イギリスにおける 行政改革とエージェンシー 塚本一郎 佐賀大学経済学部(社会政策) はじめに  イギリスは長い間、戦後福祉国家のモデルとされてきたが、1980年代に登場したサッチャー政権が攻撃の対象としたのが、まさにこの福祉国家体制そのものであった。マーガレット・サッチャーに代表される政治思想は、「ニューライト(The New Right)」などと称されるが、それはスリム化された「小さな政府」を標榜しながら、本質的には、「自由経済」(自由市場)を維持し発展させる「強い国家」を追求するイデオロギーということができる(Gamble,1988)。サッチャーは、こうしたイデオロギーのもとで、イギリス経済の競争力の障害を除去し、「強い国家」を実現するために、公共支出の削減、労働組合の弱体化、行政改革等に取り組んだ。その行政改革の一環として実施されたのが、ネクスト・ステップス改革、すなわち、エージェンシー化である。  本稿では、独立行政法人化問題との関連で注目されることの多いイギリスのエージェンシー(executive agency)について、その制度発足の経緯、現状と問題点などを考察する。 1 エージェンシー化の   経緯 〓「公務員文化」の改革  ――「経営文化」の行政組織への浸透  国家の役割の縮小を標榜するサッチャーは、1979年に政権の座につくと、イギリス経済の「衰退」に責を負うと保守陣営からみなされていた公務員制度に対する攻撃、すなわち、公共部門の縮小と公共支出の削減に着手する。そのためにとられた一連の方策が、公共部門の民営化と外部委託・外部移管であり、政府内に残されたエージェンシーを含む公共部門についても、民間経営手法の徹底した導入が図られた。そして、公共部門の行政管理には、いわゆる「支出に見合う価値(value for money)」アプローチがとられ、「市場の代用物」としての「業績指標」の活用などが工夫されることになった。1980年代に、イギリスやアメリカなどアングロ・サクソン系諸国を中心に行政改革を主導する原理となった「新公共管理(New Public Management:NPM)」という考え方は、民間経営の手法を公共部門に導入し、その効率化をめざすことで知られる。サッチャーの一連の改革は、このNPMにも大きな影響を与えたと考えられる。  さて、サッチャーの行政改革の基本方針は「効率化戦略(efficiency strategy)」などと称されるが、それは「節約」と「効率性」、「支出に見合う価値」などを基本的価値として強調するものであった。このような民間営利企業の企業行動により適合する価値を行政管理の分野に適用するということは、行政組織内部に「経営文化」を浸透させることを意味している。そのことは、サッチャーが就任後、首相官房内に効率室(Efficiency Unit)を設け、その特別顧問に、マークス・アンド・スペンサー社(イギリスの大手スーパー)専務取締役のD.レイナーを任命したことにも象徴的に現れている。  「ホワイトホール」(中央行政機構)の「公務員文化」の改革をめざすレイナーは、行政の効率の改善と浪費の除去に着手し、「支出に見合う価値」を基準に行政監査を行った。その際、審査の基準となったのが、「節約(Economy)」「効率性(Efficiency)」「有効性(Effectiveness)」(いわゆる3E監査)である。しかし、実際には、レイナーの監査プログラムは、その目的に「効率性」「有効性」が言及されていたとはいえ、主として「節約」に関心を持っており、行政手続きの合理化によるコスト削減に関心が集中していたといわれている(君村、1998a、36頁)。 〓イブス報告  ――ネクスト・ステップス改革  1983年にレイナーの後任となった同じく民間企業出身のR.イブスは、行政に対する調査活動を継続する。1987年には、イブスは、1979年以降の行政管理改革の前進の評価などを内容とする首相の諮問に基づいて、調査結果報告書を首相に提出する。この報告書は、翌88年2月に、「政府における管理の改善:ネクスト・ステップス(Improving Management in Government:The Next Steps)」(通称「イブス報告」)として正式に公表される。約1年近く公式発表が遅れた理由は、効率室がエージェンシーを公務員の削減と影響力の縮小の手段とみなしていたために、中核公務員の削減につながるのではないかという省庁内での警戒心、また、エージェンシー化による財政管理における自律性の付与がかえって追加支出の要求を顕在化させるのではないかという大蔵省の懸念などがあったといわれている。前者については、エージェンシー化が管理(management)の改革を主眼としていること、後者については、支出の適正な統制と「支出に見合う価値」の双方の実現を工夫するということで折り合いがつけられた。  イブス報告は、調査結果に基づき、行政管理面での問題点として、明確かつ責任をもった管理(accountable management)を欠いており、この責任ある管理に伴う自信がとりわけ省庁の上級職員の間で欠如していること、人や組織に期待される結果について、より厳密に定義される必要があること、インプット同様、アウトプットにも注意を集中する必要があること、公務員制度は単一の組織として一元的に管理するには余りにも規模が大き過ぎることなどを結論として導き出している。すなわち、イブス報告の批判の要点は、従来の行政組織の上級職員は政策立案業務中心で、効果的な管理運営による行政サービスと効率性の向上に対して関心が希薄であり、行政の仕組みそのものがこれらを追求するシステムとなっていないというものである。  イブス報告は、こうした問題を解決するために3つの勧告案を提示している。