特集 全大教第11回 教職員研究集会 1999年9月17日〜19日 岩手大学  はじめに  全大教は9月17日から19日の3日間、岩手大学を会場に第十一回教職員研究集会を開きました。この集会には全国58大学・大学共同利用機関等から約300人が参加しました。今回の教職員研究集会は「二十一世紀に向けた大学・高等教育の充実をめざして―『独立行政法人化』問題への対抗軸」を主要テーマにシンポジウム、分科会等で活発な討論が行われました。  シンポジウムでは、パネリストの羽田貴史氏(広島大学)、三橋良士明氏(静岡大学)が「独立行政法人と国立大学」と題して報告をおこないました。  全体集会、シンポジウムの後参加者は、8つの課題別分科会、4つの職種別分科会に分かれ、活発な討論を行ないました。今集会では、「独立行政法人化」問題の緊迫した状況を踏まえ、教職員研究集会としては異例な「集会宣言」が出され、「大学の教育研究にたずさわる者としての責務を自覚し、独立行政法人化反対の先頭に立って奮闘する」決意が表明されました。 主催者挨拶 全大教中央執行委員長 和田 肇  お忙しいなか、全大教の教職員研究集会にお集まりいただきまして、ありがとうございます。全大教の中央執行委員長をこの7月から務めております。よろしくお願いいたします。主催者を代表しまして簡単にご挨拶をいたしたいと思います。  今回は第11回目の教職員研究集会となります。この間、さまざまな大学をめぐる問題について全国各大学単組の方々に集まっていただきまして、経験交流や意見交流を積み重ねてまいりました。今年は岩手大学のご協力でこの会を催すことができました。自由民権の長い伝統がある、この盛岡の地で行われるということは、いまの状況のなかで非常に意義があると考えております。岩手大学教職員組合の皆様にはさまざまな事務的なこと等でお世話になりまして、この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。  今回の集会は独立行政法人の問題への対応、再構築をどのように示すかということを主要なテーマとして掲げております。この間、事態は急速に進展しておりまして、この20日には文部省が独立行政法人化に向けて結論を出すというふうに言われております。ちょうどこの集会がそれに向けてわれわれの意見を表明する機会になると考えております。  この間の状況、それから全大教の基本的なスタンス等につきましては後で基調報告の中で詳しく述べることになりますけれども、いずれにしましても、この間、各単組で非常に活発に議論が行われております。情報交換をしながら、国大協の動き、あるいは各大学での動きに対して非常に積極的に寄与しているとわれわれも考えております。この意味で、全大教の役割も非常に大切になっていると思われます。今回の集会では、さらにそれ以外のさまざまな問題、教育研究支援体制、グループの一元化、あるいは学生教育のあり方といった問題につきましても議論していただくことになります。  全大教に期待されている役割は非常に大きいものがあると思います。いま三宅副委員長からも紹介がありましたけれども、この集会をマスコミ等が取材するというのは珍しいのですが、いろいろな方面から、全大教は何を考えているのかということについて取材をしたいという申込みが実際に来ておりますし、今日、明日、いろいろなマスコミから取材が来ると思います。そういうことで、主体的にいまの状況を切り開いていくための集会になるとわれわれは考えています。3日間の集会ですけれども、この間の活発な議論のなかで全体の意思を集約して、秋以降の各大学での闘い、それから全国的な闘いを切り開いていければと思います。  簡単ですが、主催者を代表しての挨拶に代えさせていただきたいと思います。(拍手) 地元大学教職組挨拶 岩手大学教職員組合 副委員長 武田晃二  岩手大学教職員組合を代表して歓迎のごあいさつを申し上げます。本来であれば委員長がご挨拶を申し上げるところですが、本日は連合農学科創設10周年の記念式典の関係で、副委員長の武田からひとことごあいさつを申し上げます。  本日は300名もの方々が全国各地からご参加になっているとのことでございます。本当にご苦労さまでした。大学問題について腹をわって率直な討論ができる仲間がこんなに大勢お集まりになるということだけでも私どもといたしましては大変光栄に存じております。この夏は岩手県も記録的な暑さが続きましたが、やはり岩手でございます。このところは急に気温がさがり、朝晩はむしろ寒さを感じるようになって参りました。天気予報によりますと平年並ということですから、盛岡というところの9月はだいたいこんなところだとご理解いただいて結構だと思います。  さて、大学をめぐる今日の大問題はなんと言っても独立行政法人問題でございます。この問題につきましては、これから半日かけて真剣な討論が行なわれるわけでございますから、多くを申し上げることは控えさせていただきますが、とにかく怒りがおさまりません。どうかんがえても滅茶苦茶というほかありません。  いささか低次元のたとえで恐縮ですが、数日前こんな夢をみました。ある幹部サラリーマンが経営者によばれます。どうもわが社経営が思わしくなくなってきたから君の給料をこれからはもっと少なくしていかなければならないがどうかね、もしそれがイヤだったらパートなってもらうしかないんだが、というわけです。パートになったらこれまでの給料はしばらくは維持できるがその先はあまり確かなことはいえないが、ともいうのです。その幹部サラリーマン、それはないじゃないですか、家族はどうなるんですか、せめて出向社員というわけにはいかないのですか、それも考えられなくもないが、経営状態はそんな状況じゃないんだ、というのです。ごうをにやしたそのサラリーマンは同じ話をされた仲間とともに管理者組合をつくって経営者とわたりあい、結局、自分たちの待遇を確保し、さらに会社の立て直しに成功したんだとさ、ということなったかというと実はそうはいかなかったのです。幹部社員同士が隠れて経営者におべっかを使ったり足をひっぱりあったりしたからなのです。なんともいやな夢でしたが、こんな夢は見たくないものです。  ところで、岩手県ははじめてという方もたくさんいらっしゃると思います。わたし自身は岩手に住んで20数年になるのですが、とにかく大好きな土地です。水はうまいし、農産物も海産物も豊富だし、酒もうまいしソバもうまいのです。もちろんかつては日本のチベットとかいわれてきびしい土地柄でもありますが、東北とか岩手というのは大昔からたいへんな文化的なエネルギーを蓄えた土地じゃないのかと思うことがしばしばあります。  自宅の私の部屋に高野長英の額がかかっています。それには「学術西域に走り双眸5州を呑む」と書いてあります。高野長英は水沢市の出身ですが、水沢は偉人の街としても知られています。石川啄木はこの大学から15キロほどはなれた渋民の生まれです。盛岡の中心部には啄木の新婚時代の家が今でも残っています。また、新渡部稲造も盛岡の出身です。岩手県からは5人の首相がでているということもよく知られていることです。  宮沢賢治については申すまでもありませんが、岩手大学農学部の前身である盛岡高等農林専門学校の出身であり、その建物はこのキャンパスのなかにあります。最近改装してりっぱになりましたからぜひおよりいただきたいと思います。日曜日も見ることができます。私どもでも団体入場券を用意しておりますのでどうぞご利用ください。  このようなスケールが大きく、またリアリスティックでサイエンスティックでファンタジックでロマンティックな人物がたくさんでているというのはけっして偶然ではなく、岩手という土地の歴史的・文化的位置と関係しているように思います。どうかせっかくの機会ですから熱心なご討論の合間には、あるいはそれが終わってから、じっくりと岩手県の空気を味わっていただければありがたいと思います。また、二日間、リアリスティックでサイエンスティックでファンタジックでロマンティックなご討論を期待しています。  以上で、地元岩手大学教職員組合を代表いたしまして、心からの歓迎のあいさつとさせていただきます。ありがとうございました。(拍手) ようこそ岩手大学へ 岩手大学教職員組合委員長 志賀瓏郎  全大教第11回教職員研究集会のために、ここ盛岡の地、岩手大学に全国各地から多数お集まりいただきまして大変嬉しく思います。  本年度、1999年度は、はからずも21世紀へ向けての橋渡しとなる年であり、教育問題についても、次の世代のために新たな展望を提示する大事な年になるはずですが、残念ながら、みなさんご承知のように、バブル経済の破綻をきっかけに、失業率の増加、凶悪犯罪の多発、家庭崩壊、少子化、他方では、「いじめ」、「不登校」、「基礎学力の低下」など、教育現場での様々な混乱があり、私達の日常生活は先が見えない状態にあります。このように、政治、経済、教育などあらゆる分野での施策の失敗が明らかになっているにも関わらず、政府はそれらをあたかも自然現象であるかのように、深く反省することもなく、相変わらず、大多数の国民の意向とは相容れない方向で金融機関や大企業の後支えしています。その一方で、教育、福祉、医療、農業など“効率性の低い”分野は切り捨てて行く施策を強行し、また現在検討しつつあります。教育分野では、文部省は「ゆとりの教育」、「心の教育」を謳いながら、学校教育法の改訂、大学設置基準の改訂、事務組織の一元化、「日の丸、君が代」の学校現場への持ち込み、国公立大学の「教員の任期制導入」や「独立行政法人化」の検討、教育学部教員養成課程の改組と学生定員の大幅な削減(3年間で5000人)、それに伴う教職員数の削減(小・中・高等学校の統廃合と教諭数の削減)、小学校英語教育の塾委託、など、など、日本の将来を担う「人材」を養成するための教育行政の府としての見識や展望を示すことなく、傷口をさらに広げるような、場当たり的な政策を行っているのが現状だと思います。  このような中で、国立大学の基本的な社会的使命(憲法や教育基本法によって保障されてこれまで培われてきた、学問研究の継承と総合的発展、将来を担う人材養成、自治、など)を大きく方向転換させる「独立行政法人化」が、昨年の一橋大学での第10回教研集会の蔵元中央執行委員長の挨拶の中で「多くの反対により棚上げされた」と喜んだのも束の間、急浮上しています。その根拠は、先に述べた経済政策の失敗を取り繕うため、10年間で国家公務員定員の25%削減及び教育経費の大幅削減のためであって、大学改革とか教育改革ではないというところに問題の深刻さがあると思います。現在、“効率化”や“民間活力導入”など大学批判の主要な要因になっている“社会への貢献”については、全大教でも以前から「国民に開かれた大学」として位置づけ、特に最近、個人や大学レベルでは自発的に各種の公開講座、講演会、研修会、研究会、学会、共同研究、など、が幅広く行なわれており、自助努力がなされてきているのは周知のことと思います。それにもかかわらず、本来の大学の使命を投げ捨て、大企業に奉仕し易い機構改革(独立行政法人化)を容認するとすれば、日本の教育現場は一層の混乱を引き起こし、自滅の道を突き進むのは明かなことです。この問題は本質的には大学人の意識改革によって自主的に改善されるべきものと考えます。その意味で、9月13日の国大協臨時総会において、「独立行政法人化は国立大学においてはなじまない」旨の公式見解(有馬文部大臣もかつては同じ見解を述べており、立場が変われば人も変わるのだのたとえか?)を確認したことは、大学の見識を示したものとして高く評価されると思います。  大学の将来を左右するこの緊迫した局面で、高等教育に係わる全国の国立大学・高専の教職員組合の皆さんが、学生、さらに父母、一般市民の方々と連帯する中で、身の周りの教育問題の実態を話し合い、具体的な解決策を考える場を提供できることは、岩手大学教職員組合として大変光栄です。皆さんの活発な討論によってこの集会が明日の希望につながる第一歩になることを期待して、歓迎の挨拶とさせていただきます。 (第11回教職員研究集会速報〓1より) 第11回教職員研究集会によせられた メッセージ 岩手大学長 海妻 矩彦  今年度の全大教教研集会が岩手県盛岡市にある岩手大学を会場として開催されることとなり、全国各地から200名を超える多数の方々をお迎えすることとなりました。御参会の皆様に対し、開催を引受けた大学を代表し、心から歓迎の意を表します。  今年の夏は南米ペルー沖の海水温が低下するラニーニャ現象のせいか異常な猛暑となりまして、今尚その途燼が燻っております。各種の全国集会では盛岡がこんなに暑いとは思わなかったなどという声をしばしば耳にしたものですが、今もその気配は感じられましょう。そのような中で、皆様におかれましては今日から3日間にわたり、全大教が抱える懸案事項はもとよりのこと、最近になって俄かに重大さを増してきた国立大学独立行政法人化等について熱い熱い論議が展開されるとお聞きしております。  さて、わが国の多くの国立大学は昭和24年(1949年)に国民一般に高等教育を広めるという高い理想を掲げ、新制大学として一斉に発足致しました。今年平成11年(1999年)は多くの国立大学が創立五十周年の節目を迎えて、これまでの五十年間の教育や研究の成果を取りまとめ、21世紀の国立大学のあり方を検討しようとしております。  そのような歴史的な意義ある年、さらに21世紀への突入を迎える目前の年に、われわれは五十年前に直面したのと同じような国立大学を大変革することになる問題に遭遇するに至りました。それは正しく最近俄かに持ち上がって来た国立大学の独立行政法人化の問題であります。このような時機に岩手大学において全大教教研集会が持たれることになったことは感慨深いものがあり、集会の成果に強い関心を抱いているところであります。  今回の集会で検討される問題は、これだけが全てでないことは勿論のことであり、全大教が抱えている長年の懸案に対しても大きな前進がありますように祈念致しております。3日間にわたる集会での真剣な論議の中から、21世紀の高等教育のあるべき姿について何らかの確固たる論点が搾り込まれることを強くご期待申し上げ、歓迎のセッセージとさせていただきます。 日本私立大学教職員組合連合  第11回教研集会に心よりお祝いと連帯の挨拶を送ります。  政府・文部省は、この6月に大学運営と教職員の管理統制を強める「学校教育法等の一部改正法」を強行採決し、いま国立学校の独立行政法人化をいっきにすすめようとしています。さらに来年1月の国会では第三者評価機関の設置を強行しようとしています。二一世紀を前に日本の大学は極めて重大な局面に立たされています。  今日の「自自公」体制による反国民的な政治や教育に怒りを燃やす多くの国民と力を合わせ、大学予算・私大助成等高等教育関係への財政支出の抜本的増額と政治の革新のための国民的運動をともに前進させましょう。  貴集会が大きな成功をあげられるよう祈ります。 日本教職員組合中央執行委員長 川上 祐司  貴労働組合の第11回教職員研究集会のご成功を祈念しまして心から連帯のメッセージをお送りいたします。  総務庁が先月に発表した労働力調査でも明らかのように、失業率が現行調査が始まって以来過去最悪の4.9%で日本経済の企業情勢やりストラに名を借りた人員整理、倒産の深刻さをうかがわせています。  文部省は政府・自民党が行政改革の一環として政府・自民党が強く求めてきた国立大学の独立行政法人化方針の容認に踏み切ろうとしています。  このような混迷する社会、経済状況、そして新たな局面を迎えている大学・高等教育の下で、21世紀に向けた高等教育の充実をめざすことをメーインテーマに開催される本研究集会が当初の目的が達成され、社会全般が求めている学術研究、高等教育、教育機関、自治尊重、労働条件確立等々課題の前進のために大きな役割をはたされますことを期待しております。  日教組も、平和と民主主義のとりくみをはじめ欧米諸国ではすでに実施されている30人学級の実現やいま、子どもたちが抱えている課題解決のための教育改革に全力をあげており皆様のご支援を心からお願い申し上げます。 全日本教職員組合中央執行委員長 山口 光昭  全大教第11回教職員研究集会の開催にあたり、全日本教職員組合を代表して心からお祝いと連帯の挨拶を申し上げます。「大学の自治」、「学問の自由」の拡充、大学教員の任期制導入反対、教職員・研究者の生活と権利を守るために奮闘しておられる皆様に心から敬意を表します。  さて、小渕内閣は平和憲法のもとでは存在が絶対に許されない。「戦争法案」=ガイドライン関連法案を成立させ、日本を「戦争をしない国」から、「戦争をする国」に踏み出しました。その推進体制として、内閣機能を強化する中央省庁再編があり、自治体も動員するため「地方分権一括法」の成立が強行されました。突如持ち出された「日の丸、君が代」の法制化は「戦争する国」にふさしい国旗、国歌として制定され、盗聴法、憲法調査会設置法など相次ぐ悪法もその一環であります。  「教え子を再び戦場に送るな」のスローガンを戦後一貫して掲げてきた私たち教職員は、子どもたちから平和な未来を奪う、「戦争法」の発動阻止と「日の丸、君が代」の押し付け反対で、最後までたたかうものです。力を合わせて頑張りましょう。  いま、「行革」・中央省庁再編の具体化である、国立学校の「独立行政法人化」問題が重大な段階を迎えています。財界本位の効率優先、学問の自由や教職員の安定した身分保障を掘り崩し、国民本位の教育研究の発展を阻害する国立学校の「独立行政法人化」に反対する皆様のたたかいを熱烈に支持し、連帯してたたかうものです。  「大学生の学力低下」が社会問題となっています。貴教職員研究集会が実り多い成果を上げられることを祈念し、お祝いと激励のメッセージとさせていただきます。 全大教第11回教職員研究集会 基調報告 全国大学高専教職員組合 中央執行委員会 (報告 斉藤教文部長) はじめに  今日、大学・高等教育は未曾有ともいうべき激動の只中にある。  特に、大学審議会答申「21世紀の大学像と今後の改革方策について」の「組織運営体制の整備」を柱とする法制化等の具体化及び「国立学校」の「独立行政法人化」問題の急浮上は、激動の状況を象徴的に示している。  私たちは、厳しい状況にある中でも、大学・高等教育の社会に占める比重が高まっていることを認識し、地球環境、教育、地域社会の「地盤沈下」等、人類と社会が抱えるさまざまな問題に対して、その所在を示すのみならず、解決への道標をも指し示すという役割と責務を深く自覚するものである。  こうした状況認識に立って、本集会では、「21世紀に向けた大学・高等教育の充実をめざして『独立行政法人』問題への対抗軸」を基調のテーマとして、この間の高等教育に関するユネスコ「勧告」「世界宣言」も視野に入れ、 第一に、大学・高等教育の充実をはかる立場から、「独立行政法人化」問題に対する深い批判・分析と政策的対抗軸について議論を深めること、 第二に、上記と関連し、大学自治の充実の視点から、「学校教育法等の一部改正」法案成立後の動向と取りくみについて交流・議論を深めること、 第三に、公教育の一環を担うことの意義を再確認しつつ、教育実践・研究に関わる政策的・具体的取り組みについて交流・議論を深めること、 第四に、前述した厳しい状況をふまえつつも、教職員の待遇改善・地位確立を積極的に進めるため、大学等が多種多様な職種の密接な連携協力の上に成り立つことを認識しつつ、職種内・職種相互間の交流・議論を深め、その後の取り組みに活かしていくこと を本集会の主眼とするものである。 1.大学設置基準「大綱化」以降、  とくに最近の大学政策の展開の特徴  世紀の転換点を迎え、来るべき21世紀を担うべき世代にどのような能力や資質が求められるか、大学の学術研究はどうあればよいか、いかなる高等教育がなされるべきか、それらを支えるべき大学・高等教育機関はどのように変革されていかねばならないか、といったこの国と国民にかかわる問題がある。それへの答えとして、相次いで出された大学審議会・学術審議会の答申は、これらの課題に十分に答えるものとなってはいない。  ここでは、こうした答申が相次いで出されなければならない大学・高等教育、研究体制政策の特徴とその背景・要因について10年間の経過を含めて概観しておきたい。 (1)大学・高等教育を「改革競争」に巻き込んだきっかけは、1991年の大学設置基準の「大綱化」であった。「少子化」にともなう18歳人口減、学生たちの進学志望の多様化と学力の変化・多様化、経済不況、それに対応できない政治への不信など、それまで大学が十分には関わってこなかった問題への対応を厳しく迫るものであった。  1987年8月、臨時教育審議会は、高等教育全般にわたる改革課題を指摘し、その具体的な改革方策を検討する機関として「大学審議会」の創設を提言し、学校教育法を「改正」して、「大学審議会は、この法律の規定によりその権限に属させられた事項を調査審議するほか、文部大臣の諮問に応じ、大学(高等専門学校を含む。…)に関する基本的事項を調査審議する」(同法第69条の3)ものとして、9月設立された。10月「大学等における教育研究の高度化、個性化及び活性化等のための具体的方策について」を諮問し、88年「大学院制度の弾力化について」の答申に続いて、91年3月の「大学教育の改善について」(答申)は「大学教育改善の方向」の第一に「特色あるカリキュラムの編成と柔軟かつ充実した教育組織の設計」をあげ、その方策として「大学設置基準の大綱化」「大学の自己評価」を提起した。これが、それ以後の大学の『改革』方向を規定するものとなっていく。  この「大綱化」によって、「科目区分」がなくなり、単位数の拘束が少なくなったことが、とくに「大学の一般教育をどう考え、どう変えていくのか」についての混乱をもたらしている。文字どおりでは「しなくてもよい」科目区分が一般教育を廃止し・教養部を廃止しなければならなくなったかのような受け止め方をされ(というより、行政指導されたともいえる)、大学の自己点検・自己評価の必要が記せられたこととともに、90年代中期に、ほとんどの大学で、学則などが省令方針のままに改定されていったのである。98年7月の「大学におけるカリキュラム等の改革状況について」の文部省調査によれば、9割以上の大学で科目区分などの見直しを実施しており、「努力義務」が明示された自己点検・評価が約9割の大学で実施されていることが、大学審議会答申付属資料にも述べられている。 (2)学術研究体制の問題としては、95年10月、議員提案で国会に提案され、約1週間で全会一致で成立した科学技術基本法と、それに基づいて96年7月に閣議決定された基本計画がそれ以後の体制と方針策定をきめる。これは、その提案趣旨説明で表れた「科学技術創造立国」が、今回の学術審議会「科学技術創造立国を目指すわが国の学術研究の推進について」にそのまま現われていることに象徴される。  一方、通産省は「産業構造審議会・産業新開小委員会合同会議」で95年5月「科学技術創造立国への道を切り拓く知的資源の創造・活用に向けて」をまとめ、「研究開発の推進」という成果追求型の基本法が成立した。この背景に、経済団体連合会が、95年3月、科学技術基本法制定を提言し、96年3月には「創造的人材育成」を提言していたことは見逃せない。  科学技術庁による「基本計画のポイント」の解説でまとめられているように ・新たな研究開発システムの構築のため制度改革等を推進 ・任期制の導入など、研究者の流動性を高め研究開発活動を活性化 ・ポスドク一万人計画の実現と研究支援者の抜本的拡充 ・共同研究推進、研究兼業許可の円滑化により産学官交流を活発化 ・厳正な評価を実施  を謳い、 ・政府研究開発投資を拡充 ・政府研究開発投資について、21世紀初頭に対GDP比率で欧米主要国並みに引き上げる との考え方の下、計画期間内での倍増の実現が強く求められている。この場合、計画期間内における科学技術関係経費の総額の規模17兆円が必要」とするが、「財政を健全化させること緊急課題」であるから「重点的に拡充」する資金として ・競争的資金をはじめとする多元的研究資金 ・研究者等の養成・確保及び研究者交流のための資金 ・研究開発基盤整備のための資金 が強調される。  94年までの3年間連続して民間の研究投資が減少したことや、バイオ、情報、電子機械、生産工学分野などの先端技術で対米格差が拡大したことなど、「大競争時代」に耐えていけないとの危機感があり、民間には金がない、成果や人材供給のためにしっかり金を負担してもらう仕組みを作ることを企図したものといえる。 (3)96年11月、時の橋本内閣によって表明され、次年頭で教育を追加して、「6大改革」は、行政改革、財政構造改革、経済構造改革、社会保障構造改革、金融システム改革、教育改革からなる。これらが、経済関係問題をはじめその内部相互と国民との矛盾を露呈し、昨年の参院選での惨敗に見られるように国民の批判を受けながらも、それを強圧的に推進しなければ自らの存在そのものの基盤が崩れるという「危機感」に駆られて、ルールを無視した「法制化」を進めている。  文部省の「教育改革プログラム」の大学・高等教育に関わる項では、新たなシステムを創る創造性とチャレンジ精神ある人材が必要だとして、「弾力化」「戦略性」「国際化」などをキーワードに経済界との協議を踏まえて、産学連携強化を旗印に、大学のあり方を文字どおり「科学創造立国」のために動員しようとする意図をあらわにしたものであった。  97年6月6日、「大学の教員の任期に関する法律」が成立した。国会でのわずかな審議を経て、学問の自由・大学の自治などの問題に多くの疑問点・問題点を残したまま制定された。この法律制定の段階でつけられた附帯決議なども利用して、多くの大学で、任期制導入はあくまで慎重な検討が必要であるとの立場を明確にしており、その導入の状況は、「限定的」分野等になっている。が、「独立行政法人化」問題や概算要求の際の「潜在的圧力」により任期制導入の動きが強まる傾向を示しており、機構改革等で「教授会の人事権」が十分には及ばない施設・センターなどで先行的に導入されていることにも警戒する必要がある。  97年11月、文部大臣は、大学審議会に「21世紀の大学像と今後の改革方策について」を諮問し、98年1月には、学術審議会に「科学技術創造立国を目指すわが国の学術研究の総合的推進について」諮問した。前者については、98年6月「中間まとめ」、10月「答申」がなされ、組織運営体制を中心とした「法制化」が5月に行われた。  「中間まとめ」においては、「全体として、昨今の日本企業の国際競争力の低下、不況と財政危機をいかに乗り切るか、そのために大学の知的資源をいかに動員するかという危機感が正面に立ち表れ、結果的に21世紀の大学像を明らかにすると言いながら、実際には極度に短期的な視野からの大学像しか描き得ていない」ものであった。全大教は、これを厳しく批判して、大学審議会に「意見」を提出したが、その要点は、 (1)人類の福祉への貢献という普遍的見地から、真理と平和を希求する人間の育成と、普遍的で個性豊かな文化の創造をめざす教育の普及徹底、という憲法・教育基本法の精神の重視。 (2)地球環境問題を初めとしたさまざまな人類社会の「危機」ともいうべき事態のもとで、「学術・文化の中心」として、問題分析と社会への発信を行いうる大学の教育と研究の総合的発展。 (3)上記を実現するための緊急の課題として、予算・定員等の裾野の広い教育・研究基盤の充実。 (4)法制度の「改正」による大学の管理運営の画一的な規制にかえて、大学人の英知を結集した大学の創造的改革と充実。 (5)「多元的な評価システムの確立」、とくにそれと連動した「資源の効果的配分」が大学・学部の再編・淘汰への「強制」につながる危険性。 であり、この立場から、「答申」をみると、「……全体として、根本的な弱点や矛盾を持っている。一方、私たちの運動の結果として『意見』が一定程度反映した部分があ」ると評価した(その論点については「高い理念を持った大学・高等教育の創造を目指して――大学審議会「答申」を批判する(1999年12月11日・全大教中央執行委員会)」を参照されたい。一部「法制化」されたとはいえ、21世紀の大学像を考える上での基本的観点は提起したものと自負している)。  さらに、「組織運営体制の整備」のための「法制化」については、大学自治の充実・発展を阻害するおそれが強く、その視点から「拙速かつ大学運営の画一化をはかる法制化には反対」の立場から具体的にその問題点を指摘してきたが、大学内外での十分な検討が行われないまま、3月9日「学校教育法等の一部を改正する法律案」として、国会上程し、きわめて短時日の審議で5月成立させた(この間の論点などについては、「『学校教育法等の一部を改正する法律』に関する国会審議での主な答弁と留意点」(全大教資料No.98−18・1999年6月25日単組執行部討議資料)を参照されたい)。今後、文部省令改定とともに、各大学での「規程改正」等が進められるので、上記文書などを参考にした取り組みが期待される。  学術審議会への諮問に対しては、「科学技術創造立国を目指す我が国の学術研究の総合的推進について」の答申が、「『知的存在感のある国』を目指して」という副題を付けて、99年5月末に「中間まとめ」がだされ、これもまたきわめて短い期間での意見集約の後、6月29日に「答申」として発表された。これは、人類的基盤の上に学術研究を捉える視点と「科学技術創造立国」路線への執着から抜けきれないこととの矛盾を含んだものとなっている。  とくに、「競争的研究環境」をより促進することを謳い、「経常的研究費を始めとする基盤的研究資金の確保と競争的研究資金の拡充」という戦略的「研究資金の配分」を駆り立てている。この場合、「科学技術基本法」成立時の頃から強調され、大学審議会「答申」に継承されてきた「競争的環境の整備」という方策についての根本的検討もないままに、よりあからさまに展開されている(「学術審議会『答申』について(見解)」(1999年7月5日・全大教中央執行委員会))。  今回の学術審議会「答申」は、そのままの形で「法制化」することは考えられていないようであるが、来年度で期限切れとなる「科学技術基本計画」の次を考える「ガイドライン」を示したものといえる。首相を議長とする科学技術会議は、7月22日開催され、2001年1月1日から内閣府に総合科学技術会議が発足するのを機に、新たな科学技術基本計画を検討する作業部会を設けて、年度内に案をまとめる方針を決めた。4つの作業部会で、社会の要請にこたえる大目標、科学技術教育のあり方、研究の評価方法、産業の育成強化策などを論議するとされており、「21世紀初頭の科学技術政策」の総合的検討がなされるようである。それに対して、あるべき科学・技術研究体制づくりを目指すためにも、今回の学術審議会答申の批判的検討が急がれる。 (4)国立大学の「独立行政法人化」問題は、直接には「行政改革」の動きの中から出てきたものであるが、「大学改革」との絡みで議論されており、行政機関の職員数に国立学校関係の占める比率が大きいことから、公務員数削減計画との関連での政治的動向に左右されている。 「独立行政法人化は、大学改革方策の一つの選択肢となり得る可能性を有しているが、これについては、大学の自主性を尊重しつつ、研究・教育の質的向上を図るという長期的な視野に立った検討を行うべきである」(1997年12月3日・行政改革会議最終報告)とされていたものが、中央省庁等改革基本法(98/6)が成立し、その改革推進本部でもしばしば論議されたが、「国立大学の独立行政法人化については、…平成15年度までに結論を得る」(1999年1月26日・中央省庁等改革推進大綱、1999年4月27日・中央省庁等改革推進に関する方針)こととされている。7月には、「中央省庁等改革関連法」の一つとして「独立行政法人通則法」が成立している。  6月15−16日に開かれた、国立大学協会総会では、「法人化が先にありきではなく、大学審答申を承けた大学の自己改革がまず行われるべきであり、法人化には反対」との態度は堅持しつつも、「2001年からの10年間で10%の定員削減に対応するための具体的対応策を検討せざるをえない」として「『独立行政法人』の問題点を含め、今総会では第一常置委員会で具体的な検討を行うことを確認した」。17日の国立大学長会議で、文部大臣は「できる限り速やかに検討を行いたい」と述べたとされており、この問題に対する各大学での討議が促進されている。 2.21世紀の大学像をめざして――  独立行政法人問題の政策的対抗軸 (1)「独立行政法人」とは何か  「独立行政法人化」は、行政組織の「減量化」(アウトソーシング)・「効率化」の文脈で語られることが多い。たとえば、「行政改革会議最終報告」(1997年12月3日)は、「国民のニーズに即応した効率的な行政サービス」の提供等を実現するという行政改革の基本理念を実現するため、政策の「企画立案機能」と「実施機能」とを分離し、実施部門の「垂直的減量」を推進しつつ、効率性の向上、質の向上および透明性の確保を図るために、独立の法人格を有する「独立行政法人」を設立するとしている。  しかし、「独立行政法人化」という行政管理の改革手法そのものの有効性については、多くの点で疑義が表明されている。