自身固有の組織原理を有しているように、主体性と学術研究に内在する論理に基づいて、社会の様々な諸問題に対して、自由で批判的な精神から発言していくことが求められているといえよう。大学は、社会に対して一定適応すべき存在であるのみならず、「一国の文化的水準の高さをあらわす象徴的な存在」として「その国の将来の方向を大きく規定する」(宇沢、1998年、75頁)ものとして、積極的に位置付けられる必要がある。 3.戦前期の高等教育と戦後高等教育改革 (1)戦前期の日本社会と高等教育  1886年の帝国大学令、1918年の大学令(私立大学も含む)は、大学を「国家ノ須要ニ応スル」教育研究機関と規定したことで知られるが、こうした国家主義的な政治体制のもとでも、帝国大学をはじめとする大学において、大学の自治、特にその根幹である教授会自治の慣行は形成されていた。しかし、制度創設以来、帝国大学の教授職が「国家官僚」と位置づけられたこともあって、歴史的には「教授会自治の慣行の形成過程が大学の特権化と併行して」進むなか、「大学の自治によって守られるべき学問の自由と、国民一般の知的探求の自由とは少なくとも大学自治論のなかで相互に切断されるにいたった」(寺崎、1998年、180頁)のである。  この大学における「学問の自由」と国民一般の「知的探求の自由」との分断は、帝国大学を創設した文部大臣森有礼以来の「学問」と「教育」を区別する論理とも関連している。すなわち、「学問」の場は帝国大学で、「教育」の場は高等学校、中等学校、師範学校、小学校等の大学以外の教育機関であるという考え方である。こうした考え方のもとで、大学以外の「教育」現場からは「教育」における自由が徹底的に奪われ、大学では相対的に「学問」における自由が許容されるという分断状況が生じていた。そして、「学問」と「教育」の分断は、「エリートの知」と「民衆の知」との間の分断、すなわち「国民の教養の分裂的状況」(堀尾、1994年、57頁)をつくりだすことにもなったのである。  以上のように、戦前の「大学の自治」が享受した「学問の自由」は、より広い「市民的自由」によって十分支えられたものでなかったがゆえに、自ずから限界をもっていた。戦前日本の「市民社会」は、日本社会の軍国主義化・全体主義化を阻むほどには成熟してはいなかったし、大学における「学問の自由」も、到底、そうした変化の荒波に抗し切れなかったのである。 (2)戦後日本の民主化と教育改革  第二次世界大戦の敗戦を契機として、連合軍占領下で戦前の軍国主義・国家主義的な体制そのものが改革すべき対象となり、GHQ(連合国軍総司令部)主導の一連の戦後「民主化」によって、日本社会の総体としての「民主化」が実行に移されることになる。1945年10月にGHQによって発せられた五大改革1)の指令のなかには、学校教育の自由主義化が、労働組合結成の奨励、経済機構の民主化等とならんで5項目のひとつとして位置づけられていた。  さらにGHQは、10月から12月にかけ教育改革のために、「日本教育制度に対する管理政策」等、4つの指令を次々に打ち出したが、それらは軍国主義・国家主義教育の禁止とそれにかわる平和主義・基本的人権理念の提示、国家と神道との分離、教職追放・適格審査等にかかわるものであった。こうした一連の改革と並行して、1946年3月には第一次米国教育使節団の報告書が提出される。第一次米国教育使節団の主たる目的は、先の「日本教育制度に対する管理政策」の具体的方策を示すことにあったといわれているが、その報告書における勧告は、戦後日本の教育改革の基本方向を提示するものであった。  しかし、国として、戦前の帝国憲法・教育勅語体制からの根本的転換と新しい教育研究体系の基本理念を宣言したのが、日本国憲法と教育基本法であることはいうまでもない。1946年11月に公布された日本国憲法は、その第23条において「学問の自由はこれを保障する」と規定している。これは、1933年の滝川事件、35年の天皇機関説事件のように、戦前、「学問の自由」が直接、国家権力によって侵害された歴史を踏まえたものであるが、これによって大学の自治についても、憲法上保障されることになる。   教育基本法の制定については、第一次米国教育使節団が、教育の自律性を保障しその条件をつくる教育行政のありかたを提示した点などから、教育権の独立を規定する教育基本法の内容にも影響を与えたと考えられる。しかし、実際の立案・検討作業は、1946年8月に設置された内閣所轄の審議会である教育刷新委員会と文部省によって担われた。そして、教育基本法は、その前文に、憲法が謳う平和主義、人類普遍の原理、個人の尊厳などの上に立って教育を普及させることを宣言しているように、戦前の教育勅語の教育理念にとってかわるべき教育に関する根本法、いわば「教育憲法」として、1947年3月に公布される。  1947年4月からは、教育基本法と同時に公布された学校教育法に基づいて、六・三・三・四制の単線型の新しい学校制度、すなわち新学制が発足する。この学校教育法第52条では、大学の目的を「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする」と規定している。戦前の帝国大学令や大学令が、「国家ノ須要ニ応スル学術・技芸ヲ教授」(帝国大学令第1条)「国家思想ノ涵養ニ留意スヘキ」(大学令第1条)など、大学の目的を国家主義的思想から性格づけたのに対して、戦後の学校教育法が、大学を学術の中心として明確に位置づけた意義は大きい。 (3)新制大学の発足  1947年から始まる戦後の高等教育改革は、戦前の階層的構造の高等教育制度を廃止し、新制大学に一本化する方向で進められた。この際、改革の理念となったのは、アメリカ的な教育の機会均等思想である。モデルとなったのも、戦前の帝国大学がモデルとしたドイツのベルリン大学のようなエリート養成型の大学ではなく、アメリカ的な大衆化指向型の高等教育制度であった。しかし、日本の大学がその後、完全なアメリカモデルに移行したわけではなく、戦前来のヨーロッパ型とアメリカ型の接合というかたちをとることになる。  この戦後日本の高等教育の改革において、第一次米国教育使節団の報告書と連合軍民間情報局(CIE)教育課高等教育担当関係者の大学教育論が、大きな影響を与えたといわれている(関、1988年)。その最も大きな影響は一般教育(general education)の創出であり、それに伴い大学の学部段階の教育が、一般教育と専門教育で構成されるようになる。  第一次米国教育使節団の勧告のなかには、高等教育機関の協会を設置し、高等教育の質の向上をはかることが含まれていたが、これが後の大学基準協会の創立を導くことになる。この大学基準協会の前身である大学基準設定協議会は、1946年10月に文部省内に設置されたが、その後、大学に関する基準をつくる権能は大学に委ねるべきとの議論もあって、自主的運営方式による協議機関に生まれ変わることになる。そして、1947年7月に国公私立あわせた発起人校46校によって、会員の自主的努力と相互援助を通じて大学の質の向上をはかるこを目的として、大学基準協会2)が設立される。そして、大学基準協会自身が定める「大学基準」「大学院基準」等が相互審査の際の基準として会員大学に適用されるという、アメリカ式のアクレディテーション(accreditation:適格判定)方式がとられることになる。  同時に、これらの基準は文部大臣諮問機関の大学設置委員会(現在の大学設置審議会)の行政基準としても採用された。すなわち、「同じ基準がメンバー審査の基準であると同時に行政基準であるという二重性格をもっていた」のであり、「戦後改革の当時、大学を官僚統制から解放し『大学グループの自治』を基盤にしてアカデミック・スタンダードをつくるという理念のもとで、こうした基準の二重性が実現」したのである(寺崎、23頁)。しかし、1956年10月に文部省令「大学設置基準」がつくられたことによって、大学設置認可行政は文部省の手に移ることになる。このように萌芽的に現れた「大学グループの自治」も、結局は確立されず、大学運営に対する行政優位が強まっていくことになる。   大学の管理運営については、戦前の自治的慣行を追認するかたちで、大学管理機関が学校教育法と教育公務員特例法(1949年制定)上に法定された。すなわち、教授会については学校教育法第59条において、その他の国・公立大学の教員人事にかかわる大学管理機関については教育公務員特例法上に規定された。しかし、教特法の大学管理機関に関する規定は、新しい管理運営方式の導入を予想して暫定的なものとされ、第25条において「当分の間〜読み替えるものとする」という読替規定(暫定措置)が置かれ、現在に至っている3)。評議会についても、暫定措置として「国立大学の評議会に関する暫定措置を定める規則」(1953年文部省令第11号)において規定されている。  高木英明によれば、「戦後の一連の学制改革において、国立大学の地方委譲ないし理事会管理方式の採用についてアメリカ側の強い勧告があったと思われるにもかかわらず、大学の管理制度だけは新しい理念に添った改革が実現されるに至」(高木、280頁)らなかったのである。