第1に、各省庁の仕事は、遂行される職務に焦点をあわせるような方法で組織されなければならないこと、第2に、各省庁の管理者は、効率的な政府に不可欠の職務を遂行するために必要とされる経験や技術を有するスタッフを確保しなければならないこと、第3に、政策を実行し、サービスの提供過程において達成される「支出に見合った価値」の持続的な改革圧力が、各省庁に対して、また各省庁内部で存在しなければならないこと、などである。   これらの勧告を具体化する案が、中央省庁の政策立案部門と執行部門の分離、後者のエージェンシーとしての「独立」であった。イブス報告によれば、エージェンシーとは、各省庁が設定した政策や資源の枠組みのなかで、政府の執行機能を遂行するために設立される組織である。政治家が政策決定を行い、官僚はその実施に専念するという「政治・行政二分論」のもとで、このエージェンシーを通じ、従来のヒエラルキー的行政組織を前提とした一元的な公務員制度の根本的改革をめざしたものといえる。  政府はこのイブス報告の勧告を受け入れ、1988年11月に「行政管理の改革方針(Civil Service Management Reform:The Next Step)」を発表し、エージェンシーの設立や組織管理の柔軟化等、基本的な考え方を提示する。翌89年12月には、政府は「エージェンシーの財務と責任(The Financing and Accountability of Next Steps Agency)」を発表し、財務管理の柔軟化等の方針を打ち出す。 〓ネクスト・ステップス改革と  サッチャーの「効率化戦略」  エージェンシー化は、報告書のサブタイトルをとって「ネクスト・ステップス改革」と表現され、エージェンシーもネクスト・ステップス・エージェンシーなどと呼ばれたりする。この「ネクスト・ステップス(Next Steps)」という言葉には、行政管理改革を再活性化するための「次の諸段階」という考え方が含意されているが、これはイブス報告自体が、全く新しい管理改革を提起するという性格のものではないことを示している。事実、この報告書によって提起されたエージェンシーというコンセプトは、イギリスにおいて決して新しいものではない。1968年に、ウイルソン労働党政権下で公表された「フルトン委員会報告」のなかでも、責任管理(accountable management)をより有効に遂行する方策として、省庁の活動の外部移管(hiving off)が検討課題となっていた(フルトン報告は、責任ある管理の欠如といった公務員に対する批判に応え、公務員制改革を提言)(君村、1999a、18〜25頁)。1970年代にも、エージェンシーに類似のものとして防衛調達庁、雇用サービス庁などの省エージェンシー(departmental agencies)が存在した(君村、1998b)。しかし、ネクスト・ステップス改革によるエージェンシー化が、従来のエージェンシーと大きく異なる点は、エージェンシーの長と所管省との交渉を踏まえ作成され公表される「組織の基本文書(framework document)」の存在であり(君村、1998a、52頁)、また将来の民営化までも視野に入れられている点である。  イブス報告を契機としたネクスト・ステップス改革によるエージェンシー化は、サッチャーの一連の「効率化戦略」の延長上に位置付けることができる。しかし、「効率化戦略」の急先鋒である民営化の文脈と異なるのは、エージェンシーのなかには設立後、民営化されるものがあるとはいえ、後述するように、エージェンシーの地位が民営化も外部委託も適切でないと大臣が結論づけた場合に付与されることからしても、エージェンシーの活動領域は、本来、民営化が困難な行政領域であるという点である。そして、エージェンシーは、あくまでも政府・公務員制内の組織であり(独立した法人でもない)、その当然の帰結として職員は公務員である。だとすれば、民間営利企業に適合的な「効率」「節約」「支出に見合った価値」を強調するサッチャーの「効率化戦略」が、民営化された領域のみならず、民営化が困難と判断されるエージェンシーの行政領域にまでそのまま貫徹しうるとは考えにくい。ここからはまた、エージェンシーの管理を担う者の責任を、民間営利企業の管理者の責任と同視できるのかという根本的な疑問が生じてくる(山谷、1990、138頁)。これは行政が追求する価値や責任をどのように考えるのかという問題に関連するが、この点については後でまた論じることとする。  なお、サッチャーの「効率化戦略」は、労働組合勢力の弱体化を伴って進められたことを忘れてはならない。「自由な市場」信仰のもとで規制緩和・民営化を推し進めるサッチャーのイデオロギー的立場からすれば、公務員制のみならず、労働組合が「自由な市場」の「障害物」とみなされたのは当然である。サッチャー政権下で行われた雇用法(Employment Act)や労働組合法(Trade Union Act)に関する一連の法改正は、クローズド・ショップ制や争議行為の制限を通じた労組全般の職場規制の弱体化を明確に企図していた。それは、例えば労働組合という「集団」に所属することを望まない「個人」(非組合員)の自由・権利を養護するというレトリック、すなわち「組織と個人の間との理念・利害をめぐる不一致に着目しながら両者の間にクサビを打ち込んでいく戦術」(稲上、1990年、9頁)を巧みに用いながら遂行されたのである。サッチャーがめざす行政分野の改革においても、公務員労組の抵抗をそぐことが重要な要素であったことは想像するに難くない。 〓「市民憲章(シチズン・チャーター)」  ――「消費者主義」と「市場化」  エージェンシー化は、1988年12月の車両検査庁(Vehicle Inspectorate)を皮切りに漸次実施されるが、当初、そのペースは緩慢であった。