すなわち、そもそも行政組織を政策の立案機能と実施機能というように単純に区分できるものなのか、政府の一体性が損なわれることで政府の責任があいまいにならないのか、公的サービスの供給が効率性の原理に委ねられていいのか、むしろサービスの質の低下につながらないか、政策立案機能を担う内閣府等の権限が強化される一方で、実施部門の公的サービスが業績次第では切り捨てられ、国民生活の質の低下につながらないかなどといった問題群が指摘できる。 エージェンシー(executive agency)との相違  これらの疑問はイギリスのサッチャー政権によって、1988年8月の車検局を皮切りに導入されたエージェンシーの問題点としても指摘されてきたことである。しかし、ここで確認しておかなければならないのは、「イギリスのエージェンシーの日本版」が「独立行政法人」である、などといわれることが多いが、両者はかなり性格を異にすることである。  たしかに、両者とも「強い国家」をその根底に持ち、内閣機能の強化とセットとなった「減量化」「効率化」という制度創設の「理念」の点で共通である。そして、組織の長に比較的大きな裁量権を与える一方で、一定の期間を区切って業績評価を受ける点などの共通点も指摘できる。  しかし、基本的な相違点をいくつかあげれば、まず、イギリスのエージェンシーの対象となる実施部門の業務範囲が、車検局、社会保障省の給付局等、基本的に政策立案機能と分離することで「効率化」が期待できる「執行」部門の定型的業務となっているのに対し、日本の独立行政法人の対象は、研究機関や国立病院等がそうであるように、必ずしも政策の「執行」部門とはいえず、業務の性質も効率化が期待できる定型的業務とはなっていないという点である。すなわち、全体の制度設計が、「効率化」という制度創設の理念で一貫したものになっておらず、政策立案機能と実施機能の分離という論理的帰結から対象範囲の線引きが行われたというよりも、「減量」先にありきの「数合わせ」の結果として生まれたという性格をもち、そこには政治的取引という恣意が見え隠れしている。もっとも、イギリスでも、刑務所のエージェンシー化についていえば、その業務の性質からして、効率性にはそぐわないという疑義があることからして、そもそも、政策立案機能と実施機能の分離なるものにどれだけの論理性があるのか、という問題が浮上する。  さらにいえば、公共的な領域を、「官」がどうしてもやらなければならない領域と「民」がやった方が望ましい領域とに区別すること自体、困難を極める。市場化万能を極端に貫徹すれば、「官」の領域は極小化され、政府の存在意義そのものが否定されるという矛盾に陥ることになる。しばしば、国防と治安が「官」でなければできない領域の代表と強調されるが、この主張はむしろ一種のイデオロギーであり、その意味からしても「線引き」なるものは「政治的」に決定されるといった方が正確である。したがって、政府が「公共性」に対する政府責任をどのように考えるのかが、その決定に色濃く反映することになろう。  現に、7月8日に成立した独立行政法人通則法(以下、通則法と略す)にいう独立行政法人の定義も、「国が自ら主体となって直接に実施する必要のないもののうち、民間の主体にゆだねた場合には必ずしも実施されないおそれがあるもの又は一の主体に独占して行わせることが必要であるものを効率的かつ効果的に行わせることを目的として、この法律及び個別法の定めるところにより設立される法人」(同法第2条)というように、きわめてあいまいである。  第二に、イギリスのエージェンシーが、政府と独立の法人格を有しないのに対して、日本のそれは独立の法人格を有するという点である。そして、このこととも関連するが、イギリスのエージェンシーの職員の身分が、独立の機関でないことの論理的帰結として、基本的に公務員であるのに対して、日本のそれは、すべての独立行政法人が政府と独立の法人格を有するにもかかわらず、「公務員型」と「非公務員型」の両方が並存するという点である。独立行政法人通則法は、このいわゆる公務員型の「特定独立行政法人」について、「独立行政法人のうち、その業務の停滞が国民生活又は社会経済の安定に直接かつ著しい支障を及ぼすと認められるものその他当該独立行政法人の目的、業務の性質等を総合的に勘案して、その役員及び職員に国家公務員の身分を与えることが必要と認められるものとして個別法で定めるもの」(同法第2条第2項)と定義している。しかし、一体、これまで国が直接行ってきた業務のなかで、「その業務の停滞が国民生活又は社会経済の安定に直接かつ著しい支障を及ぼす」と「認められるもの」と「認められないもの」という「線引き」が可能なのであろうか。結局は、「総合的に勘案」するというあいまいな手法で、線引きが政治的になされていくに過ぎないのである 従来の特殊法人とどう違うのか  もっとも、国または地方公共団体と密接な連関性をもちつつ、相対的に独立した法人格を有する独立行政法人のような「公法人」が、市民が共同生活を営むにあたって必要な生活上の資源を調達・確保し、サービスを提供することは、日本のみならず、世界的にも広く見られる。このような公法人の存在理由については、通例、1)行政組織の際限のない膨張を防ぎ、具体的な行政の責任体制を明らかにする必要性、2)直轄の国営又は公営の事業であることに基づく法律上又は予算上の諸制約から解放し、独立採算制のもとに、企業の合理的・能率的な運営を図る必要性、3)独立行政法人の事業とすることによって、その職員について、公務員法上の制限から解放、の諸点があげられる。ちなみに、通則法は第3条で、「〓独立行政法人は、その行う事務及び事業が国民生活及び社会経済の安定等の公共上の見地から確実に実施されることが必要なものであることにかんがみ、適正かつ効率的にその業務を運営するよう努めなければならない。〓独立行政法人は、この法律の定めるところによりその業務の内容を公表すること等を通じて、その組織及び運営の状況を国民に明らかにするよう努めなければならない。〓この法律及び個別法の運用に当たっては、独立行政法人の業務運営における自主性は、十分配慮されなければならない」と規定しており、この点で通則法は、伝統的な公法人概念を引き継いだものとなっている。  その意味では、通則法にいう「独立行政法人」とは、出発点において、効率性を求められる存在であったし、そもそも「民主的で効率的な行政」が、憲法の予想する行政の姿であることを考えれば、「効率性」の文言があることのゆえをもって、ただちにこれを否定するのは不適切であろう。実際、行政法学者の間では、すでに「独立行政法人」の用語が用いられており、その中には、公社、公団、事業団、公庫、特殊会社といった多様な形態があるものとされていた。したがって、それらを一貫する性格を抽出するのは困難というのが通説であるが、通則法はこれらの多くを個別法の規定するところに委ねて、その「多様性」を追認する建前となっている。しかし、すべてではないが、一部の法人が、天下り先の確保と民間企業との癒着、それら組織を維持するための「仕事」作りと、結果としての「赤字垂れ流し」や環境破壊等の問題性を指摘されているのも事実である。独立行政法人を「改良型の特殊法人」と呼ぶ向きもあるように、特殊法人と独立行政法人との区別そのものがあいまいであり、一面では、一部の特殊法人同様、新たな利権の温床となりかねない、という問題も抱えている。 「減量化」先にありき  結局のところ、独立行政法人化は、行政サービスの質の向上が目的というよりも、「減量化」という名の「公共性」に対する政府責任の縮小と内閣機能の強化が主目的といわざるをえない。イギリスのエージェンシーが、とにもかくにも表面上は論理一貫性を保とうとしているのに対して、日本の独立行政法人化の場合は、論理的一貫性を欠いたあいまいな「数合わせ」の手法で進められようとしているのが最大の問題である。  以上のように、独立行政法人化の問題を行政改革一般の問題として、国際比較も含めて掘り下げること自体も重要であるが、それは基調報告の主題ではない。したがって、ここでは、以下、国立大学の「独立行政法人化」問題に限定して検討することにする。   (2)「学校教育法等の一部改正」法が  めざす大学像と国立大学の「独立行政法人化」 国立大学の「独立行政法人化」問題と改正法との関連  国立大学の「独立行政法人化」問題は、直接には、「行政改革」の文脈のなかから提起された問題であるが、一方で「大学改革」の文脈のなかにも位置付けられている。すなわち、政府は、この問題を「大学改革の一環」として位置づけ、独立行政法人に移行するか否かについて長期的な視野に立って検討し、2003年までには結論を得るとしている。たとえば、国立大学の独立行政法人化は「大学改革方策の一つの選択肢となりうる可能性を有しているが、これについては、大学改革の自主性を尊重しつつ、研究・教育の質的向上を図るという長期的な視野に立った検討を行うべきである」(「行政改革会議最終報告」[97年12月3日])。「国立大学の独立行政法人化については、大学の自主性を尊重しつつ、大学改革の一一環として検討し、平成15年までに結論を得る」(「中央省庁等改革推進大綱」〔99年1月26日閣議決定〕/「中央省庁等改革の推進に関する方針」〔1999年4月27日〕)などと位置付けられている。  しかし、こうした「可能性」の検討以前に、「独立行政法人化」問題がすでに国立大学に「改革」を強いる圧力として機能している現実に留意する必要がある。「長期的な視野に立った検討を行うべきである」問題が、特に、「中央省庁等改革推進本部」の「2001年より10年間で少なくとも10%の定員削減、独立行政法人化を含め25%の定員削減」方針を直接の契機として、「国家公務員25%削減」という近視眼的な政策課題との絡みで論じられるなどして、その傾向に拍車をかけている。とりわけ、全大教をはじめとする大学関係諸団体の反対を押し切って、本年5月に成立した「学校教育法等の一部を改正する法律」(以下、改正法と略す)の一つの背景に、「独立行政法人化」問題があることからすれば、また、改正法がめざす大学像が、法の運用のされかた次第では独立行政法人化がめざす大学像に限りなく接近していく可能性があることからすれば、両者を関連づける視点は重要である。  ここで両者を関連づける必要があるというのは、両者を切り離して論ずること、あるいは、一方が他方の手段に過ぎないと論ずることで、それぞれのもつ問題性が、あいまいにされ希薄化されかねないことを懸念するからである。とりわけ、「独立行政法人化」圧力によって、改正法それ自体のもつ問題点が、独立行政法人化問題の後景に退いてしまいかねないという危惧を抱かざるをえないからである。したがって、ここではまず、改正法それ自体の問題点について改めて確認したうえで、両者の関連について論じたい。 改正法の論点  国会審議のなかで、特に大学自治との関連で大きな争点となったのは、1) 国立大学における評議会・教授会の審議事項の法定、2)運営諮問会議の設置の法定、3)教授会・評議会・運営諮問会議の議事手続き等の省令への委任、4)教育研究状況等の状況の公表の義務化の法定等である。特に懸念されたのは、この改正法が、1)「組織の一体的運営」の名のもとに、教授会の権限を縮小し(評議会が「全学の運営にかかわる重要事項」を審議するのに対し、教授会は「学部の教育研究にかかわる重要事項」を審議)、相対的に学長・評議会の権限が強化されること、2)外部有識者で構成され、助言・勧告権を持つ運営諮問会議の介入によって、学問の自由と大学の自治とがおびやかされる、といった問題である。  この問題については、国会審議において、1)学部教授会の審議事項の制限、運営諮問会議の委員の人選・権限についても、従来通り全学的事項を含めた教授会審議が可能であること、2)学長が申し出た運営諮問会議の委員については、文部大臣が拒否することは通常考えられず、当該会議の助言・勧告自体には法的拘束力はなく、評議会と意見が相違したときには、評議会の意見が優先されること、などといった政府答弁がなされ、全体として改正法が、学問の自由や大学の自治という前提に立っているという趣旨の政府答弁や参議院の附帯決議を得るに至った。とはいえ、前述の懸念は完全に払拭されたわけではなく、改正法が恣意的に運用されることで、また「行政指導」や「財政誘導」を通じて、自治の機能の縮小が起こりうることに十分留意しなければならない。  もっとも、今回の法改正によって、大学管理機関の文言が消滅し、近代日本の大学の歴史の中においてはじめて、教授会のみならず、評議会等をも法定の機関として位置づけた、という歴史的意味を有している。すなわち、これまでの教育公務員特例法は、アメリカ型の管理方式(外部理事会方式)の導入を想定して、大学自治の要素とされる教員人事等について、読み替え規定(第25条)に教授会・評議会の権限を暫定的に位置付けていたに過ぎなかった。たしかに、教授会は、学校教育法上、必置の機関として法定されていたが、占領期以来数回にわたって、いわゆる大学管理法制定が画策されたことに見られるように、教授会といえども、その権限の基礎は脆弱であった。今回の改正によって、評議会等も、国立学校設置法や教育公務員特例法上、正式にその設置と権能が法定されたのである。その意味では、日本の大学自治の歴史に一つの画期をなすものといえる。 法改正の背景  しかし、法律全体としてみれば、なぜ改革のほとんどが国立大学に関するものなのか、なぜこれほどまでに拙速に法改正を急がねばならなかったのか、そもそも法改正の必要があったのか、という根本的な疑念を持たざるをえない。今回の法改正は、直接には戦後日本の大学改革、特に近年の大学審議会設置(87年)、大学設置基準の大綱化(91年)等を契機とする「改革熱」とも称すべき大学改革の文脈に位置付けることができる。しかし、法改正を急がねばならなかった背景には、高等教育制度そのものが、国家財政の緊縮や産業競争力の強化という政策課題との結びつきをますます強めつつあるという大きな流れがあるといわざるをえない。  すなわち、特に国家財政の「危機」と結びついた「行政機能の減量化・効率化」(行政改革会議最終報告)、すなわち独立行政法人化をはじめとする行政改革の流れが、法改正を強いる大きな圧力として働いたのであった。このことは、今回の法改正の前提となった大学審議会答申(98年10月26日)が、答申によって提言された改革を速やかに実現することにより、「行政改革会議最終報告や中央省庁等改革基本法で求められている国立大学の改革を実現することになる」と述べていることや、国立大学の独立行政法人化についても、「独立行政法人化をはじめとする国立大学の設置形態の在り方については、これらの改革の進捗状況を見極めつつ、今後さらに長期的な視野に立って検討することが適当である」とわざわざ言及していることからしても明らかである。このように、大学審議会答申や改正法は、行政組織の一端(国家行政組織法上の「施設等機関」[8条の2])を担うとはいえ、大学の特性からして、長期的な視野と自律性・独立性が強く求められる国立大学の改革を、行政改革、特に独立行政法人化への対応という近視眼的な視野から推進しようとしている。ここに改正法の根本的な問題があるといわざるをえない。 改正法の大学像の「独立行政法人」的組織像への接近  しかし、国立大学の独立行政法人化問題は、法改正の圧力として機能したのにとどまらず、今後、大学に「改革」を迫る圧力として機能することが十分予想される。現に、改正法にも、独立行政法人の組織像でもある、「企業経営」的な組織像が、「国立大学等の運営の基準」(国立大学設置法第7条の7)の「組織の一体的運営」といった訓示規定にみられるように、一定反映されているとみることができる。たしかに、今回の法改正は、さまざまな問題を含んでいるとはいえ、大学という組織における意思決定が、学問の自由と大学の自治という特性から、人事等、組織運営の基本的事項について、教授会・評議会といった、かなりの自律的な意思決定権限を有する合議制の機関を通じてなされることとの整合性を踏まえざるをえなかったといえる。すなわち、大学自治の根幹である教授会・評議会等の合議制そのものの破壊までを、この法律は求めていないのである。  しかし、たとえ国立大学が独立行政法人に移行しなかったとしても、改正法の運用のいかんによって、あるいは、第三者評価機関を自治との整合性を考慮しないまま設置することによって、また、たとえば、学長・学部長のリーダーシップなるものを一面的・過度に強調することで、組織の長に権限を集中することで効率的な運営をめざす独立行政法人の組織像(「役員に関するもの以外の内部組織は、個別法令の業務の範囲で独立行政法人の長がその裁量により決定,変更、又は改廃」〔「中央省庁等改革の推進に関する方針」99年4月27日〕)に限りなく接近していくことも懸念される。 (3)公教育の視点に立った教育基盤の  充実と「独立行政法人化」問題 教育研究の公共性  そもそも大学とは、「人類の知識のフロンティアを押し広げる知的生活の前哨であるにかかわらず、政治産業社会の提供する資金に依存せざるをえず、その結果、大学の機能がその設置者〔資金提供者〕によって歪められる恐れがあるので、大学を外的勢力(公権力、設置者の権能等)の制約・拘束から解放し、大学がその本体的機能(研究教育)を自主的自律的に決定遂行しうるようにしようとするものである」(有倉ほか(編)『基本法コメンタール・憲法』101頁以下、高柳信一・大浜啓吉執筆)本質を有し、それゆえに自治が認められる存在である。それは、ユネスコの高等教育教育職員の地位に関する勧告では、「高等教育機関の自治とは、学問の自由が機関の形態をとったもの」であり、「かかる自治を侵害してはならないこと、いかなる勢力の侵害からも高等教育機関を保護することは、ユネスコ加盟国の義務である」(〓A.19)と表現されている。一部の論者は、大学に認められるこのような独立性は、高等教育・学術研究にとって、それを認めるのが合理的な政策判断である、と述べる。しかし、そのような見解が、およそ大学の本質をわきまえない議論であることは明らかである。  さらに、改めてここで確認すべきことは、教育研究機関は、国・地方自治体を設置主体とする国公立大学であれ、「公益法人(学校法人)」を設置主体とする私立大学であれ、その教育研究活動の本質において、「公」の領域に位置づけられる、ということである。すなわち、現代における大学・高等教育・学術研究機関の役割は、自治と自律を基盤として独立性を担保しつつ、相互に連携・協力することによって、と「知のフロンティア開拓としての学術研究」という公共的な関心に寄与するところにある。ここで特に「公教育としての高等教育」にふれておくと、それは一方で、「知のフロンティア」を開拓する使命を負った学術研究を遂行しつつ、それと不可分の関係で、科学的な教育理論と方法論に支えられ、個人の精神的能力の全面的発達とともに、自ら人生を切りひらくための各種のスキルを提供し、もって主権者として社会の発展にも寄与しうる人間像の形成に応える教育としての「公教育」(これが憲法26条にいう「教育」=公教育を形成することは、最高裁判所の判例も一部ながら承認している)、の一環を遂行することを意味する。そして、組織体としても、そこに所属する個人においても――教育研究に直接携わる教員はもとより、事務職員、技術職員、図書館職員等、その条件整備と連携協力関係に携わる教職員すべてが――、そのような公共的関心事に専念するところをもって、「公の性質」(教育基本法第6条)が承認されるのであって、そのかぎりにおいて、設置主体が国・地方公共団体であるか、私人であるかによって区別されるべき筋合いはない。  ここに、国公立のみならず、私立の諸機関に対しても、積極的な公費助成が必要とされる理由が生ずる。さらにいえば、教育研究の組織的・財政的基礎が公的に支えられているがゆえに、「公」の領域にあるのではなく、教育研究活動そのものが上述の性質をもち、そこに公共性が認められるからこそ、高等教育機関に対して、公の財政を投入することが正当化されるのである。まさに、教育制度が発達した諸外国においても、設置形態の如何を問わず、高等教育制度にかかる財源の多くが公的に賄われているのも、この理由による。したがって、こうした本質を理解することなく、憲法89条の文言(「公金その他の公の財産は、……教育……の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」)を表面的に理解して「改憲」の口実とするがごときは、犯罪的な言説とさえいうべきである。 公共性の果実を享受するのは誰か?  このような性質をもつ教育研究活動の便益は、その個人のみが享受するのではなく、社会もその便益を享受するという意味でいうところの「公共性」にとどまるものではない。教育研究活動は、「知」を創造する活動であり、その「知」は決して私的排他的に独占されるべきものではなく、広く社会に共有されることが、社会の安定と健全な発展にとっても望ましいという、より積極的な価値判断からも、教育研究には「公共性」を有すべきものとされる。すなわち、教育研究を通じた「知」の創造と共有は、科学技術の発展、国民の知的文化的水準の向上をもたらし、社会総体としての経済発展と文化的発展の基礎を形成し、国民生活の安定と向上を約束するものと考えられる。また「大学の自治」と「学問の自由」を基盤とした多様な学問、「知」との出会いは、科学的批判的精神の涵養にもつながり、社会の民主的発展にも資すると考えられる。さらに、経済のみならず、あらゆる分野で国際化が進んだ今日においては、教育研究を通じた一国の経済的社会的発展は、他国の、ひいては人類の経済的社会的発展にも寄与する。したがって、「営利」の論理、「市場」の論理のみで、高等教育のありかたを論じることは、本来不可能である。  さらに別の角度から考察するならば、教育研究活動は、それ本来の性質上、長期的な視野が求められる。研究については短期的に成果が期待できるものではないし、教育についてもその効果が直ちに顕在化するものではない。まして、教育を通じた内面的な成長などを数値化して測定することなど、ナンセンスというほかはない。 設置形態変更は高等教育全体の質の低下につながる  教育研究の公共性からしても、特に基礎研究など、長期的視野が必要とされることからしても、教育研究活動やそれを支える組織のありかたを、「営利」や「効率性」という「市場」の論理でもって論じることはできない。高等教育機関の設置形態についても、それが、公共性と長期的視野を基礎とした教育研究本来の特性を支えるシステムの重要な構成要素である、と考えられる以上、「市場」の論理で、安易に設置形態の変更が論じられるべきではない。まして、国立大学の独立行政法人化問題のように、行政組織の「減量化」「定員削減」の文脈から設置形態の変更を検討することは論外である。  国公立大学は、歴史的に形成された多元的な高等教育システムの中で、国公立という設置形態によって公教育を担うひとつの高等教育システムである。今日、国立大学の民営化論者は少なくないが、その論旨は、私立大学が存立しているという事実が、高等教育・学術研究は国立でなければならない理由はない、というにとどまるものであって、誰一人として、国立大学の設置形態を変更する積極的な必要性を論証した者はいない。これについて、全大教は、2回にわたって機関紙号外を発行して、これら議論の問題性を厳しく批判してきた。そして、こうした議論の本質が、「教科書的な新古典派理論の機械的な適用」にあることを明らかにしてきた(「座談会 『行財政構造改革』問題の背景と大学・高等教育のあり方を考える」(1998年4月)、「座談会 日本的規制緩和と大学・高等教育を考える」(1999年2月))が、このたびの「独立行政法人化」の動きは、まさにその本質を示したものといえる。  もちろん、国公立大学が、社会との関係において、そのニーズに積極的に応えていくために、教育研究機能を高めていくためのさまざまな改革に主体的に取り組んでいく必要はある。しかし、それは設置形態を変更せずとも実現可能である。むしろ、設置形態の変更によって、長年機能してきたシステムにおおいがたい混乱が生じ、教育研究機能の低下等、はかりしれない悪影響がもたらされることが予想される。しかも、国立大学が高等教育システムの重要な構成要素であることからすれば、それは、高等教育全体の質の低下にもつながりかねず、いうところの「フロントランナー」輩出などともかけ離れた事態に陥ることであろう。 「独立行政法人化」で強まる 「行政の優位」と企業経営的組織像  国立大学の独立行政法人化は、このように、「減量化」先にありきという、政策的アプローチそのものにも大きな問題があるが、独立行政法人がめざす組織の中身そのものが、法人の長に権限を集中させるトップダウン的「企業経営」的組織像にしろ、「企業会計原則」で運営される「企業経営」的な財務構造にしろ、国立大学という組織にはなじまないものである。しかも、3年以上5年未満で、その「業績」を評価するという近視眼的な制度の押しつけは、教育研究活動とはまったくあいいれない。さらに、法人化によって、自主性、自律性が高まるという一部の「幻想」とはうらはらに、むしろ「行政の優位」が強まる仕掛けが用意されていることも大きな問題である。  すなわち、「この法律及び個別法の運用に当たっては、独立行政法人の業務運営における自主性は、十分配慮されなければならない」(通則法第3条第3項)と、一見、法律が法人の自主性の尊重の上に立っているようにもとれるが、主務大臣には、独立行政法人評価委員会等(同法第12条)による評価・勧告、政令で定める審議会の勧告を踏まえ、3年以上5年以下の期間における中期目標の設定(同法第29条)、中期計画の認可(同法第30条)、独立行政法人の長等役員の人事(同法第20条・23条)、業務を継続させる必要性の検討を含む「所要の措置」(同法第35条)等、法人の内部運営に影響力を行使する強力な権限が付与されている。このことからみても、「行政の優位」が強まるのは明らかである。 「独立行政法人」における「財務」構造は 大学になじまない  特に財務の問題を中心にいえば、経済的効率性という「市場」の論理に重きを置く独立行政法人の「企業経営」的財務構造は、そもそも公共性を基礎とする国立大学の組織になじまないし、そうした財務方式が導入されることで、組織と組織で活動する職員の行動は、「企業経営」的に変質していく。また、「企業会計原則」の導入は、「経営努力」による財政基盤の大学間格差の容認を意味し、教育研究条件の大学間格差がますます拡大するおそれがある。  「企業経営」的財務構造の中身を具体的にみていこう。通則法は、「独立行政法人の会計は主務省令で定めるところにより、原則として企業会計原則によるものとする」(同法第37条)として、貸借対照表、損益決算書等の財務諸表の作成と主務大臣への提出を義務付けているが(同法第38条)、企業会計が導入されることの意味は極めて大きい。たしかに、政府は、独立行政法人は、独立採算制度を前提とするものではないとして、「運営交付金」の交付等、国の予算において所要の財源措置を行うとしているが、これが確実に行われる保障はない。  さらに、まだ不明な点が多いとはいえ、財源の運用の仕方や財務にかかわる概念そのものが大きく変わる。たとえば、通則法上の「利益」、「損失」、「欠損金」、「残余」、「積立金」、「剰余金」、「短期借入金」といった概念に象徴されるように、独立行政法人化された機関においては、利益をあげ、赤字を出さないような「経営努力」が強く要求されるということである。中期目標に掲げるべき事項(通則法第29条)のなかには、「業務運営の効率化に関する事項」、「財務内容の改善に関する事項」が含まれており、中期目標を達成するための計画である「中期計画」(同法第30条)が掲げるべき事項のなかには、「剰余金の使途」なども含まれている。また、具体的な運用がどうなるかは未だ不明であるが、「中央省庁等改革の推進に関する方針」(99年4月27日)は、寄付金、外部からの受託収入、手数料、入場料等は、「独立行政法人の収入に直接計上することとし、国の会計の歳入・歳出外で扱う」となっている。仮にそうなれば、外部からの資金導入や顧客からの料金徴収が期待できる組織は、ますます財政的に潤うことになろう。当然、役員の報酬と職員の給与にも、こうした業務の実績が反映されることになる。 「独立行政法人化」による組織の変質と 教育研究条件の格差の拡大  このように、独立行政法人においては、「経済的効率性」を向上させるための「経営努力」が強く求められるのである。「利益」のあがる組織はますます潤うことになるが、そうでない組織は、業績悪化による改廃等の不安にさらされることになる。自らの身分を保持するためにも、必然的に「営利」追求にならざるをえないのである。すなわち、「営利」といった「市場」の論理が組織運営やそこで働く職員の心理に浸透していくことになり、公共的な組織そのものの性格も、より営利企業的に変質していくことは容易に予想できる。  もし、国立大学が独立行政法人化すれば、「経営努力」と「業績評価」等によって、大学の財務構造は多様化し、財政基盤の格差が拡大していくことになろう。このことは、教育研究条件の格差の拡大にもつながるし、経済的な効率性が前面に出ることによって、特に、基礎研究など、「利益」の上がらない学問分野が、スクラップされていくおそれはきわめて大きい。「知」の自立は損なわれ、自由な「知」の創造の気風は失われ、教育研究活動が本来有する公共性の基礎が掘り崩される。当然、批判的精神のごときは根底から否定され、現実主義という名の現状追随・追認だけが「学問」の名を僭称することも予想される。  このような教育研究条件の格差の拡大は、当然、国民の教育を受ける権利を基礎とした公教育の充実という方向に真っ向から反する。授業料等の扱いについてはまだ定かではないが、「受益者負担」の名の下に、大幅な引き上げの可能性も小さくはない。 3.現代における国公立大学の理念――  「公」領域のスタンダードを国民に提示する責任 多元的大学システム  日本の大学システムは、国立・公立・私立といった、設置主体を異にする多種多様な大学が併存することを特徴とする。歴史的にいえば、官立大学中心に学術研究・高等教育システムを作り上げる指向性が存在したが、現実には、数多くの私立大学が、それぞれ「建学の精神」をもって大学システムに参入した結果として、きわめて個性と多様性に満ちたシステムとして発展してきた。それらは、「公教育」の一環としての高等教育を遂行し、「知のフロンティア」を開拓する役割においては一様であったが、大学の自治から派生する、1)人事の自主決定権、2)研究教育の内容・方法・対象の自主決定権、3)施設管理の自主決定権、4)財政自主権の諸原則を具現化する側面においては、いわゆる「学風」とでもいうべきものを個々の体内において育むことによって、きわめて多様な形態を作り上げてきた。それは、学術研究の場と教育の場を欲する者に対して、多様な選択の余地を提供するものであって、その意義は、今日なお高く評価されるべきものである。したがって、私立大学が、教育研究内容や教員人事等に関し、「建学の精神」に基づいて一定の方向づけを行なうことも、「公」の領域に位置する本質に反しないかぎり、基本的に承認されるべきであると考えられる(念のため付記しておくと、昭和女子大事件において争われたように、たとえ学生に対してであっても、思想信条の自由や政治活動の自由を、「学風」や「教育方針」によって、一方的に「補導」することが許されないのはいうまでもない。管理運営上の規則制定であれ、教育上の指導であれ、あくまでも「公」の性質を有する大学等の本質にしたがって、それらとの「調整」の上にしか成立できない性質のものである)。 国公立大学の現代的理念  それでは、このような大学システムにおいて、国公立大学がよって立つべき理念と目標は何か。国公立大学等は、国民・住民の税金を直接の財政基盤として、その意思によって設置される。従来、このことは、議会制民主主義に基づく意思形成と財政支出だけを一面的に強調し、国公立学校に対する政治的・官僚的支配を正当化する文脈で主張されるのが常であったが、そのような見解が、憲法・教育基本法の解釈から見て誤りであることはいうまでもない。憲法・教育基本法が謳う「学問の自由」「教育を受ける権利」「公教育に対する不当な支配の排除」を調和的に解釈するならば、国公立大学等は、「公」教育に対する国民・住民の要求を直接に反映し、その付託に応えるとともに、「知」のフロンティアを、社会との往復と「知」のもつ内的な論理の両面から開拓する責務を、国民・住民に対してのみ・直接に負うべき存在であり、それに応えることを自らの行動規範として成立すべき存在であるといえるのではないだろうか。しかも、大学・高等教育機関・学術研究機関の行なう活動と、それに対する期待は、一国の枠内にとどまるものではなく、普遍的なものであることからして、偏狭なナショナリズムにとらわれてはならないのはもちろんである。  