また、戦前からの争点であった教員人事権については学部教授会の権限として法定されたものの、自治の重要な要素である財政自主権については、戦後の国公立大学も獲得しえなかったのである。 4.1960年代以降の高等教育改革  ここでは1960年代から現在に至るまでの戦後大学改革の歴史的変遷を、大学改革をめぐる論点ともいえるいくつかの局面を浮き彫りにしながら、たどっていくことにする。 (1)「能力主義」の教育への浸透  中央教育審議会は、1960年代の終わりから70年代のはじめにかけて、明治初期の学制(1872年)、戦後改革に次ぐ「第三の教育改革」を標榜し、改革構想を練り上げていく。1960年代以降の高度経済成長期の教育改革の特徴は、教育が経済成長と結び付けられ、経済成長に資する人的能力開発の観点から教育の「能力主義」的再編が企図された点にある。1963年の経済審議会答申は、「能力主義」という言葉が初めて政策文書で使用されたことで知られるが、産学共同の原理と結びつけて「能力主義」の原理をはっきり打ち出した点にその特徴がある(堀尾、1994年、293頁)。この経済審議会答申は、「ハイタレント」の養成という観点から学校制度の多様化も提言しているが、同年、これと連動して中教審答申も大学の「種別化」構想を打ち出している。 (2)大学紛争  高等教育制度のありかたは、何も政府や産業界によってのみ問われたわけではない。1970年前後、日本でも大学紛争の嵐が吹き荒れ、そこでは大学の管理運営のありかたそのものが、学生達から攻撃の対象となる。すなわち、大学は、学部教授会自治に象徴される「閉鎖的な」大学自治のありかたに対する学生達の異議申し立てに直面することになる。紛争の過程で、管理運営への参加を教授のみから大学の全構成員(教授以外の教員、学生、職員など)に拡大することなどが要求されたが、そこで問われたのは大学自治の主体は誰であるかという問題である(高木、1998年、282頁)。しかし、一方でこうした管理運営の変革を求める学生の要求は、「教育の場にもっと関心を払ってほしい、自分たちの方を向いてほしい」という要求ともかかわっていたという見方もできよう(天野、1997年、68頁)。 (3)高等教育機関の「種別化」  大学紛争は、日本の戦後高等教育制度が、何らかの変革を必要とするほど深刻な段階にあることを社会的にも強く認識させる結果となった。こうした時代状況のなかで、1971年の中教審答申、いわゆる46答申が提出される。この46答申も「第三の教育改革」を標榜しているが、そこでは研究と教育の機能的分化を軸として高等教育機関の一層の「種別化」が提起されている。これは「研究院」という博士課程だけの大学院と修士だけの大学院(大学併設と独立設置の場合がありうる)、学部だけの大学、短大、高専といった高等教育機関の「種別化」を意味していたが、大学側の強い反対もあり、ほとんどが実現をみなかった(しかし、この流れで1974年の大学院設置基準の改正によって、学部に基礎を置かない「独立研究科」「独立専攻」の設置が可能となる)。  また、この46答申は、全学的一体的運営の観点からの管理運営体制の効率化・合理化、学長・学部長などの「執行機関」と評議会・教授会などの合議制の「審議機関」との機能分担(1969年の答申でも指摘)、国公立大学の設置形態の見直し=法人化なども提言している。 (4)「規制緩和」の高等教育への浸透  70年代以降、経済が低成長の局面に入り、国家財政の危機が深刻化するなかで、1980年代には、戦後のケインズ主義的な福祉国家体制からの根本的転換をめざし、資源配分を市場原理に基づいた自由競争に委ね、経済的規制・社会的規制の緩和を推進する新自由主義的な経済・社会政策が、アメリカのレーガン政権、イギリスのサッチャー政権、そして日本の中曽根政権の政策基調となる。そして、それが教育政策にも浸透していくことになる。  すなわち、第二臨調の「民活路線」「規制緩和路線」と呼応するかのように、1984年に発足した臨時教育審議会は、84年から87年にかけて「教育の自由化」と「規制緩和」を旗印に、高等教育の個性化、多様化、大学の設置形態の見直し、大学審議会の設置等を打ち出した。臨教審の政策基調も、基本的には前述の中教審答申の延長上にあるといえる。しかし、臨教審の大学改革構想の基本にある観点は、日本はもはやキャッチアップ型競争の時代は終え、「21世紀に向けて、科学技術の高度化を前提として、国際指導力の強化を見越し、国際化・成熟化あるいは生涯学習化といった将来像に適応するよう、高等教育体制を再編成」(寺崎、122頁)していこうという観点であるといえる。 (5)大学設置基準の大綱化  臨教審の「教育改革に関する第2次答申」(1986年4月23日)に基づいて1987年に設置された大学審議会は、この10年間に高等教育の計画・政策、管理運営等に関する18に及ぶ答申・報告を提出してきた。これらの答申のなかには、戦後の大学教育の基本的枠組である大学設置基準の大綱化や教員の身分と教育研究条件に大きな影響を及ぼす大学教員任期制などが含まれ、いずれも答申を受けて実施されている。今日、目の前で繰り広げられている「改革」競争とでもいうべき全国規模での急激な大学改革は、1991年の文部省令大学設置基準の改正、すなわち大学設置基準の大綱化が、大きな引き金となっていることはいうまでもない。この改正省令には、自己点検・評価の努力義務も盛り込まれた。  大学設置基準の大綱化以降、全国の大学で教養部の「解体」が進んだことは、周知の事実である。大学設置基準の大綱化それ自体は、一般教育と専門教育の区分を取り払い、4年間のカリキュラムを自由に編成しうるようにするもので、何も一般教育の組織や課程を廃止せよというものではなかった。その意味では、大学に対して、教育に関する自己改革の裁量権を拡大する意義を有していたということもできよう。しかし、現実には、特に国立大学の多くが、教養部・教養課程の廃止に走ることになる。こうした改革姿勢は、大学の主体性のなさの象徴といえる。しかし、この過程で、「何か新しいことをやったら予算をつける」といった大蔵省の予算編成方針のもとで、大学側に「新しい」改革案の提出をうながす文部省側の示唆が強く働いたことは否定できない(中野、1998年)。これは国立大学の財政自主権の欠如の問題とも関連している。 (6)大学院重点化  教養部の「解体」とともに、今日の大学改革のもうひとつの大きな潮流を形成しているのが、大学院重点化である。大学院重点化政策の出発点は、先の1971年の46答申に求められるが、今日みられるような大学院重点化政策が推進されるのは、1984年の臨教審設置以降である。それ以降、高等教育の多様化・高度化の名目に下に、大学院の拡充が図られることになる。例えば、1991年11月25日の大学審答申「大学院の量的整備について」では、2000年度における大学院学生数の規模を、「少なくとも現在の規模の2倍程度」(約20万人)に拡大することが必要であるという目標を設定している。まだ欧米の水準には遠く及ばない3)とはいえ、実際に大学院の量的拡大は進行していく。  しかし、大学院教育の基礎である学部教育の充実との有機的連関を欠いたまま歪んだかたちで進められ、大学院についても、人員・施設の確保等の条件整備が不十分なまま学生数が急増したために、大学院教育のマスプロ化、大学院担当教員の負担増・多忙化を招来し、必ずしも大学院教育の質の向上に結び付いていない現状がある。また、予算、施設・設備等において、大学院を設置する大学と設置しない大学との格差、設置する大学においても「重点化された大学」とそうでない大学との間の格差が温存され、むしろ格差を助長する方向で、重点化が推進されている(三輪、1999年5月)。  平成11年度予算でも、後述する大学審議会答申(1998年10月26日)を踏まえ、「大学院の教育研究の高度化・多様化」といった施策を遂行するために、「優れた教育研究実績を上げることが期待される大学院や、新しい試み、特色ある試みを行う大学院」に対して、重点的な予算措置を行うとしている。予算配分においても、明確に資源の重点的・効率的配分を通じた「多様化」路線が打ち出されている。 (7)経済界の高等教育への要請の変化  前述したように、戦後日本の高等教育制度の展開は、「経済」と「教育」との関係が緊密になっていく過程でもあった。すなわち、高等教育政策は経済政策とますます不可分のものと意識されるようになったのである。  特に1990年代は、『大学理工系の研究機能強化に関する提言』(経団連、1992年)、『技術創造立国への転換』『大衆化時代の新しい大学像を求めて』(経済同友会、1994年)、『新時代に挑戦する大学教育と企業の対応』(日経連、1995年)、『科学技術基本計画の策定に望む』(経団連、1996年)というように、経済界が高等教育制度のありかたに対して、教育・研究体制、産学官の連携から管理運営問題に至るまで積極的に大学改革に関する政策提言をなすようになる4)。  こうした経済界の高等教育政策への要請の変化は、経済界が日本経済の国際競争力の低下への危機感と企業の人材需要の変化を背景として、大学をますます産業発展に寄与する「研究開発機関」「人材養成機関」とみなすようになったことの反映とみることができる。 (8)科学技術政策:「科学技術創造立国路線」  日本経済の国際競争力の低下への経済界の危機感は、近年のわが国の科学技術政策の基調となっている「科学技術創造立国」路線にも反映されている。すなわち、「科学技術創造立国」路線は、1995年11月に議員立法により全会一致で成立した科学技術基本法、96年7月に閣議決定された科学技術基本計画によって国家戦略となった感がある。こうした背景には、日本がキャッチアップ型近代化の時代を終え、メガコンペティションのなか、科学技術分野においてフロントランナーとなっていかなければならないという時代認識があるといえる。  科学技術基本計画は、「新たな研究開発システムの構築」を掲げている。そうした目的を実施する具体的施策は、「柔軟で競争的な研究開発環境」としての任期制等による研究者の流動化の促進、競争的研究資金の拡充であり、また、ポスドク1万人計画、産学官の人的交流の促進、厳正な評価等である。これらの施策は、政府がめざす大学改革の基本的方向ともオーバーラップするが、研究者の流動化の促進の一環である大学教員に対する任期制は、1997年6月成立の「大学の教員等の任期に関する法律」によっていくつかの大学においてすでに導入されている。  また、1998年5月には、「研究交流促進法の一部改正」(「研究交流促進法の一部を改正する法律」)と「大学等技術移転促進法」(「大学等における技術に関する研究成果の民間事業者への移転の促進に関する法律」)が公布されている。前者は民間企業等に対して国立大学等の敷地内における共同研究施設の廉価使用を認めることを目的としたものであり、後者は、技術移転機関(TLO)を設置し、大学等の研究成果(特許等)の企業への効率的な移転を促進することを目的としている。これらの法律の性格は産学連携をより一層推進するものであるが、大学という組織のみならず研究者個人が企業と「一体化」し、主体性・自立性を喪失していく危険性を内包したものといえる。  なお1998年1月には、文部大臣から学術審議会に対して「科学技術創造立国を目指す我が国の学術研究の総合的推進について」という諮問がなされ、99年6月に「答申」が発表されている。この学術審議会答申も、大学審議会答申とともに、今後の教育研究体制のありかたを大きく左右すると考えられる。 (9)行政改革・独立行政法人化問題  1996年の臨時国会において、橋本首相は、行政改革、経済構造改革、金融システム改革、社会保障構造改革、財政構造改革の5つの改革を打ち出し、97年1月の通常国会の施政方針演説のなかで「教育」を含めた6大改革に取り組むことを発表する。  こうした政府の行革路線は、基本的に新自由主義的な「小さな政府」路線に立脚し、行政の公的責任を縮小する一方で、内閣機能の強化に象徴されるように「強い国家」をめざすものである。また、国家行政の腐敗の構造の抜本的改革をほとんど問題とせず、財政危機を理由として行政機関に効率化・減量化を求めるものであり、国民に対する行政サービスの質の低下が予想される。そして、公務員に対しては、一方的に雇用の不安定化と労働条件の変更・低下を押し付けるものといわざるをえない。  1997年12月には、2001年に1府12省庁に移行することや行政機関の独立行政法人化等を内容とする行政改革会議最終報告がまとめられ、98年6月成立の中央省庁等改革基本法において基本的に踏襲される。99年4月27日には、90機関の独立行政法人への移行、公務員を10年間で25%削減することなどを内容とする「中央省庁等改革の推進に関する方針」が閣議決定され、7月8日には、独立行政法人通則法を含む中央省庁改革関連法が成立している。  国立大学の独立行政法人化については、99年1月26日に閣議決定された「中央省庁等改革に係る大綱」において、「国立大学の独立行政法人化については、大学の自主性を尊重しつつ、大学改革の一環として検討し、平成15年までに結論を得る。大学共同利用機関等の独立行政法人化については、他の独立行政法人化機関との整合性の観点も踏まえて検討し、早急に結論を得る」とされている。先の「中央省庁等改革の推進に関する方針」でも同様に、2003年までに結論を先送りすることになったが、25%公務員の定員削減等との関連で、依然として国立大学の独立行政法人化を追求する勢力は根強く、予断の許されない状況にある。 5.大学審議会答申の歴史的位相とその限界 (1)大学審答申の社会経済的背景  1997年10月31日の文部大臣の諮問「21世紀の大学像と今後の改革方策について」を受けて、翌98年10月26日に大学審議会『21世紀の大学像と今後の改革方策について−競争的環境の中で個性が輝く大学−』が発表される。  まず、答申を諮問するに至った文部省の高等教育をめぐる状況認識を、諮問理由の説明のなかにみていくことにする。文部大臣諮問理由説明は、そのなかで「国土も狭く資源も少ない我が国」が、「不透明な時代」といわれる21世紀において、「創造性と活力のある国家」として発展し続け、国際社会において主要な役割を果たしていくためには、「その原動力となる国際社会で活躍できる優れた人材の養成と未来を拓く新しい知の創造を担う大学」が、その「教育研究の質を飛躍的に向上」させていくことが強く求められていると述べている。そして、大学審議会設置以降のこれまでの10年間にわたる大学改革を総括した上で、21世紀の大学像を国民に対して分かりやすく提示することを求める一方、「現下の厳しい財政状況」の中、より質の高い教育研究を実現するための創意工夫を求めている。以上のような状況認識には、高等教育制度と「国力」の維持をより密接に結び付ける発想、行政改革の枠組みとの関連で高等教育改革を展望するといった発想がみられる。  答申も、こうした文部大臣諮問の発想を基本的に共有している。例えば、答申の「追い付き型経済の終焉、大競争時代の到来」「地球規模での競争が一層激しくなり、国際競争力の強化が重要な課題となっていく」といった表現は、日本経済の国際競争力の相対的に低下に対する危機感、経済成長と高等教育制度とを結び付ける傾向をみてとれる。また、行政改革との関連では、今回の大学審議会答申の背景には、独立行政法人化をはじめとする「行革」圧力があることは明白である。  例えば、中央省庁等改革基本法は、国立大学における「適正な評価」「大学ごとの情報の公開」「外部との交流の促進」「人事、会計及び財務の柔軟性の向上」「大学の運営における権限及び責任の明確化」等(同法第43条)を盛り込んでいるが、このことと関連して、答申は、答申によって提言された改革を速やかに実現することにより、「行政改革会議最終報告や中央省庁等改革基本法で求められている国立大学の改革を実現することになると考えている」と述べている。また、国立大学の独立行政法人化については、「独立行政法人化をはじめとする国立大学の設置形態の在り方については、これらの改革の進捗状況を見極めつつ、今後さらに長期的な視野に立って検討することが適当である」(大学審議会、1998年、37頁)などと述べている。  学部自治を縮小する一方で、大学を「一個の組織体」として機動的・効率的に運営させ、社会の変化に機敏に適応させていくという答申が描く「企業経営」的大学像、第三者評価と資源の効果的配分を結び付ける発想などの背景には、このような日本経済の国際競争力の回復といった経済的要請や国立大学の独立行政法人化をはじめとする行政改革圧力といった政治的要請があるといえる。一方で、少子高齢化や学生の大衆化やニーズの多様化、生涯学習ニーズの増大といった社会経済構造の変化に起因する諸課題、そして、地球環境問題や人口問題等の人類社会が取り組むべき地球規模の諸課題といった大学に対する社会的要請の高まりも、答申作成の背景にあることに留意する必要がある。  しかし、答申全体の文脈からすれば、その提起する内容は、「大学や学問の発展の内在的必然性から導かれた制度改革ではなく、行政改革の一環としての外在的大学改革である」(岡田、1999年1月、4頁)という見方があるように、また本答申の表現が「中間まとめ」の「21世紀の大学像」から「21世紀初頭の大学像」とトーンダウンしたことに象徴されるように、きわめて近視眼的、国益偏重的な発想が色濃いと言わざるをえない。 (2)大学審答申の歴史的位相とその限界  それでは、大学審答申は、戦後日本の高等教育制度の歴史的総括の上に立って、21世紀の社会状況の変化に適応しうる高等教育像を描きえているのだろうか。  まず、歴史的総括という点では、そもそも答申に要請された歴史的総括が、1987年の大学審議会設置以降の過去10年の主として90年代の大学改革でしかないことからしても限界がある。90年代の一連の大学改革は、「科学技術創造立国路線」に象徴される科学技術政策、財政危機を理由とする行政改革等が、政府が目指す大学改革の基本方向に色濃く反映され、「多様化」「個性化」といった市場原理が、様々な誘導・統制手法を通して大学の内部に浸透していく傾向が強まっていく過程と特徴づけることができよう。いわば「経済」(市場)と「政治」が、大学のなかにますます入り込んでいく時代ということができる。