1990年3月末までに、わずか10余りのエージェンシーが設立され、1万人ほどの職員が雇用されたに過ぎない。しかし、1991年から93年にかけて、社会保障省の運営部門の大部分がエージェンシーに指定されたこともあって、急激な増大が見られる。89年までにはわずか10機関の設立にとどまっていたが、93年には93機関までに増加している(君村、1998a、56〜57頁)。  さて、サッチャー保守党政権のエージェンシー化を含む行政改革は、1990年11月にサッチャーの後任となったメージャー政権に引き継がれる。メージャー政権は、「質(Quality)」「選択(Choice)」「水準(Standard)」「価値(Value)」など4つの行政改革の主要課題を掲げた『市民憲章(The Citizen's Charter:シチズン・チャーター)』という白書を1991年に公表する。『市民憲章』の基本的な考え方は、一言でいえば、国民を経済的に「消費者」として位置付け、この位置付けに基づいて省庁に情報の提供など種々の義務付けを行おうというものである(竹下、1996)。政府は、内閣府(Cabinet Office)に「市民憲章室(Citizen's Charter Unit)」を設け、「憲章」に基づいたプログラムの実施状況を監視し、基準を満たした機関に対しては、「憲章マーク」を授与している。  この『市民憲章』には、アカウンタビリティー(説明責任)や情報公開の促進など、積極的な内容を含んでいるとはいえ、君村が、「市民憲章の隠されたアジェンダは、公共サービスにおける市場価値の推進」(君村、1998a、66頁)と述べているように、その基本理念にはニューライトの「自由な市場」のイデオロギーが色濃く反映されている。それは、以下の白書の記述にみられる論理的飛躍、すなわち、市場で競争する民間企業のサービスを購入する「消費者(顧客)」と公共サービスの利用者である「市民」とを無前提に同列に扱う発想のなかにもみることができる。 「自由市場においては、競争下にある企業は、その顧客(customers)を満足させるよう努力しなければならない。さもなくば、企業は成功しないだろう。選択と競争(choice and competition)が制限されているところでは、消費者(consumers)は容易に、また効果的にその意見を考慮されることはありえない。したがって、多くの公共サービスにおいては、可能なところでは、選択と競争の双方を拡大させる必要がある。しかしまた、良質なサービスを確保する別の方法も発展させていく必要がある」(Cabinet Office,1991,p.4)。  『市民憲章』は、『消費者憲章』などと批判されるように、「消費者(顧客)主義(consumerism)」の文脈のなかに位置付けることができる。すなわち、「市民」を競争的市場においてあれかこれかと商品を選択し購入する「消費者」のようにみなし、公共サービスにおける市場原理・競争主義の導入が「消費者」である市民の選択の幅を拡大し、サービスの質も向上させうるという考え方である。「消費者(顧客)主義」は、新自由主義イデオロギーの一断面でもあるが、メージャー政権における『市民憲章』は、エージェンシーが、この「消費者(顧客)主義」を担うものであることを政府の公式の見解として打ち出している(久保木,1998年、97頁)。  メージャーがエージェンシーを含む行政機関に対して市場原理を浸透させていく手段として導入したのが、「市場化テスト(market testing)」である。これは民営化とセットになった改革手法ということができる。この過程を要約的に説明すると、行政事務全般について、まずその業務が必要かどうかを判断し、業務を存続する必要ありと判断した場合には、〓民営化できないか、〓外部委託ができないか、〓エージェンシー化できないか、という事前検討、いわゆる「事前選択テスト(prior option test)」が実施される。さらに、民営化に馴染みにくい業務等(庁舎管理、コンピュータ維持管理等)についても、従来業務を担当してきた部局と民間企業とを公開入札で競争させ、効率的な方に業務を請け負わせる(市場化テスト)。民間企業が勝った場合は、その部局の公務員も民間企業に移ることになる。なお当該公務員には、従来の労働条件と同様、あるいはそれ以上の条件を保障するための法、「業務移管に伴う雇用保障法(TUPE:transfer of undertakings [protection of employment] regulations)が適用される(安、1998、70頁)。  なお、この「市場化テスト」に対しては、効率の改善よりも公務員の規模縮小に関連があり、公務員のモラール(士気)の低下にもつながっているという批判もあり、1995年には、「市場化テスト」に代わって、「能率改善プラン(efficiency plans)」が導入されている(君村、1998a、67〜68頁)。この「能率改善プラン」によって、省やエージェンシーは、改革の手段(市場化テスト、民営化、外部委託など)の選択を自ら決定できるようになった(同上、70頁)。 2 エージェンシー制度の   概要と現状 〓制度の基本的枠組み 〓「組織の基本文書(Framework Document)」  等の作成  ある活動がエージェンシーの候補となると、省は、エージェンシー設立の細目について、内閣府のプロジェクトチームや大蔵省と協議する。さらに、「組織の基本文書または枠組み協定書(Framework Document or Framework Agreement)」が、所管省の事務次官及び大臣とエージェンシーの長との交渉の後、作成される(君村、1998a、55頁)。