ここに述べた理念と目標を前提として、「公」的な存在としての大学等の本質を、その諸活動を通じて明らかにし、そのスタンダードを社会に明らかにする存在、構成員の自律した意思を通じて、社会との相互連関の中で、絶えずその「公」的な価値のありかを、国民・住民に対して、直接示し続ける存在、そこにこそ国公立大学の独自の存在意義があると考える。 留意すべき論点  もっとも、ここにはいくつかの留保が必要である。  第一に「スタンダード」とは、「公」的存在としての大学の中心的な指標を指し示すことであって、単なる「セーフティ・ネット」、すなわち、市場経済における敗者に対し、恩恵的に教育・研究の場を提供するような存在と理解されてはならない。もちろん、教育・研究の場に対するアクセスを衡平ならしめるための責任(たとえば、ユネスコ「高等教育世界宣言」第3条)が、国公立大学等には、特に強く求められるが、現状がそれにふさわしいものかどうかは別途検証を必要とする。  とくに「受益者負担」の名の下に、年々授業料が高騰し、あるいは、学部別授業料制度が画策される現状は、国公立大学がもつこのような本質からして重大な問題である。設置形態を異にする多元的な大学システムは、ともに公教育と学術研究を支え、その場を欲する者に多様な選択の機会を保障するはずであるにもかかわらず、むしろ「過剰に市場化」されている、との指摘さえあるだけに、その「スタンダード」を示すべき国公立大学の責任は重大である。少なくとも、1971年国立大学協会見解(真摯に勉学を続ける意思があることを定期的に確認するための特殊な手数料)の線から出発することが必要であろう。  第二に、「公」的存在としての大学の本質においては一様であるとしても、その具現化において多様性が必要であることは、すでに述べた。多様性を担保するのは、設置主体が多元的であることによっても担われているが、一方で、構成員の自発的・創造的な活動を追求し、保障する中から自ずと生ずべきものでもある。したがって、国公立大学等は画一的である必要もなければ、「個性化」の名の下に「改革」を強要される必要もない。 何が評価されるべきか?  現在、第三者評価機関の設置が計画されているが、その組織・活動については、第三者性が完全に担保されるかどうか(社会の多様な構成員を代表するものであるかどうか、特定の階層、特に、政・官・財の「鉄の三角形」を過剰に代表するものでないかどうか)、大学・高等教育機関・学術研究機関の本質にふさわしい評価基準を確立できるかどうか(ここでもユネスコの「高等教育世界宣言」が「高等教育の適切性は、社会が機関について期待する期間と、機関が期待する期間とが一致する期間において評価される」(第6条)、「高等教育の質とは、そのすべての機能および活動:すなわち、教授および研究プログラム、研究および奨学金、定員配置、学生、教育、建物、設備、地域社会への奉仕および学園環境を包摂する、多面的な概念である」(第11条)等と述べていることは、十分に留意されるべきである)、その手続が透明で民主的であるかどうか、大学・高等教育機関・学術研究機関の特質と多様性を配慮し、一方的な価値観(とくに、市場経済万能主義に基づくそれ)に基づいて「スクラップ・アンド・ビルド」を持ち込むものではないかどうか、厳密な検討を必要とする。  さらにいえば、何よりも厳格に評価されるべきは、財政を含む現状の教育研究条件が、構成員の自発性と創造性を伸長し、国民の多様な要求に応えうる、豊かな教育研究環境を生成するものとなっているかどうか、それにふさわしい管理運営体制であるかどうか、逆にそれを阻害するものになっていないかどうかである。これらを構成員が自律的に検証し、国民・住民に対して、その果たすべき責任のありかを明らかにしていくこと、これが、国公立大学の本質にふさわしい行動責任(レスポンシビリティ)ではないだろうか。 おわりに  いかに万全の教育研究システムを構築してみても、究極においてそれを具現化し、作動させるのは、教育研究を実際に遂行し、その条件整備を担当する教職員にある。そして、教職員が他の構成員と密接に協同しつつ、教育研究活動を展開する場が大学・高等教育・学術研究機関である。  そこは、ユネスコの「高等教育世界宣言」も指摘するとおり、単に学校教育の最終段階にとどまることなく、生涯にわたる学習活動の出発点であるとともに、何度でも出入りして自己の能力を発展・伸長する場でもなければならない。その場が外部の圧力や侵害に侵されてはならないこと、その「知」のあり方が、特定の利害に支配されてはならないことは歴史の教訓であるが、内部において、それが分断された状況もまた克服されるべきことを自覚する必要がある。すなわち、戦前の大学に見られた「エリートの知」と「民衆の知」との「分断」状況は、軍国主義化に進む社会の文化状況を押しとどめられなかったことを、歴史の教訓として、深く胸に刻みつけておかねばならない。新ガイドライン体制、国旗・国歌法制化や新たな治安立法の策動等、戦後民主主義の枠組を大きく変更しようとする動きがある今、私たちは、社会から分断されることなく自立した「知」のあり方を、大学・高等教育機関の「自治」のあり方、「国家」と社会との関係のあり方も含めて、真剣に追求していかなければならないのである。  教職員の地位確立と労働条件・生活条件の向上は労働組合の任務である。そして、大学・高等教育・学術研究機関とは、個々の組織としても、システム全体としても、教職員という個人を基礎として成立する。その具体的な生存の条件こそが、大学・高等教育・学術研究機関のあり方を根底から基礎づけ、経済状況の混迷や環境問題、社会病理的現象の深刻化等、従来予想もできなかった種々の問題に対して、主体的、積極的に応えていく姿勢を基礎づける。私たちの職務が、そのような特別の性格をもつことを深く自覚するがゆえに、全大教が、労働組合として、大学・高等教育・学術研究機関のあり方に対する発言を続ける意味はある。  3日間にわたる各方面、各職種からの多面的な検討を通じて、21世紀に向かおうとする大学の「今」と「未来」とを徹底的に論じていただきたい。 シンポジウム 21世紀に向けた大学・高等教育の充実をめざして―独立行政法人化問題への対抗軸 〓報告1〓 羽田貴史氏(広島大学大学教育研究センター・大学教育論)  広島大学の羽田でございます。高いところから失礼いたします。私が与えられたテーマは「独立行政法人と国立大学」ということでございます。全大教の文書で、「ご専門の立場から、大学等のすそ野の広い総合的発展を阻害する問題のことを中心にお話を」というふうにミッションが与えられました。大学教育論という専門になっておりますが、正確に言いますと、戦後大学改革と近代日本の大学財政制度史を専門にしておりまして、1月には『戦後大学改革』という本を玉川大学出版部から出しておりますが、さっぱり売れません(笑)。本を出しましたけれども、大学生の学力問題や大学評価の話などという注文がございます。広島大学の大教センターにおりますと、大学のことは何でも知っているだろうと錯覚されまして、たくさんいろんなお話が来ますので、もっぱらそういうことを中心にやっております。したがいまして私の専門は、いま“解体中”であるというふうに自覚しております(笑)。この10カ月間ぐらい自分の論文のための勉強をする時間がなく、広島大学の自己点検評価の委員として評価結果を取りまとめたり、広島大学内部で独立行政法人問題の検討に加わったりしております。  さて、私は四つほどのテーマで独立行政法人の問題についてお話ししてみたいと思います。一つは、大学の組織形態を変更して法人化するという議論は、今日に始まったわけではありません。いまの独立行政法人はどういう性格をもっているか、歴史的にどういう位置にあるかということを一つ目にお話ししたいと思います。  二つ目にお話ししたいのは、行政改革という大きな枠の中での独立行政法人を大学に当てはめると、いったいどういう問題があるのか。独立行政法人構想そのものについての検討をしてみたい。ただし、この点については三橋先生が詳細な報告を準備されていますので、ポイントのみにとどめます。  三つ目には、今週の月曜日に国立大学の臨時総会に出ました常置委員会小委員会案がございますが、問題になっている通則法の行政法人構想をどう修正しているか。これが、今の時点で大きな論点だと思いますので、この点について私なりに今日述べてみたい。ここは多少三橋先生と重複するかもしれませんが、ある程度の重複も重要だろうと思っております。  最後に、法人化のもっている問題点を見るためには、もし行政法人になった場合、具体的にどういうことが起きていくかという、ある程度のシナリオの想定も重要だろう。このように思いまして、これはやや問題が多いかもしれませんが、シナリオとしては、法人化によってどういう問題が起きるかということを述べてみたいということです。  まず国立大学の「独立」問題の歴史ということで、レジュメの1ページにございますが、少なくとも歴史的な動きにはこういうことがあります。最初は国立大学、つまり官立学校が明治5年の学制によって発足しまして、明治10年には東京大学という日本で最初の大学が生まれてまいります。今日に至るまで大学の本則的なイメージは国立というのが非常に強いわけです。大正7年の大学令で公立大学、私立大学が認められるまで大学は国立に決まっているという厳然たる事実が認められます。しかし、そのときからすでに「国立大学であるということが唯一の大学の形態である」ということについては、強い疑念が存在しておりました。  たとえば明治6年、学校は一種の資本金をもって独立していくべきであると、当時の文部卿木戸孝允が述べております。その背景には、明治12年、元老院で文部省の役人である辻新次が説明しておりますけれども、「高等教育はもともと人民の自由に任せるべきで、政府は干渉すべきでない」という理念がありました。これはきわめて健全な教育の自由論だと私は思いますけれども、そのような主張があったということは、まず記憶にとどめるべきでございます。しかしこれも明治14年の政変を契機にして、国家が教育に関与していくという政策転換がございまして、以降、大学は国家のみによって維持されるという原則ができたわけです。  しかし、その下でも大学の独立論は存在しておりました。一つは明治22年、大蔵省が、現在の国立学校特別会計につながる前身の官立学校特別会計というのを立案するのですけれども、帝国大学をはじめとする官立学校に特別会計を置こうというものですが、そのいちばんのポイントは、当時できつつありました帝国議会から大学を独立して維持していくというところにありました。その典型的な表現は、初代帝国大学総長加藤弘之が当時「天則」という自分の個人雑誌の中で私立大学を批判して、「誰か高等教育を人民に放任すべしと云ふ乎」、大学は国によって維持すべきということを厳しく主張したわけです。その主張を裏付けるために、議会に集まってくる政党人の予算審議権から大学を自由にしたい。これが独立論のもう一方の典型として登場してくるのです。  それを象徴するのが明治40年、東京と京都の両帝国大学に、特別会計をいっそう強めて定額支出金を支出する制度にしてしまったことです。両大学に毎年130万円、100万円という金を支出して、大学が自由に運用していく。これがたぶん形態的にはいまのエージェンシーに近いですね。金額が法定されるということが今はございませんけれども、きわめて近いかたちです。これは毎年度予算が余ればそれを次年度に繰り越して使えるという、単年主義を実質的には変更するような財政制度でした。  しかしこの財政制度は大正期には崩壊してまいります。どのへんで崩壊するかといいますと、大学がしだいに拡張して、いろいろな社会的な必要性に対応して学生数が増えていく。そうすると特別会計では対応できない。毎年定額金が変更されていく。すなわちどんどんその支出率が下がっていく現象が起きまして、個々の学校会計ではもはや自立性は維持できないということで、全部の大学を一つの特別会計にして運用するという形態に、長い時間かけて変更していきます。これが戦前の歴史でありまして、端的に申しますと、国立大学としての存在形態の中で会計的な独立性を実現しようとしても、それはできなかった歴史であるというふうに戦前の歴史を総括することができます。  戦後一般会計に移行したもとで、昭和39年に国立大学に対する新しい動きができます。これは理工系ブームの下で国立大学を拡張する必要があった。そのための特別な財源を作る必要があった。これはもっぱら大蔵省が持ち出したわけですけれども、それを契機にして、現行の国立学校特別会計ができました。しかし基本的にその中の会計ルールは国家の財政運用をそのまま適用するものでした。これは特別会計を前提とすると、借入金等を使ったり、いろんな弾力的な措置ができますが、財政運用権は基本的に文部省と大蔵省が把握しており、硬直的であることは、先生方が実感されているのではないでしょうか。  したがいまして国立学校特別会計ができた後も、国立の制約を離れて研究教育に照応した管理をしたい、こういう要求は絶えず出てまいります。たとえば1970年、東京大学の改革準備調査会が作った専門委員会の報告書の中では、大学法人化をうたっております。しかしこれは、念のために申し上げますと、当時の大学をそのまま法人化するのではなく、当時の文部省の下で法人化するのではなく、文部省を改変して大学委員会という大きな全国的行政機関を作って、そのうえでの法人化ということです。こういうプランも存在しておりました。  さらに、いわゆる46答申、中教審の中でも「一定額の公費の援助を受けて自主的に運営する公的な新しい形態の法人」という提案もされておりますし、また民間人では永井道雄氏の大学公社論も存在しているというのも記憶にとどめていいことだと思います。  そして設置形態の変更がドラスティックに出たのは例の臨教審ではなかったかと思います。臨教審の「審議経過の概要(その4)」(昭和62年1月)の中では民営化論が展開されます。そのとき大学にいた方は臨教審の民営化論をめぐって丁々発止の議論が進められたというのは記憶に新しいのではないかと思います。6点ほどの主張で大学の活性化を図るということでの法人構想が長らく議論されました。  その議論を受けて、当時神戸大学長であった新野幸次郎氏を座長とする研究グループが発足いたします。その『大学の組織・運営に関する研究調査報告書』の結論に沿って臨教審は、法人化はしない、民営化はしない、そのかわり大学審議会を作って、大学評価システムを含めた国立大学の活性化を図るということで、民営化構想を将来の課題として繰り延べたわけです。その延長線上に実は今日の議論がある。まずこういうふうに理解すべきでしょう。  そのときの研究調査報告書の結論は、ゴシックで書いてございますけれども、要するに当時の設置形態、国立大学であるということを絶対に維持するということではありません。新しい設置形態を探求することを躊躇してはならない,しかし今のところ、すなわち87年の段階で行政法学や行政学の現状から見る限り、特殊法人や第三セクター論の領域の研究は始まったばかりであり、ただちに「大学」の受皿となる理論や概念は存在していないといわざるをえないというふうに結論づけています。これは理化学研究所等の特殊法人を分析した結果、特殊法人形態でも非常に強い国家関与が存在しており、予算会計を独立しても、多少の経営努力の余地はあるけれども、効果が大きいとはいえない、それから共同研究やプロジェクト研究に傾斜して、基礎研究にマイナス要因を与える。  こういうことを主張して、当時はちょうどアメリカから見て日本は基礎研究が弱いという指摘もございましたので立ち消えになってしまった。したがって今日の論議は、そういう議論があった上で独立行政法人構想というのが当時の課題をクリアしたものかどうかということがポイントになるだろうと思います。  二つ目は独立行政法人構想の問題ですが、結論だけを言えば、当時の懸念を払拭できるようなシステムが提起されているとまでは言えないということです。  ここには6点ほど特徴を挙げておりますけれども、行革の中での独立行政法人というのはいったいどういう意図をもっているかという前提になる問題です。先刻の基調報告もお聞きしたのですが、私はやはりいくつかポイントがあるだろうと思います。率直に申して、行政法人と大学というテーマだけで議論をするのはやや視野が狭いのではないかという気がしております。基調報告の中にはそれ以外の観点もありますけれども、大きな枠の中でいま独立行政法人というものが出ているということを見るべきではないでしょうか。  その一つは、行革の文書によりますと、「戦後型行政」から「21世紀型行政システム」への転換であるという枠組みの中に位置づけられる。したがって独立行政法人のシステムそのものの可否だけではなくて、全体的な改革構想を視野に入れていく必要がある。何が必要かというと、一つは文部科学省設置法の改正の中で、いったい従来の文部行政指導がどういうふうに継続するのか、継続しないのか。この論点を一つ視野に入れておく必要があるだろう。たとえば教員養成の問題について申しますと、教員養成は非常に国家的な関与、コントロールの強い分野です。コントロールが強い理由の一つは、従来は高等教育の枠組みであったものが84年の文部省設置法改正により、教育助成局の指導関係に入ったことです。ここに、初等・中等教育とリンクして教員養成カリキュラムの改編が非常に早く進行し、大学がそれに従属するという構造が生まれる理由があります。  ところが今回の文部省設置法改正を見ますと、教育助成局は解体されて、教職員課はどこにいったかというと、初中局に入るのですね。初中局に入って、教科書とか、さまざまな課と連携した中に入っていくわけです。そういう枠の中で動いたときに、いったいどういう現象が大学におきるのか、というのが想像がつくわけです。いったい文部科学省と大学の関係はどうなるのか。この視点をより重視すべきです。  二つ目には、現在出来つつある大学評価機関との関係がどうなっていくのかという点があります。  三つ目には、こんどの改編の中では総務省というお化け官庁が誕生します。これは各省の情報を全部統合して、各省庁が行う政策に対する政策評価を加える機関です。私は、大学評価機関の評価と総務省の評価が同じかどうかというのはいちばん気になっているところです。これは後で述べます。  四つ目には、現在、科学技術会議がございますが、これが役に立たないということで、「総合科学技術会議」というのを平成13年から発足させます。その準備として、現在、21世紀の社会と科学技術を考える懇談会が開かれていて、来年の秋には答申を出し、その答申に沿って新しい総合科学技術会議のスキームを作る。これは従来の科学技術会議とは違って、いっそう具体的な戦略的な科学技術の内容について提言をする内容になっております。これは、いまホームページで読めますけれども、大変重要なことを言っていますね、21世紀においても資源を食いつぶすようなタイプの科学研究でいいのかどうかとか、それから科学研究にはモラトリアムが必要になってくる。つまり研究しないということも重要な政策になってくるわけでありまして、バイオハザードなどを避けるためにも、そういうトータルな科学技術政策が重要になってくる。  しかし、もしそういう政策的な科学技術振興が進んで具体的なお金を伴って入ってくると、大学が相当今から変わることを覚悟しなければいけない。ここにいったいどういうチェックとコントロールをかけていくのか、バランスのとれた学問を発展させるにはどうすべきかというのは、エージェンシーの形態だけでは解決されません。これをもっと視野に入れていかなければいけないということです。  これもすでに言われていることですけれども、もともと大学を想定していなかったシステムの中に大学を放り込むと大変なことが起きると思います。いちばんのポイントは、独立行政法人が想定しているのはたぶん国家機関でありまして、これをエージェンシーにのっけたら、たしかに現在よりはその機関の自主性が増すということははっきりしております。しかし、大学はもともと自主的に政策決定をしてきた機関でありまして、これをエージェンシーの枠に放り込めば、現在でも事前統制が加わり、かつ事後評価も加わって現状より自主性が後退するのは明らかです。  たとえばいま、行革会議の議事録がホームページで読めますけれども、今年の3月の時点で独立行政法人通則法の中にある業務の改善命令について委員の藤田氏が、これは場合によっては大変なことになる、いったいどうなっているのかという質問を事務局にしておりますが、事務局には明確な答えはございません。ですから、もっぱら大学の立場を反映してといいますか、大学の側から入っている藤田さんのような方でも、そこのところの具体的なイメージはないわけでありまして、ここではあたかも“靴が先にあって足を入れ込む”という状況になっているというのが非常に問題であります。  それからもともと独立行政法人は効率化や減量を目的とすること、これも非常に重要な問題でございまして、たとえば委員の山口顧問は、独立行政法人の目的は効率化であり、減量が目的であると、はっきり何回もおっしゃっている。独立行政法人がいいとおっしゃる方の中には、「一生懸命運営して成果をあげれば、お金が入ってくる」とおっしゃる方もいるんですけれども、それは根本的な間違いであって、減らすためにやるものですから、一生懸命やったから、10%の定員減はやめて5%にしてあげるということは言われても、増えるということはこれからあまり考えないほうがいいと感じます。ただし会計運用には若干の改善がある。“渡し切りの交付金”としてイメージされておりますので、財政運用は少なくとも若干の弾力性はある。行政改革会議のコメントでも「独立採算性を目的としない」というふうにだいたい述べているのですが、法を見る限り、独立採算性をとらないことを規定として明文化しているわけではございません。現行の国立学校特別会計が発足するときも、大蔵省主計局長と文部次官が「国立学校特別会計は独立採算を追求しない」という覚書を交わしましたけれども、その後の運用を見るとほとんど効果はありませんでした。したがって明確な歯止めがないという点もあり、一般論として独立採算にしないといってもあまり意味はない。  6点目に、今日の議論でも気になっているところとして挙げましたが、法人移行に伴って、身分が非公務員であるか、公務員であるかというのがポイントになるわけですけれども、仮に非公務員であった場合に果たして継続雇用が実現されるのか。設置形態の変更と身分の問題が、起きたのは国鉄のことでございまして、国鉄が設置形態を変えてJRになった。これはご存じのとおり大変な雇用不安を引き起こしたわけです。大学の場合にはそれほど深刻な労組の対決はございませんが、普通に考えますと、やはり理論的にはスリム化・減量化である以上、労働関係の継続が果たして可能かどうか。  さて、ここで国立大学協会の第一常置委員会小委員会案を検討してみます。  一つ目は、特例法を制定したいと述べています。これは重要なポイントです。ただし通則法を前提としていけるのかどうかというと、かなりたくさんの論点があって合わないというふうに言わざるをえない。たとえば主務大臣の目標設定に対する大学の主体性が、あの枠組みでは担保されないのではないかと思います。国立大学等にいくら意見を聞いても、現行の中での大学は恐らく独自な主張をできないであろう。ましてや大学評価機関にリンクしましても、もともと大学評価機関は目標設定や大学のあり方に関する政策を提供する機関ではございません。そのようなところに聞いたところで、目標設定に関して大学が主体性を担保できるとは思えない。  それから大学の自治の保障がどうも表現上、やや弱いと思います。たとえば評議会の設定については明確に「置くとする」というふうに書いてありますが、教育公務員特例法による身分保障の内容を引き継ぐところを見ると、「すべきである」となっています。日本語の用法で言えば「しなければならない」が最も強力で、「すべきである」はその次、「望ましい」が3番目です。どうでもいいような表現でございますが、そういう文例に従えば、「しなければならない」という程度ではちょっと弱いのではないか。  さらに、よけいなことも書いてある。たとえば「学部や大学院の研究科を設置する」、こういう話も書いてありますが、おそらくこれは必要ない。かえって硬直的になる。これは意見が分かれるかもしれませんが、私はいまの時点ではこういう点は必要ないと思っております。  それから最大の問題である公費支出の義務づけ、さっき申し上げたところは、まったく明確な論議を欠いているといいますか、ただの希望にとどまっている。これをどういうふうに担保させていくか、もっと検討すべきである。ただし、法人化単位の立て方、つまり移行時においてどういう法人がありうるかは具体的な記述になっています。  また、具体的な財政というものは非常に丁寧に書いてある。これも「独立行政法人会計基準研究会」というのができているのですね。それでたとえば独立行政法人に対する運営交付金の支出について、成果進行型にするか、費用進行型にするかというような議論をしておりまして、その中の委員のお一人が北海道大学の宮脇淳さんなのです。この方が常置委員に入っているので、会計の部分は非常に具体的です。  それで最後の点ですが、独立行政法人化によって何が起きるかというプロセスが、もし仮になった場合には問題があるのですが、ここではおそらく二つほど問題があります。それは、移行のプロセスでどういう再編が起きるかということと、移行後5年おきに見直しをしていくという、この二つの領域で問題が起きると思います。  いちばんわからないのは評価の問題です。行政法人かどうかという形態もそうなのですが、文部大臣がガードしてくれるという可能性もあるわけですけれども、文部科学省自身が総務省の政策評価独立行政評価委員会と、それからいまの行政監察局を改組した行政評価局による評価を受けて、ここに勧告が来るという、この仕組み全体が、文部省がいま検討している大学の評価機関というところの、いわば教育評価を中心にした評価システムによってガードされていくのかという問題があるのですね。この、総務省の行う政策評価というのは何であるのか。ここがたぶんいちばんのポイントだと思うんです。  おそらくやっている人間もわかっていないと思うのですけれども、通常はそういう政策的評価というのは国の機関の中では国会がやるわけですね。アカウンタビリティーを担保する機関ですから、そこがやるのが通常である。今回たしかにそこもあるのですが、総務省が個々の省庁の政策もきちんと評価してしまおうというわけでございまして、たとえばアメリカなんかで言うと、予算決定については、事業予算で組む政策があるときには「その事業をやったらどれぐらいメリットがあって、その結果自然がどう壊れるか」とか、そういう費用対策効果をやった上で政策決定していくということを考えて、あまりうまくいかなかった。  日本の場合でいうと公共事業に投資をするときに、役に立たなくても決まったからやるということですから、政策評価をして政策を推進するという仕組みにはなりにくい構造をもっているのだと思うんです。だからいったいどういうかたちで政策評価をして行政法人の行政評価をしてやるのかということがわかりにくいのですが、仮にこういうシステムが動いたらいったいどういう現象が起きるかというのを考えてみると、やはり予算の面がいちばん見えてきやすいだろうと思うのです。  実は現行の国立学校特別会計の中でも、意外と大学の自己収入率というのは高くなっているのですね。大学の授業料とか附属病院収入などで半分以上を賄っている大学が結構あるのです。たとえば、岡山大学と新潟大学は、特別会計だけで、一般会計の繰り入れを除けば、実は半分以上自分の大学の収入で賄えている。予算的には、実はそういう事態にまで進んでしまっているんです。  (OHP)  広大のセンターにある自己点検評価書の中に財政を書いているところもありまして、年度がそろっていないのですが、その数字でいくと、同じ年度ではないということを前提にして、傾向として理解していただくために見ますと、こんな感じになっている。  いちばん上の国立学校特別会計は1999年度の予算ですが、自己収入は42.8%まで来ているのですね。これは附属病院収入とか、外部資金導入とかで国家資金は57%しか入っていない。  これには非常にムラがあって、たとえば琉球と旭川医科大学、あるいは秋田大学を見ますと、もう、このへんは60%近く自分の大学の収入で動いていける。そういう大学がすでにある。  それから低いところで言うと帯広畜産大学がいちばん低い。18%しか収入がない。これはほとんど授業料です。それから宮城教育大学、これも単科教育大学で授業料収入がほとんどである。これは75%を国費でまかなうしかない。その次に東京大学が26%ぐらいのオーダーになってきます。総務省的にこういう数字を評価してみると、運営の効率化で見たら、やはり秋田、琉球あたりはよく頑張っているという評価になると思います。もっと頑張ってほしい。これはいい点数なんです。  東京大学が低い。これはどうなるか。これはもっと頑張れよといったって、それはたぶんそんなに頑張ったって、このオーダーが上がるはずがない。現行でも東京大学に入っている外部資金というのは実に300億近いのですね。たとえば広島、筑波も大きい規模なのですけれども、1ケタ違うわけです。いま、外部資金でいくと、ほとんど旧帝大の一人勝ち現象になってきているので、これ以上増やせっこないのですが、だからといって国の支出は下げるわけにはいかない。つまり国家的な意義のある重点大学に対しては、これは依然として継続するという論理になる。  (OHP)  では帯広畜産とか宮城教はどうなんだとなりますね。低い。これは上げるわけにいかない。病院をつくるわけにはいきませんから。そのときに、こういう低さとリンクしてくるのがたぶん、これは岩手大学の場合も多少関係しておりますが、こういう案が7月に報道されたのはご存じだと思います。つまり、いま大学教育の国際標準化が非常に進んでおります。典型的なのは工学教育でございまして、これはアメリカのABETにリンクしたJABEEという、エンジニアリングの学位の評価システムで、これがいま日本でも本格的に来年から入ります。要するにそういう基準をクリアしないと、そこを証明していないと雇ってくれないのですね。ヨーロッパでもアメリカでも雇ってくれないので、日本の工学部は皆、これに一生懸命乗り始めております。そういう仕組みで、JABEEと書いてジャビーと呼んだり、人によると「ヤベエ」と(笑)、解釈は両方あるみたいなのですが、いずれにせよ、この傾向はいろんな分野で進むだろう。  ここの新聞で報道されておりますのは、やはり同じ獣医の国際基準でありまして、これをクリアしないと仕事ができない。ところが日本の獣医学教育の水準というのは人数が小さいので現行の中でいくらやっても膨らまないから、東北と九州あたりに、帯畜とか岩手の獣医学科を統合してしまって、大きな基準にして、ここで対応しようという話がある。これは反対論もあるけれども、賛成論もある。  問題は、こういう問題とさっきのお話をリンクしたときに、これだけ国が80%以上国費を投入するには、やはり何かの意味づけが要る。国家的な意味づけがあるかというふうに必ず出てくるわけです。そうすると、議論の中ではおそらく「集中統合して国際基準にも堪えるような獣医学教育をする」という方向のほうがよりクリアで、アカウンタビリティーは高いですね。そういう方向に流れやすくなってくるだろう。  それから宮城教育大学……、ここにも教育学部の先生方がたくさんおられるので、こういう話をしていると今日、生きて帰れるかどうかちょっと不安なのですけれども(笑)、この数字はどこの単科大学を見ても同じぐらいなのです。教員養成は国家的事業という理屈もありますし、国立教育大学はそういう点で一応ガードを主張しておりますが、就職率が30%、20%でいいのかという問題がかかっております。5000人削減が終わった段階で、さらに次の追い討ちが来るので、たいへん申し訳ないのですけれども。そうしますと出てくるのは何かというと、ブロック的な再編だろう。これはもう次の案としてささやかれておりますが、5000人の効果が出るのは4年か5年後なのですけれども、その時点で教員養成大学の就職率が回復していないと地域的な教育大学に集中統合化して就職率を上げるなり、国家的な意味づけがございませんと、おそらく教員養成大学は生き残っていけないのではないか。  しかも、私はさっき行政評価なり政策評価はどうなるかわからないと申し上げましたけれども、日本の国立大学なり大学行政でわりと政策評価的なところをベースにして何らかの減量措置をやった経験があるかといえば、おそらくそれは教員養成だけになると思います。ほかは、理工系学科がニーズに対応した増加政策というのをけっこうやっているんですね。けれども、就職率が悪いという数字をテコにして、しかもそれは一つのきっかけは行政監察局の監察結果なわけですけれども、それをテコにして学科再編、課程再編をしたケースというのはおそらく戦後史の中でいうと、そのぐらいではないかと思います。しかもきわめて抵抗もなくやったわけですから、お互いに経験済みですね。