大学審答申も、こうした歴史的文脈のなかに位置付けることができる。  しかし、「運営協議会」(仮称:法律では「運営諮問会議」)や学部自治の縮小と学長・学部長権限強化といった組織運営体制の整備に関する改革や第三者評価と結び付けた資源の効果的配分等の予算配分面での改革の提起は、教授会自治を基盤とした戦前来の大学自治の枠組みを根本的に変更しようというものである。その意味では、今回の答申はこれまでの大学審議会の答申とは性格を異にしており、特に大学管理機関の位置付けや機能分担のありかた等、管理運営問題をめぐる改革については、戦後大学改革の総仕上げということもできよう。  しかし、そうした管理運営面の改革の提起の背後には、やはり90年代の社会状況、特に国際競争力の低下や財政危機への対応といった政治経済的要因が大きく働いているといえる。したがって、きわめて近視眼的な改革案であり、「不透明」さを増し、大学に対する社会のニーズもますます多様化するであろう21世紀の日本社会に対して、高等教育が有効に適応していく道筋が示されているとは到底いえない。社会状況の複雑化のなかで、学問研究のより多様な発展が求められ、大学としての意思決定においても、多様な幅広い学内意思の集約が求められるとすれば、そもそも「一個の組織体」という発想、学部自治を縮小する発想そのものが、そうした時代の変化とは相いれないものである。  また、日本の大学自治をめぐる根本問題、争点でもある大学の財政自主権や、管理運営への事務職員や学生の参加については、何ら歴史的総括や改革の提起がなされていない。大学の財政自主権については、むしろ財政誘導を強める方向での改革の提起がなされていると言わざるをえない。学生参加について言えば、学生はサービスの「消費者」であり、学生の意見は自治の仕組を通じて反映されるのではなく、「授業評価」という名の「市場調査」によって、「ニーズ」として把握されるのである。  教育行政に対する批判的総括が何らなされていないのも答申の特徴である。学部段階の教育をめぐる諸問題の責任は、現場の教官の研究志向、教育に対する責任意識の不十分さや大学の改革姿勢に一方的に転嫁されている。しかし、「改革競争」「改革疲れ」と呼ばれるような主体性・内発性を欠いた大学改革は、大学人に全く責任がないとはいえないが、誘導・統制の手法を用いてお気に入りの「改革」を押し付け、大学の主体的内発的な改革気運をそいできた教育行政側の責任がきわめて大きいと言わざるをえない。このように「行政の優位」の問題は何ら触れられていないわけであるが、いみじくも大学審議会の文部省に対する自立性・主体性のなさを露呈したものと言わざるをえない。  答申の根本的な限界は、ひとことでいえば、学問の自由と大学の自治を組織原理とする大学の内在的論理を欠いた外在的な改革案、大学像という傾向が強いという点である。適応と主体性という点でいえば、答申で問題とされている大学の主体性・自立性は、あくまでも「社会」に適応することで許容される限りの「主体性」なのである。その場合の「社会」的要請のとらえかたも、行政が考える矮小化された「社会」的要請であり、きわめて近視眼的な経済的政治的要請と言わざるをえない。また答申が提起する大学改革の手法は、法律による管理運営の画一化や、卓越した研究拠点とみなされる大学や改革に努力する大学等への予算の重点配分を企図するなど、相変わらず「行政の優位」の延長上にある。そこには、大学の有する特殊性を尊重しつつ、大学の主体性・内発性を喚起するといった姿勢は希薄であると言わざるをえない。 おわりに: 21世紀の日本社会における高等教育の展望  大学は社会的存在である以上、社会の変化に対して一定程度適応していくことは必要である。その場合、適応の仕方が問題なのであり、一国の産業競争力の維持への貢献、財政危機を理由とした効率化・減量化などといった大学の「外」から持ち込まれた、外在的論理のみで適応が行われるのか、学問研究を行う場という大学の特殊性に内在する論理から、主体的に適応が行われるかが問われているのである。もちろん、産業発展への寄与という大学への要請や厳しい財政状況と全く無縁に大学が行動できるわけではない。大学は、外在的論理からの適応も一定必要であり、大学には外在的論理と内在的論理の微妙なバランスのなかで、その主体性の発揮と社会への適応が求められているといえる。  しかし、これまでの大学改革における大学の主体性の衰退は、内在的論理を欠いたまま社会への適応が行われる傾向の強いことを示しているといえる。99年5月21日には、大学審議会答申の主として組織運営体制部分の改革の具体化にあたる「学校教育法等の一部を改正する法律」が成立し、今後、省令改正が進められることになる。一方では、国立大学の独立行政法人化問題が本格的な検討課題となりつつある。これらはそれぞれ背景が異なるとはいえ、主体性なき「改革熱」にさらに拍車をかける方向で機能する可能性がある。  今後、21世紀に向けて、われわれは大学と社会との関係を考えるときに、いかに学問の自由と大学の自治といった大学の有する固有の組織原理を犠牲にすることなく、内在的論理に基づいた主体性に立脚して、自治の機能を充実させる方向で社会に対する適応が行われるかが、その中心的視点になると考えられる。大学の自治が、われわれの主体性の表現であることは、今後も変わりはない。自治の基盤が失われたとき、教育研究を行う者としての主体性、すなわち「知」の自立も脅かされる。大学における「知」は、独立行政法人が想定するような、近視眼的な「効率性」・「市場」の論理から自立したものでなければならない。「大学に効率性という一元的な基準を導入してはならない。旧態依然たるように見える学問も含めて、知は自立すべき」(岩崎、1999年、132頁)なのである。  しかし、その際、従来通りの大学自治の理解に止まらず、大学に対する社会的要請の高まりのなかで、大学が積極的に社会的責任・使命を果たしていく立場から、大学がその社会的責任、社会的使命を自ら定義し、その自覚の上に立って、今日的な自治のありかた、自治の機能の充実を模索していく必要があろう。「知」は自立していなければならない。しかし、同時に社会から分断された「知」であってはならないのである。  また、戦後の「行政の優位」のなかで、公教育を担う大学が自らの高等教育政策を持ちえず、大学のありかたの展望までも行政に委ねるといった「行政依存」の体質は、充分反省されなければならない。社会への主体的適応を考える場合、主体的に、高等教育制度のありかたを構想し、社会総体として公教育を充実させる立場から、対抗軸が形成される必要がある。そのためにも、個別大学の自治を基本としつつも、「大学連合」的自治の理念から、公教育を担う国公立大学と私立大学との間で、設置形態を超えた連携のありかたが模索される必要があろう。今日的な大学の自治論、組織論が求められているのである。 注 1)5大改革とは、婦人の解放と選挙権の付与、労働組合の結成奨励、学校教育の自由主義化、専制政治の廃止、経済機構の民主化である。 2)現在も財団法人大学基準協会として活動している。 3)文部省『教育指標の国際比較(平成10年版)』によれば、1996年の人口1,000人あたり の大学院生数は、日本1.31人、アメリカ7.73人、イギリス5.49人である。 4)例えば、経済同友会『大衆化時代の新しい大学像を求めて』は、もっぱら企業内での教育・訓練システムを通じて行ってきた人材養成を、今後「知識と技術の陳腐化」がますます速まり、人材の流動化が進むことで、企業としても大学で充分な基礎教育を受けた学生を求めるようになること、技術開発においても、大学での基礎研究との有機的な結び付きを一層強める必要があること、そして、高等教育の「大衆化」のなかで、学生が多様で質の高い教育を受けられることなどを大学改革に期待している。また、大学の管理運営体制についても、学長の強力なリーダーシップと、これを支える体制を整えることが不可欠であるとしている。 参考文献 天野郁夫『大学に教育革命を』有信堂、1997年。 岩崎稔「『改革熱』という病と知の自立」『現代思想』1999年6月。 宇沢弘文『日本の教育を考える』岩波新書、1998年。 岡田知弘「行政改革と大学審議会答申」『全大教時報』第22巻第6号、1999年1月。 島田雄次郎『ヨーロッパの大学』玉川大学出版部、1990年。 関正夫『日本の大学教育改革』玉川大学出版部、1988年。 大学審議会『21世紀の大学像と改革方策について−競争的環境の中で個性が輝く大学−』大学審議会、1998年10月26日。 高木英明『大学の法的地位と自治機構に関する研究』多賀出版、1998年。 寺崎昌男『大学の自己変革とオートノミー』東信堂、1998年。 中野三敏『大学改革』岩波ブックレット、1998年。 堀尾輝久『日本の教育』東京大学出版会、1994年。 マーチン・トロウ、天野郁夫・喜多村和之訳『高学歴社会の大学』東京大学出版会、1976年。 三輪定宣「大学院重点化の系譜」『日本の科学者』第34巻第5号、1999年5月。  