このエージェンシー制度の中心的要素を構成する「組織の基本文書」のなかには、エージェンシーによって多様であるが、業務目的・目標、計画、業務内容、財務管理基準、給与・人事管理基準、大臣・議会等に対する責任など基本的事項が盛り込まれる。  「組織の基本文書」は、所管大臣とエージェンシーの長との間で結ばれる「協定」であるが、「エージェンシーが独立した法人格を有さず、また両者は国王の公務員であるため、それは契約ではありえないが、一般に準契約的性質を有するものと考えられている」(岡村、1999)。省とエージェンシーとの間の「準契約(quasi‐contractual)」的な関係の下で、エージェンシーの長は、所管省に対して、「組織の基本文書」の内容を履行する「行為責任(responsibility)」を負うことになる。その内容は、3年ごとに必要に応じて見直される。  この「組織の基本文書」の他に毎年作成されるものに、事業計画(Business Plan)というものがある。これは、エージェンシーの業績指標や次の年の目標を設定するものであり、「組織の基本文書」に定められたエージェンシーの基本業務を、毎年具体的な基準に照らし、一定の資源のなかで達成することを「契約」するものである(久保木、1998、103頁)。  このように、所管省とエージェンシーとの関係は、政策立案部門と執行部門の分離と「組織の基本文書」の作成によって、形式的には「準契約的」関係に移行したようにみえる。しかし、本来、所管省とエージェンシーとの間の交渉で作成される「組織の基本文書」は、現実には、公務員制度庁(The Office of the Minister for the Civil Service)や大蔵省が主導する委員会で起草されており、主要な「事業計画」も、大蔵省と公務員制度庁によってトップダウン式に作成されているようである(久保木、1998年、105〜106頁)。すなわち、政府中央や所管省のエージェンシーに対するヒエラルキー的統制は、「組織の基本文書」「事業計画」等の「契約」内容に影響力を行使し続けることを通じて、依然維持されているという批判は根強い。もともとエージェンシー化が「政治」と上級官僚との「妥協の産物」(特に機関の自律を嫌悪する大蔵省)であったことからすれば、当然の成り行きともいえる。  またエージェンシーの目標の設定には、職員の意見が反映されない、数値化しやすい目標が設定される傾向があるなどという批判がある(安、1998、77頁)。さらに、エージェンシーの業績評価の方法自体が不適切なために、エージェンシー化そのものが効果をあげたかどうかすら不明であるとする根本的な批判もある。例えば、タルボットは、以下のように指摘している。 「一連のネクスト・ステップス改革によって、業務執行面の管理を改善する新しいシステムが創り出されてきたといえるのか?それが効率化に結びついたといえるのか?答は『わからない』である。『わからない』とする理由は、エージェンシーの業績を測定し、モニタリングし、説明するシステムそのものが、その任務にとって全く不適切であるからである」(Talbot,1996,15)。  タルボットは、調査したほとんどのエージェンシーの「主要業績指標」が、「組織の基本文書」で表明されている目的の達成度を示すものにはなっていなかったとも述べており、これは有効性の改善度そのものの検証が困難なことを示している。「今日までに、有効性特にサービスの質や顧客の満足に関する業績指標は殆ど設定されていない」(君村、1999a、127頁)という現状のようである。 〓エージェンシーの長の選任方法・権限  エージェンシーの長(chief executive)は、原則として民間人も含めた公募(公開競争)によって選任され、所管大臣が任命する。任期は3〜5年であり更新可能であるが、任期途中での異動(民間企業、本省、他のエージェンシー)や解雇もありうる。エージェンシーの長には、基本文書の範囲内での裁量(組織変更、職員の任用・処遇等)と自律性が認められるが、達成された結果を公表しなければならない(内閣府は、毎年、ネクスト・ステップス・レポートをまとめ、各エージェンシーの目標達成状況を公表している)。エージェンシーの長は、「組織の基本文書」等の実施に対する責任を負うが、長の給与の業績関連部分はこの責任の達成度合いが反映される。  このように、エージェンシーの長に、公開競争によって期限付き契約で採用する人事管理方式が導入されたことは、イギリス公務員制(人事行政)の変容ということもできよう。最近では事務次官のポストも公務員外から公募されており、「このような状況が進行すれば、昇進の確実性や身分保障はもはや存在しない」(君村、1998a、87頁)ということもできる。 〓職員の地位・処遇  職員の地位は前述したように、公務員のままである。これは、エージェンシーが国有産業と異なり、別個の法人格を有するものではなく、あくまでも省の内部組織であり、設置に法律を必要としないこととも関連している(岡村、1999、36頁)。  職員の任命権者は、エージェンシーの長である。1990年代半ばから、給与を含む管理の権限が大幅にエージェンシーに委譲されており、上級公務員(グレード5以上の職員)を除く給与の決定権は各エージェンシーが有している。なお、グレード6以下の職員については、人件費等の枠内で、省やエージェンシーと関係する公務員労組との交渉により、両者間で給与協定が締結される(外国公務員制度研究会編、1997、142頁)。  しかし、エージェンシーによって給与が自律的に決定されるということは、同じ公務員制の枠内にありながら労働条件に格差が生じることを意味している。一方では、エージェンシーの給与の総額と決定は、大蔵省によって事実上、統制されているという見方もある(君村、1998a、92頁)。  