ですから、そういう点でいうとエージェンシーになったときのターゲットとして上がってくるのは、おそらくこういう単科大学、あるいは東京商船、神戸商船も数字をあげていくのは非常に低いわけですから、そういうことでおそらく動きやすいのではないかと思っております。  こういう枠組みで動くときに懸念されることは、日本の学術研究の枠組みが長期にわたって変化していくというところをどういうふうに回避していくのか、回避できる仕組みがあるのかということです。いま、1995年から科学技術基本法が動きましたので、日本の研究費全体はわりと潤沢になっております。  (OHP)  それで、気になったので、科学技術研究報告でこの10年間ほどの研究費の構成比を調べてみたのですが、今のところ、この10年間で研究費の側面から見ると、学問分野の構造について大きな変化はない。安定的に出ているという簡単なことを今のところは言っておきたいと思います。たとえば研究者1人当たりの研究費で見たら、この10年間で平均で1.2倍ほどになっていて、わりと伸びている。なぜか農学系が減少しています。ほかはだいたい、人文系も伸びている。  しかし外部資金導入型でいったら、文学に金が来ないことは、まず間違いないですね。お金の面でもたぶん減っていって、研究者の数でも減っているときにどういう問題が起きるか。これは言い古されておりますけれども、具体的なシナリオでいって、さっきのような事態があったらすぐ見えてくる話です。広島大学の中でも、文化系の先生から言われましたけれども、「休耕田を作ってはならない」。これはうまい表現だと思うんです。駅の近くにも休耕田があります。いったん荒れてしまったら、もう回復するのはなかなか難しいですね。学問も同じでありまして、ある分野に10年間穴があいたら、その回復をするのは生半可なことではない。そういうのを保全して次の世代に引き継ぐのが大学の学問研究である。  日本の学問研究は基礎研究が非常に弱い。基礎研究は研究費総額の25%ぐらいしかありませんけれども、大学の研究費の50%は基礎研究で中心を担っています。大学がそういうかたちで基礎研究から撤退していったら、長期的に見て学問全体、あるいは応用系にも大きな穴があいていく。そこのところをどういうふうに議論していくのか。そのためには、やはり評価がポイントになってくるだろう。  もちろん評価については、「できない」「そんなことは難しい」という言い方もありますけれども、差し当たり、今のところ出てきている大学の機能というものを、今の評価システムでいったい把握できるのかどうか、具体的に議論する必要があります。特にいまの枠組みでは、評価システムとしてできるのはフローなのですね。お金が入ってきて、どういう研究が出たかという流れ、ここのところでたぶん業績評価はできる。ところが大学というのは、あるだけで大学という面がある。図書館があって、本がある。100年にいっぺん、だれかがその本を読む。そういうことで、やはり大学の機能が果たされる。ストックとしての大学といいましょうか、そういう大学の機能をどういうふうに評価にのせていくのかとか、そのような議論が今後は必要になってくるのではないでしょうか。  時間をオーバーして恐縮ですけれども、以上で私の話を終わります。(拍手)  司会 羽田先生、どうもありがとうございました。意見については後ほど伺いたいと思いますが、すぐに確認しておきたい点等ありましたら、ここで羽田先生に伺いたいと思いますので、もしありましたら手を挙げていただけますか。  それでは私のほうから、自己支弁率、自己収入率、これについて分子、分母はどんな定義になっているか教えていただけますか。  羽田 分母は国立学校特別会計ですから、研究所、附属病院、施設整備費、そこまでが入っております。一般会計は入っておりませんので、実際に大学に投入されているお金は、国費はもう少し高いと思いますが、帳簿上はたぶんそうなっているだろうと思います。  司会 自己収入率というのは?  羽田 収入率の高さ。こんどは分子のほうですね。分子は、授業料収入等の学生納付金。それから附属病院収入。それから外部資金の中でも、科研費は入りませんけれども、受託研究費とか委任経理金、用途指定研究、その他。それから学校財産処分収入、これが入っております。帳簿を作って企業会計でやるときも、たぶんそういう費目が形式上は入ってくるのではないかと思います。  司会 ありがとうございました。  羽田先生のお話は、われわれは国立大学、国大協、文部省といった視野で見がちなのですが、それだけにとどまらず、総務省というお化け官庁ができるという行革の流れの中で独立行政法人を見ていかなければいけない。われわれはどうもまだ目をそむけがちなのですが、今後どうなっていくのかという想定とかシナリオの中での研究を進めていかなければいけないということを指摘してくださったのではないかと思います。  では引き続きまして三橋先生のほうからお話をいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。 21世紀に向けた大学・高等教育の充実をめざして ―独立行政法人問題への対抗軸 〓報告2〓 三橋良士明氏(静岡大学人文学部・行政法)  静岡大学の三橋でございます。私は行政法という分野を専門にしております。国の場合では事業団とか公団などの特殊法人、あるいは自治体のほうですと地方公社、第三セクターというように、いわゆる半分は国とか自治体の一環で、半分はそうでないというような組織体について研究してきました。しかし、今日テーマとします独立行政法人は、そういうようなものとも違うし、またモデルとされたイギリスのエージェンシーとも、部分的に似ているところはありますけれども、基本的なところで異なる、わが国においても今までになかった行政組織と言ってもいいのではないかと思います。  今日の私の話は、皆様のほうに配られている資料の中に載っていると思いますけれども、独立行政法人通則法が制定されておりますので、その通則法がどういう意味をもっていて、その通則法を修正ないし特例化した特例法の枠の中で国立大学の独立行政法人化というものをどういうかたちで考えることができるか。こういうことをお話ししたいと思います。  先に私の意見から申し上げておきますと、通則法に基づく国立大学の行政法人化については国大協も反対でして、通則法の下ではたいへん問題が多いというのはかなり多くの人が言っているところです。したがってその通則法に対する修正なり、あるいは特例法ということになるのですが、この点について私は、国大協第1常置委員会の中間報告に対してたいへん批判的です。ここにいらっしゃる皆さんも読んでいらっしゃるかと思うんですけれども、全国に出回ったところの東北大学の藤田先生の論文、あの内容と基本的には同じようなスタンスではないかと評価しているのです。そこらあたりについて今日はお話ししたいということです。  限られた時間ですので、ポイントだけお話ししたいと思います。皆さんのお手元にいっているレジュメを参照してください。  最初に、これも羽田先生のほうからご指摘がありましたけれども、私どもは、今回の独立行政法人問題は中央省庁再編の一環として、行政改革の一環として行われているということですので、国の中央省庁改革がどういう意味をもっているかということについて押さえておくことが必要ではないかと思います。そこでここに4本柱の論理ということで、カギ括弧をしてありますのは政府の文書はこのような論理で進めているという趣旨です。  「政治主導の確立」「縦割り行政からの脱皮」「透明化・自己責任化」を図る、「行政のスリム化・効率化」を図るという柱の下にさまざまな組織改編が対策として用意されております。しかし、それらの中央省庁の改革のみならず、これまたご承知のように地方分権一括法案に示されるところの地方分権改革も同じようなねらいをもっていると思うのですが、私どもは、これらの諸改革は日本全体の統治構造、国家の改造をねらっている。新自由主義的な国家改造をねらった大改革であるというふうに見ております。特にエージェンシーとの関係では、国が果たすべき役割を重点的なものとして、行政の簡素化・効率化を基本目的として、行政事務の大胆な減量・アウトソーシングを図ることによって国家行政組織を組み替えていく。このように見ることができるかと思います。  最初の「国が果たすべき役割を重点的なものとする」というのは、セントラル・ガバメントは今日における国際化の中で国際的な課題に純化して対応できる総合戦略国家、いわゆる危機管理国家をつくる。セントラル・ガバメントをつくる。これが国家改造の基本にあった上で、二つ目には、国家行政と市民社会の相互の見直しをする。すなわち行政の守備範囲を見直すことです。ここでは市場原理と自己責任原則を基本として、また同時にこれまで行政が果たしてきた経済的な規制、社会的な規制を含むさまざまな行政規制の緩和を図ることによって、行政責任を大幅に縮小していく。そういう、行政の役割そのものを見直すということが二つ目の柱になっているかと思います。  三つ目には、最近言われるところのニュー・パブリック・マネジメント(New Public Management)、すなわち、経営的な手法を中心とした行政運営を進めていく。そういう観点から行政のシステム、官僚機構を再編成していく。そのようなことが国家構造全体の中でねらわれているわけでして、国立大学のエージェンシー化を含む独立行政法人の問題は、そういう全体の中で出ているということがまず重要ではないかということを申し上げておきたいと思います。  次に、いわゆる独立行政法人とは何かということですが、今日においてはすでに制定された通則法における独立行政法人がどういうものであるかということを押さえることが必要かと思います。わが国における独立行政法人の導入に際して、しばしばイギリスのエージェンシーが例に挙げられますので、そのエージェンシーについて若干コメントをしておきたいと思います。  このエージェンシーはサッチャー政権のとき、1988年に政府における管理の改善、「ネクスト:ステップス」という報告書が出されたわけですけれども、この報告書に基づいて設置されるようになったわけです。政府の垂直的分割、明確な職務の定義、目標の設定と達成度の測定、そして達成に対する明確で個人的な責任、そして権限や財源を委任することによって自由の拡大をしていく。それらを通じて行政の「スリム化」「効率化」「透明性」「質の向上」をめざしていくというようなことをねらいとするとともに、市場原理を基本としたところの「市場化テスト」、あるいは「市民憲章」の仕組みとリンクしているわけです。  この「市場化テスト」というのは、できるだけ行政責任については見直して、民営化できるものは民営化する。そして民営化できずに残るものについても、そのサービスを提供するに際しては行政組織と民間企業を競争させて、入札によってその質を確保した上で、できるだけ効率的にやれるところを選んでいく。そのような市場化テストと、ニュー・パブリック・マネジメントの理論と結びついているということがイギリスのエージェンシーの特色です。  制度的な枠組みとしては「政策形成」と「事業(サービス)の実施」を分離する。これらは日本の場合の独立行政法人もそうです。高級官僚においてはもっぱら政策形成に専念できるように、実施部門は分離するということですけれども、イギリスのエージェンシーは独立行政法人というよりは実施庁ないし事業庁というふうに言っていいわけです。今回のわが国における改革のところでも法人格をもたない実施庁というのがあるわけですが、むしろそれに当たるわけです。つまり行政の内部組織の一つであるというのがイギリスのエージェンシーの特色です。したがって職員は公務員であるということになります。今日、イギリスにおける約4分の3以上がすでにエージェンシーの職員であるというぐらいにエージェンシーが増えているというのが実情です。  その管理運用における特色は、エージェンシーのトップは任期付きで公募して確保する。そしてその人の責任で経営的な才覚を発揮してもらいながら、その事業・サービスを運営していくということです。そのエージェンシーの長は、担当大臣と枠組み協定書というものを作成して、その枠組み協定書に基づいて、いかにその経営的な手腕を発揮して成果をあげるか。これがエージェンシーの長に課された責任ということになります。  イギリスのエージェンシーについてもいろいろ問題点が指摘されています。たしかに公務員は減ったわけですけれども、しかしイギリスの場合はさっきも申し上げたようにエージェンシーの職員も公務員であるわけです。ですからエージェンシー化したことによって減ったということではなくて、エージェンシーを含む行政組織全体の中で公務員が減らされて、スリム化、効率化が、括弧付きですけれども達成されたというふうに言っていいのではないかということです。  それから、企画と実施を分離することによって、行政の総合性というものが失われてくるのではないか。また、そこに働く公務員は競争的な原理の中で仕事をするわけですし、組織としての評価、あるいは個人の仕事の評価と言われるものが、システムとして導入されるわけですから、個人的な目標の達成ということに走りがちで、公共的な価値を考慮せず、効率性を重視する傾向になっているのではないか。そのような問題などが指摘されているところです。  わが国の独立行政法人通則法について、ここでは通則法の順に沿ってその内容を書いておきましたけれども、問題点を指摘するということで、いくつか申し上げておきたいと思います。  第1には、通則法と個別法の関係であります。国大協第1常置委員会の中間報告は、少なくとも独立行政法人通則法を見る限りではそのままでは国立大学に適用することは困難であるから、特例法でいかなければいけない、修正をしなければいけないというようなことなのです。しかし一般に、通則法と特例法の関係についてですが、通則法というのは制度の全体の枠組み、根幹を定めているわけですけれども、それらすべてにわたって特例的な扱いをするということはありえないことです。公務員法があって、教育公務員特例法というように、ある部分だけの修正、特例的なものはあり得るわけです。通則法が存在する限りは、個別法であれ、特例法であれ、やはり通則法の枠組みに基本的には縛られる、基本的な枠組みの中で部分特例をするということになるわけで、通則法の基本を逸脱する、通則法適用除外型ということにはならない。そういうのが個別法ないし特例法の意味ではないかと思います。そういう観点から、国大協の特例法の修正点を読むべきということです。  何といっても独立行政法人のいちばんの特色は法人格をもつということですけれども、何で法人格をもつ必要があるかということが定かではない。一応、法人格をもつということは形式上、国とは別になるということですから、独立性を高める、自立性を保障するという意味を形式上はもち得ると思いますけれども、ただ、国の関与というのは形式だけではなくて実質もかかわってくるわけで、地方分権改革でもそうですけれども、スマートな国の関与のシステムが別途用意されるというようなところがあると思います。  レジュメの1ページ、制度の概要の(3)役員・職員とか、(4)業務運営のところで、主務大臣が法人の長、監事を任命するのみならず……、国立大学の場合には評議会の定める選び方をするということが認められるようではありますけれども、業務運営に対する権力的・非権力的な関与が関係してくるということです。業務方法書を作成して認可を受けなければならないとか、指示をするとか、こういうようなかたちで、形式上法人化しても必要な関与の手段は用意されているのです。  そうすると、現行国立大学設置法といろんな関係法律のところでは、学校教育法等の改正があって少し変わったところはありますけれども、少なくとも今までは文部大臣、主務大臣と国立学校との関係は、そういう「指示」とかという関係ではなくて、国立大学設置法においては「文部大臣が国立大学を所轄する」ということで、非常にゆるやかな法律的な用語を使っていたわけです。そういう現行の制度から比べると、この通則法は、形式上は法人になったとしても、スマートで効果的な関与の方法が、中期目標の設定等を含めて用意されている。そこに大きな問題があるのではないかと思います。  職員の身分についてですけれども、特定独立行政法人については国家公務員とするということで、国大協とか文部省も今のところ国家公務員と考えているようですけれども、しかし今回の独立行政法人化は特に公務員の25%削減ということとかかわって急速に登場してきたのではないかと思うのです。そうすると、こういうふうに独立行政法人化した場合の国家公務員は総定員法の枠から外れるのですけれども、しかしこれも国民の側からすると身分は公務員ということですから、まやかしのような気がするわけであります。  レジュメの7番目のところでは、独立行政法人の評価委員会を主務省に置くと同時に総務省にも置くことになっています。そして国立大学の場合には別に第三者機関を置くということで、この評価の問題がたいへん重要な論点になるのではないかと思います。  以上のような通則法を前提にして、国立大学においてはどのようなかたちで独立行政法人化が考えられるかということで、国大協第1常置委員会の中間報告について私の思うところを二、三申し上げたいと思います。  一つは、国大協の案は、通則法に基づくエージェンシーには反対だから、通則法を修正ないし特例法化したかたちで考えるとしたらどういう形態があり得るかという議論になっています。その上で大学の特殊性、特色を基本にして特例法に盛り込むべき修正内容ということでいくつか提言をしているわけですけれども、その修正というのはほぼ通則法の全体にわたりかつ根幹にかかわるのではないかと思います。したがって、そのような特例法で修正させようとしている内容そのものが自己矛盾を起こしている。あくまで通則法的な独立行政法人化は反対だというところの論議と、修正するところの部分修正というのが、部分修正にとどまらず、それを乗り越えているところがあるので、それ自身が論理的にたいへん矛盾した内容になっているように思います。  二つ目には、これは独立行政法人だけの問題ではなくて、教育公務員特例法等のことになるわけですけれども、大学の運営組織のところでは経営機能と教学機能を一体化して、評議会なるものが最高の審議機関である。これは言葉だけで言えばそれはそれでよろしいかと思うのですけれども、私はこれまでの学問の自由を前提とした大学の自治論を前提とするならば、最高議決機関である評議会に経営と教学機能の一体化が集中されるだけではなくて、学部・教授会というものをどう考えるか、ここのところのとらえ方が争点になってくるのではないかと思います。全学的な評議会の役割と、教育・研究の特質ということを基本にした場合には、それの運営的な機能と教学的な機能を押さえる基本組織が学部になるのではないか。その点がこの国大協の中間報告では、完全に抜け落ちているというような気がします。  三つ目には、財政等の問題にかかわってくるわけですけれども、運営交付金とそれぞれの個別大学における収入、それをトータルしたかたちでそれぞれの大学が財政運用をしていくということになるかと思うんですが、ここに提案されているような財政制度では、大学間格差というものが、より一層拡大するのではないかという危惧をもっております。  したがって、全体的にまとめるならば、現行法上認められている学問の自由・大学の自治を前提とし、かつそれを保障・拡充するということであれば、何も独立行政法人化通則法、あるいは特例法にしても、独立行政法人化をする合理的な、積極的な理由は示されていないのです。  あの藤田論文は、とにもかくにも法人格を与えることが必要最小限度の要請であるというところから始まっているわけです。ですから教育・研究機関である大学の運営という論議から説明されているのではなくて、先に法人格を与えるというところから出発している。そこのところに、いろいろ修正をしたところで、問題がかなり残るのではないか。そういうものが国大協の中間報告です。いろいろなこれからの政治的な流れの中でどう対応していいかということはたいへん難しい課題で、その点は私もわからないところがあるのですが、この中間報告の私なりの評価ということで、いくつかの問題を申し上げて私の問題提起を終えさせていただきます。(拍手) シンポジウム 質疑・討論  司会 三橋先生、どうもありがとうございました。この後、ちょっと休憩を挟みたいと思いますが、その前に意見ということではなくて、簡単な質問や確認がありましたらどうぞ挙手をしていただきたいと思います。どうぞ。  ○ イメージのところで具体的に思い浮かばないのですが、独立行政法人にいくのが合わせて25%ということなのですけれども、たとえば1大学が独立行政法人に移行した場合、その職員は結局総定員法の枠から外れてしまうということになるわけですね。そうなると、たとえば一大学の中で学部だけ移すということもあり得るわけですか。  三橋 中間報告のところでは、いくつかのタイプが例示されておりますけれども、この常置委員会の考え方は、大学を単位として1法人としていこう。全国の大学をひっくるめて、あるいは地理的な単位として1法人としていくという、いろいろなものがあり得るし、また国立大学すべてではなくて特定の大学だけが独立行政法人になっていて、それ以外はそうでないとか、いろいろあるかと思います。しかし、新聞等の報道によれば、いま国大協とか、あるいは文部省の想定しているのは、一つの大学が1法人で、その先は、基本的には国立大学すべてがそういうかたちで個別法ないし特例法を作るというようなことですから、一斉ということになれば、いまの国立大学に勤める教職員、公務員はすべて、公務員ではあるけれども、総定員法から外れるということだと思います。  ○ 仮にそうなった場合、国立大学だけで全公務員のうちの25%を対象にしているということですか。  三橋 いや、国立大学だけではなくて、郵政が民営化するとか25%のうちには、国立大学以外も含まれます。  ○ 国立大学がすべて独立行政法人化した場合、かなりの人数がおりますので、他省庁は、「国立大学がやったので25%に達してしまった、うちは国家公務員のままでいい」という事態になるのではないかと思ったのですが、そういうことではないのでしょうか。  三橋 25%の目標は超過達成することに数字上はなると思うのですけれども、だからといって他の省庁は「それではいいよ」というようなことは必ずしもならないのではないかというふうには思うのですけれども。  司会 ほかに何かありますでしょうか。  ○ 特例法の問題なのですけれども、いろんな問題点があるというお話がありました。しかし、果たしてそれが本当に可能性がどの程度あるのかということをお聞きしたいと思います。仮に今のままの通則法だと問題なので、特例法でいろいろ解決したいという、そのことについてもまだ問題があるというお話だったのですけれども、果たして特例法そのものを本当に前提にしていいものなのか、どうなのか、どれぐらいの可能性があってそういうことが考えられるのか。難しい問題だとは思うのですけれども、できたらご意見をお伺いしたいのですが。  三橋 可能性というのは、現実的にこれからどういうふうに状況が動いていくかというようなことでしょうか。  ○ 特例法みたいなものを果たして行革会議そのものが認めて国がそういうところでやるかどうかということです。それがある程度前提みたいな話はされているのですけれども、本当にそうなのでしょうかということです。  三橋 私はこういうふうに思っています。まずは国と切り離して、形式にしろ、法人格を別のものとしてもたせたかたちで設置するということを、とりあえず推進しようとする立場からすると、できるだけ文部省のこれまでの大学における慣習、学長の選び方とか、そういうものをとりあえず確保していく。そういう趣旨で、特例法というようなかたちで……。つまり国大協の常置委員会が言っている修正というのを文部省が認めるかたちで決着をつけようとしているのではないかなというふうに思っています。この点はむしろ後で、これからもう少し先の情勢がどういうふうに動くかというようなことと併せて、またご発言なりご意見を出していただければと思います。  ○ 第一常置の中間報告でいきますと、特例法ということで、通則法との関係なんですが、通則法とは別の法律をも考えているというようにも取れます。そのあたりの考え方と見通しみたいなものは、どう評価されているか。たとえば、4ページ目の通則法に対する関係で、そこまでの内容が要るのかということで、1と2と分けて、さらにそれを受けて(3)という感じで展開しているのですが、そのへんが先ほどの通則法との関係でいうと、通則法を乗り越えるような表現とも受け取れるんです。ここはどうなのでしょうか。  三橋 ちょっと説明が不十分だったところがあるかと思います。この国大協第1常置の中間報告の4ページの真ん中辺のところで(3)ですが、「立法の体系的な形を考えると、通則法に附従するものとして個別法で大学独立行政法人についての個別規定を置くだけでは足りないことが明らかである」と述べています。ここで言う個別法というのは、通則法と調和的というのでしょうか、もともとの通則法が想定している個別のエージェンシーの設置をというのが個別法ということになるわけです。しかし、国大協は通則法という枠組みの中で大学の独立行政法人を考えるとたいへん問題が多いから、それは考えないという考え方をとっているわけです。よって、そういう個別法で個別規定を置くだけでは足りないことは明らかであるということになるはずなのです。  したがって、むしろ大学の理念や特質に照らして通則法の特例を定める「大学独立行政法人特例法」を設置するとか、あるいはそれとは別に、国立大学法を制定するということを言っています。ですから、たしかに特例法だけではなくて、まったく通則法と切り離したかたちでの国立大学法人法、国立大学法ですか、そういうものを制定するということも提案しています。しかし、中間報告では、通則法の定める中期目標や評価制度など、いろんなシステムが登場するので、それは通則法とは別の国立大学法ではなくて、やはり特例法にすぎないのではないか。私はこのように私は読んでいるという趣旨なのです。  司会 ちょっとよろしいですか。議論が非常に精密なところに来ています。同じ法律の専門なので、こんなおおざっぱな理解では三橋先生から「誤解を招く」と叱られそうなのですが、これからの議論を進める上の前提の理解として、おおざっぱに整理して、こういう理解で議論を進めて大きくは外れないのかという点だけ確認したいと思います。  簡単に言うと「通則法―個別法」という枠組みであれば、これは「通則法―個別法」がセットになって大学のあり方を決めていくという方向性である。ところが「通則法―特例法」であれば、特例法の規定の仕方によって通則法の枠組みというものを破って、別のものを作る可能性もあり得るということに国大協は懸けている。そういうふうに理解して議論を進めて大きく外れないというふうにまとめてよろしいでしょうか。  三橋 大きくはいいのですけれども、ただ、特例法の特例の内容があまり大きくなると、通則法の範囲をこえることになるんじゃないかということがあります。  司会 法の論理としてはおかしくなるし、もう一つ言うと、政治の論理がそこに介入してくる可能性があるということですね。ほかにいかがでしょうか。  ○ インターネットとかですでに話題になっていることなのですけれども、先週行われました全国の経理部課長会議の席上ですでに話題になっていることなのですけれども、先週行われました全国の経理部課長会議の席上で教官当り積算校費についての文書が配布されました。  その中で、これまでの当り校費、教官当り積算校費および学生当り積算校費、これを根本的に変えて、教官当り積算校費を、これで見ますと最低ランクのところになりまして、教官当り積算校費が11年度予算では1576億円が、教官研究基盤校費というかたちになりまして、その中の教官当積算費ということで341億、学生当り積算校費は503億が326億ということになっています。ですから、おおざっぱに言いますと当り校費として積算されるのは5分の1近くになる。学生当り積算校費についても6割ぐらいになる。残りの分については大学構成分等ということで、平成12年度の概算要求によりますと、教官当積算分が341億、学生当積算分が316億、大学構成分等という新たな項を作りまして、これが1456億です。実に、全体の当り校費と言われてきたものが、2123億中1456億、ザッと4分の3が、ちょっと不明なかたちの大学構成分等というかたちです。この積算校費もちょっとあいまいなままなのですが、来年度の概算要求はもうすでにこういうかたちにされて、予算が来年度はこのかたちで執行されるということです。  こういうふうな動きにつきまして、まだ詳細についてはほとんど明らかにされていないのですけれども、これは文部省の事務的経費をなるべく少なくして、自由裁量の分をそれだけ増やしたいのではないか。独立行政法人に向かう場合にも、ある意味では「アメとムチ」に使われるのではないかというふうなことで非常に危惧しています。先週の金曜日の話で、インターネットで出回ったのは今週の火曜日の話ですので、まだ時期が早すぎるとは思うのですけれども、このあたりについてトータル的に見てどうなのかというお考えをお聞かせいただけたらと思います。  司会 羽田先生、お願いします。  羽田 いまの話については今日はじめて聞かれたでしょうか。出てきている案について一応理解されている方はどのぐらいおられて、ほとんど理解しているということで意見を申し上げてよろしいですか。それについてOHPを一応持って来てはいるのですが、ご覧になりたいという方にはそれを見ていただきたいと思います。……もういいですか?(笑)  ちょっと前に戻りますが、論点になった国大協案は通則法をはみ出すのか、はみ出さないのかという点で私なりの意見を言うと、1点だけはみ出しそうな部分がある。それは何かというと、部局の重要事項を教授会が審議するという文章がありますが、私はおそらくこれは国立学校設置法の中に定められた、つまり教育研究など内的事項に対する重要審議機関としての教授会をはみ出した規定になっておって、通則法との関係で矛盾はないけれども、そのところは通らないのではないのかというふうに思っている。おそらくそれを除けばほとんど通則法の範囲に収まっていて、法人の長や主務大臣に対する権限のプロセスにおいて大学が参加するという枠組みなので、これは乗るのではないか。はみ出す要素はないのではないか。そのように、いま私は思っております。  司会 ありがとうございました。まだまだあると思いますが、長くなりましたので、ここで休憩を挟みたいと思います。10分強、休みを入れまして、4時15分から再開したいと思いますので、よろしくお願いします。 〈休憩〉  羽田 ……現行の積算校費というのは非実験、実験と、あと修士、博士、それから学科目、それを含めて総枠なのですが、変えたときに、今後、各大学学部に行く基本的なものと、それ以外と分けて総枠は変えないでというのが来年度からの仕組みということなのです。これが教育研究基盤校費ということで現行のものを全部一つにする。修士の非実験というふうに聞いております。これですと実験の博士に比べると、およそ5分の1に減る。だから理系の大学院で博士課程をもっているところでは、今までですと校費が来て、大学で何パーセントかプールして学部に分ける。学部に行ったら学科にとか、いろんなふうにやりますけれども、学部に行くのはとにかく5分の1になる。残った部分を大学全体で裁量で配布する校費にする。  これについて、文部省としてはもちろん特に意見は言わずに、大学の自律性でやってほしいということです。大学の自律的な知恵で予算を運用する。それから、この配分をめぐって、いろいろと努力する。競争的環境を学内でもつくる。それから計画とかいろんな問題に対して、非実験と実験の公平性を確保する。ですからこれは大学の中の議論ということですけれども、いろんなそういうメリットが挙げられているということです。  金額については、学生等積算校費はこんど文科単位に移しますので減ります。この分が多少大学分の基盤に回っているということです。  この点で、たぶん二つほどコメントができると思います。一つは、2年ほど前に行革会議で大学の法人化についてつば競り合いがあったときに、国大協の第6常置委員会ではそれに対して反対論をやる一方、大学内の積算校費の配分方式を変更するというかたちで活性化して、これで頑張るからという対応策を考えておりました。しかし、不幸にしてか、幸いにしてか、まとまらなかったということで、いったん消えた案に先例があるということでございます。  もう一つは、なぜこういう方式をしなければいけないかということです。これは私の推測なのですが、来年から第三者評価機関が発足します。これは教育評価を中心とする体制である。ここはよく念頭に置いていただきたいと思うんですが、研究評価とそれに伴う資源配分は、いろんなシステムが現に動いているわけです。