資料 独立行政法人通則法案   独立行政法人通則法 目次  第一章 総則   第一節 通則(第一条−第十一条)        第二節 独立行政法人評価委員会(第十二条)   第三節 設立(第十三条−第十七条)       第二章 役員及び職員(第十八条−第二十六条)  第三章 業務運営    第一節 業務(第二十七条・第二十八条)   第二節 中期目標等(第二十九条−第三十五条)  第四章 財務及び会計(第三十六条−第五十条)   第五章 人事管理   第一節 特定独立行政法人(第五十一条−第六十条)            第二節 特定独立行政法人以外の独立行政法人(第六十一条−第六十三条)  第六章 雑則(第六十四条−第六十八条)     第七章 罰則(第六十九条−第七十二条)     附則 第一章 総則 第一節 通則  (目的等) 第一条 この法律は、独立行政法人の運営の基本その他の制度の基本となる共通の事項を定め、各独立行政法人の名称、目的、業務の範囲等に関する事項を定める法律(以下「個別法」という。)と相まって、独立行政法人制度の確立並びに独立行政法人が公共上の見地から行う事務及び事業の確実な実施を図り、もって国民生活の安定及び社会経済の健全な発展に資することを目的とする。 2 各独立行政法人の組織、運営及び管理については、個別法に定めるもののほか、この法律の定めるところによる。  (定義) 第二条 この法律において「独立行政法人」とは、国民生活及び社会経済の安定等の公共上の見地から確実に実施されることが必要な事務及び事業であって、国が自ら主体となって直接に実施する必要のないもののうち、民間の主体にゆだねた場合には必ずしも実施されないおそれがあるもの又は一の主体に独占して行わせることが必要であるものを効率的かつ効果的に行わせることを目的として、この法律及び個別法の定めるところにより設立される法人をいう。 2 この法律において「特定独立行政法人」とは、独立行政法人のうち、その業務の停滞が国民生活又は社会経済の安定に直接かつ著しい支障を及ぼすと認められるものその他当該独立行政法人の目的、業務の性質等を総合的に勘案して、その役員及び職員に国家公務員の身分を与えることが必要と認められるものとして個別法で定めるものをいう。  (業務の公共性、透明性及び自主性) 第三条 独立行政法人は、その行う事務及び事業が国民生活及び社会経済の安定等の公共上の見地から確実に実施されることが必要なものであることにかんがみ、適正かつ効率的にその業務を運営するよう努めなければならない。 2 独立行政法人は、この法律の定めるところによりその業務の内容を公表すること等を通じて、その組織及び運営の状況を国民に明らかにするよう努めなければならない。 3 この法律及び個別法の運用に当たっては、独立行政法人の業務運営における自主性は、十分配慮されなければならない。  (名称) 第四条 各独立行政法人の名称は、個別法で定める。  (目的) 第五条 各独立行政法人の目的は、第二条第一項の目的の範囲内で、個別法で定める。  (法人格) 第六条 独立行政法人は、法人とする。  (事務所) 第七条 各独立行政法人は、主たる事務所を個別法で定める地に置く。 2 独立行政法人は、必要な地に従たる事務所を置くことができる。  (財産的基礎) 第八条 独立行政法人は、その業務を確実に実施するために必要な資本金その他の財産的基礎を有しなければならない。 2 政府は、その業務を確実に実施させるために必要があると認めるときは、個別法で定めるところにより、各独立行政法人に出資することができる。  (登記) 第九条 独立行政法人は、政令で定めるところにより、登記しなければならない。 2 前項の規定により登記しなければならない事項は、登記の後でなければ、これをもって第三者に対抗することができない。  (名称の使用制限) 第十条 独立行政法人でない者は、その名称中に、独立行政法人という文字を用いてはならない。  (民法の準用) 第十一条 民法(明治二十九年法律第八十九号)第四十四条及び第五十条の規定は、独立行政法人について準用する。 第二節 独立行政法人評価委員会  (独立行政法人評価委員会) 第十二条 独立行政法人の主務省(当該独立行政法人を所管する内閣府又は各省をいう。以下同じ。)に、その所管に係る独立行政法人に関する事務を処理させるため、独立行政法人評価委員会(以下「評価委員会」という。)を置く。 2 評価委員会は、次に掲げる事務をつかさどる。  一 独立行政法人の業務の実績に関する評価に関すること。  二 その他この法律又は個別法によりその権限に属させられた事項を処理すること。 3 前項に定めるもののほか、評価委員会の組織、所掌事務及び委員その他の職員その他評価委員会に関し必要な事項については、政令で定める。 第三節 設立  (設立の手続) 第十三条 各独立行政法人の設立に関する手続については、個別法に特別の定めがある場合を除くほか、この節の定めるところによる。  (法人の長及び監事となるべき者) 第十四条 主務大臣は、独立行政法人の長(以下「法人の長」という。)となるべき者及び監事となるべき者を指名する。 2 前項の規定により指名された法人の長又は監事となるべき者は、独立行政法人の成立の時において、こ の法律の規定により、それぞれ法人の長又は監事に任命されたものとする。 3 第二十条第一項の規定は、第一項の法人の長となるべき者の指名について準用する。  (設立委員) 第十五条 主務大臣は、設立委員を命じて、独立行政法人の設立に関する事務を処理させる。 2 設立委員は、独立行政法人の設立の準備を完了したときは、遅滞なく、その旨を主務大臣に届け出るとともに、その事務を前条第一項の規定により指名された法人の長となるべき者に引き継がなければならない。  (設立の登記) 第十六条 第十四条第一項の規定により指名された法人の長となるべき者は、前条第二項の規定による事務 の引継ぎを受けたときは、遅滞なく、政令で定めるところにより、設立の登記をしなければならない。 第十七条 独立行政法人は、設立の登記をすることによって成立する。 第二章 役員及び職員 (役員) 第十八条  各独立行政法人に、個別法で定めるところにより、役員として、法人の長一人及び監事を置く。 2 各独立行政法人には、前項に規定する役員のほか、個別法で定めるところにより、他の役員を置くことができる。 3 各独立行政法人の法人の長の名称、前項に規定する役員の名称及び定数並びに監事の定数は、個別法で 定める。  (役員の職務及び権限) 第十九条  法人の長は、独立行政法人を代表し、その業務を総理する。 2 個別法で定める役員(法人の長を除く。)は、法人の長の定めるところにより、法人の長に事故があるときはその職務を代理し、法人の長が欠員のときはその職務を行う。 3 前条第二項の規定により置かれる役員の職務及び権限は、個別法で定める。 4 監事は、独立行政法人の業務を監査する。 5 監事は、監査の結果に基づき、必要があると認めるときは、法人の長又は主務大臣に意見を提出することができる。  (役員の任命) 第二十条  法人の長は、次に掲げる者のうちから、主務大臣が任命する。 1 当該独立行政法人が行う事務及び事業に関して高度な知識及び経験を有する者二 前号に掲げる者のほか、当該独立行政法人が行う事務及び事業を適正かつ効率的に運営することがで きる者 2 監事は、主務大臣が任命する。 3 第十八条第二項の規定により置かれる役員は、第一項各号に掲げる者のうちから、法人の長が任命する。 4 法人の長は、前項の規定により役員を任命したときは、遅滞なく、主務大臣に届け出るとともに、これを公表しなければならない。  (役員の任期) 第二十一条 役員の任期は、個別法で定める。ただし、補欠の役員の任期は、前任者の残任期間とする。 2 役員は、再任されることができる。  (役員の欠格条項) 第二十二条 政府又は地方公共団体の職員(非常勤の者を除く。)は、役員となることができない。  (役員の解任) 第二十三条 主務大臣又は法人の長は、それぞれその任命に係る役員が前条の規定により役員となることができない者に該当するに至ったときは、その役員を解任しなければならない。 2 主務大臣又は法人の長は、それぞれその任命に係る役員が次の各号の一に該当するとき、その他役員たるに適しないと認めるときは、その役員を解任することができる。  一 心身の故障のため職務の遂行に堪えないと認められるとき。  二 職務上の義務違反があるとき。 3 前項に規定するもののほか、主務大臣又は法人の長は、それぞれその任命に係る役員(監事を除く。)の職務の執行が適当でないため当該独立行政法人の業務の実績が悪化した場合であって、その役員に引き続き当該職務を行わせることが適切でないと認めるときは、その役員を解任することができる。 4 法人の長は、前二項の規定によりその任命に係る役員を解任したときは、遅滞なく、主務大臣に届け出るとともに、これを公表しなければならない。  (代表権の制限) 第二十四条 独立行政法人と法人の長その他の代表権を有する役員との利益が相反する事項については、これらの者は、代表権を有しない。この場合には、監事が当該独立行政法人を代表する。   (代理人の選任) 第二十五条 法人の長その他の代表権を有する役員は、当該独立行政法人の代表権を有しない役員又は職員のうちから、当該独立行政法人の業務の一部に関し一切の裁判上又は裁判外の行為をする権限を有する代理人を選任することができる。  (職員の任命) 第二十六条 独立行政法人の職員は、法人の長が任命する。 第三章 業務運営 第一節 業務  (業務の範囲) 第二十七条 各独立行政法人の業務の範囲は、個別法で定める。  (業務方法書) 第二十八条 独立行政法人は、業務開始の際、業務方法書を作成し、主務大臣の認可を受けなければならない。これを変更しようとするときも、同様とする。 2 前項の業務方法書に記載すべき事項は、主務省令(当該独立行政法人を所管する内閣府又は各省の内閣府令又は省令をいう。以下同じ。)で定める。 3 主務大臣は、第一項の認可をしようとするときは、あらかじめ、評価委員会の意見を聴かなければならない。 4 独立行政法人は、第一項の認可を受けたときは、遅滞なく、その業務方法書を公表しなければならない。 第二節 中期目標等  (中期目標) 第二十九条  主務大臣は、三年以上五年以下の期間において独立行政法人が達成すべき業務運営に関する目標(以下「中期目標」という。)を定め、これを当該独立行政法人に指示するとともに、公表しなければならない。これを変更したときも、同様とする。 2 中期目標においては、次に掲げる事項について定めるものとする。  一 中期目標の期間(前項の期間の範囲内で主務大臣が定める期間をいう。以下同じ。) 二  業務運営の効率化に関する事項三 国民に対して提供するサービスその他の業務の質の向上に関する事項四  財務内容の改善に関する事項五 その他業務運営に関する重要事項 3 主務大臣は、中期目標を定め、又はこれを変更しようとするときは、あらかじめ、評価委員会の意見を聴かなければならない。  (中期計画) 第三十条 独立行政法人は、前条第一項の指示を受けたときは、中期目標に基づき、主務省令で定めるところにより、当該中期目標を達成するための計画(以下「中期計画」という。)を作成し、主務大臣の認可を受けなければならない。これを変更しようとするときも、同様とする。 2 中期計画においては、次に掲げる事項を定めるものとする。  一 業務運営の効率化に関する目標を達成するためとるべき措置  二 国民に対して提供するサービスその他の業務の質の向上に関する目標を達成するためとるべき措置  三 予算(人件費の見積りを含む。)、収支計画及び資金計画  四 短期借入金の限度額  五 重要な財産を譲渡し、又は担保に供しようとするときは、その計画  六 剰余金の使途  七 その他主務省令で定める業務運営に関する事項 3 主務大臣は、第一項の認可をしようとするときは、あらかじめ、評価委員会の意見を聴かなければならない。 4 主務大臣は、第一項の認可をした中期計画が前条第二項第二号から第五号までに掲げる事項の適正かつ確実な実施上不適当となったと認めるときは、その中期計画を変更すべきことを命ずることができる。 5 独立行政法人は、第一項の認可を受けたときは、遅滞なく、その中期計画を公表しなければならない。  (年度計画) 第三十一条 独立行政法人は、毎事業年度の開始前に、前条第一項の認可を受けた中期計画に基づき、主務省令で定めるところにより、その事業年度の業務運営に関する計画(次項において「年度計画」という。   )を定め、これを主務大臣に届け出るとともに、公表しなければならない。これを変更したときも、同様とする。 2 独立行政法人の最初の事業年度の年度計画については、前項中「毎事業年度の開始前に、前条第一項の認可を受けた」とあるのは、「その成立後最初の中期計画について前条第一項の認可を受けた後遅滞なく、その」とする。  (各事業年度に係る業務の実績に関する評価) 第三十二条 独立行政法人は、主務省令で定めるところにより、各事業年度における業務の実績について、評価委員会の評価を受けなければならない。 2 前項の評価は、当該事業年度における中期計画の実施状況の調査をし、及び分析をし、並びにこれらの調査及び分析の結果を考慮して当該事業年度における業務の実績の全体について総合的な評定をして、行わなければならない。 3 評価委員会は、第一項の評価を行ったときは、遅滞なく、当該独立行政法人及び政令で定める審議会(以下「審議会」という。)に対して、その評価の結果を通知しなければならない。この場合において、評価委員会は、必要があると認めるときは、当該独立行政法人に対し、業務運営の改善その他の勧告をすることができる。 4 評価委員会は、前項の規定による通知を行ったときは、遅滞なく、その通知に係る事項(同項後段の規定による勧告をした場合にあっては、その通知に係る事項及びその勧告の内容)を公表しなければならない。 5 審議会は、第三項の規定により通知された評価の結果について、必要があると認めるときは、当該評価委員会に対し、意見を述べることができる。  (中期目標に係る事業報告書) 第三十三条 独立行政法人は、中期目標の期間の終了後三月以内に、主務省令で定めるところにより、当該中期目標に係る事業報告書を主務大臣に提出するとともに、これを公表しなければならない。  (中期目標に係る業務の実績に関する評価) 第三十四条 独立行政法人は、主務省令で定めるところにより、中期目標の期間における業務の実績について、評価委員会の評価を受けなければならない。 2 前項の評価は、当該中期目標の期間における中期目標の達成状況の調査をし、及び分析をし、並びにこれらの調査及び分析の結果を考慮して当該中期目標の期間における業務の実績の全体について総合的な評定をして、行わなければならない。    3 第三十二条第三項から第五項までの規定は、第一項の評価について準用する。  (中期目標の期間の終了時の検討) 第三十五条 主務大臣は、独立行政法人の中期目標の期間の終了時において、当該独立行政法人の業務を継続させる必要性、組織の在り方その他その組織及び業務の全般にわたる検討を行い、その結果に基づき、所要の措置を講ずるものとする。 2 主務大臣は、前項の規定による検討を行うに当たっては、評価委員会の意見を聴かなければならない。 3 審議会は、独立行政法人の中期目標の期間の終了時において、当該独立行政法人の主要な事務及び事業の改廃に関し、主務大臣に勧告することができる。 第四章 財務及び会計 (事業年度) 第三十六条 独立行政法人の事業年度は、毎年四月一日に始まり、翌年三月三十一日に終わる。 2 独立行政法人の最初の事業年度は、前項の規定にかかわらず、その成立の日に始まり、翌年の三月三十一日(一月一日から三月三十一日までの間に成立した独立行政法人にあっては、その年の三月三十一日)に終わるものとする。  (企業会計原則) 第三十七条 独立行政法人の会計は、主務省令で定めるところにより、原則として企業会計原則によるものとする。  (財務諸表等) 第三十八条 独立行政法人は、毎事業年度、貸借対照表、損益計算書、利益の処分又は損失の処理に関する書類その他主務省令で定める書類及びこれらの附属明細書(以下「財務諸表」という。)を作成し、当該事業年度の終了後三月以内に主務大臣に提出し、その承認を受けなければならない。 2 独立行政法人は、前項の規定により財務諸表を主務大臣に提出するときは、これに当該事業年度の事業報告書及び予算の区分に従い作成した決算報告書を添え、並びに財務諸表及び決算報告書に関する監事の意見(次条の規定により会計監査人の監査を受けなければならない独立行政法人にあっては、監事及び会計監査人の意見。以下同じ。)を付けなければならない。 3 主務大臣は、第一項の規定により財務諸表を承認しようとするときは、あらかじめ、評価委員会の意見を聴かなければならない。 4 独立行政法人は、第一項の規定による主務大臣の承認を受けたときは、遅滞なく、財務諸表を官報に公告し、かつ、財務諸表並びに第二項の事業報告書、決算報告書及び監事の意見を記載した書面を、各事務所に備えて置き、主務省令で定める期間、一般の閲覧に供しなければならない。  (会計監査人の監査) 第三十九条 独立行政法人(その資本の額その他の経営の規模が政令で定める基準に達しない独立行政法人を除く。)は、財務諸表、事業報告書(会計に関する部分に限る。)及び決算報告書について、監事の監査のほか、会計監査人の監査を受けなければならない。  (会計監査人の選任) 第四十条 会計監査人は、主務大臣が選任する。  (会計監査人の資格) 第四十一条 株式会社の監査等に関する商法の特例に関する法律(昭和四十九年法律第二十二号)第四条(第二項第二号を除く。)の規定は、第三十九条の会計監査人について準用する。この場合において、同法第四条第二項第一号中「第二条」とあるのは、「独立行政法人通則法第三十九条」と読み替えるものとする。  (会計監査人の任期) 第四十二条 会計監査人の任期は、その選任の日以後最初に終了する事業年度の財務諸表についての主務大臣の第三十八条第一項の承認の時までとする。  (会計監査人の解任) 第四十三条 主務大臣は、会計監査人が次の各号の一に該当するときは、その会計監査人を解任することができる。  