また、エージェンシーが統合・廃止されたり、民営化されることもあることからすれば、雇用の流動化・不安定化は生じうるし、公務員身分が退職まで保障されているわけでもない。 〓財政  各エージェンシーの財政構造は、後述するように、大蔵省の予算への依存度、独自収入がどれだけ期待できるかによって規定されており、多様である。社会保障給付庁のように、国庫の支出金によって業務を遂行し、収入は国庫に収めるという機関もあれば、対照的に他省庁に情報技術を提供する情報技術サービス庁(Information Technology Service Agency)のように、独自収入を基礎に運営される機関まである(久保木、1998、99頁)。  なお、一部のエージェンシーのなかには、政府事業基金法(Government Trading Funds Act)にもとづく「事業基金」の地位を獲得し、その提供する商品やサービスの対価として得られる収入で運営することが認められている機関がある(岡村、1999、36頁)。これは、いわば民間企業的な財務運営を行う政府機関であり、資本支出のための借入や剰余金の留保を可能とする地位が与えられている(讃岐、1996、39頁)。 〓エージェンシーの現状  ―― 規模と業務の多様性  1999年に公表された98年度ネクスト・ステップス・レポート(Cabinet Office,1999)によれば、1998年12月31日現在設立されているエージェンシーの総数は138機関であり、エージェンシー全体で雇用される職員数は32万5669人である。また、新たに19機関4万1765人が、エージェンシーの地位が付与される候補となっている。98年4月1日現在のイギリスの全公務員(civil servants)数1)は46万1700人(The Office for National Statistics,1999,94)であるから、イギリスの全公務員の70.5%が現在、エージェンシーで働いていることになる。エージェンシーの総職員数に、エージェンシーと同様の方法で運営されている内国歳入庁(Inland Revenue)等4機関の職員数を加えれば37万7566人となり、それは全公務員81.8%にもなる。  職員数で最大の機関は、先の報告書によれば社会保障給付庁(Social Security Benefits Agency)で、6万6296人の職員を擁している。次に大きいのは刑務所庁(HM Prison Service)の3万9363人、雇用サービス庁(Employment Service)の2万8612人の順である。この3つの大規模な機関が、エージェンシー全職員の約半数を占めているが、最も小さい機関になるとわずか23人であり、規模は多様である。1000人以下の機関が過半を占めており、全体的に小規模といえる。  エージェンシーの業務の性質や機能も多様であり、例えば、〓自動車運転免許庁のような国民に対するサービス提供機関、〓統計庁のような省庁に対するサービス提供機関、〓科学研究所のような研究機関、〓車両検査庁のような規制機関というように、機能別に分類することもできる(君村、1998a、60頁)。  また、本省との関係における「分権・集権」の度合いという軸と、大蔵省の予算との関係における「依存しているか。独自に収入をあげているか」という軸を組み合わせて、〓集権型で大蔵省の予算に依存、〓分権型で大蔵省の予算に依存、〓分権型で独自の収入をもつもの、〓集権型で独自の収入をもつもの、と分類することも可能である(久保木、1998年、98頁)。  このように、エージェンシーの機能は多様であり、政策立案分野との自律性の度合いも多様であり、それらの特徴を統一的、理論的に説明するのは難しい。見方を変えれば、刑務所庁や児童援護庁(Child Support Agency)のように、もともと所管省の政策立案分野との分離が困難な業務までもエージェンシー化されているということもできる(君村、1998a、63頁)。特に刑務所庁の場合、この立案機能と実施機能という線引きそのものの根拠の不明瞭さから生じる運営上の責任をめぐる混乱が、政府とエージェンシーの長の間の対立にまで発展している。 〓ニュー・レイバー(労働党新政権)の  下でのエージェンシー  1997年5月の総選挙で保守党から政権を奪還し、「ニュー・レイバー」を標榜する労働党ブレア政権の下でも、当面、エージェンシー化そのものが見直されることはなさそうであり、今後もエージェンシーの設立は継続される模様である。98年度ネクスト・ステップス・レポートにおいても、内閣官房長官(Minister for the Cabinet Office)のジャック・カニンガムはレポートの冒頭で、今後のネクスト・ステップス改革の焦点が既存のエージェンシーのより効果的な活用に移ることを、以下のように述べている。   「1997年度ネクスト・ステップス・レポートは、新規のエージェンシー(executive agencies)の設立に従来重点をおいていたネクスト・ステップス改革のイニシアティヴを転換することを表明した。エージェンシーによって、質の高さの確保に対する最善の期待と費用効果的な公共サービスの提供がみこまれる分野では、エージェンシーは引き続き設立されるだろう。しかし、エージェンシーまたはネクスト・ステップス方式で運営されている部局が、すでに公務員制(Civil Service)の4分の3以上を占めていることからすれば、その焦点は、今後、既存のエージェンシーを最も効果的な方法で活用することに向けられるだろう」(Cabinet Office,1999,〓)。  このようにブレア新政府は、エージェンシーを設立するという主要な課題は完了したとみなしている。