科学研究費もすでに1400億になっているということで、これは十分に財源がある。それで、来年発足する大学評価機関ができて、その教育に基づく評価結果は資源配分に連動させたいというのが大学審議会の答申の中身でもありますが、その財源がどこにもないという現実があります。したがって、もしそういう資源配分をやるとすれば、これはどこかからもって来なければいけないので、この基盤研究校費は、来年度については現行を変えないと言っていますけれども、おそらく第三者評価が進んでくれば、絶対評価で教育に一生懸命にとりくんでいる大学に対しては、手当てが基盤研究校費が多く配分されるというふうなプロセスをおそらくたどるだろう。  私も、通則法の運営交付金という制度が出てきたときに、大学の中でいろいろと研究会をしたときに、やはり大学が安定的に運営するためには交付金の支出を一定安定的にするということが必要であると思いました。同時にこれだけではインセンティブが動かないから、積み上げ分の交付金が必要である。こういうふうな2段構えの論理を考えたのですが、形態から言えばこんなものになる。したがって今後どういうふうにこの運営交付金、校費の上積み分を拡張していくかが大切です。それから学内においては裁量といっても自由裁量ではございませんから、どういうポリシーをもってこの校費を配分するかということの議論が必要になってくる。  評価はあるのですが、一応、内容から言えばそういうことです。またもし議論が必要であれば質問に関連してお話ししていきたいと思います。  司会 いまかなり具体的な問題でご説明をいただいたのですが、議論としてはもう一度全体の討論のほうに戻って、その中でまたこういう問題についてもいくつか論点が出てきたところで改めて議論をしたいと考えますが、いかがでしょうか。  おおむねよろしいかと思いますので、全体的な討論ということで、現在の大学の現状と、どのようにわれわれの側から対抗軸を作っていくかというお話を、あと1時間強ですけれども、この時間を使って討論に入りたいと思います。  さて、独立行政法人という問題については、よく言われる話ですけれども、漠然とした幻想がある。つまりもっとよくなるかもしれない。よくよく考えてみますと、「独立行政法人」というのは三つの言葉から成り立っておりまして、そのどれがその幻を生むのだろうと考えてみたことがあります。そうしますと、「法人」でないことは間違いない。どうも「行政」でもなさそうだ。そうすると結局残るのは「独立」であって、この部分が、どうやらその幻想の源泉ではないかというふうに思ったことがあります。  実際のところ、いまの一つの論点としてお二方から出されたのが主務官庁、主務大臣の関与、あるいは評価というものを通じての、カッコ付きのスマートな関与というのが一つの論点になったかと思います。そういったあたりから、結局のところはこの基調報告の中で公教育、あるいは学術研究というものを基軸として大学のあり方を考えていこうという方向性の際にも、その独立性をどのように担保するのかというのが重要な論点であって、それが対抗軸になるのではないかということで、基調報告で先ほど教文部長から申し上げたという構成になっております。それらについて、先ほどの基調報告を含めて、いまのパネリストのお二方の報告に対して、まずは質問からお願いしたい。あるいは意見を求めたいということでも結構です。  ○ 法律的なことで一つ質問したいことがあります。国家公務員型、非国家公務員型というふうに身分があるのですが、法律の素人から見て非常にその違いがわかりにくいのですけれども、現行の国家公務員というのは、国家公務員型の法人の職員と、非国家公務員型の法人の職員というので法律的に見て身分的に最も違う点はどういうところにあるのか。このことを教えていただきたいと思います。  司会 関連したご質問がもしありましたら……。  これは、いかがでしょうか、三橋先生からお答えいただいたほうがよろしいかと思いますが。  三橋 こ承知のように現行の国家公務員法におきましては、特に労働基本権についての制限、争議行為の禁止規定とかいうのがございます。わが国における公務員法は公務を担当するというところを強調して、労働者性と市民性に特殊な規律をしている。ただ現業関係のほうは、民間に近いかたちになっております。ですから公務員型と、公務員でないという場合には、民間的な労働関係になるというところに大きな違いがあって、独立行政法人のところでは何を公務員型にして、何をそうでないのにするか、現在の八十いくつの事務・事業の独立行政法人化のなかで印をつけているというのでしょうか、一応にこれは公務員型で、これは民間型だというふうに仕分けはしています。しかし、その基準がどうしてだということになると、私もちょっとよくわからないところがあります。  羽田 端的に言うと、もし公務員型の独立行政法人ということになれば、ちょうど国鉄が民営化されてああいうかたちになったのと、よく似たかたちになる。ただ問題は、非公務員型と公務員型の区別というのが法律の用語の中では、その業務の停滞が特に国民生活に支障を来すというわけで、「特に」というのがどの程度かよくわからない。こういう部分が理解できません。  三橋 そうですね。それともう一つは、大学の場合には、教育公務員の場合には「教育公務員特例法」というのがあるんです。ですから一つは大学の自治的な、あるいは自律的なものを制度的に保障していくという際は、その職員の身分保障というのがかかわってくると思います。これもご承知かと思いますけれども、司法の独立、裁判官の独立と言った場合に職権における独立と身分保障というのがセットになっているというところがあって、国立大学が行政法人化した場合は一応公務員型になり、かつ教育公務員特例法はそのまま生かす、残すべきであるというのが国大協の中間報告の意見ではあるということです。  羽田 たぶんまだ国立大学の教職員を含めて非公務員か公務員かという決定はされていないのだと思います。それから行革会議の顧問会議の議論を見ていると、財界の委員の方はエージェンシー、独立行政法人は原則非公務員型であって、しかし当然労働争議等が発生するので、そういうときに問題があるような法人については公務員型という。だから、「原則・非公務員、例外・公務員」という理解を示し、かつ事務局のほうの説明は「そんなことはない」ということで、どうもこういう議論をやっているようでございます。  それで教員の場合に非公務員か公務員かで、問題はさっき三橋先生がおっしゃったとおりでありますが、兼業規定の緩和等で見ると、非公務員のほうがはるかに弾力性がある。ただ、これを誤解して兼業は自由だというふうに考えている方もいるんですが、民間企業であってもアルバイト自由ということはありえないんで、何らかの規制はつく。しかしそれでも法人の長の認可によって自由に動けるので、実際に顧問会議の中でも一橋大学の中谷教授の事例も出ておりますので、たぶん活性化という点でいえば非公務員型のほうがおそらくやりやすくなるという力は働くだろう。したがって、そのときに国家公務員型でないのに教育公務員特例法のようなかたちでの身分保障が継続するのかという問題があって、私の理解では、国家公務員だから大学教員のさまざまな人事自主権が発生するのではなくて、教育公務員特例法で保障されているだけの話です。  これはもともと国家公務員法はGHQによって持ち込まれた法案で、昭和22年の時点ではGHQは、大学の教員の教授会人事主権を認めるつもりはありませんでしたが、日本側の抵抗で教育公務員特例法ができたのですね。そういう関係から言うと、おそらく国立大学の教員の人事自主権については教育公務員特例法に依らず、独立行政法人特例法によってできるという法形態もあり得るのではないかと思っております。  司会 ありがとうございました。いずれにしても非公務員と公務員の区分けがあいまいである、またしっかりした筋がないというあたりが、今日も指摘した、まず数合わせ、減量化ということの一つの根拠ではないかと思います。ほかにご質問等ありましたら。  ○ 元に戻るかもしれませんけれども、基本的なことなので、そこをどういうふうにお考えなのかということをお聞きしたいと思います。要するに今の局面では、特例法の線で、国大協の常置委員会はいっている。羽田さんの説明でも、いま常置委員会で出ているのは、特例法の中で教授会の権限を除いて回復できるということもありましたし、三橋さんの報告でも、はっきりは言われませんでしたけれども、基本的には国大協の方向は特例法路線ではないかということだと思います。私たちが北海道で議論してきたのは、特例法といえども基本的には通則法を前提にしているのではないか。もっと言えば通則法の根幹、総務省と文部省による評価、それから中期目標・中期計画による統制、それから企業会計原則、こういったものはいくら特例法にどういう内容を盛ろうとも基本的に変わらないんじゃないか。そのように議論してきたのですけれども、果たして特例法でわれわれ大学側が要求しているような大学の独立性とか自治とか、そういったことが守れるようになるのかということがいちばん根幹の、基本的な問題だと思うんです。  それでは、いったい特例法ということで、どの程度のことまでができるのかというあたりのことは、まだ明確なことは何もないわけで、無理な質問かもしれませんが、私たちが素人として法律を読んで考える限りは、特例法といえども、通則法との関係が出てくれば、その根幹を崩すことはできないのではないか。いま焦点となっている特例法路線について、われわれがどういう立場をとるかということが基本的な問題になっているのではないかと思うので、その点についてお二人の意見をお聞きしたいと思います。  司会 どうもありがとうございました。いまの問題に関連すると思われる質問がありましたらまず先に受けたいと思いますが、どうでしょうか。  この点は先ほど、休憩前にお二方の間で少し見解が食い違うようなところを印象としてもっております。こんどは羽田先生から先にお話しいただけませんか。  羽田 いまの内容はちょっと微妙な点を含んでいるのです。つまり大学の自治・学問の自由を保全するという前提の下に特例法がどこまで守るのかと言われたら、それは目標も主務大臣が決める、それで計画も認可を受けるという枠組みが新たに登場しますので、これは現行よりは大学の自治や学問の自由が制約されるのは、その意味では間違いないところです。国大協の案は文章はあまり上手ではないと私は思うのですが、読んでみればやはり現行の通則法の範囲内で、いかに大学の自主性と調和させるかという観点で貫かれていて、もう少し踏み込めるところはあると思いますが、やはり大きなスキームとしては避けられないだろう。  そこで問題は避けなければいけないというところで言ったときに、あくまでも大学の自治・学問の自由というところで言っていくと、むしろ逆に大学が自主的に目標をもたない、計画をもたないでやりたいというようにだけ聞こえてきます。本当はそこで言われている大学の自治と大学のもっているミッションとの関係をどうつかむかだと思うんです。私立大学では目的は法人の中で自由に決められますが、国が設置して、かつ今回のように大きな枠組みの中で出てきているときに、国の財政は基本的には国民に対する説明責任を負ってるのに、大学の自治の論理だけで特例法をどうしようかという議論になると、おそらく説得力のない関係になってくると思うんです。むしろ大学の自治なり学問の自由というなかで大学のもっている社会的使命をいかに達成していくかという議論をくみ出したときに、どこまで特例法の中身が変わっていくかという議論ではないでしょうか。どちらにしても、事態がここまで具体的に進展してくれば、そこらへんのところで100%大学の自治を守れるのかと言われたら、それは「いや、守れません」と言うほかないですね。大学の研究者がこういう教育をやりたい、こういうふうにしてやりたい、学部も増やしたいとか、そういうことができるかといったら、現行でもできないわけですから、それは難しいだろうと思います。実際に目標設定なり計画で具体化するし、さっき申し上げたように、行政効率の観点で今よりはるかにハードなものが来ることは間違いないと思います。それを「大学の自治を守るために」ということで議論を組んでも難しいのではないでしょうか。いいかどうかというのは価値観にもかかわるのですけれども、今の局面で何とかまったく外部から縛られない法律を作ってというのは、ない話ではないかと思います。それを「大学の自治を守るために」ということで議論を組んでも難しいのではないでしょうか。まったく外部から縛られない法律を作ってというのは、ない話ではないかと思います。  司会 いまの点は基調報告と関連しますのでちょっと確認したいのですけれども、基調報告の趣旨というのは学術研究、特に基礎研究に重きを置いているわけですね。その重要性というのは先ほど先生のお話にありました。それともう一つは公教育、この概念自体が非常に広いのですけれども、それをわれわれの手でつくっていくという構造になっているわけです。  いま先生は、目標と手段ということをおっしゃった。ちょっと不正確かもしれませんが、そうおっしゃったと思いますけれども、そういうかたちでの議論というのはどうなのかなと……。  羽田 まさにそのところなのですね。いま補っていただいたと思うんですが、大学の自治のなかで国立大学なり大学としてのミッションを達成するためにどういう基礎研究なり活動をしていくか、教育をしていくか、たぶんそういう命題があって、その中で特例法の中身、実際の目標の立て方が決まってくるだろうと思います。そこで大学の自治が役割を果たすという局面があって、それは今の通則法の中にはまったくないに等しい。それをどう取り込むかという、たぶん特例法の枠だけの問題ですけれども、そういうことだと思います。  ただ、報告の中でも申し上げましたけれども、目標の立て方とか計画についてはもう少し踏み込んで提言をする余地があるだろうと思っております。特に個別大学のプランニングの問題だけで、個別大学と文部省、主務官庁とのやり取りだけで済むのか。もう少し中間項として大学全体のあり方を押さえるような枠組みはないのか。これも個別大学の自治を越えた大学連合の自治というふうに一般的には言われるのですけれども、そういうシステムがこの中に盛り込めないかとか、まだいろんな論点の余地はあるかと思っております。  司会 どうもありがとうございました。では三橋先生お願いします。  三橋 私は、国大協が通則法に基づく独立行政法人に反対する趣旨は、国大協なりの大学の自治というものの尊重があって、通則法では大学の自治とか、あるいは教育・研究の特質を損なうからだめだということで反対の線を出したと思うんです。一方においてそういう主張をしつつ、それではその通則法のある部分を特例的に修正することによって国大協自身が批判していた、あるいは恐れていたものをなくすことができるかというふうに考えると、特例法といえどもやはり通則法があって、そういう意味では羽田先生と同じですけれども、その枠の中で特例法というものを考えている。  第1段階で大学の自治のところがあるから、あるいは教育・研究の特殊性ということから通則法には反対だと言いつつ、結局その枠の中での特例法の修正をどうするかという議論になっていて、そこが自己矛盾的ではないかというふうに思っているんです。結局、通則法の枠を前提とする限り、特例的なかたちで、通則法の枠組みをこえるのは無理である。まったく別のかたちになるならば、あり得ると思うんですけれども。だから立法論として特例法の枠組みの中では、もともと国大協が考えているところの大学教育のありようというのはうまく守れないのではないか。  今の局面では、もちろん、さまざまな諸状況の中で次善の策ということで考えていると思うんです。しかし特例法のような内容では、大学の自治なり、あるいは教育・研究になじまないということをまずはっきりさせておく必要があるのではないか。私はそのことを強調したい。また、今だって私どもの大学で、というか、皆さんのところもそうですけれども、大学教育のありようというのは、国の科学技術政策とか教育政策に規定されており、私どもが無視できないような財政的な誘導・指導もあるわけです。また、今だってもちろんそれぞれの大学においてそれぞれの大学の理念に即した自らの長期目標なり中間目標なりをもってやっていかなければいけないし、その点について大学にいるわれわれ自身の政策展開能力にいろいろ問題があったとは思います。しかしこういう新しいかたちで、主務大臣が中期目標を指示するとか設定するとかというシステムはたいへん問題です。国家と大学との適切な関係についてですが、学問の自由、大学の自治を一方においては前提とし、他方においては教育を受ける権利の保障という観点からすると、国は教育・研究条件を整備していく責任をもっているわけです。大学と国との適切な関係というのは当然必要なのですが、それを通則法が定めるようなかたちで明確にする必要はないのではないか。通則法によれば現行よりも法的には関与が強まるわけであり、また特例法であれ、関与は強まる。そういう法形式は大学になじまなくて、むしろ両者の関係をそれぞれの主体性を基本にしながら適切な関係として形成していく以外にないのではないかと思います。  現局面でどういうふうに対応するかというご質問になってくると、そこのところは私もいろいろ迷っているところです。  司会 先生に予想屋をやれということは言いませんので(笑)ただ、おそらくいま三橋先生がおっしゃったのは、要するに、一方に非常に強度の監督の下に置かれて、いわば操り人形のようにされる大学がある。もう一方ではいわば打ち捨てられた大学がある。その中間点にいちばん適切なものがあるんじゃないか。それからもう一つは、その中でわれわれ自身が目標なりを作っていく。この点をさっき羽田先生はミッションという言い方をされましたけれども、これは対象と、それからその発生する過程ということで競争の意識があると思いますが、結局はそこにわれわれが自主的に、自発的にやっていくことが大事だ。そういう点では共通なのかなと思ったのですが、いかがでしょうか、いまの論点にかかわらずどうぞ質問を……。  ○ いまの論点にかかわってですけれども、特例法ができ、自治が守られ、主務大臣の圧力が極小化したとしても、こんなところからいくのではないかというふうに、ちょっと危惧しております。というのは、外部から資金をより受けやすい分野、あるいは教育課程としての、より社会人の受け入れ体制が大きくなりやすい分野というものがあり、どのような分野に重点を置くかということは各大学の自治に任される。しかもそこで得た資金は自由に使用することができる。このように自由化されるということそれ自身が、われわれがよほど禁欲的でなければ、大学が自治の範囲の中でそのような分野を大きくして、そうでない分野をスクラップする可能性が非常にあるのではないだろうか。  これは自治の論点とか、あるいは特例法がいかに強くなったとしても、自由化されるということによって生じざるをえない問題で、これに関してはいかなる措置も入り切らないと思うんです。  司会 このような危惧はかなり関連性があるんじゃないかと思います。たとえば維持経費とか、メンテナンスの経費とか、そういうものが出てこなくなるんじゃないかとか、そういうこともあるかと思いますから。  羽田 二つ問題があって、一つはさっきの特例法の話なんですが、現行で私が勉強したことがあるのは教育公務員特例法だけですけれども、この法律もさっき申し上げましたように簡単にできたわけではありません。国家公務員法が47年にできて、特例法ができたのは49年ですから、その間、GHQと文部省の間にはかなりコンフリクトがあったわけです。それで国公法の原理からいけば、基本的に文部大臣が国立大学の長を任命するというシステムになるわけで、実際に任命権もそうなっているんですが、実際の発動からいうと、大学の中で決めたことでその人間を学長に任命する。だから現行でも“学長候補者”を決めるのであって、国立大学では学長を決めてはおりませんね。  この関係が安定的になるのは、おそらく1973年の井上正治氏の九州大学学長事務取扱事件で判例で確定するまでは、非常に不安定なのですね。実態とすれば、文部大臣は大学管理機関の決めた学長候補者を発令してきておりますけれども、学生部長の発令とか、いろんなケースではやはり任命権を行使して延ばしたりという事例はあるんです。ですから24年かかって、ある意味では恒例的に定着するんで、法律の条文の中に書くから定着するとかしないとかというのとは別の次元で、長い期間かかって特例法と通則法のなじみ方が進行するとうふうにむしろ考えるべきだろう。  ですから三橋先生のおっしゃることもたしかに懸念としてあるのですが、それは簡単に、法律が変わったから明日から文部大臣が全部裁量権を行使する、こんなことはありえない。これはまさに大学人の識見と力量が問われている事柄でもあるというふうに思っております。  それからお金の問題なのですが行政法人になったら強いところと弱いところが出てくるのはあたりまえの話です。基礎科学がつぶれる、休耕田ができるというのはわかっているわけなので、各大学の自治において大学の中で学問を保全するシステムを作ることが重要になってきます。どうしても大学に必要な研究分野はありますから。それで、オーバーヘッドを体系的にどう作るか。それから、お金を取ってきたときに、取ってこれない分野にどう回すか。具体論としてつくらねばなりません。しかしこれもなかなかしんどいわけですね。「何で自分で稼げないところにカネをやってるんだ」(笑)、こういう話が出るでしょう。しかしこれは学問研究というのはそういうものじゃないということで議論せざるをえない。  しかし個々の大学の中でこういう議論をして、それで支持を得られなかったら、世の中に言ったって通用するはずがないと思うんですね。だから大学の枠の中でこれからどういう議論ができるのか。それから社会全体の中で独立行政法人の形態の中で起きてくる弊害をどういうふうに是正するか。今日の朝日新聞も非常にいいバランスのとれた記事だったと思うんですが、問題の指摘がすべて「独立行政法人はいかん」という論調にはならないわけです。ここは大学人の議論というのは細かな対応の仕方が大学の中でも必要だし、全体に対しても必要ではないかという気はしております。  司会 どうもありがとうございました  ほかにどなたかご意見はありませんでしょうか。質問にとどまらず、意見でも結構ですし、あるいは私の大学では、単組では、こういう取り組みをやってつなげていこうと考えているという紹介でも構いません。もちろんこれは明日からの分科会でも結構なのですが、ありませんでしょうか。  ○ いまの羽田先生の最後のところのお話についてお聞きします。第二の問題についての考え方の問題で、特に大学に対しての国民全体の関連です。要するに大学の中で努力をするという場合、具体例のところに関して言った場合に、なぜ国立大学が現在まで存在してきて、今後についてもその必要があるかということに関しての財政的な保障の必要性の部分についてのわれわれの中での議論の深め方と、大学関係者以外の国民全体にも理解してもらう。そこのところが必要ではないか。そうでないと、単純な言い方なのですけれども、民間でこれだけ企業努力なり、いろいろ努力されているのだから、大学でもそうあってしかるべきだろう。そういった感じの対処の仕方、そのへんのところについての訴え方というか、どう考えるべきかといった点についてぜひお教えいただければと思います。  司会 まず羽田先生のほうから。もし補足がありましたら三橋先生からもお願いします。  羽田 企業会計原則を取り入れるという通則法になっておりまして、これはおかしいと私は思うんですね。私立大学の場合でも学校法人は企業会計原則を別に取り入れておりません。学校法人会計基準というのを昭和40年代に作りました。これは国が補助金を出すために作ったのですね。当時も企業会計原則はありましたけれども、これではやはり大学に適さないということで、文部省が2年9カ月かけて学校法人の基準を作りました。ですから、今でも実は私立大学は企業会計原則を採用しているのは事業部だけであって、学校全体は学校法人会計基準を適用しています。企業会計原則はもともとなじまないのです。  ただ、そこで言っていることで一つ重要なのは、基本的にディスクロージャーだということです。情報公開をして、どんなふうにお金が使われているかをこんど全部出すということなのです。これはいま放送学園大学でもこれを使ってやっておりますけれども、その中身を見ますと、基本的な費目は教育研究費と管理運営費が分かれている。どのぐらい教育研究費にお金を使っているかということが一目瞭然で出る仕組みになっているのですね。  いま北海道大学の方がおっしゃっているのはまったくそのとおりだと思うんですが、逆に立ち返ってみたときに、先生方は本当にご自分の大学でどのくらい自分たちのお金が研究費に充てられており、それに無駄がないかということを論証できるのか、逆にこういう問題でもある。企業の話はイメージ的にはそのとおりなのですが、理屈から言えば企業会計原則が適用されているので株主総会においては財務は公開されている。国民あるいは株主はそれを見て投資行動としてどの会社がいいかということを判断できるわけですね。では大学は逆にそういう情報を公開していて、その大学で無駄なく研究し、活動しておるとか、そういうことが言えるのかという問題として出てくるわけであります。一般論としてはおそらく効率化ということだけではない。こんどはそこの部分が各大学の財政が全部公開されていく。ここの問題が出てくるので、そこをどういうふうにやっていくかではないだろうかと思っています。  いま大学評価とか自己点検が盛んですけれども、いちばん遅れているのが管理運営と財務の公開問題です。これは大学の教員だけの責任ではありません。事務局の責任でもあり、文部省の責任でもあると思うんですけれども、具体的に国からお金が来ながら、大学全体でどういうふうに運用されているか把握されない状態で動いている。しかし行政法人になったらもうこれは許されないのですね。全部一本で出て行って、だれでも見られるという状態になるということです。  三橋 羽田先生がお話しになった最後のところ、財政の公開のことについてだけ少し申し上げておこうと思います。ご承知のように国レベルで情報公開法が制定されて、再来年から実施になります。国大協の中でも情報公開法が施行されると大学も実施機関になるということで、いろいろ検討されてきたのですけれども、特に大学の中での文書管理が普通の行政官庁と異なるところがあります。大学には事務組織が管理するもののほか、共同研究とか、教官が公務として職務上作成したり取得したのもあったり、あるいは学科会議会議録とかいろいろな文書があるのですけれども、そういう文書管理をどうするかということもかかわってきます。いずれにしても大学はこんど制定された情報公開法の下で実施機関になる。そうすると、今の話は大学の中だけの公開の問題にとどまらなくなります。私どもは大学の中の一員であるにもかかわらず、大学の全体の予算というのはよくわからないのです。しかしこんどはシステムが変わって、もちろん行政運営上、何か支障があれば不開示ということですけれども、それはできるだけ限定的に解釈するということですから、少なくとも今までと違った状況になり、特に財政の公開の問題については大学の中でもどうするかということが問われているのではないかと思います。  そのほか、一般論としてはわれわれ大学にいる者として自己点検をし、改革改善をしていかなければならない問題はたくさんあると思うんです。その前提としての公開はもちろんのこと、さらにわれわれ自身が自らの教育・研究、あるいは運営を、自己点検して、そこから改善課題を発見して自ら改革をしていく。それはなかなか大変なことです。責任の伴う自治能力と政策形成能力をどういうかたちで大学の中で作っていくかということは、難問ですけれども、考えなければいけないということでしょう。それなしにはこの問題にも対抗できないというふうに思います。  ○ 「朝日」の論調については私も素人でよくわかりませんけれども、情報公開とか、大学がもっと開かれた大学になるべきであるという中間部分があったのですが、それと設置形態を変えなければいけないという因果関係がわからなかった。つまり、どうして行政法人にしなければいけないのか。国立大学のままでは、なぜできないのかという問題があるのではないかということをです。  名古屋大学はご存じのとおり松尾総長という、この問題では国大協でたいへん重要な役割をしておられる方がいらっしゃいます。私たち組合としてもどういうふうに運動を進めていくか、今日のお話を汲んでいくと、大学に帰ってから総長と一緒に「どうやって特例法を作っていこうか」と組合と一緒に考えていかなければいけないという話になってしまうので(笑)、そうならないように明日しっかり勉強したいと思います。  非常に素朴な疑問なのですが、羽田先生のお書きになった3ページで、要するに「独立行政法人の問題は効率的な減量」なのである。それから、三橋先生のほうでは、「新自由主義的国家改造」という言葉が出てくるわけですけれども、もしそうだとすると、それが独立行政法人の本当のねらいだとすると、それはもう国家公務員型の教職員なんていうのは絶対にあり得るはずがないというふうに単純に思ってしまうのです。いったいこれはだれがこういった政策を進めたいと思っているかということと関係があると思うんですけれども、政府の関係の人がそう思っているのだったらそういうまやかしも効くのでしょうが、産業界とか国民がそういう政策を進めたいと思っているのであれば、そんな独立行政法人に国家公務員がくっついているなんていうことはとうてい許されることではないと思うんです。そのへんはどういうふうになっているのかというところが、素朴な疑問です。  それから、基調報告の中でもう一つ、どうしてこんなに管理をしたいのか、締めつけたいのか、その本当のねらいは何なのか。この点は、いまの問題からいっても、行革とか減量するという事態そのものが本当のねらいではないのか。本気になってそういうことをやっているのかどうか。基調報告の中では科学技術創造力路線というのが基調になる、法律的には科学基本法が制定されているというような点が指摘されていますけれども、そういうものをどうやって完結していくかということがこの独立行政法人のいちばんのねらいではないか。そのような話をうちの組合はしていたりするわけですけれども、そのへんについてご意見をいただきたいと思います。  司会 関連でございますか。  ○ 私は図書館職員ですけれども、この独立行政法人化がもともと出てきた発想はこれは基調報告にもああるように、公務員の25%削減というところにあるわけで、そういうところからいくと、国家公務員型なのかとか、あるいは非公務員型なのかとか、職員の身分がいったいどうなるのかということがもう一つよく見えないんですね。実際にいまの国立大学の下でも、25%削減というのならば、実際の職員の立場から言えば、今までの定員削減計画の中で教員ではなく職員がそのほとんどをひっかぶって削減されていった。大学改革の中で非常にたいへんな目に遭ってきている。さらに25%削減ということならば、職員の半分以上が削減されるのではないか、そういう危機意識がものすごくあるわけです。  それから先ほど大教大のほうから質問されて羽田先生がご説明になった校費の問題です。国立大学ではたくさんの定員外職員を抱えておるわけです。これは校費でその人件費を賄っているわけですね。そうするとこういう形態になっていったときに、実際にその定員外職員のクビ切り、あるいは労働条件の改悪というところにつながっていかないのかどうかという疑問が生じるわけです。このあたりのことについて何か考えておられるところがあればお聞かせいただきたいと思います。  ○ 今回の国大協の案は通則法を越えるのではないかという一つの考えがあるというように見受けられたのですけれども、結論から申しますと、わが大学の例ですが、この国大協の案は通則法を越えているという認識があるのではないかと思うわけです。それは今までの例でいくと藤田論文、その後に文部省の案が報道されて、それから東大の総長の記者会見があって、国大協の案が出て、国大協の案に歩み寄ったという文部省の報道がされて、なおかつ国大協の委員会があって国大協の総会がある。そして今回がある。そうすると、この通則法に対する特例法というのが今までの藤田論文から越えたものという理解をしていただろうと思います。  われわれの大学からも、そういう意見としてたくさん上がっているのは、主にそういうものがあるわけです。われわれの教授会から上がった数々の意見からいくと、今回国大協でこのように進めてきているものは、今まで文部省から出されていたものを越えたというふうに理解している。私は専門家ではないですから、その点で通則法を越えていないという展開を早くインターネットでも出して、これを広めるということが非常に重要なのではないかと思っております。  司会 いまのはご意見として承っておきます。先ほどお二方からは公務員の身分の問題と雇用の問題という点が出たのですが、いまの発言の要求はそういう関係でしょうか。  ○ はい。  司会 意見は承りました。  ○ 特例法をわれわれは前提にしたという流れがあるので、基調報告とかで書いているように、独立行政法人設置形態は認めない、そういう立場を基本に据えた上で、これに対していまなされている通則法とか特例法とかいろいろ研究していかなければならない。しかし、共通の基盤として私たちは、独立行政法人、あえて言えば設置形態を変えたい、この対抗軸を先生方の知識も含めてやってきたというように思うわけです。そういう点で言いますと、国大協の中間報告というのは整合性がまったくない。それはもう、用語を羅列しただけである。これは記者会見でも述べていますし、どの新聞でもそうなっている。したがってあそこから特例法に国大協が入ったという具合には見られない。  ただ、国大協の基本的なスタンスは、明確になっているように、いまの政治の中で国立大学制度を維持する力はない。それが独立行政法人というものがこれから大学人が頑張ってもどうしてもだめな場合に、それに対抗するための要求なり論点を整理しておかなければいけない。こういうのが基本的なスタンスで、ここまでもってきたのは全大教をはじめ私たちだと思うんです。それで藤田論文をつぶしながらやってきた。現在の局面はやはり、20日に文部省から出されるであろう、これも私たちの運動の中で非常に重要になってきますね。その出されたものがそれぞれの大学で検討されていく。その場合に中間報告の要求を踏まえて、文部省が出してくる。学長会議は、20日午前中、青少年センターで10時からやりますけれども、その後に蓮實会長が懇談会をやる。その後、たぶん各地区ごとに大学長を集めて意見の集約をやっていく。こういう流れであろうと思います。  したがって、先ほど神戸大の方が言ったように、文部省なり、あるいは国大協を含めて設置形態を変えようという議論じゃないですね。やはり25%という条項が入ってきている。ここをきちんと踏まえる。なおかつ、まだ闘いはあるわけで、ですから私は特例法でやむをえないんだ、ここらへんでやむをえないんだ、あるいはそういう動きなんだ、したがって特例法でこういうのは確保できるとかではなくて、あくまでも独立行政法人に反対するわれわれの対抗軸をかまえて、そこを深めるんだということで進むべきだろう。  たしかに現在の政治状況から言えば何でもやるという状況ですけれども、しかしこの8月から9月13日のわれわれの運動の中から見れば、そうとうそれなりに運動が進んでいると言えるわけで、特例法でやむをえないんだと頭を垂れるんじゃなくて、やはり対峙するんだ、その論理でやるんだということです。  また後で高橋書記長に「言い過ぎだ」と言われるかもしれませんですけれども、ちょっと現場で頑張っている一人から言えば、あと2日間あるんで、やっぱりそういう気持ちをもってやっていきたい。非常に雑な発言ですけれども、そういう具合に思います。  司会 どうもありがとうございました。さっき雇用の話が出てきたのですが、公務員の身分や雇用のお話というところに関連してお願いします。  ○ 京都大学の定員外部会からやって来ました。雇用の問題で先ほど神戸大学の方のお話で、私たちは20年、30年と継続雇用されて身分不安定のままに働いてきましたので、今日は絶対にこの話で発言したいと思ってやって来ました。  われわれは独立行政法人化のなかで何の議論もされてないわけです。この中間報告の中でも、職員の身分は正職員だけの中でしか報告されておりません。われわれは20年、30年、そして無念にも定員外のまま退職していった仲間もいます。ぜひとも定員問題として検討していただきたいということで今日は発言させていただきたい。そういうことで勇気をもって発言しております。  もう一つ、今日ここに参加するに当たって私たちは学習会を何回も重ねてきたのですけれども、京大の文学部の支部で学習した中で、支部長から、ぜひともこれだけは言ってきてほしいということがあります。いまの独法化の問題は政治的な問題と経済的な問題の大学の中での議論でしかない。教育・研究の中の問題で検討されているところでは全然ない。各大学が設置形態の検討委員会の会合をしているけれども、次の手を考える由として検討しているだけで、教育の原点とか、公の教育をどうするかというところの論点が欠けている。このことを、ぜひとも強調して言ってきてほしいといわれてきました。以上二点について発言させていただきました。  司会 ありがとうございました。ここらでちょっと一回切りまして、羽田先生と三橋先生に、さっき疑問がが出されましたので、お答え願いたいと思います。  羽田 私がお答えできるのは三つほどだと思います。一つは、なぜエージェンシーに、独立行政法人にしなければいけないのかがわからないというご質問に対して、私も正直に言うと、本当にそれはわかりません。必要性はあるのかと言われれば、それは冒頭申しましたけれども、できた靴に足を入れるような話を今しているというふうに言うほかはないんです。  ただ、国立大学でも改革ができるということには、全面的には賛成しかねます。これは実際に国の財政一つとってみても、私も財政の勉強をずっとしてきたのですが、なかなかそれは難しいのですね。単年度主義であれ、いろいろな財政運用のルールは、国会に対して大蔵省を中心として、財政民主主義として国会に責任をとっていくシステムの中で厳格な予算管理が絶えず追及される。目的的にお金を使うよりは、法律に合わないとか、そういう点が厳しくされます。これは予算関係の職員の方は骨身にしみてよくおわかりだと思うんです。会計検査の中で若干、目的適合性とか、そういう議論もありますけれども、国立大学には制約があるというのは、なかなか妙案が浮かばないのですね。それはたぶん日本の国家行政システムが硬直的だから、それを前提にする限り、思い切ってこれを壊さないと柔軟にならないという関係になっているんだと思います。  独立行政法人の形態が不可避的だとは私は思いませんけれども、他方、国立大学の運営システムの中でいろんな可動性のある動きができるためには、それはそうとう思想改革が必要で、大蔵省も、行監も、人事院もまとめてコロッと引っくり返らないと、なかなか難しいだろう。たぶんそれで出てくるのがこういう形態なのかもしれないという面もあります。だから、あまり「国立大学もできる」というふうにおっしゃられても、実はリアリティーがないのではないかという感じがしております。  それから効率化のための独立行政法人化というお話で、これは効率化の定義にもよりますけれども、費用と効果の関係でいけば、産出効果が同じならば費用を削れば効率化であり、費用が同じなら成果が出るのが効率化ですから、これは両方あるだろう。削るだけの話ではなくて、生産的な分野にお金を投資して研究グループの水準を上げていくというのはどこの世界でやることでありまして、単に削る話だけではないだろう。ただ、財界の委員の方はわりと削るほうに直結しますけれども、それほど単純ではない。  ただ、もういっぺん言っておけば、いま全体として日本の研究者は潤っているんですね。科学技術基本法ができて5カ年計画で進行しておりますから、おそらく工学系の方なんかは今ほど金が来る時期はないというふうに思っていらっしゃるのではないでしょうか。これがもうじき効果が切れてくるわけです。日本の研究費の構造というのはGNP比で見ると3%近くて、先進国ではけっこう大きいのですが、産業界の負担割合が非常に高いという構造をもっているわけです。  たとえばアメリカの場合には産業と政府の研究費の比率は2対1ですが、日本では3対1なのですね。この構造を変えられるかといったらなかなか変えられないんで、産業界からお金をどういうふうに引き込んでくるかという話に、科学技術計画が終わった段階で、ならざるをえない。これは長期的な財源の見直しの関係から見ましても、そういう話を引き込まざるをえません。  念のために言えば、いま日本の政府財政で研究費は3兆円ですが、産業界は9兆3000億出している。アメリカは全部含めて30兆ですね。政府が10兆、産業界が20兆という2対1の比率で、産業界から大学におよそ2816億円出ている。日本は703億円ということです。そこらへんの比率が1%でも変われば、100億単位でお金が入ってくる。ここらへんに誘導するためには、いまの国立大学の煩雑なシステムの中では受け皿になり切れない。ですから教員も動けない。そのあたり、これは21世紀を日本がどう生きるかというのは、産業が特にありませんから、やはり高度化でいくしかないでしょう。その時に国立大学の活性化というのは、これはかなりウエートが高い、それが入って来ているのは間違いございません。逆にそういう枠の中で基礎科学がどういうふうに生き延びるかという話になるかもしれません。  三つ目は定員外職員の問題です。これも私が非常に気にしているのは、さっき企業会計で公開されるという話が出ましたけれども、現在でも定員外職員の採用については厳しい制約がかっておりますが、会計上開けて見たときに、定員外職員の採用というのはたぶん不効率として映ってくるのだろうと思うんですね。それで、そこから先がよくわからないんですが、さっき定員外職員の方の本当に痛切なお話がありましたけれども、独立行政法人になったときに実は逆に国家公務員法の制約を離れて自由に雇用できる環境ができる可能性も、ある程度あるんです。これもやはりもっと考えておく必要もあるのではないか。  さっき反対論をおっしゃった方がいたのですが、わたしはこのシンポジウムには別に反対・賛成を言うために呼ばれたのではないと思っておりますけれども、国立大学でよいというのは一面では厳格な定員管理の中にあって定員外の定員化については非常に制約があるという、この枠も同時に設置形態変更をしないという主張ですね。今のなかで単純に言えば、さっきの反対論はそういう話になるんですね。これは全体的な枠組みをどういうふうに押さえていくかという点では両方見ておいたほうがいいのではないかと思っております。  司会 どうもありがとうございました。では三橋先生、お願いします。  三橋 議論の一つの重要な問題としてご意見もありましたが、教育の公共性、大学・高等教育の公共性というものをどう考えていくかということが確かにたいへん重要だと思います。私どもの法律的な観点からすると、やや抽象的ですけれども、憲法が保障している教育を受ける権利と、他方においては教育の自由、すなわち社会権的なものと自由権的なものが大学という高等教育行政の中で、より保障される、実現されるということだろうと思います。そして、そのような大学教育政策というのを決めるプロセスですけれども、そういう国の教育の国民の教育のあり方は国民が決めるということです。これは国民主権原理からして当然のことだと思います。  国民が決めるという場合の手続きは、国の教育政策を国民代表機関である国会等で議論をする。そういう意味では、わが国における大学教育にあり方、あるいは大学政策をどこまで国民的なかたちで民主的に、より公共的な内容とするための議論ができているかというと、そこができていないところにたいへん大きな問題があって、したがって、必ずしも国民的な教育政策が展開されているわけではないと思います。  たとえば教育の機会均等ということでは、これだけ国立大学の授業料が上がったこと一つをとっても、国際的比較をしても、たいへん問題だと思います。そういう教育政策に、国民の意思の反映がどこまでなされているかが疑問であるにもかかわらず、次から次へと大学審なり文部省は教育政策を出してきます。文部省による教育政策の実施ということでは、長年における大学の自治の歴史の中で、なかなか大学人が言うことを聞かなかったことがあると思います。大学にはちょっと経営努力の欠けるところもあるかもしれないけれども、上からのコントロールがききにくいところがあったと思います。  司法と並んで、大学というのはなかなか国のコントロールがきかないところであったわけです。  したがって、今回のやり方というのは、市場原理、競争原理を基本にしているわけです。主務大臣は目標とか、大枠は押さえるわけですから、先ほどスマートと申し上げたのですけれども、国のほうはスマートなコントロールシステムを用意しつつ、外部的には大学の自己責任を強調し、皆で競争しろというわけです。学部間競争とか、いろいろ、仲間うちの取り合いをしろというんじゃないでしょうか。だからそういう市場原理を基本とした競争的原理で本当のいい大学ができるのか。個性があることは必要だと思うのですけれども、そういう競争的環境の中で出てくる大学の公教育性、そこのところに大きな問題がある。  そういうことで、ねらいということでは、一つは国家財政等の危機の中からというような問題もあると思うのですけれども、もう一つはそういう競争的環境の中で自己責任という名の下で「社会的ニーズ」に応える大学づくりを意図しているということです。大学の自己資金といっても、それこそ出してくれるところと出してくれないところがあるわけです。先ほどらいいろいろ議論になったと思うのですけれども、企業とか資金を出すところにおいてはどうしても実用的な、当面の役に立つというようなところが重要なファクターになってきて、基礎研究等が軽視されるということだろうと思います。  ですから大学というものの教育のあり方と、そういう大学の公教育性というものをどういうかたちで国民的な議論の中でつくりあげていくかということがたいへん重要で、今回のエージェンシーの議論の中でもそれが重要ではないか。そこのところについて真っ当な教育政策を作ることなしに、競争原理の中で流れるように大学を誘導しようというのが基本的にはエージェンシーだというふうに私は理解しております。  したがって教育に関して国家財政を、もちろん私学も含めてですけれども、もっとつぎ込むべきである。定員問題というのも、結局そのお金の問題にかかっているのではないかと思います。公務員の範囲をどういうふうに数えるかということはありますし、それぞれの公務員において必要な仕事を効率的にやらなければならないというのはもちろん当然のことですけれども、そういう必要な仕事をしていくことにおいて必要な職員は確保するということでなければならない。そこのところがそうなっていないから定員問題等でいろんな厳しい状況が出てくるのではないか。ねらいということにかかわっての補足をいたしました。  司会 ありがとうございました。お約束した時間になってきていますが、どうしてもという方がおいでになりましたら手短にお願いします。  ○率直な疑問なのですが、私たちは労働組合に所属しているのですけれども、今回の独立行政法人化に対する組合の対抗策のことですが、先ほどから基調報告にもあったように、基礎教育の重要性、それから高等教育の公共性、そういうものが大事だということはよくわかるんですが、今日の議論のなかでの疑問なのですが、私たち働く労働者の生活と雇用を守る、そういう視点もすごく大事ではないかと思うんです。  日本語の曖昧さで、非公務員型とか、そういう言葉にだまされるようなところがあるのですけれども、ひょっとしたらクビ切りとか、待遇切り下げということも起こってくることが目に見えているような気がするんです。労働組合なのだから、そこも共通して、国民の理解を得られるよう、そのへんも強調してほしいと思います。  私自身も定員外職員でもう25年になるのですが、本当にクビ切りされるんじゃないかという疑問もあるし、いい面も出てくるかもわからないといわれましたが、やっぱりそんなに甘くないというふうに思うんです。だから、先生たちも給与の切り下げが起こるかもわからないということで、もっとそれに対して腹を立てて、怒りをもって立ち上がらなければいけないんじゃないかと思いました。  司会 ありがとうございます。ただいまのご発言は、われわれがこの問題に当たっていく基本的な姿勢を確認したいというご意見として承るということにさせていただきたいと思います。  もう約束の時間を過ぎております。先ほど名古屋大学の方からご指摘がありましたけれども、国立大学でどうしてもできないんだという、このことは非常に重要だと思います。こういう問題で攻撃がかけられてくると、われわれの場合はどうしても守りに入ってしまう。ところがたとえば独立行政法人化、あるいは民営化の議論の中で、これは基調報告の12ページに書きましたが、「私立大学があるから国立大学でなければならないことはない」、こういう言い方がよくされます。  しかしその線で言えば、しばしば治安のフォローのみが国家の役割であると言っているのですが、たとえば先だっての某県警のようなありさまであるならば、何もああいう公共体である必要はない。そういうことも一方では言えるということがあります。実際にこのような民営化論の中で、私立大学があるから国立がなければならないという必然性はないと言っているのですが、では私立大学のほうがうまくいくという論証もないという、その現実を見失ってはならないと思います。  もしもわれわれの側が何か雇用に対してそういう負い目に負うことがあるとするならば、これは羽田先生が指摘になっておりましたが、今の時代にふさわしい学問の自由、大学の自治論というのが、10年あるいは20年にわたって休耕田に近い状態であったという、そのことのほうを深刻に考えるべきではないのか。その際に、いまご指摘があったようにわれわれが労働組合であるという原点をどのように生かしていくか。そのことを明日から2日間にわたっての分科会の中で深めていっていただきたいと思います。  各論点にわたって学術研究、あるいは教育のあり方について、そしてまたそれを実現するための基盤について、たとえば三橋先生から情報交換について文書管理というご指摘がありました。それは間違いなく事務職員の負担となってのしかかる。そのことも見据えた上で、あり方を議論していただきたいと思います。  最後に先生方に一言ずつと思ったのですが、ちょっと時間的に難しいようですので、また交流会のときに、ぜひ交流を深めていただきたいと思います。  たいへんつたない司会をおわびするとともに、最後にパネリストの両先生に拍手でお礼を申し上げてこの会を終わりにしたいと思います。(拍手) 課題別・職種別分科会報告 林 大樹 「組織運営体制の整備」と 「独立行政法人化」問題 司会 立山紘毅(山口大) 参加 55単組 100名  課題別分科会の一つとしての本分科会のねらいは、「学校教育法等の一部改正」の成立・文部省令の「改正」後の、各大学での評議会、教授会等の「学内規則」の「改正」などめぐる動向及び「独立行政法人」問題について21世紀にむけて、大学の自治をもとにした高等教育充実の立場から政策的・具体的とりくみの交流・議論をおこなうことであった。  ところが、本分科会はそうした当初の課題設定の枠に収まりきれない一種異様な雰囲気とともに進行した。それは今回の研究集会の日程が偶然にも9月13日の国立大学協会の臨時総会とまさに研究集会閉会翌日の9月20日の文部省による全国学長・事務局長会議に挟まれて設定されており、20日の同会議で国立大学の独立行政法人化に関する文部省の態度表明が予想されるという、いわば超大型台風の襲来前夜のような緊迫感と不安感が参加者を支配していたからではないかと思う。  では一体どうしたらいいのかという気持ちを参加者のほとんどが持ちながら、どうすべきかがはっきりしない、研究集会第1日の全体集会でも解消されなかった議論の停滞への隔靴掻痒の感と焦燥感がこの分科会に持ち込まれた。また、最新の確実な情報を得たいという期待もあったであろう。参加者は分科会としては非常に多く、ほとんど全ての単組から参加者があり、会場に入りきれないくらいで、いわばミニ全体集会の趣であった。  提出レポートは5本。意見交換と討議の時間を確保するため、報告者に報告時間20分以内の厳守をお願いして、以下の報告が行われた。  第1報告…新「大管法」後の京都大学と独立行政法人化問題(京都大学)  第2報告…国立大の独立行政法人化=我々の行動と視点(新潟大学)  第3報告…島根大学での学長選挙への取り組み(島根大学)  第4報告…独立行政法人化問題に対する島根大学の取り組み(島根大学)  第5報告…事務機構改編、独立行政法人化の嵐の中で定員外職員は?(京都大学)  まず第1報告(京都大学)では、これまで京都大学経済学部では学部長選挙に際し、職員、院生が投票し、結果を提示する「意向投票」が行われてきたのに、今年の選挙では意向投票制度が行なわれなかったことが報告された。これは学部長が副学長に急遽転出することになったための補欠選挙だったという事情もあるが、それだけではなく、事務長が意向投票制度を継続すると概算要求が当たらなくなると主張し、教官がそうした事務局サイドの考え方に従った面もある。報告者はエピソードとして、ある私立大学の新学部申請に際し、文部省から天下りの要求が行われた事例も紹介し、文部省は文部省の利益しか考えていないのではないかとも指摘した。  第2報告(新潟大学)の報告者は、現在、国立大が法人化という前代未聞の組織替えの前に立たされているのに、大学の教職員の態度は様々で、断固反対を貫く者は少ない。数年前、任期制法案が出された時にはこうではなかったとして、何がこの違いを生んでいるのだろうかと問題を投げかけた。大学人が改革疲れでエネルギーが低下している面も確かにあるだろうが、それだけではない。近年の「未来開拓推進事業」は1プロジェクト当たり1億円を超えていて、以前に比べて資金が潤沢になった大学教員も少なくない。総合科学技術会議(内閣府に置かれる)の設置による産学協同路線の強化は、財界が学問の中身に直接入って、選別と重点投資を可能にする方向にあり、日本の科学技術体制にとって極めて重大である。数値化しやすい自然科学は数値的評価によって、学問の中身を変質させていくのではないかと危惧の念が示された。また、同報告者からは学生(その態度やマナー)を通して国立大学を見る一般市民の目は大変厳しいことを肝に銘じつつ、そうではあっても我々は一般国民に国立大学が危機を迎えている状況を訴える行動をやめるわけにはいかないとの発言があった。  第3報告(島根大学)では、学内の意思決定の民主化を進めるための組合の取り組み事例として、学長選挙への取り組みが報告された。島根大学教職員組合は、1995年と1999年の学長選挙において候補者に公開質問を行なった。また、1999年の選挙においては、評議会に対して選挙運営についての提案を行った。1995年は、一部の候補者から公開質問への回答が得られず、結果的に全候補者の回答を公開することができなかったが、1999年の選挙では、評議会への提案が受け入れられるとともに、全候補者から回答が得られ、それを全教職員に配付することができるという前進があったことが報告された。  第4報告(京都大学)は、国立大学に働く約4,600人の日々雇用職員と約15,000人の時間雇用職員、いわゆる定員外職員の不明確な位置づけと不安定な身分の改善を訴えるものであった。報告者は独立行政法人化との関連では、国家公務員が総定員法の「定員」枠から外された場合、法人の長である学長の裁量で、定員外職員の正規法人職員化への道が開かれることも考えられるが、また逆に「効率化・合理化」優先の「評価委員会」等の意見を法人が受け入れることにより、定員外職員は即解雇・リストラが行われるという最悪のシナリオもあり、こういった方向の危険性をはらむ「独立行政法人化」には絶対反対である。しかし、反対運動だけでは駄目で、教育・研究を高めていくという原点に立ち、条件闘争には走らず、世論に訴えていきたいとされた。  第5報告(島根大学)においては、独立行政法人に類似する大学運営が行われている諸外国の先行経験をリサーチした成果として、ニュージーランドの事例が紹介された(北海道大学から発行された英語論文を島根大学の組合員が翻訳)。過去10年間、ニュージーランドでは、政府交付金(学生積算公費)の削減を柱に、大学教育経費が30%も削減された。大学経営陣はその対応策として、入学金の引上げ、コース別授業料の設定、学生定員増、効率的マスプロ授業の導入、教職員の人減らし合理化を行った。さらに今年度策定された計画では、拠点大学への集中的な予算配分が行われようとしているという。日本の大学を取り巻く状況と容易に重ね合わすことが可能な内容であり、我々にとって貴重な先行経験の報告であった。  以上の報告の後、昼休みを挟み、5人の報告者をパネラーとするディスカッション及び経験の交流が進められた。初めはどこに議論の焦点を当てたらよいのか参加者全体が手探りで進むような状態で、パネラーとフロアーとの間の質疑応答に費やされた。皆、独法化問題を議論したいのだが、どこから切り込んだらよいのかがはっきりしなかったのだと思われる。しかし、このじれったい状況の中で、大学の組合運動が紋切り型では進展しない現実の奥行きと複雑さが浮かび上がったように思う。分科会の終盤になり、独法化問題と組合の取り組みについての意見がフロアーから活発に出され、会場の雰囲気も熱気を帯びてきたが、予定の時間が来て、続きはその後の分科会と各単組に持ち帰っての議論と具体的な取り組みに委ねることとされた。 林 泰公 「研究教育支援体制」の充実 司会 佐々木敏昭(東京大)    斉藤安史(群馬大)    武市全弘(名古屋大)    益子一郎(茨城大)    金子一郎(北海道大)    林 泰公(和歌山高専) 参加 25単組45名  本分科会は、欧米に比べて立ち後れている「研究教育支援」体制の充実を図る立場から、学術審議会答申「科学技術創造立国を目指す我が国の学術研究の総合的推進について」の中で提起されている「研究支援体制の整備」の問題についても視野に入れたT・A、R・A等「非常勤研究員」の増大の現状と問題点、助手問題等教員組織のあり方、さらに技術、事務の「組織」、図書館の現状と今後の課題について教職員共同による総合的な交流・論議を深めることを主要な課題として開催された。参加数は25単組45名であった。  レポートは3本あり、その概要は次のようであった。〓は京都大学職員組合が98年度に行った職場アンケートをもとにした職場実態として、恒常的な人員不足と業務の繁雑化増大化による長時間労働が日常化しており、業務の定型化簡素化、現行組織の見直し、人員配置の工夫などが求められている(京都大学)。〓は大学院重点化等によりますます技術職員の役割が重要になっているが定員削減で職員数が減少している。そうした中で学術審議会答申は外部委託や派遣労働、TAやRAで補おうとしていることについて、技術職員自らの資質の向上と大学改革論議に積極的に参画し、大学機能の中には任務と責任を明確にしていく必要性が述べられた(名古屋大学)。〓については独立行政法人化等の改革の中で農学部系付属施設の農場、演習林、牧場の将来について「フィールド科学」としての新たな機能を持たせるために人的資源、施設設備を活かす新たな組織や機能、大学間の連携、予算などの課題について提言(岩手大学)がそれぞれ報告された。また、口頭報告として、学術審議会答申と研究体制の充実の課題として、研究体制の整備と促進にボトムアップが必要だが、トップダウン傾向が強くなっている。助手、若手が研究をするために学術審答申では「問題がある」としか記述しておらず、研究体制の整備、研究を生かせる体制が必要と報告(群馬大学)された。  これらの報告の後、定員削減や改革の進行のもとでの支援体制のあり方、職場や職種の現状と課題について討論が行われた。  大学・高等教育に関わる課題として、大学の果たす役割の一つとして、研究に貢献する事で教育につながるが、研究と教育が分離し、研究の評価が強調される反面、教育にきちんと目を向ける必要がある。学生に研究者となる教育環境を与える必要があることや、改革に絡む多忙化の中で技術や事務組織のあり方も問われている。きわめて早く議論が求められているが、職場の要求はほとんど無視されている。あるいは、学術審答申で「支援体制の整備、図書・事務部門の改革等」があるが、派遣労働の導入で充実、12年度概算でもRA等、非常勤研究者の増が入っており、派遣の導入、独法化の推進、民間職業斡旋で人材派遣で非常勤職員もそうなることもありうるなど、これらの政策動向に対抗軸をどう作っていくのか。あるいは組合として大学の将来構想、支援体制のあり方等、教育研究をそれぞれが役割分担を担っていく中で具体的に考えていく議論が早急に求められているなど意見が出された。  図書館の現状と課題では、大学教育と図書館のリンク、教育にどのようにアプローチしていくかが重要であり、教養教育の一環として役割を果たしていくために利用者の声をどう取り入れるのか、現場の意見や組合も意見を出していくことが求められていること。また組合は地位確立、改善と図書館の役割と充実を求めているが、学術審答申の中で図書館の位置づけが弱く、これを認めさせていく運動を向上させる必要があり、21世紀の大学図書館の位置づけを構築するためのプロジェクトを求める意見が出された。  技術職員問題の現状と課題では、研究教育の支援としての役割や業務、立場がまだ明確でなく、外注化、R・A、T・Aの他に研究推進員が出来たことによって立場がなくなるとの意見や、組織のあり方については、定削で人が減る中で今のような形態は無理があり、国大協の15人ユニットの見直しと具体的な技術部の運営についていくつかの職場から報告があり、その中で技術部の将来を技官自身が主体的に考え研究教育のニーズに応える技術部を目指すべきであり、技術の継承問題はT・A、R・Aではその役割りが果たせるのかアピールしていく必要があること。また組織化では小人数部局での組織のあり方、講座配属の問題が出されたが、研究者が講座制を必要としている中ではそういう中で技術部の支援体制をどう構築していくか、そのための組織のあり方を考えていく必要があるとの意見が出された。  研究教育の支援、待遇等改善のために研修体制を充実させるために現状の技術専門職、図書館職員についてそれぞれ研修実態の報告があり、研究教育支援のために自から研修の需要を作っていくことが必要であり、さらに内容的にも充実させていくことが求められていることが強調された。またこれからの課題として、全大教専門部の取り組みとして技術職員問題では組織の役割・あり方、図書館職員では学術司書問題について紹介があり、研究教育支援の充実のために職種の枠を越えて議論し、学術審議会答申、独法化への対抗軸を早急に作っていくことが求められている。 深見健次 「事務機構の一元化」問題 司会 伊藤文隆(京都大)    伊藤正彦(熊本大)    深見健次(京都大) 参加 18単組 36名  本分科会は、前半を5本(当日持込みを含め)のレポートの報告を受け、後半の討論は事務組織のあり方をめぐっての柱で行なった。  レポート報告では、山口大学から「事務組織の改編と教職員組合の役割」についての報告があり、事務組織の再編に関するアンケート結果では、大学事務のセンター化という集中化に対しては学生指導の難しさや密度のあるサービスは逆に望めなくなるという意見があるものの、在り方として「望ましい」「望ましくない」「わからない」がほぼ3等分されている。しかし、事務組織の改編・見直しに関しては、情報公開を求める。意見反映出来る機会を設ける。トップダウンや一部の人々ですすめるべきでないとする回答が大半を占めた。集中化即事務局一本化への方向は本来の姿でなく、むしろ教員サイドからは学部事務の充実化が望まれている。  名古屋大学からは「事務改善合理化に向けて」の報告があった。これまでの第9次にわたる定員削減と平成13年度までに上積み削減によって現行の事務組織を維持・運営することは困難であるという認識の下、事務改善合理化推進調査・研究会が設置され、〓事務の減量化・効率化の推進 〓そのためのホームページの活用等事務の電子化の推進 〓これらを踏まえた事務組織改革の必要性を方針とする改善案が提言された。この提言に際し、他大学の事務機構改革の状況等を踏まえ、独自性が損われないよう検討がなされた。更なる定員削減が確実視される中で、現状の教育研究支援体制を維持することは困難であり、教官等の連携・協力が重要となり、それに向けての体制の構築が必要である。  大阪大学から「事務組織改革・一元化の動き」についての報告があった。本年4月から各学部からの定員を吸い上げて調達センター(物品のみ)が創設され、学生部改組による合理化減がはじまった。10月からは学内措置による学生センター(豊中、吹田のそれぞれのキャンパスで)の設置が予定されている。2000年からは文学部、法学部、経済学部、国際公共の文系の事務統合が予定されている。特に学生センター設置の準備段階で8月の異動は高齢の女性配置替が特徴でリストラされたという声も異動した女性から聞かれる。定員削減の布石ともとられかねない。9次に及ぶ定員削減により残業が常態化している。  職員の健康悪化や過労死さえ生まれている。事務部会として職場実態についてのアンケート調査を行なう予定である。  宇都宮大学からは「事務組織集約化後の現状について」の報告があった。事務組織集約化はトップダウン方式で出されてきた。集約化に際して各学部の業務量を業務毎に算出したが事務組織の集約化が優先され、適正な人員配置がされなかったため、部署によって仕事量のアンバランスが出ている。