一 職務上の義務に違反し、又は職務を怠ったとき。  二 会計監査人たるにふさわしくない非行があったとき。  三 心身の故障のため、職務の遂行に支障があり、又はこれに堪えないとき。  (利益及び損失の処理) 第四十四条 独立行政法人は、毎事業年度、損益計算において利益を生じたときは、前事業年度から繰り越 した損失をうめ、なお残余があるときは、その残余の額は、積立金として整理しなければならない。ただし、第三項の規定により同項の使途に充てる場合は、この限りでない。 2 独立行政法人は、毎事業年度、損益計算において損失を生じたときは、前項の規定による積立金を減額して整理し、なお不足があるときは、その不足額は、繰越欠損金として整理しなければならない。 3 独立行政法人は、第一項に規定する残余があるときは、主務大臣の承認を受けて、その残余の額の全部又は一部を第三十条第一項の認可を受けた中期計画(同項後段の規定による変更の認可を受けたときは、その変更後のもの。以下単に「中期計画」という。)の同条第二項第六号の剰余金の使途に充てることができる。 4 主務大臣は、前項の規定による承認をしようとするときは、あらかじめ、評価委員会の意見を聴かなければならない。 5 第一項の規定による積立金の処分については、個別法で定める。  (借入金等) 第四十五条 独立行政法人は、中期計画の第三十条第二項第四号の短期借入金の限度額の範囲内で、短期借入金をすることができる。ただし、やむを得ない事由があるものとして主務大臣の認可を受けた場合は、当該限度額を超えて短期借入金をすることができる。 2 前項の規定による短期借入金は、当該事業年度内に償還しなければならない。ただし、資金の不足のた め償還することができないときは、その償還することができない金額に限り、主務大臣の認可を受けて、 これを借り換えることができる。 3 前項ただし書の規定により借り換えた短期借入金は、一年以内に償還しなければならない。 4 主務大臣は、第一項ただし書又は第二項ただし書の規定による認可をしようとするときは、あらかじめ、評価委員会の意見を聴かなければならない。 5 独立行政法人は、個別法に別段の定めがある場合を除くほか、長期借入金及び債券発行をすることができない。  (財源措置) 第四十六条 政府は、予算の範囲内において、独立行政法人に対し、その業務の財源に充てるために必要な金額の全部又は一部に相当する金額を交付することができる。  (余裕金の運用) 第四十七条 独立行政法人は、次の方法による場合を除くほか、業務上の余裕金を運用してはならない。  一 国債、地方債、政府保証債(その元本の償還及び利息の支払について政府が保証する債券をいう。) その他主務大臣の指定する有価証券の取得  二 銀行その他主務大臣の指定する金融機関への預金又は郵便貯金  三 信託業務を営む銀行又は信託会社への金銭信託 (財産の処分等の制限) 第四十八条 独立行政法人は、主務省令で定める重要な財産を譲渡し、又は担保に供しようとするときは、主務大臣の認可を受けなければならない。ただし、中期計画において第三十条第二項第五号の計画を定めた場合であって、その計画に従って当該重要な財産を譲渡し、又は担保に供するときは、この限りでない。 2 主務大臣は、前項の規定による認可をしようとするときは、あらかじめ、評価委員会の意見を聴かなければならない。  (会計規程) 第四十九条 独立行政法人は、業務開始の際、会計に関する事項について規程を定め、これを主務大臣に届け出なければならない。これを変更したときも、同様とする。  (主務省令への委任) 第五十条 この法律及びこれに基づく政令に規定するもののほか、独立行政法人の財務及び会計に関し必要な事項は、主務省令で定める。 第五章 人事管理 第一節 特定独立行政法人 (役員及び職員の身分) 第五十一条 特定独立行政法人の役員及び職員は、国家公務員とする。  (役員の報酬等) 第五十二条 特定独立行政法人の役員に対する報酬及び退職手当(以下「報酬等」という。)は、その役員の業績が考慮されるものでなければならない。 2 特定独立行政法人は、その役員に対する報酬等の支給の基準を定め、これを主務大臣に届け出るとともに、公表しなければならない。これを変更したときも、同様とする。 3 前項の報酬等の支給の基準は、国家公務員の給与、民間企業の役員の報酬等、当該特定独立行政法人の業務の実績及び中期計画の第三十条第二項第三号の人件費の見積りその他の事情を考慮して定められなければならない。  (評価委員会の意見の申出) 第五十三条 主務大臣は、前条第二項の規定による届出があったときは、その届出に係る報酬等の支給の基準を評価委員会に通知するものとする。 2 評価委員会は、前項の規定による通知を受けたときは、その通知に係る報酬等の支給の基準が社会一般の情勢に適合したものであるかどうかについて、主務大臣に対し、意見を申し出ることができる。  (役員の服務) 第五十四条 特定独立行政法人の役員(以下この条から第五十六条までにおいて単に「役員」という。)は、職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後も、同様とする。 2 役員は、在任中、政党その他の政治的団体の役員となり、又は積極的に政治運動をしてはならない。 3 役員(非常勤の者を除く。次項において同じ。)は、在任中、任命権者の承認のある場合を除くほか、報酬を得て他の職務に従事し、又は営利事業を営み、その他金銭上の利益を目的とする業務を行ってはならない。 4 役員は、離職後二年間は、商業、工業又は金融業その他営利を目的とする私企業(以下「営利企業」という。)の地位で、その離職前五年間に在職していた特定独立行政法人又は人事院規則で定める国の機関と密接な関係にあるものに就くことを承諾し、又は就いてはならない。ただし、人事院規則の定めるところにより、任命権者の申出により人事院の承認を得た場合は、この限りでない。  (役員の災害補償) 第五十五条 役員の公務上の災害又は通勤による災害に対する補償及び公務上の災害又は通勤による災害を受けた役員に対する福祉事業については、特定独立行政法人の職員の例による。  (役員に係る労働者災害補償保険法の適用除外) 第五十六条 労働者災害補償保険法(昭和二十二年法律第五十号)の規定は、役員には適用しない。  (職員の給与) 第五十七条 特定独立行政法人の職員の給与は、その職務の内容と責任に応ずるものであり、かつ、職員が発揮した能率が考慮されるものでなければならない。 2 特定独立行政法人は、その職員の給与の支給の基準を定め、これを主務大臣に届け出るとともに、公表しなければならない。これを変更したときも、同様とする。 3 前項の給与の支給の基準は、一般職の職員の給与に関する法律(昭和二十五年法律第九十五号)の適用を受ける国家公務員の給与、民間企業の従業員の給与、当該特定独立行政法人の業務の実績及び中期計画の第三十条第二項第三号の人件費の見積りその他の事情を考慮して定められなければならない。  (職員の勤務時間等) 第五十八条 特定独立行政法人は、その職員の勤務時間、休憩、休日及び休暇について規程を定め、これを主務大臣に届け出るとともに、公表しなければならない。これを変更したときも、同様とする。 2 前項の規程は、一般職の職員の勤務時間、休暇等に関する法律(平成六年法律第三十三号)の適用を受ける国家公務員の勤務条件その他の事情を考慮したものでなければならない。  (職員に係る他の法律の適用除外等) 第五十九条 次に掲げる法律の規定は、特定独立行政法人の職員(以下この条において単に「職員」という。)には適用しない。  一 労働者災害補償保険法の規定  二 国家公務員法(昭和二十二年法律第百二十号)第十八条、第二十八条(第一項前段を除く。)、第二 十九条から第三十二条まで、第六十二条から第七十条まで、第七十二条第二項及び第三項、第七十五条 第二項並びに第百六条の規定  三 国家公務員の寒冷地手当に関する法律(昭和二十四年法律第二百号)の規定  四 一般職の職員の給与に関する法律の規定  五 国家公務員の職階制に関する法律(昭和二十五年法律第百八十号)の規定  六 国家公務員の育児休業等に関する法律(平成三年法律第百九号)第五条第二項、第八条及び第十一条 の規定  七 一般職の職員の勤務時間、休暇等に関する法律の規定 2 職員に関する国家公務員法の適用については、同法第二条第六項中「政府」とあるのは「独立行政法人通則法第二条第二項に規定する特定独立行政法人(以下「特定独立行政法人」という。)」