今後は既存のエージェンシーの業績を測定し、改善することに集中するようである(君村、1998a、129〜130頁)。しかし、次節で論じるようなエージェンシーが根本的に抱える問題の改善のための具体的な方策は、労働党政権下においても未だ不明である。 3 エージェンシー化を   めぐる論点  エージェンシーは様々な問題をかかえているが、ここでは議論の対象となることの多い、以下の二つの論点に絞って考察することにする。 〓公務員倫理の低下  ―― 「行政―市民」関係の矮小化  エージェンシーをめぐる論点のひとつは、公務員倫理の低下である。すなわち、イギリスでは、エージェンシーが自己利益を追求するなかで、省のアイデンティテが喪失されていく危険性が指摘されているようである(中村、1996、165頁)。さらには、エージェンシー化によって公務員制が「断片化」され、「民間モデル」が導入されていくなかで、公務員としての一体性が損なわれ、エージェンシーで働く公務員の倫理やモラール(士気)が低下しているとする批判がある(君村、1998a、131頁)。  この公務員倫理の低下の問題は、『市民憲章』を典型とする消費者主義的「市民」概念とも関連している。すなわち、「行政」と「市民」との関係を、「企業」と「顧客=消費者」というように狭くとらえることの問題である。確かに、市民が行政サービスの受け手であることからすれば、行政と市民との関係には「企業」と「顧客=消費者」関係の側面があることは否定できない。また、そうした側面を強調することによるサービスの向上の可能性も否定できないといえる。  しかし、「市民」を「消費者」という概念に還元することはできない。市民はサービスの需要側として、その充足と内容の改善を求める「経済的」存在にとどまるのではなく、サービス提供の背後にある政策やその決定のプロセスにまで、民主主義的な政治過程を通じて影響力を行使しうる「政治的」存在であるからである。久保木が、スチュアートとランソン(Stewert and Ranson,1988)らの議論を援用しながら強調しているように、行政組織には、本来、市場機構によっては生みだされえない「公正」という価値を、市場を通じてではなく、市民の多様な意見を反映する政治過程(民主主義的意思決定過程)を通じて創出する役割がある(久保木、1998、107〜112頁)。エージェンシーにみられる「消費者主義」「市場主義」的アプローチには、こうした行政活動が本来有する価値や役割から、職員をますます遠ざけ、その行動様式を営利企業の管理者のそれに変質させていく側面があるといえる。普遍的であるべき行政サービスの提供を「市場関係」「効率原理」に委ねていくことは、低所得者やマイノリティを、ますますサービスの提供から排除することにもなりかねないという意味でも問題である。実際、例えば限られた時間内での事務処理量に焦点を当てたような業績評価は、処理に時間のかかる困難な問題をかかえるグループや社会的に弱い立場にある人々をサービスの提供から遠ざけるという批判があるようである(君村、1998a、128頁)。 〓「政策・執行」二分論と  「責任」をめぐる混乱  エージェンシーは、中央省庁の政策立案部門と執行部門の分離、後者のエージェンシーとしての「独立」(完全な独立を意味しない)という改革を通じて生み出されてきた。しかし、エージェンシーに関する本質的な論点は、行政活動の機能を政策立案と政策執行というように、単純に区分することが果たして可能かという問題であり、この問題から生じる責任の配分の問題である。  大臣が議会に対して責任を負うというイギリス憲法の大臣責任原則は、エージェンシーの導入にあたっても変更されたわけではない。しかし、所管省の大臣がエージェンシーの業務運営に対して議会に対して責任をどの程度負うのかは大きな争点となってきたし、依然、未解決の問題である。政府はこの問題に関して、大臣はエージェンシーの活動については議会に対する説明責任を負うにとどまり、辞任するなどの行動を伴う責任までは負うものではないというレトリックを用いて、この責任問題に対応してきた。すなわち、大臣は省とエージェンシーすべての活動に対して議会に説明する憲法上の義務という意味での説明責任(accountability)を負うが、すべての活動に対して、個人的な非難を受けて辞任するなどの行動を伴う責任(responsibility)を負うわけではない。政策の執行運営に対する直接的責任はエージェンシーの公務員にあるのであり、それに対して大臣が負う責任は議会に対する説明責任にとどまるというものである。  1995年に脱獄事件の責任を問われて解任された刑務所庁の長官が、それを不当解雇として告訴した事件が下院でも取り上げられたたケースでも、内務大臣はこのレトリックを用いて、大臣に共同責任ありとする批判に対応した。この議論は大臣の辞任までには至らず終結したが、議会での証言などによって、いかに大臣が刑務所の日常的な運営の細部にまで介入していたのかが明らかとなり、政策と執行(運営)の間で線引きすることが、特に刑務所のような行政分野では極めて困難であることを示す結果となった。刑務所庁以外にも、政策の失敗を運営上の問題にすりかえて、エージェンシーの長を解任するケースがみられるようである(君村、1998a、128頁)。  このように、行政活動を政策立案と政策執行に機械的に分離し、「市民」を「顧客」に一面化して、市民に対して負う行政責任をサービス提供の直接的運営部門に限定することは、そのサービスの量や質、提供の方法などを決定する政策部門の責任を回避することにつながる。タルボットが、所管省の大臣はエージェンシーの事業計画や組織の基本文書、主要業績指標(key performance indicators)などの承認にかかわるという制度によって、形式的には、エージェンシーの執行上の管理責任を受け入れてきたことになるのであると指摘している(Talbot,1996、〓)ように、所管省は、現実には政策執行に関する運営内容に大きな影響力を行使しているのである。