特に会計業務にしわ寄せがきており、教務課では教務事務電算化が未完成のうちに集約化を行なったため大変な状況となっている。このため、教務関係は学部に戻すべきであるとした意見が多数出ている。  京都大学からは「事務機構改善検討の状況」についての報告があった。大学をめぐる厳しい状況や事務量の増大に対処するため、一部局事務組織からの部局共用型事務組織に改編する。各事務の電算化、一元化・集中化の推進を行なうことを基本方針として、事務統合を検討する構内毎の専門委員会、業務の改善を検討する専門委員会の2つの柱立で検討がなされている。2000年には宇治地区の5つの研究所事務の統合と農学部、農場等の事務の統合が予定されている。  5つのレポートに対する質疑が行われ、この中で、集中化を実施して具体的にどうなったのか。定員削減との関係で機能しているのか等々の質問に対し、学生センター化を実施したが、学生は学部へ行くのかセンターに行くのか判かりづらい、又、センターも少人数で相談が集中し、対応に苦慮している。センター化に伴なって学部は定員削減はないといわれていたが結果的に学部も事務局も削減されている等の問題点が出された。これらのことから「一元化」された後の事務局と学部との間での業務処理体制等の調整が不十分であること。「一元化」された部署への人員配置が不十分で多忙をきわめていることなどが浮きぼりになった。共通しているのは「合理化減」の文部省通知にもとづいて、一部の部課長による「机上」の計画で行われていることや業務の検討や見直しから出発していないため、職場の実態にそぐわず多くの問題が生じている。  参加大学から次々に実状の報告がされたが、とくに「一元化」によって学部事務室が廃止された福井大学の報告に注目が集まった。全学事務一本化に伴なって、初年度は混乱し、学部長が企画・立案に際して学部事務長がいなくなったため、誰れと相談するのかという不満が出、専門職員の導入で2年目に学部担当者を置く。一元化に対して何を残すのかが最初に問われるというリアルな報告がされ、実状に即した手直しが行われた。  全大教調査によれば、合理化減に伴なう一元化として一斉に出されてきたのが共通している。しかも小規模大学から先行された。半数以上のところが何らかな一元化をすすめている。今後のとりくみに生かすものとして、「一元化」になじまない業務や学部、学科にどうしても残さなければならない部署等を明らかにすべきであるとの意志統一がなされた。  事務組織のあり方については名古屋大学から「事務職員の専門性と事務組織の役割」についてのレポートがあり、大学の管理運営のなかで果たすべき事務組織の役割りとその位置づけ、「教育と事務の中間的な領域」をになう人材の育成と職務の専門性を有する専門職員の位置づけを明確にすべきという注目すべき報告があった。  独立行政法人化とも関連して私立大学と比較した資料も検討すべきであるとの要望も出された。 塚本一郎 教員養成系大学・学部のあり方 司会 塚本一郎(佐賀大)    河原田博(京都教育大)    武田晃二(岩手大) 参加 15単組19人  来年度は教員養成課程5000人削減計画の3年目(最終年度)にあたるが、分科会ではこうした状況を踏まえ、まず、司会から教育学部改組の全国的状況に関する簡単な説明が配布された分科会資料をもとになされた。文部省発表の「平成12年度 国立大学等の入学定員について」等によれば、12年度改組における教員養成課程の削減数は8単科大学を含む14大学1500人に及んでいるが(3年間で合計5000人弱が削減されることに)、12年度改組の特徴は、新課程へ振替や他学部への振替がさらに抑制され、純減が増加する傾向が強まったことである。  配布資料の説明に引き続き、岩手大学教職員組合教育学部分会から、「岩手大学教育学部の改組と今後の問題点」と題する報告がなされた。報告によれば、岩手大教育学部の改組も5000人削減計画の最終年度にあたるが、その特徴は、校種別に複数設けられていた教員養成課程を、コースレベルでは校種別を残したものの統合型の教員養成課程に一本化し、全体の規模を大幅に縮減したこと、教育学部としてはじめて新課程を設けたことである。  さらに、報告者から現状を踏まえて、新しい教員養成課程と新課程に予想される問題点について具体的な指摘がなされたが、紙幅の都合もあるので、ここではその一部を紹介したい。まず、教員養成課程については、定員的に中学校教員養成の部分が小さくなることにより、教科別の教員養成数が著しく減退し、ひいては教育学部の教科に関する教育力の低下が予想されること、そして、新課程については新課程にコミットする教員の授業負担が著しく大きくなることが懸念されること、学校教員以外の職種への就職支援活動が強く求められることなどである。  最後に報告をまとめるかたちで、第三者評価機関の設置、今後予想される定員削減、独立行政法人化等も視野に入れて、教員養成学部として予想される問題点について報告がなされた。すなわち、まず第一に、教員就職率が低下するなか、教員養成学部に対して「効率性」の観点からネガティヴな評価がなされるのではないか、第二に、小学校に重心をシフトした統合型の教員養成において、さらに教員の定員削減を被った場合、中学校全教科の教育組織が維持できなくなる、すなわち、中学校教員養成が地域間でブロックされる危険性があるのではないか、第三に、学部教育の縮減を相殺する観点から、現職者研修の機会充実も視野に入れた大学院修士課程の拡充によって教員組織の維持を図っていく必要があるが、今後いっそう負担が増すのではないか、といった点などが懸念されるということである。  この報告を受けて、参加者から職場の現状報告も交えながら、熱心な質疑と討論が行われた。討論のなかで出された特徴的な論点を、あえて大胆に整理するとすれば、〓改革疲れ、〓改組の理念と手続き、〓学生教育に対する責任体制、〓大学院問題、〓教員の専門性、〓地域との関係、〓教員養成系大学・学部間の連携、といったことになろう。以下、これらの論点をめぐってなされた議論を紹介したい。  まず〓については、改革後の点検・評価・総括もないまま、改革が終わったらすぐに次の改革が始まるという、度重なる「改革」が教員の間で「改革疲れ」を生じさせているという現状が報告された。〓については、改組の理念さえ説明できない、「改革疲れ」で教員が改組の手続きに無関心となり、意思決定が少数に委ねられる傾向さえあり大学の自治の観点からも問題である。教育学部の問題が全学的な課題となっておらず、評議員や学部長・学長への働きかけがもっと必要である、といった現状の指摘や意見が出された。〓については、新課程をつくったが、「どの教育課程で学んでいるのか学生自体わからない」、学生の溜まり場、固有の施設がない、新課程に教員がいない、といった学生へのしわ寄せや学生教育の責任体制の混乱の現状が報告された。〓については、「生き残り」のための大学院拡充によって様々な矛盾が生じていること、昼夜開講・通信制の開設による教員の負担の増大等の現状が報告された。また、現職教員の再教育といっても、現職教員の派遣制度そのものが就労と就学を保障するものになっておらず、条件整備こそ必要とされるのではないかといった意見が出された。〓については、改組で新しいコースを設置したが、学生から見たら不自然であるにもかかわらず、例えば英語の教員が福祉を教えるなど、教員が全く専門外の教科を教えなければならないといった、教員自身も専門性のゆらぎ、教科の専門性の低下など、深刻な現状が報告された。〓については、地域社会に対して改組の理念が説明できないという問題などが指摘され、さらに、これから地域がキーワードになるのではないか、「30人学級も視野に入れて、もっと教育現場に先生が必要という運動も必要ではないか」といった提案がなされた。〓については、全大教に対して、教員養成系大学・学部間で情報交換を行い、組合全体で考える場をつくってほしいという要望などが出された。  最後に、全体の議論を通じていえることは、教員養成系大学・学部の問題を、単に当該大学・学部だけの問題として矮小化するのではなく、地域の教育力の問題や、わが国のゆがんだ教育政策の問題等と関連づけていく視点が求められているということである。さらに、運動論的観点からすれば教員養成系大学・学部どうしの横の連携と教育諸団体との連帯の視点がいっそう求められており、そうした連帯を通じて、教員養成系大学・学部の存在意義を国の教育政策に反映させていく取り組みが重要となるということである。この分野における全大教の役割もますます重要になろう。 小林隆夫 「大学共同利用研究所」問題 司会 小林隆夫(室蘭工大)    長谷一憲(九州大) 参加 5単組8名  参加者が全て技術職員だったこともあり、分科会討論は、〓技術職員組織の現状と昇格問題、〓独立行政法人化問題、の2つの柱をたてて行った。 【技術職員組織の現状と昇格問題】  参加人数が少なかったことや小生のように初めて参加した者もいたため、討論に先立っていわゆる「共同利用機関」の種類や機構について共通認識をもつことからはじめた。 以下に略図で簡単に紹介する。 〈共同利用機関の種類〉     大学共同利用機関(直轄研、14研究所):共同運営、運営協議会 文部省     大学付置研究所 全国共同利用:運営は各大学             共同利用:運営は各大学 〈直轄研の機構〉        運営協議会:予算や人事の決定権をもっている。        外部と内部半々の人数比で構成 所長 (教授相当) 評議員会:所長を選出する権限をもっている。        外部の人で構成(学識経験者や会社社長等)        幹事会議:所内の運営にあたる  昨年以来、共同利用研究所では大学・高専に適用された技術専門官・専門職員制度を共同利用機関の技術部組織にも適用できないかを追求してきている。しかし、大学付置研の技術室では一部専門職制度との併用が認められたものの、直轄研では認められていないということである。直轄研に省令にもとづく技術部がつくられて久しい。その間、部長や課長などの上位級は確保されたが、ライン制のため4級や5級への昇格は大学に比べて立ち遅れる事態が生じ、以前から深刻な課題として指摘されている。分科会に参加した3研究所の技術組織の構成を以下に略図で紹介する。 〈高エネルギー研〉 部長: :次長: :課長: :班長: :係長: :係員 9級: :8級: :8級: :7〜6級: :5〜4級: :3〜1級 1人: :1人: :13人: :13人: :50人: :82人(?) 56歳位: :51歳位: :50〜60歳: :50〜55歳: :50〜36歳 〈天文台〉 部長: :課長: :課長補佐: :係長: :技術職員 8〜7級::7〜6級::6〜4級 教員併任::2人::2人::12人::30人 〈応用力学研(九大)〉 室長: :班長: :掛長: :専門職員: :技術職員 7級::7〜6級::6級::5級 1人::3人::6人::13人::?  ライン制組織の場合ポストが埋まってしまえば上位級からの退職者が出ない限り、いくら経験を積み技術が向上しても昇格しないのは自明である。だからといって手をこまねいて黙っている訳にはいかない。昨年大学に専門職制が導入されたことがきっかけかどうかは不明だが、高エネルギー研では初めて係長にならないまま3―15から4級に昇格した。また、5級へも4―19と4―21から昇格できたということである。長年の運動の成果でもあると思うが、それでも大学より遅れており、研究所からの参加者のいう通り専門職制との併用による矛盾の解決が求められている。 【独立行政法人化問題】  この課題については、教員が参加していないこともあって、お互いが現在捉えている情報などを、意見交換・交流するにとどまらざるを得なかった、  高エネルギー研では、昨年文部省から機構長に対して独立行政法人化の検討要請があり、各系および技術部各々3名の委員を選出してWGをつくって検討した。WGでは、もし、どうしても独立行政法人化ならこれだけは、という視点で検討した。技術部問題については議論されなかったので、WGメンバーが技術職員から意見集約した。機構としての案はつくったが、当面共同利用研として共同歩調をとっていこうという状態である。天文台は2003年までの間に速やかに結論を出せといわれている。また、8月31日に大学共同利用機関機構長会議があり、文部省から国大協との連携を要求され、9月13日の国大協臨時総会や9月20日の学長・事務局長会議にも所長等が参加あるいは参加予定である、との報告があった。また、東大も東大生研も公式には検討していないといっているが、裏で動いているとの報告もあった。  討論では、独立行政法人化によって共同利用研がこれまでつくってきた民主的ルールや運営が潰されてしまうのではないかとの危惧や独立行政法人化のもつ問題点は次第に明らかになってきているが反対運動が決定的に弱いとの意見などが出された。また、ネットワークによる情報交流を活発にすることや教職員研究集会にもっと多くの付置研究所から参加してもらうこと、レポートやニュースの持ち寄り、共同利用機関関係の会議の開催要望などがあった。 河原田 博 「学生教育問題」 司会 塚本 一郎(佐賀大)    野田隆三郎(岡山大)    伊藤 正彦(熊本大)    河原田 博(京都教育大) 参加 30単組41名  この分科会では、教育実践上の取り組みのレポート3本に加え、外国人学校卒業者の受験資格についてのレポートをもとに討議した。 1、レポート報告の内容と意見交換  まず福島大学から、教育学部学生への文部省の「フレンドシップ事業」を97年度から3年間実施する中で、学生が主体的に関わる授業運営への工夫を行ってきた取り組みが紹介された。これは、学級崩壊、いじめ・不登校の増など教育現場の抱える問題への対応として、教育学部学生の「教師としての資質」の学びの場として、また、「実践的指導力の向上」のために実施されてきたものでもある。具体的には、従来の教育実習の枠を越え、福島市内の小・中学生の参加を得て「自然体験学校」を実施し、学生主体の運営に力点を置き、学部学生・院生が全体企画、運営、実施を担当した。また、大学祭期間中に幼児から中学生、保護者を対象に、大学キャンパスでものづくり、理科実験などの体験講座を学生の主体的な運営で実施した。そして、参加学生代表の報告及び小学校教諭などをコメンテーターとして迎え、これらの取り組みを多角的に総括し今後の課題を明らかにしていくためのシンポジウムを開催した。この報告に対し、和歌山大学からは実施形態や報告集発行など相当の業務量であることから、この事業を実施するための常置委員会設置にまでいたらず、1年でやめてしまったことが報告された。京都教育大学からは、大学の事務担当部局の業務量増に対する質問もだされた。  次に岩手大学から、複数の教員が担当者となり事前に教員間で講義内容を検討しながら運営する授業の実践報告があった。これは、教育学部学生を対象とした授業で、学生の知識体系や理解力の向上を目的として、理科4分野を関連付けた授業科目「科学セミナー」を開講したものである。具体的には、授業1週間前には講義資料を配布し、講義ではOHPなどを使い、板書は大きく、教壇実験も含め学生が安心して聴いていられるよう工夫した。しかし、受講者アンケートなどによると、疑問がわかない、疑問があっても自分から進んで参考書を調べることはほとんどない、質問もほとんどしないなど、学習活動になじまない傾向が見られた。また、理科の「4分野の関連」を指摘しながら授業をすすめても、その指摘はあまり受け入れられず、無関係なこととして処理されてしまう傾向があった。また、専門用語になじめない学生が多い、筆記試験やレポートにも論理的でない説明文が多いなど、当初の目標であった学生の学習意欲の高揚は必ずしも達成できなかったとの報告がなされた。これについて、報告者から、「理科離れ」は「論理的思考が苦手である」ことの一つの現れと言われるが、大学での自然科学の学習の前に、論理的に考える訓練や自分自身に生じた疑問の本質が何かを考えたりそれについて調べたりする、いわば「自己教育」とも呼ぶべき作業が必要ではないかとの指摘もなされた。この報告に対し、参加者からは、学生が主体的に授業に参加し疑問点を調べざるを得ないような課題をどう設定するのか、という提起があった。レポート報告者からは、体系的に学んだり自分で考えたりすることが、大学入試との関係で育ちにくくなっていること。この「教育のゆがみ」を大学で解消し社会へ送り出すことが必要ではないか、また、現在の学生が高校で学習する分野には偏りがあるが、学校教員になったときには、どの分野の知識も必要となり、学生が主体的に関わる授業でない科目もあって良いのではないか、との見解も出された。  さらに、京都大学附属図書館からは、図書館職員と大学教員との共同した授業運営の取り組みについての報告があった。これは、全体の統括には図書館職員があたり、各教官の指導のもとで図書館職員が演習補助者として具体的に関わる授業運営の実践報告である。演習の内容は、図書検索システムや「サーチエンジン」を使って、参考図書や関連論文を調査することにより、図書館の利用方法及び情報機器の基礎的な操作の修得を目標にしたものである。報告者からは、講義と演習を交互に実施することにより、演習補助者としての図書館職員の役割が明確になっていることや、学生アンケートでは「役に立った」との意見が目立つことなど、教員と職員による授業が概ねうまく運営されていることが報告された。  最後に、名古屋大学から外国人学校卒業者の受験資格に関する運動の報告がなされた。名古屋大学では、本年4月に「外国人卒業者の名古屋大学への受験資格を求める会」を発足させ、この問題に関する学内世論を喚起するためにセミナーの開催や署名活動を実施するなど、総長に対し受験資格を認めるように働きかけを行ってきた。日本に在住する外国人学校の卒業者は、多くの公立大学や私立大学への受験を認めてられているのに対し、国立大学には認めてられていない。このことは、文部省の強い意向が反映していると見られる。その後、7月に文部省はそれまでの方針を変更し、大学受験資格検定試験(大検)合格者に対しては受験を認めること、大学院の受験資格については、個々の大学の判断に任せることを各大学に通知した。しかしながら、この問題を受験資格に関する規制緩和の一般論として取り扱っており、朝鮮人学校等を中心とした外国人学校の問題として取り扱っていない。このことは、何ら本質的な解決は図られていないことを意味するとの報告がなされた。また、各大学での受験資格の判断は、直接には入学試験事務担当職員が判断せざるを得ない現実をどう考えるのか、といった点も提起された。 2、報告を受けての討議  レポート報告を受けて、以下のような意見交換を行った。岩手大学からは「理科離れは論理的思考不足」ということに関わって、最近、教育方法の面で「内容知(結果としての知識)から方法知(学び方にかかわる知識や技術)へ」の流れがあるが、内容に則して考えなければ現実から遊離した思考に流れてしまう恐れがあること、また、学生は一定の知識を持っているのだから、お互いに交流し合い話し合う中で、知識を通して人間的なつながりを確認しあう授業が有効ではないか、という指摘がなされた。山口大学からは、学生の自主性を大切にする授業と学生が受け身になる授業を、学生に「どの時点でくぐらせるのか」というカリキュラム編成上の工夫が必要ではないか、また、「受け身の授業」もそれだけでは低い評価に値しないし、カリキュラム編成を前提にすれば、いろんなタイプの授業があって良いのだから、学生の現状に即して具体化していく必要がある、との意見があった。再度、岩手大学からは、学生は勉強不足であるが、教官側も45時間の履修を要求せずに単位認定しているとすれば、それ自身の改善も必要ではないかという提起もなされた。名古屋大学からの報告に関わっては、外国人留学生と日本人学生が一緒に学ぶことの教育効果への期待、そこへ朝鮮人学校卒業者も入れるならもっと教育効果が上がるのではないかなどの意見が出された。  以上のように今回の分科会での特徴的なことは、第一に、現在の学生は、授業で議論することや、自ら研究課題を探求することが困難な状況であり、教育方法の問題は今後も引き続き検討する必要があること。その際、学生同士のつながりを活性化しつつ、教官同士や職員とのつながりをどのように確保するか、との問題も併せて提起されたとも言える。第二に、外国人学校卒業者の受験資格にみられるように、「真の国際化」のためには基本的な問題が解決されておらず、私たちの運動が引き続き必要になっていることが提起されたと言えよう。 林 大樹 研究体制と「国際化」 大学と社会 司会 安藤安史(群馬大)    小平直行(広島女子大)    林 大樹(一橋大) 参加 24単組37名  提出レポートが少なく、B3分科会に対しては、岩手大学からの1本だけであり、B2分科会へは提出レポートがなかった。運営委員会で話し合い、出席者の了解を得て、これら二つの分科会を合同で開催することにした。  唯一の報告は「『国旗・国歌法案』に対するささやかな反対運動について」と題し、大学の組合員有志が大学を出て、街頭デモを行った取り組みの経緯と狙いを紹介するものであった。報告者は、近年の大学人が、若手研究者を中心に、自分の研究の世界に閉じ込もり、貴重な認識や学習の成果を携えて学外(社会)に出て、訴えていこうとしないと批判的に指摘された。また、報告者は岩手県国公議長の任にあり、大学以外の組合の集会にも数多く参加した経験から、組合活動が非常にマンネリ化しており、若い人たちは労働組合を古臭いと感じていること、この際、運動論を大胆に見直すべきであることを主張した。  この報告を受けて、「国旗・国歌法案」成立後の学内の変化として、北海道大学で日常的に大学本部に日の丸が掲揚されるようになった事実の紹介や国旗・国歌の必要論とそれに対する反論、民主的な討議の重要性などの論点をめぐって議論が交わされた。平和運動部をもつ京都大学の組合からは、組合活動は労働条件の維持向上が何より優先するので、平和運動と単純には噛み合わない面がある。平和運動のような運動は学習が基本であると考えるべきだとの意見が出された。  独立行政法人化問題への取り組みについては、どういう取り組みを行えば大学の存在意義を社会の中に訴えていけるかという問題意識からの発言が多く出された。  愛知教育大学から、大学と社会が共同の価値を掲げて、大学のミッションに社会的価値を注入すべきであるが、その際、平和は共通に掲げる価値であるとの指摘があった。宇都宮大学からは、大学は社会の中の英知の中核であるとの認識を持つべきであり、全大教はそうした大学の組織の良心である。大学の良心として、英知の中核である大学を守るために闘いたいという発言も出された。  また、多くの大学人が大学の社会に対する役割に確信が持てていないのではないかという発言もあったが、北海道大学からは、教育や研究を通してどれだけ社会に貢献できているかが重要との意見が出され、そうした観点から、実際に大学人が地域社会に出て実践的な活動を行っている例が紹介された。それに関連して、島根大学からも、地域住民参加で公開講座を企画した経験などが報告された。  加えて北海道大学からは、独立行政法人のアイデアの根底にある「市場主義」に対抗するのには、「連帯と協同」しかない。地域社会では、大学に取り上げてもらえない問題が山積しており、そうした問題に労働者の立場から、労働組合らしく取り組む「労働大学」を展開することで既存の大学を変えていこうという構想も出された。  独立行政法人化問題への取り組みと直接関係するわけではないが、大学と社会の関係という観点で分科会参加者が直面しているいくつかのトピックも議論されたので、以下に紹介したい。  新潟大学から大学院の重点化について、全大教として問題点を研究してほしいという要望が出され、すでに大学院重点化(部局化)の進行した大学から現状と問題点についての報告が行われた。教育環境の悪化、院生の質の低下、教職員の多忙化、過重負担になっている、十分な教育ができない、などの問題点が異口同音に語られた。北海道大学からは大学院への社会人入学を増やしたことと社会経験の中から課題を抱えて大学院に来ようとする社会人の学習意欲が高いことが指摘され、社会人の大学院入学は、地域社会で様々な活動をしている人々と大学および大学の教員や学生が結びつくことになるので高く評価したいという意見が出されたが、社会人の再教育は大学の基本的な使命ではないのかという反対意見も出された。  大学病院は患者を通じてきわめて密接かつ日常的に社会と接している機関であるといえよう。そうした大学病院においても変革の動きが押し寄せ、医療看護の稼働率上昇の要請などの圧力が高まっている。一方、大学の病院の目的は研究と教育が第一であり、患者の治療に必ずしも高い優先度が置かれていないことも事実としてある。そうした状況の中で患者と接する看護婦が批判にさらされることも増えてきている。名古屋大学からはこうした問題に組合としてどう取り組んだらよいかという課題が提起され、大学病院をもつ大学を中心に議論が交わされた。  山口大学からは、わが国の司法試験改革や法曹養成システムの改革が議論される中で、ロー・スクール構想が浮上してきているが、この動きについての情報の流れがきわめて偏っていること、さらにそもそも法律の教育とはどうあるべきかの議論が抜け落ちていることが指摘された。 小野 亘(一橋大) 図書館職員 司会 村上健治(大阪大)    佐藤守男(東京大) 参加 13単組 22名  図書館職員部会は、〓「学術の中心」にふさわしい大学の図書館づくり、〓図書館職員の地位の確立と待遇の改善、の2点を基本的な柱にしており、この分科会では、2日間に亘ってこの2点に沿う形で、以下の6本のレポート・報告と、「全大教図書館職員部1999年度活動方針」についての報告・討議を行った。以下、その概要を記す。 1 レポート・報告  〓「パート学術司書制度」試案(京都大 竹村 心)  〓事務機構改編、独立行政法人化の嵐の中で定員外職員は?(京都大 荒木 香)  〓情報基盤センター設置問題への取り組み(東京大学総合図書館職員組合)  〓京都大学全学共通科目『情報探索入門―図書館とインターネット情報の活用―』について(京都大 後藤 慶太)  〓東京大学に働く図書館職員の昇格改善に向けて―役職についていない職員の5級頭打ちを打開するために―(東京大学図書館職員部会賃金対策部会)  〓安易な派遣労働の導入への反対について(名古屋大職員組合図書館支部)  まず、〓については、図書館職員部会が長年に亘って検討してきた「学術司書制度案」が案としてまとまり、今後は文部省をはじめとする関係各方面に提案、協議していくことになるが、その中で図書館職員の4割を占める定員外職員については結論が出されないままとなっており、その定員外職員の問題に応えるために将来こういうこともあり得るという形での個人的な試案だ、との説明がなされた。これに対して、独法化により定員外職員の雇用が危ぶまれる中で「現段階でこれを提案することの意味づけはなにか」等の疑問・意見が出された。  この中で、〓についてはすでに別の分科会(「組織運営体制の整備」と「独立行政法人化」問題)で報告されていたが、定員外職員に関わる問題なので、この場で改めて報告してもらった。  この課題については、関連する派遣労働等も含めて情勢分析をした上で、図書館職員部会としてどうするのか検討する必要がある、との意見が出された。  〓では、今年4月東大の大型計算機センターと教育用計算機センターが改組し、そこに総合図書館の電子化部門を取り込む形で「情報基盤センター」が作られたことにより、総合図書館から9名の職員が減り(当初10名の計画、最終的に8名の持ち出し+定削1名の減)、総合図書館の業務に支障が出ている、という報告があった。これに対し、「設置に対する東大総合図書館職組の見解はあるのか」という質問が出され、東大からは「見解は特に出したことがない、図書館の電子化部門を外に作るべきか中に作るべきか、当時はあまり議論にならなかった。電子図書館部門が必要との認識はある」との発言があった。また、「人が減る」ということだけでは共感が得にくいのではないか、との意見もあり、「大学における学術情報をどういう組織で発信していくべきか」全大教図書館職員部として見解を出す必要がある、との発言があった。  これに関連して、図書館と情報処理センターを一つの組織とした大阪市大の「学術情報総合センター」の事例について意見交換を行った。  〓についても、すでに別の分科会(学生教育問題)で報告されていたが、図書館職員部では、一昨年、昨年とこのテーマについて継続的に議論しており、この場でも改めて報告をしてもらった。京都大学での取り組みは2年目を迎えており、今回のレポートでは、昨年度との相違、改善点を中心に報告され、受講生の感想、職員の研修の問題などを中心に意見交換をした。  〓では、特に女性職員で「5級高位号俸への溜まり込み」という状態が続いており、原因としては、役職率が低くポストが不足していることと、ライン制重視の人事政策により主としてスタッフ的業務についてきた職員の6級昇格への道が開けないことが揚げられる。この問題について、東大職組図書館部会では、人事課長との勉強会を開く等の取り組みを行っている、等の報告がされた。また、この問題については「一大学の力では困難であり」各大学で交流しともに行動に取り組む必要があるとの指摘があった。  議論の中で、従来から異動をしないから昇格できない、と言われてきたが、図書館ではそもそもポストが少なく、いくら異動してもポストにつけない、という実態も明らかになった。このような状況の中で、現行制度を活かす形で昇格改善を行うには、専門職員ポストによるしかないとの指摘もあった。また、以前ほどではないが、依然として男性にくらべ女性の方が昇格のハードルが高い、との指摘もされた。  〓はレポートではないが、カウンター業務に派遣労働の導入の計画がなされた際の取り組みについて、名大職組図書館支部名の「安易な派遣労働の導入に反対する要望書」に基づいて報告された。当初、定削分の補充として30時間の定員外職員を充てる予定だったが、部課長が「同じ経費で派遣を導入すれば毎日来てもらえる」と言いだし、現場ではそれに対し反対、組合でも事務部長にあて上記要望書の提出を行った。結果としては、「時期早尚」として今回は見送られたが、今後、派遣労働導入の動きが再び起こることが予想され、予断を許さない、との報告がなされた。 2 全大教図書館職員部1999年度活動方針  図書館職員部長から資料に基づき概要が報告されたあと、質疑、討議が行われた。概要の中で、一つ目に図書館職員部としての図書館政策(「21世紀の図書館像」)を確立すること、二つ目は、(定員外職員も含め)専門職にふさわしい職務の評価と昇格改善を実現すること、三つ目に「学術司書制度案」の実現、四つ目として図書館の自主財政の確立、の4点が今年度の要求と取り組みの重点としてあげられた。  3点目については、今後、文部省をはじめとする関係各方面に提案、協議していくことになるが、「学術司書制度案」の8に述べられている「実現のための条件整備」への取り組みを各大学で行っていく必要があることが説明された。  「経過報告」では、「1990年代の大学図書館政策の概要」が述べられているが、いずれの答申等にも「21世紀の図書館像」が描かれておらず、また答申等の内容の具体化に際しての職員の問題、財政の問題、施設の問題についても触れられていない。1点目と2点目については、図書館職員部として政策を確立する必要があるとの認識に立った。特に、1点目については、全大教の中に図書館職員部とは別にプロジェクトを設置し、2年後をめどに報告を作成する予定である。この「21世紀の図書館像」については、新しさを競うのではなく、basicな部分を確立したい、また、組織の問題としては、電子メール等を使い全大教と単組とを結ぶネットワークづくりを行いたい、との提案もあった。  その他の質疑、討議では、「派遣労働の問題について項目に加えるべき」「電子図書館事業、情報基盤センターについての全大教としての見解を示すべき」「6級昇格の問題に具体的にどう取り組むのか」「書庫の狭隘の問題が深刻である」などの意見があり、議論の後、以上の意見を今期の図書館職員部委員会の課題として確認し、分科会を終了した。 横治大樹(大阪教育大) 事務職員 司会 深見 健次(京都大)    武市 全弘(名古屋大)    伊藤 文隆(京都大)    長谷 一憲(九州大) 参加 13単組20名  本分科会は13単組20名が参加した。 議題としては,「事務一元化」が別の分科会で議論されたこともあり、〓独立行政法人化問題と大学事務の在り方 〓昇格の改善闘争,専門職員のポスト増 〓事務職員の課題(第一次案)に対する意見変わるかの三つの議題で討議した。なお、独法化に関わって、独法化反対の取り組み、事務の簡素合理化、大学事務のあり方についても議論となった。 司会からの提起、独行化になれば事務はどうなるのか  レポートが一本も出されなかったこともあり,最初に「独立行政法人になれば事務職員はどうなる?」という問題提議が司会から出された。