と、同条第七項中「政府又はその機関」とあるのは「特定独立行政法人」と、同法第六十条第一項中「場合には、人事院の承認を得て」とあるのは「場合には」と、「により人事院の承認を得て」とあるのは「により」と、同法第七十二条第一項中「その所轄庁の長」とあるのは「当該職員の勤務する特定独立行政法人の長」と、同法第七十八条第四号中「官制」とあるのは「組織」と、同法第八十条第四項中「給与準則」とあるのは「独立行政法人通則法第五十七条第二項に規定する給与の支給の基準」と、同法第八十一条の二第二項各号中「人事院規則で」とあるのは「特定独立行政法人の長が」と、同法第八十一条の三第二項中「ときは、人事院の承認を得て」とあるのは「ときは」と、同法第百条第二項中「、所轄庁の長」とあるのは「、当該職員の勤務する特定独立行政法人の長」と、「の所轄庁の長」とあるのは「の属する特定独立行政法人の長」と、同法第百一条第一項中「政府」とあるのは「当該職員の勤務する特定独立行政法人」と、同条第二項中「官庁」とあるのは「特定独立行政法人」と、同法第百三条第三項中「所轄庁の長」とあるのは「当該職員の勤務し、又は勤務していた特定独立行政法人の長」と、同法第百四条中「内閣総理大臣及びその職員の所轄庁の長」とあるのは「当該職員の勤務する特定独立行政法人の長」とする。 3 職員に関する国際機関等に派遣される一般職の国家公務員の処遇等に関する法律(昭和四十五年法律第百十七号)第五条及び第六条第三項の規定の適用については、同法第五条第一項中「俸給、扶養手当、調整手当、研究員調整手当、住居手当、期末手当及び期末特別手当のそれぞれ百分の百以内」とあるのは「給与」と、同条第二項中「人事院規則(派遣職員が検察官の俸給等に関する法律(昭和二十三年法律第七十六号)の適用を受ける職員である場合にあつては、同法第三条第一項に規定する準則)」とあるのは「独立行政法人通則法第五十七条第二項に規定する給与の支給の基準」と、同法第六条第三項中「国は」とあるのは「独立行政法人通則法第二条第二項に規定する特定独立行政法人は」とする。 4 職員に関する労働基準法(昭和二十二年法律第四十九号)第十二条第三項第四号及び第三十九条第七項の規定の適用については、同法第十二条第三項第四号中「育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律(平成三年法律第七十六号)第二条第一号」とあるのは「国家公務員の育児休業等に関する法律(平成三年法律第百九号)第三条第一項」と、「同条第二号」とあるのは「育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律(平成三年法律第七十六号)第二条第二号」と、同法第三十九条第七項中「育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律第二条第一号」とあるのは「国家公務員の育児休業等に関する法律第三条第一項」と、「同条第二号」とあるのは「育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律第二条第二号」とする。 5 職員に関する船員法(昭和二十二年法律第百号)第七十四条第四項の規定の適用については、同項中「育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律(平成三年法律第七十六号)第二条第一号」とあるのは「国家公務員の育児休業等に関する法律(平成三年法律第百九号)第三条第一項」と、「同条第二号」とあるのは「育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律(平成三年法律第七十六号)第二条第二号」とする。  (国会への報告等) 第六十条 特定独立行政法人は、政令で定めるところにより、毎事業年度、常時勤務に服することを要するその職員(国家公務員法第七十九条又は第八十二条の規定による休職又は停職の処分を受けた者、法令の規定により職務に専念する義務を免除された者その他の常時勤務に服することを要しない職員で政令で定めるものを含む。次項において「常勤職員」という。)の数を主務大臣に報告しなければならない。 2 政府は、毎年、国会に対し、特定独立行政法人の常勤職員の数を報告しなければならない。 第二節 特定独立行政法人以外の独立行政法人 (役員の兼職禁止) 第六十一条 特定独立行政法人以外の独立行政法人の役員(非常勤の者を除く。)は、在任中、任命権者の承認のある場合を除くほか、営利を目的とする団体の役員となり、又は自ら営利事業に従事してはならない。  (準用) 第六十二条 第五十二条及び第五十三条の規定は、特定独立行政法人以外の独立行政法人の役員の報酬等について準用する。この場合において、第五十二条第三項中「実績及び中期計画の第三十条第二項第三号の人件費の見積り」とあるのは、「実績」と読み替えるものとする。  (職員の給与等) 第六十三条 特定独立行政法人以外の独立行政法人の職員の給与は、その職員の勤務成績が考慮されるものでなければならない。 2 特定独立行政法人以外の独立行政法人は、その職員の給与及び退職手当の支給の基準を定め、これを主務大臣に届け出るとともに、公表しなければならない。これを変更したときも、同様とする。 3 前項の給与及び退職手当の支給の基準は、当該独立行政法人の業務の実績を考慮し、かつ、社会一般の情勢に適合したものとなるように定められなければならない。 第六章 雑則  (報告及び検査) 第六十四条 主務大臣は、この法律を施行するため必要があると認めるときは、独立行政法人に対し、その業務並びに資産及び債務の状況に関し報告をさせ、又はその職員に、独立行政法人の事務所に立ち入り、業務の状況若しくは帳簿、書類その他の必要な物件を検査させることができる。 2 前項の規定により職員が立入検査をする場合には、その身分を示す証明書を携帯し、関係人にこれを提示しなければならない。 3 第一項の規定による立入検査の権限は、犯罪捜査のために認められたものと解してはならない。  (違法行為等の是正) 第六十五条 主務大臣は、独立行政法人又はその役員若しくは職員の行為がこの法律、個別法若しくは他の法令に違反し、又は違反するおそれがあると認めるときは、当該独立行政法人に対し、当該行為の是正のため必要な措置を講ずることを求めることができる。 2 独立行政法人は、前項の規定による主務大臣の求めがあったときは、速やかに当該行為の是正その他の必要と認める措置を講ずるとともに、当該措置の内容を主務大臣に報告しなければならない。  (解散) 第六十六条 独立行政法人の解散については、別に法律で定める。  (財務大臣との協議) 第六十七条 主務大臣は、次の場合には、財務大臣に協議しなければならない。  一 第二十九条第一項の規定により中期目標を定め、又は変更しようとするとき。  二 第三十条第一項、第四十五条第一項ただし書若しくは第二項ただし書又は第四十八条第一項の規定に よる認可をしようとするとき。  三 第四十四条第三項の規定による承認をしようとするとき。  四 第四十七条第一号又は第二号の規定による指定をしようとするとき。  (主務大臣等) 第六十八条 この法律における主務大臣、主務省及び主務省令は、個別法で定める。 第七章 罰則 第六十九条 次の各号の一に該当する者は、一年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。  一 第五十四条第一項の規定に違反して秘密を漏らした者  二 第五十四条第四項の規定に違反して営利企業の地位に就いた者 第七十条 第六十四条第一項の規定による報告をせず、若しくは虚偽の報告をし、又は同項の規定による検査を拒み、妨げ、若しくは忌避した場合には、その違反行為をした独立行政法人の役員又は職員は、二十万円以下の罰金に処する。 第七十一条 次の各号の一に該当する場合には、その違反行為をした独立行政法人の役員は、二十万円以下の過料に処する。  一 この法律の規定により主務大臣の認可又は承認を受けなければならない場合において、その認可又は 承認を受けなかったとき。  二 この法律の規定により主務大臣に届出をしなければならない場合において、その届出をせず、又は虚 偽の届出をしたとき。  三 この法律の規定により公表をしなければならない場合において、その公表をせず、又は虚偽の公表を したとき。  四 第九条第一項の規定による政令に違反して登記することを怠ったとき。  五 第三十条第四項の規定による主務大臣の命令に違反したとき。  六 第三十三条の規定による事業報告書の提出をせず、又は事業報告書に記載すべき事項を記載せず、若 しくは虚偽の記載をして事業報告書を提出したとき。  七 第三十八条第四項の規定に違反して財務諸表、事業報告書、決算報告書若しくは監事の意見を記載した書面を備え置かず、又は閲覧に供しなかったとき。  八 第四十七条の規定に違反して業務上の余裕金を運用したとき。  九 第六十条第一項又は第六十五条第二項の規定による報告をせず、又は虚偽の報告をしたとき。 第七十二条 第十条の規定に違反した者は、十万円以下の過料に処する。 付 則  (施行期日) 第一条 この法律は、内閣法の一部を改正する法律(平成十一年法律第  号)の施行の日から施行する。  (名称の使用制限に関する経過措置) 第二条 この法律の施行の際現にその名称中に独立行政法人という文字を用いている者については、第十条の規定は、この法律の施行後六月間は、適用しない。  (政令への委任) 第三条 前条に定めるもののほか、この法律の施行に関し必要な経過措置は、政令で定める。