大蔵省や公務員制度庁もエージェンシーの運営に対して介入し続けていることからすれば、機械的な分離論は、現実に省とエージェンシーとの間に存在するヒエラルキー的統制から目をそらすことになる。  以上のように、政策の執行部門の運営内容も、その内容は政策によって実質的に規定されるのであり、政府は、政策の立案から執行に至る全過程に責任を負うと考える方が自然であろう。 まとめ  本稿では、イギリスの行政改革の一環であるエージェンシーの制度創設の経緯と現状、問題点などを検討してきた。イギリスのエージェンシーは、あくまでも政府・公務員制内部にあり、独立した法人でもないという点で、独立した法人格を付与し、公務員型(特定独立行政法人)と非公務員型という二つの類型を有する日本の独立行政法人制度とは、制度設計面で大きく異なっている。  両者の政治的背景もまた相当異なる。ネクスト・ステップス改革に着手する頃には、イギリスはすでに「福祉国家」をそれなりに実現し、国民の生活諸分野におけるナショナル・ミニマムを保障すべく、公的セクターと公務員制をイギリス経済の衰退の元凶といわせるまでに拡大させてきたのに対して、日本の「戦後福祉国家」は、「公的責任」よりも「自助努力」が強調されてきたように、きわめて貧弱であったといわざるをえない。日本の公務員の規模も他の国々と比べれば決して大きくはなく、むしろ小規模といえる。公務員は国によって定義や統計のとりかたなどが異なり、単純な比較は困難だが、例えば、『市民憲章』が公表された1991年当時の1000人当たりの公務員数(政府系企業職員を除く)は、下條の比較によれば、イギリスが人口1000人当たり67人であるのに対して、日本は1000人当たり、わずか37人である(下條、1999、35〜36頁)。このように、「改革」を必要とする前提そのものが異なるのである。  しかし、両者は全く別物と単純に片付けてしまうのも早計であろう。両者の改革手法には共通して、新自由主義的な市場「神話」、「効率」イデオロギーが色濃く反映されており、エージェンシーにしろ、独立行政法人にしろ、公務員制を「断片化」し、組織に営利企業的な管理方式や「準契約的関係」を持ちこむ点に変わりはないのである。そこにおいては、公務員の行動様式はますます営利企業的となり、本来、行政活動が追求すべき価値である「公正」は後景に退き、「市場価値」適合的となっていくだろう。すなわち、多様な要求を持ち、権利主体でもある「市民」を、「顧客=消費者」として一面化し、サービスの提供に関する意思決定を「政治的過程」ではなく、擬似的「市場」に委ねていく傾向、所属機関の個別利益を追求し、「全体の奉仕者」としての公務員の使命・倫理が喪失されていく傾向、短期的な「業績指標」で示される目標の達成を追い求め、数値化しにくい目標や価値、サービスが「市民」(市場が提供するサービスから排除されやすい人々も含む)にもたらす影響などが十分に考慮されなくなる傾向などが生み出されていくおそれがある。また、「責任」のすりかえは、イギリスのエージェンシー同様、日本の独立行政法人にも起こりうることである。  確かに、イギリスのエージェンシーの行政分野には、定型的で業務を大量に行う分野が多く含まれているという点では、日本の独立行政法人の対象業務とは大きく異なるといえる。しかし、日本の論者(例えば、藤田、1999)がいうほどに、イギリスのエージェンシーの設立目的が行政活動の「効率化」が中心で、日本の独立行政法人化が「減量化」中心であるといい切れるのかは疑問である。確かに、エージェンシーは効率化志向であるが、制度設計当初は公務員の規模縮小が焦点となっていたし、エージェンシーの民営化やエージェンシー内部の業務の外部委託等による「減量化」も同時に行われているからである。また、タルボットがいうように、市民が公表された情報だけで、特に不適切な業績指標のもとで、本当に業務が効率化されたかどうかを判断するのは困難である。また、効率化が容易な定型的業務とは必ずしもいえない行政分野(中央科学研究所、公務員大学校等の教育研究機関)、そして政策立案と政策執行というような単純な区分が困難な分野(刑務所庁、児童援護庁等)までエージェンシーの対象となっていることからすれば、日本の独立行政法人同様、エージェンシー化するか否かの判断基準はあいまいであったといわざるをえない。  本稿では、行政一般の問題として、独立行政法人のモデルといわれるイギリスのエージェンシーを取り上げてきたが、国立大学の独立行政法人化問題は、当然ながら「学問の自由」や「大学の自治」という大学の特殊性の観点から論じる必要がある。しかし、独立行政法人化の問題は、日本の公務員制度全体の問題であるし、政治の責任、行政の責任をどう考えるのかという、より広い枠組みのなかでもとらえられるべきであるというのが筆者の問題意識である。  しかし、高等教育の役割・使命という観点からすれば、われわれは、学問研究の自律性・多様性という価値のみならず、教育を受ける権利における「公正」という価値を忘れてはならないだろう。「公正」は「行政―市民」関係を律する価値であると同時に、高等教育の現場で働くわれわれの活動を律する価値でもあるのである。「階級なき社会」をめざしたサッチャーが創り出したのは、「富める者」と「貧しい者」という「二つの国民」の間の格差であったといわれる。国立大学の独立行政法人化は、わが国の教育研究における「貧困」に対する政治と行政の責任をあいまいにし、この「貧困」を国民の間の教育を受ける権利における格差の拡大として、いびつな形で再生産していくと考えられる。