補足のあったものを加えると、次のようなものである。  独立行政法人は「効率」があげられるため,収入をあげ、支出を押さえることが今以上に必要になる。収入の増加では,〓入学料、受験料アップ、コース別料金の導入、〓学生数の増加、支出の削減では、〓高齢者の早期退職奨励、〓人員削減、教官は3分の1、職員は2分の1、〓需要がすくない学科の閉鎖(アメリカの大学の例)が考えられる。  職員はどうなるか 〓移行時の業務、膨大なものになる。〓これまでの知識や電算機のシステムが役にたたなくなる。会計業務、人事関係は、大幅に変わり、スリム化する。教務、学生関係の業務は変化なし。〓中期目標にみあう中期計画をたてる業務があらたに発生。年度、これに見合う業務が増える。また金をかせぐ部門の業務が発生,「営業部門」の業務が増える。〓政府が要求する国家的施策については、一層推進する必要がある(例 留学生の受け入れ増、生涯教育、社会人教育、入試改革、カリキュラム改革)。〓職員のおおきなリストラが起こる可能性がある。会計部門を処理できる人材がいない以上、民間から受け入れざるを得ない。その分はじき出される可能性がある。高齢者の早期退職勧奨、人員の一層の減少。〓縁故採用者が増える可能性。〓賃金体系が変わり能率給が一層高まる。この提起を受けて議論が始まった。 〓独立行政法人化問題と大学事務の在り方  最初は「国立大学の独立行政法人化問題と大学事務のあり方について」の議論である。独立法人化問題については、不安,疑問点が数多く出された。  なかでも,人員削減が問題となり,独立行政法人化されれば定員削減がまぬがれるはずがなく,業務の一括委託などで,人減らし,人件費減らしが一層行われるのではないか等,不安が多くだされた。更に,大規模なリストラ,首切りがあり得るのではないか等雇用についても多くの不安がだされた。また国立大の附属が切り捨てられるのではないかとの不安も附属学校事務職員からだされた。 独法化反対の取り組みについて  現在の独法化反対の取り組み状況について議論になった。教授会でも独法化反対の決議を上げられない状況,反対運動をしてもしかたがないとのあきらめムード等の状況のなかでどう運動を進めるかについて,議論された。  この中では,「これはおかしい」と反対をしないと,大学の「独法化やむなし」の論議に歯止めがかからない,既に独法化が「決定」している機関でも法律で決定したわけではなく,反対運動をすすめていること,現在は,国立大の独法化が決定もしていないこと,教員をまじえての運動を進めることの重要性,反対を言えるのは組合しかない,地域にうってでるような大規模な運動をすすめることが必要との話がなされた。 事務の簡素合理化について   次に,事務の簡素化・合理化について議論された。  事務の簡素化については,もっとも多く出されたのは,会計法規を中心とする法規の改正(簡素・合理化)である。会計法は,その基本的な法規関係が戦後の占領時代につくられたものであり,形骸化し,印鑑を数多く必要とする手間ばかりかかるようなシステムについて批判が集中し,「会計法」をかえる運動が必要を強調された。人事関係事務でも現在の昇格,昇給のやりかた等についての批判が出た。  全大教に対する要望では,以前に事務局長会議が要望した大学事務の簡素化について,現時点でどこまで簡素化されたのか調査すると共に,全大教として法規の簡素化について運動をすすめてほしい旨の要望をすることとなった。  事務の合理化における事務電算化については,文部省の汎用システムについて,現在の汎用システムも,また新汎用システムについても,事務電算化の最大のメリットであるはずのデータの共有が一部を除き考慮されていないこと,新汎用システムはデータの副次的利用が困難であること等,批判が多く出された。  それ以外でも,概算要求のやり方,入試のやり方などを標準化し,簡略化すべきではないかとの意見もだされた。また事務の簡素化については,アンケートを事務職員にとり,すぐできるものはすぐ行う,といった取り組みを行った単組の報告もあった。 大学事務のあり方についての議論  大学で事務をしている特殊制についても議論となった。大学事務の特殊性、教官と話し合うことにより相互理解,改善案も聞ける等の経験も出された。さらに大学事務の例として教室事務、学科事務について議論がなされた。その中では、学科事務が忙しくなってきており、係長が3年で人事異動するため、結果的に責任を負わない形になっている大学の話もだされた。また学科事務、教室事務に女性がおいやられ、そのために昇格でも不利になっている問題なども出された。また学科事務、教室事務が削減され、学部事務に一元化されている現状について、むしろ学部事務の分散処理を指向すべきではないか等の議論もだされた。一元化の問題では、事務処理の一元化はかねてから要求であるが,組織の一元化ではないとの意見が強く出された。こうした中で大学の事務の在り方として管理部門に多くの人を配置するのではなく,直接学生に接する部門に人を多く配置する必要があるとの共通認識となった。 〓昇格の改善闘争,専門職員のポスト増  現状について経験交流を行った。大きな大学ではじめて7級までいける主任専門職員がついた反面、専門職員の定数増の延びが止まっている現状が報告された。反面,本来的には大学に適しているはずの専門職員制度がうまく運用されていない実態も出され,専門職員が係長もあわせて発令されているという大学の実態の説明もあった。あわせて,専門職をうまく運用しないと仕事がうまくいかないとの具体的事例に基づく報告もあった。飛躍的に専門職員ポストが増加しないと,団塊世代の待遇改善につながらないとの声も出された。  一方,教育にふみこんだ専門性が高まっている例として、「マネージメングプロッセッサー」が紹介された。この職種は,配置は2名、講義なし,教授会にでない,教育研究を担当しないが,数学コンクール、アジアの法整備、東南アジアとの連絡調整を行うという教育職だ。このようなポストは本来は職員のポストであるし,このような専門性を養成していくことが必要であり,こうした専門職こそが部課長と同等な待遇を受け得るとの報告もなされた。  これらも受けて,「キャンパスガイドアドバイザー(仮称)」等の名称で,学生に対し,生活面での相談、全般的なアドバイザーができうる専門職員をつくればどうかという話がなされた。あわせて,最近の昇格改善の運動,専門職員の大幅増の運動がやや息切れしているので,これを突破する重要性が強調された。 〓事務職員の課題(第一次案)に対する意見  最後は、全大教が提議した「事務職員の課題(第一次案)」について議論を行った。 その中では現在の文部省発令職員の位置づけ、大学における事務職員の位置と役割、研修のあり方等が議論となった。その中では、事務長、課長補佐等の学内の生え抜き職員の管理職が元気を失っている現状がだされた。あわせて、事務職員の質の向上の具体的施策、研修・人事異動のあり方等についても議論された。「事務職員の課題(第一次案)」について意見をかわした。その中では、事務の現状をふまえ、肯定的な意見がだされたが、十分に煮詰めることができなかった。 井上晶次 技術職員 司会 佐々木敏昭(東京大)    益子一郎(茨城大)    林 泰公(和歌山高専)    井上晶次(名古屋大) 参加 33単組56名  はじめに、益子部長の挨拶では、技術職員組織のあり方について、中央執行委員会のもとに「組織の在り方検討小委員会」を発足させ、検討を進めてきている。大学での研究の規模、技術職員の年齢構成、これまでの取り組み状況など様々なちがいがあるが、その大学にふさわしい技術組織の在り方を模索していく必要性があり、今後集中的に議論を進めて行く方針を強調した。  ひきつづき、佐々木副委員長から、資料集の「1999年度の取り組み方針」を基に昇格等についての説明がなされた。これまで誰を昇格させるか文部省に権限があったが、今年度から各大学の判断で可能なったことが大きな特徴であると報告された。  昇格に関わる質疑応答は、退職2年前に6級昇格ができていない状況の問題に集中した。  昇格に関するレポート報告では、東大生産研職組から、技術職員の業務実態として、研究室技術職員の論文数、試作工場技術職員一人当たりの工作依頼件数、計算機室利用登録者数の図をもとに紹介があり、5級在職者の90年度から98年度までの6級昇格実態が報告された。この報告から、6級昇格における、世代間の不公平をなくすため、団塊の世代への特別対策が必要であることの認識を深めた。  福井、熊本から昇格に関するレポートが報告され、質疑応答を踏まえ、佐々木副委員長から、昇格等についての情報は是非全大教に報告してほしいとの要望が出され昇格等についての討論を終了した。  東北大職組科研支部からは、今年度新たに文部省が主催した、ブロック技術専門職員研修の経験をふまえ、技術職員が主催者となって研修に取り組んでいることを文部省に説明していく必要性を強調した。  今回初めて参加した筑波大学、横浜国大に発言を求め、筑波大学から、組織に関して大学の学部に相当する学群があり、学群の中に教育組織として「学類」、研究組織として「学系」がある。技術職員は「学系」に所属し人員は、200名強いる。技術職員組織は、研究協力部研究協力課に所属していることなどが紹介された。  横浜国大からは、技術職員は、旧態依然として、研究室に所属している、技術職員研修については活動が行なわれていることが紹介された。  今回の教研集会の主テーマである組織のあり方については、議論に先立ちレポートに基づく報告が行なわれた。  東京大学海洋研究所からは、国立大学の独立行政法人化、大学審議会の答申、学術審議会の答申に触れながら、技術職員は職場で真っ先に定員削減されるのではないか、これに対抗するには、技術に関する予算・人事権を確保し、組織運営を技術職員集団が積極的におこなうことが必要だ。仕事の進め方については、従来型の教官とのマンツーマン方式から、組織として仕事を受ける方式に変更していく必要があるなど、組織の在り方、仕事の進め方に対する問題提起がなされた。  岩手大学からは、技術部長(学部長)から技術組織見直しの提案があり、技術部運営委員会として専門委員会を設置し平成12年4月に新組織発足の予定で検討が進められている。  検討に当たって、教育・研究のニーズに応えられる技術部、技術職員の育成、技術の開発・蓄積の3つの課題があり、それをクリアーするには、独立した集団として人事権・予算執行権、大学の管理運営に参加、業務評価システムの確立、の必要なことが報告された。  熊本大学教職組技術職員部会からは、本年4月新技術部が発足し、技術部運営についての協議事項(業務システム、研修、事務関連、予算、技術開発・継承、評価システム)について、いつまでに検討し、いつから実施するか平成16年度までのタイムスケジュールを作成し進めていることが紹介された。  秋田大学からは、21世紀を展望した秋田大学技術組織の在り方について、技術組織の法的位置づけの必要性、将来業務(人事)評価方法とその公表システムの確立、技術部(技術職員個人)の成果のアピール、高度な専門研修による資質の向上、人事交流、自己評価を行なえる組織の必要性を検討し、それに基づく要求活動をしていることが紹介された。  岐阜大学工学部からは、工学部技術部運営委員会として、「技術部のありかた」をまとめた(平成11年3月5日の教授会で理解された)。そこでは、業務形態、管理運営、新規採用人事、技術部室の整備、技術部の予算、技術業務評価の6項目について具体的に提起がなされている内容の紹介がなされた。  2日目は全大教中央執行委員会の下につくられた「組織のあり方検討小委員会」で検討してきた、技術組織の役割、技術職員(技術者集団)の役割、組織形態について、技術組織運営の4項目について井上委員が報告した。  報告についての多数の活発な質疑応答、議論がなされ、今後、教研集会で出された意見を踏まえ「組織のあり方検討小委員会」でさらに充実させることとした。そのためにも各単組、ブロックで検討を行ない意見を集中していただくこととした。  最後に研修に関する課題として、今年度から始まった、文部省主催の技術専門研修に参加した方からの報告を受けた。  まとめとして益子部長から、いろいろな事についての各大学からの情報を全大教技術職員部会に連絡してほしい。その情報を各大学に知らせるのも部会の重要な役目と思っているとの挨拶があり、全日程を終了した。 金子一郎(北海道大) 現業職員 司会 金子一郎(北海道大) 参加 6単組10名  岩手大2名、琉球大1名、山口大1名、静岡大3名、東大1名、東北大1名、司会(中執)1名の6大学10名の参加で行われました。  今回は、教務職員、組合書記の方の参加により、環境問題などで、討議の幅が一層広がりました。  自己紹介に続き、琉球大から「琉大医学部における行(二)職員の定員削減数と行革行動計画」のリポートを受けました。このリポートから、行(二)職員は、1985年から1999年の14年間に、90人から41人へと激減(削減数49人、削減率54%)し、〓部局の運営、職員の昇格などに一層、重大な支障をきたしていること。〓更に、行政法人化問題の「先取り」ともいえる、「行革行動計画」により、5年後の全面外注化などの新局面を迎えていることなどが判明しました。  各大学での、職員各人の職場での問題をあげると、行(二)職員は、9次にわたる定員削減と、欠員不補充、低賃金、昇格が遅れており、更に、新たなる「独立行政法人」化による身分の不安定さへの不安が生じていることなどが、各職場に共通するものとして率直に述べられました。  昇格問題では、データで迫ることが、当局に説得力を持つこと、そのようなデータを職場の仲間や、支部役員と共につくることの重要性が確認されました。  更に、当局から行(一)事務への「異動」を薦められることがあるが、高齢になってから仕事を変わるのは「きつい」、事務職員は2〜3年で異動していくので仕事を十分に教えてもらえず、異動に躊躇するケースがあるとの「相談」があり、当局(研修係など)に、対応させるよう要求するのも解決策のひとつであることなどが話されました。  職場の現状では、学生寮に働く調理師、栄養士は、雇用主が学生である場合には、身分の不安定、低賃金(学生にとっては高負担)状態にあります。こうした状況下で、学生の健康、食生活向上のため最大限の努力をしています。  大学病院では患者さんの命を守るうえで、教職員の労働条件、特に、残業・超過勤務は限界にあり、(夜11時過ぎまでの勤務=事務職員)、(月13日からの夜勤=看護婦)定員増が焦眉の課題となっており、この点では、今回の看護婦等の増員要求署名の運動は労働条件改善の「一歩」となったことが話されました。  環境問題では、「ゴミ問題」、廃棄物処理=資源回収、特に、紙の回収・再利用は、資源保護、環境保護上、重要性を増しているが、個人のモラル(不法投棄禁止)、国・地方自治体に対する予算措置等での組合からの提案、実践の必要性が提起されました。  安全問題では、病院における使用済み注射針の処理は、問題がなくなったが、今年は、「コンピュータ2000年問題=誤作動などによる事故防止シミュレーション」が行われていることが報告されました。  その他、職場における「人間関係」をめぐるトラブルは、「一人、悩まず」組合に相談し、解決をはかることが大事であること、特に未組合員の相談にのることは、組合に対する信頼が高まることなどが話されました。  今回は、これら、職場の問題と共に医療、介護、年金などの社会保障の貧困などにみられる悪政に対する怒りと、これらの改善の必要性を確認するものとなりました。 第11回教職員研究集会 閉会集会 1999年9月19日  司会 閉会集会を始めさせていただきます。皆さん、3日間にわたりご参会いただきまして、どうもありがとうございました。私は、全大教の中央執行委員で所属は熊本大学ですが、司会を担当します伊藤と申します。閉会集会は私のほかに副委員長の三宅さん、岩手大学の種倉先生の3人で担当させていただきます。  時間の都合がございまして、閉会集会全体として40分を予定しております。その点、ご協力をお願いいたします。  まず、昨日の全大教の中央執行委員会を踏まえまして、執行部報告を高橋書記長にお願いいたします。 全大教中央執行委員会報告 書記長 高橋浄司  高橋 3日間、熱心な議論をありがとうごさいました。書記長の高橋です。先ほど司会者からお話がありましたように、今回は地理的に北のほうにあるということで、12時半には終わってほしいという要望がありましたので、そのことを踏まえ、ちょっとイレギュラーな方式で申し訳ありませんが、40分にさせていただきます。したがって、この場で発言したい、あるいはこの場で議論してほしいというご意見もたくさんありましたけれども、しかるべき日に単組代表者会議を開きたいと思っていますので、その場で集中的に議論したいと思います。私からの報告は独立行政法人化問題に限って、どういう局面か、これからどういうふうに闘っていこうとしているかということについて、昨日の執行委員会を踏まえての報告をさせていただきます。  現在の状況ですが、もうすでに皆さんご承知のとおり、国大協は9月13日に臨時総会を開いて中間報告をまとめました。当初の国大協の読みとしては、第1常置委員会から出た中間報告を国大協の方針・方向性として確認したいという動きだったようですけれども、結論的には国立大学協会としては改めて独立行政法人化に反対という態度を総会として確認した。したがって第1常置委員会の扱いは「各大学で検討していただく素材」ということにとどまった状況であります。  一方、文部省は9月20日、これもご案内のとおりですけれども、10時から全国の学長を集めて、独立行政法人化問題について文部省の判断を説明するということになっております。その中身としましては、これは新聞記者等の情報ですから正確ではありませんけれども、国立大学に法人格を与える。それから通則法をベースにして個別法で対応することになるだろうというのが何社かの新聞記者の情報として入っています。したがってこの点でも決してわれわれは油断できない。  しかし同時に、文部省としてはその判断だけではまずいということで、短期間に各大学の意見を集中的に聞きたいということで、各ブロックで、学長さんにお集まりいただいて議論するという予定にもなっています。そうした状況を踏まえて現在の執行部の問題意識ですけれども、基本としては前からお話ししましたように、独立行政法人化を含む設置形態の変更、特例法か、個別法かという議論が今回の分科会でも出ましたけれども、基本的にどっちにしても反対だ、この立場を明確にしたいということです。そうした立場から取り組みを進めていくことにしています。  2点目として、明日、文部大臣が判断すれば、いよいよ本格的な闘争が始まる。もしも法人化という話であれば、われわれとしては総合的な大きな反対闘争を組む。独立行政法人化になるまでには彼らの考えとしても、少なくとも3年から4年かかる。そうなればわれわれは3年から4年かけた大きな闘いとして展開しなければいけない。したがってその取り組み方は全面的になるし、ありとあらゆる戦術を考える。ありとあらゆる戦術を考えて、総合的な取り組みをしていくというのが基本です。  したがってそのための体制の問題とか、長期の運動の仕方については改めて臨時大会を開くなど、必要なときにその判断をして具体的に提起したいと思います。今日の段階ではそうした問題意識を踏まえながら、当面、全大教としては明日午後、正式に文部省から学長会議の中身について説明ないしは資料を渡されるという状況になっていますので、それを受けた段階で直ちに分析して、全大教の中央執行委員会として反対の声明を出したいと思っています。  その中身は、いまお話ししたような中身ならば許せないということの表明になると思いますが、委員長声明と併せて各単組に生資料をそのままファックスしたいと思います。夕方ぐらいになると思いますけれども。  その段階で改めて各単組から文部大臣に対して抗議打電、それからその中身を踏まえて、学長に対する申し入れを一斉にやっていただきたいということです。  最低限のこととして、この2、3日でそのことをお願いしたい。その上で中央執行委員会としては、その中身を踏まえまして23日に緊急の臨時中央執行委員会を開いて今後の全大教の取り組みについて相談することにします。この取り組みは、シンポジウム、分科会でもありましたけれども、こんどの闘いは学内だけではなく、国民全体に広げた大きな取り組みにしなければいけない。もし独立行政法人になれば、たとえば労使協約ができますから、各個別の大学で交渉するという話になります。そうなったときに、多数の組合員、多数の意識をしっかり獲得するようなことを視野に入れれば、組合として学内構成員の意思を全部まとめ、組合員にしていくような、そういう取り組みをしつつ、同時に国民に向けて広く宣伝していきたいと思っています。  特にこの間、全大教としてやっていくことの一つにはマスコミに対する宣伝があります。この間いくつか教員が投稿したり、あるいは社説で出ていますけれども、全体としてはまず独立行政法人については慎重に議論しろというのがマスコミの状況です。したがって全大教としても、マスコミに対していろいろな働きかけを続けていきたいと思っています。各単組でも、地方紙、本紙を含めて、あらゆる方法で独立行政法人化は反対であるという投稿を具体化していただきたいと思っています。  なお、昨日、日本経済新聞の記者が来ていまして、委員長に対するインタビューをやりました。記者から10月の段階で「日本経済新聞」に投稿してほしいということになっていることもご紹介させていただきます。  最後に署名の問題ですけれども、昨日の執行委員会でも議論をしたわけですけれども、署名をするということは決まっているのですが、具体的にいつの時期にすればいいか、それから相手は文部大臣なのか、あるいは政府なのか、あるいは事態が動く中で要求内容が変化してくるといった状況があって遅れていますけれども、9月23日に改めて取り組む内容について確定していきたいと思っています。その点、おわびしながら、ご確認いただければと思います。  いずれにしても明日から本格的に闘争体制に入る。今までは文部省や国大協などがどういうふうに言っているのか、何を言っているのかさっぱりわからない状況もありましたが、かなり具体的な内容が明日出されるだろうと予想されます。明日、その中身を分析しながら徹底的な闘いを全面的に、しかも長期間、しかし勝負するのはおそらく半年ぐらいの期間になるだろうと思っていますから、半年ぐらいに集中して闘いの戦線を拡大していくような問題意識でとりくんで行きたいと思っていますので、その点を含めてよろしくご協力をお願いします。報告を終わります。(拍手)  司会 いまの高橋書記長のご報告に対して何か質問等ございましたら、若干、時間に余裕がごさいますので、ありましたら挙手をお願いします。  ○ 大阪大学ですけれども、あらゆる戦術の中身についてもストライキも含むのかどうか。  司会 そのほかにありませんでしょうか。  ○ 質問というよりは要望に近いのですけれども、まず、世の中によく知ってもらうということで新聞報道や何かいろいろとやってもらうことも大事だとは思いますけれども、ぜひともこの際、新聞広告というのでしょうか、まず世の中の人に、いま大学の現状はどうなのか、どんなふうに改悪されようとしているのかということを訴えてほしいと思います。その一つの手段としてたとえば新聞広告などがあるのではないかということを考えていただきたいと思います。  ◎ ちょっと異例な発言なのですけれども、この間の議論を聞いておりますと中央執行委員会にやってほしい、やってほしいという要望があって、皆さんのところで、では具体的にどういうふうにやって、どういう成果が出たからこういう問題を全国的に広げてほしいという発言がなかなか出てこないのですね。われわれは指令も出しますけれども、指令待ちではなくて、いくつかの単組からは具体的に、地域でいろいろな活動をしているという報告が上がってきております。地方紙なんかだったらわれわれが指令しなくてもその組織でできると思います。  要望を言っていただくのは結構なのですけれども、これからの闘いは中央の指令待ちで動くというのではなくて、ぜひ各単組の努力を積み重ねながらもやっていただきたい。これは私からのお願いですし、全大教の運動としてそういう運動をこれからつくっていく必要があると思います。これは要望です。  司会 そのほかありませんでしょうか。ごく手短にお願いします。  ○ もちろん私どもとしてもずいぶん取り組んでいるつもりです。たとえば首都圏ネットワークを創立したり、学長に対する申し入れを行なうなど、そういうことはずいぶんやっているつもりではあります。それ以外に、たとえば全国版のところでの運動というようなことを考えればそういうこともお願いしたいということです。  司会 それでは時間の関係もありますので、高橋書記長よろしくお願いします。  高橋 最初に東大の要望ですけれども、私どもとしても問題意識としてはもっていまして、意見広告をやろうと思ったら2000〜3000万の金がかかるわけです。その金を皆さんにお願いしてやるのか、あるいは全大教の特別闘争資金を使ってやるのか、そのタイミングはどういうときがいいのか、どういう意見広告を出したらいいのかといったあたりを検討している最中です。  ただ、私どもの問題意識としては、中央紙に全大教委員長の投稿が載る、別の新聞にも大学教員の投稿が載る、どんどんやっていくことによって、新聞社の問題意識は現在は慎重論ですけど、投稿した場合の反応は非常に大きいわけです。これは任期制とか国立学校設置法と明らかに違う状況ですね。国民の多くも100年続いた国立大学という設置形態が変えられていく。それが簡単に半年ぐらいの議論でいいのかという問題意識をもっています。ですから、投稿をして、国民の皆さんに知ってもらうことは一つの有力な戦術だということで考えています。  それからストライキについてですが、この課題は当然それぐらいの重みをもっていると思っています。しかし、お金の問題や処分問題にもからんできますので、実際に可能かどうかは今後検討していくことになろうと思っています。以上です。  司会 それでは3日間の討論を踏まえまして集会まとめに移りたいと思います。全大教の森田書記次長、お願いいたします。 第11回教職員研究集会の まとめ 書記次長 森田和哉  森田 全大教の書記次長で、この集会の事務局長を務めさせていただきました森田でございます。3日間の熱気ある議論と交流、本当にご苦労さまでした。今回の集会は何よりも独立行政法人化をめぐる緊迫した情勢も反映し、58の組合、291名という、近来にない参加を得て、集会自身、ある意味の緊張感と同時に新たなエネルギーを生み出しながら、成功裏に終わろうとしているということをまず申し上げたいと思います。  その上で集会の内容に関してのいくつかの特徴点について申し上げたいと思います。一つは、もうすでにそれぞれの方々からも出されておりますが、国立大学等の独立行政法人化問題を文字通り最大の焦点とした集会となったということであります。全体集会、分科会を通じて独立行政法人化に強く反対する立場からその問題点について多角的に議論が深められたということが一つです。  それから先ほど執行部報告にもありましたように、取り組みの一段の強化についても相互に確認し合う、そういう集会になったということがまず第1に挙げられると思います。  二つ目に、独立行政法人化に反対するということと併せて高等教育の今日における社会的役割と責務、これを自覚しながら、いかにして大学・高等教育を充実させていくかということについての実践的なレポートなどに基づいて議論が深められたことが挙げられると思います。この点で申し上げますと、たとえば学生教育問題の分科会での教育実践のレポート等に象徴されています。福島大学や岩手大学、あるいは京都大学等々から、文字通り地道な学生との対話を通じた教育実践の取り組み等々が報告されています。  私ども大学人が国立大学の独立行政法人化に反対するとともに、いかにして大学・高等教育を充実させていくのか、そしてそれを社会にアピールする、そういう取り組みが実践的に動きだしているということが一つの特徴ではないかと考えます。  三点目に申し上げますと、各職種間の協働、あるいは待遇改善、地位確立の取り組みであります。この点では、研究・教育支援体制の分科会、これは昨年から設けたものですが、この中で名古屋大学が、21世紀の大学の創造、いわゆるアカデミック・プランと、そこにおける技術職員の役割をどう考えているのかということについて問題を提供されています。それから、各職種の分科会等でも非常に地道ではありますが、地に足がついた昇格改善や待遇改善、地位確立を求める政策的、具体的な取り組みの報告が行われたということも一つの特徴として申し上げておきたいと思います。  最後になりますが、集会の成功を大きく支えていただいた岩手大学の実行委員会の皆さんに深く感謝を申し上げたいと思います。また、集会の熱い息吹と成果を各職場にそれぞれ還流していただくということ、それから全大教執行部は独立行政法人化反対をはじめとした今後の取り組みに文字通り総力を挙げ、取り組みを展開していくということをお誓いして、まとめに代えさせていただきたいと思います。(拍手)  司会 それではこの集会の集会宣言を採択したいと思います。お手元に集会宣言の案があると思います。集会宣言案の朗読を岩手大学の実行委員会のタケイ先生にお願いいたします。武井先生、よろしくお願いいたします。  武井 皆さん、3日間、お疲れのところ、先ほどの報告ですと明日、文部省が重大発表をするということなのですけれども、意図的なのかどうかわかりませんけれども、われわれが疲れているときにそういうことをするという(笑)、非常に大きな怒りを感じております。そういう緊迫した状況のなかで、ちょっと緊張しておりますが、集会宣言を読ませていただきます。一部修正がありますけれども、読みながら修正したいと思います。(集会宣言は別掲)(拍手)  司会 いまの拍手で宣言案は承認されたと考えてもいいですか。それでは改めてご賛同いただける方は拍手をお願いいたします。 (拍手)  司会 ありがとうございます。それでは閉会挨拶に移りたいと思います。閉会の挨拶は全大教の佐々木副委員長、よろしくお願いします。  佐々木 「団結、頑張ろう」で閉会としたいと思います。ご起立をお願いします。  独立行政法人化を粉砕するため、全大教、団結、頑張ろう。(頑張ろう三唱)  ありがとうございました。(拍手)  司会 ご苦労さまでございました。以上で閉会集会を終わりにいたしますが、地元、岩手大学の皆さんのお世話に心から感謝したいと思いますので、皆さんで拍手をお願いします。(拍手)  司会をいただいた種倉先生から最後にご挨拶をいただいて終わりにしたいと思います。  種倉 前に申し上げましたが、岩手大学の種倉です。前副委員長です。岩手大学で教職員研究集会ができるかどうかという議論がありましたが、ぜひやろうということでやってきました。いろいろ至らない点があったと思いますが、私たちも全国から皆さんをお迎えして学ぶ点がたくさんありました。この成果を十分今後の組合活動に生かしたいと思います。  岩手の名産はソバとか、いろいろありますけれども、今日のおせんべいはちょっと味がないみたいな感じがされたかもしれませんけれども(笑)、レーズンを挟んだり、レーズンバターとかでつまみにしたりするとうまいし、味がないけれども、見ているとジワーッと味が出てくるという岩手の特徴ですので、今後ともお付き合いのほどをよろしくお願いいたします。(拍手)  司会 ただいまの先生の挨拶で司会の任を解かせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手) 集会宣言  私たちは、9月17日から3日間岩手大学において、第11回教職員研究集会を開催し、近年にない多数の参加を得て成功をおさめた。  本集会では、国立大学等の独立行政法人化問題をはじめとした「改革」問題と各職種の待遇改善・地位確立について熱い議論と交流を深めた。  特に、最大の焦点である国立大学等の独立行政法人化のもつ問題点及び高等教育の今日における社会的責務と充実の方向について議論を深めた。  国立大学の独立行政法人化について、先の9月13日に開催された国大協臨時総会は、私たちの取り組みも反映して「反対」の再確認を行った。新聞報道等によれば、文部省は、独立行政法人通則法では、大学の特性から無理があるとしながらも、特例措置を盛り込んだ個別法で法人化をはかろうとしている。  大学教職員はもとより国民にもほとんど知らされていない独立行政法人化が、「行政改革」や「25%定員削減」などの政府の方針に基づいて強行されることは、断じて認めることはできない。  集会に参加した私たちは、後世に悔いを残さないために、大学の教育研究にたずさわる者としての責務を自覚し、独立行政法人化反対の先頭に立って奮闘することを宣言するものである。 1999年9月19日 全国大学高専教職員組合 第11回教職員研究集会