教育を受ける権利における「公正」という価値を実現していくためには、教育研究の条件整備に対する政府の責任を個別法人の責任に転嫁する国立大学の独立行政法人化は認めるわけにはいかないのである。  なお本稿の限られた分析でエージェンシーの全体像を十分に明らかにしえたわけではなく、まだ不明な点が多い。とりわけエージェンシーの意義や問題点をイギリスの行政制度と関連づけて論じることは、行政法学・行政学の門外漢である筆者の能力を超えている。しかし、独立行政法人によって予想される問題状況を明らかにするには、日本の行政改革が、先行する諸外国の行政改革の経験を参考にしつつ修正を加えて進められていることからしても、諸外国の行政改革の現状を実証的に検証する作業が有効であろう。この分野における今後の研究の発展に期待したい。 注 1)軍人や臨時雇用の職員、北アイルランドの公務員は除外されている。 参考文献 稲上毅(1990)『現代英国労働事情』東京大学出版会。 岡村周一(1999)「イギリスにおける行政改革の理念と実像」『ジュリスト』第1161号、99年8月1・15日。 外国公務員制度研究会編(1997)『欧米国家公務員制度の概要―米英独仏の現状―』生産性労働情報センター。 久保木匡介(1998)「イギリスにおける中央省庁の改編―エージェンシー化を中心に―」片岡寛光編『国別行政改革事情』早稲田大学出版部。 君村昌(1998a)『現代の行政改革とエージェンシー―英国におけるエージェンシーの現状と課題』財団法人行政管理研究センター。 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First)がキャスティング・ヴォートを握って国民党と連合を組み、既定路線をさらに押し進めることで終わった。しかし最近の世論調査によれば、国民党と「ニュージーランド第一」党連合の支持率は低下しており、特に後者の支持率低下は著しい。つまりこの小文で私がこれから述べるような事態に対する国民の反感やフラストレーションは、国民の60%以上が感じているということであり、改革は決して日本で伝えられているように国民的支持の下にあるわけではない。むしろ橋本首相が1997年4月にニュージーランドを訪問して改革を「成功」させた秘密は何かと尋ねたところ、ボルジャー首相は「国民にとって何が何だかわからないうちに急速に改革を押し進めたことです」と答えたことに象徴されるように、改革が非民主主義的に行われたところに特徴がある。ちなみに、改革を開始した労働党も行政改革についての公約は一切せずに選挙に臨み、多数党になったところで突然改革を開始したのであった。 改革の背景  ニュージーランドは第二次大戦で戦場にならなかったこともあり、「祖国」イギリスヘの食料や羊毛の主要輸出国として、戦後長く世界のトップクラスの繁栄を享受してきた。このような繁栄にかげりが出たのは、イギリスのEEC加盟によって最大の販路を失ったのが始まりである。経済的な苦境を決定的にしたのは1970年代初めの2度にわたる石油危機であった。このとき、国民党マルドゥーン内閣の蔵相であったビル・バーチ氏は、この苦境を脱出するために「シンク・ビッグ」(Think Big)ということを提唱し、いくつかの大プロジェクトを開始した。これらは、ニュージーランドに豊富にある天然ガスを原料とした石油合成工場の建設、クルサ川のクライドに巨大ダムを建設してその電気を利用したアルミ精錬工場の建設、北島西岸に多量にある砂鉄を使った製鉄所の建設などである。以上のうち、石油合成は当時実験室内でのみ成功していたモービル社の特許を利用したもので、それをいきなり工場規模に拡大することについては相当な危険があった。しかし何よりも、工場が完成したときには石油危機は去ってしまっており、コスト的に製品は売れなくなってしまった。ダムの水力発電による電気は、当時は世界一安いということでアルミ精錬工場の誘致はほとんど確定的と見られていたが、建設予定地に環境問題があり、またパブアニューギニアの電力がもっと安いことが判明して誘致に失敗し、ダムは完成したが電力の使い道がなくなった。製鉄所も規模などの理由によって採算はとれなかった。このようにビッグ・プロジェクトはいずれも失敗したが、問題はこれらのプロジェクトがすべて外国からの借款でまかなわれたことである。その結果、インフレは年率15%以上、国民一人あたりの負債額は当時世界最大の借金国だったブラジルを上回るという悲惨な状況に陥った。  この機会をとらえて、ハイエク、フリードマンらが提唱し、レーガン、サッチャーなどが推進していたモネタリスト政策を、最も純粋な、極端な形で遂行したのがニュージーランドの改革であった。これはレーガンやサッチャーですら強行できなかった政策であり、「ニュージーランドの実験」3)と呼ばれている理由である。マクロ的に見れば国際収支は改善され、インフレもおさまり、安定してきたように言われている。しかし国民がこれまでに払い、かつ、これから払わなければならない犠牲は耐え難いレベルに達している。長期的に見た場合、「金がすベて」という風潮が蔓延し、福祉の切り捨てとあいまって、犯罪が増加するなど社会は不安定化してきている。行政改革によって国民が負担しなければならない社会的コストは、政策立案者の計算には入っていないらしい。ちなみに、ビル・バーチ氏は現内閣でも蔵相を勤めているが、シンク・ビッグ政策の政治的責任はどうなったのであろうか。  ここではまず改革の矛盾が最も先鋭な形で現れた医療、社会、教育の分野について述べ、科学研究の分野についても言及する。しかし、行政改革の影響は広く深く及んでおり、それを網羅して社会科学的に分析するのは、私のような一地質学徒のよくするところではない。したがって、ここに述べる内容はどうしても逸話的になることをあらかじめお許し願いたい。 改革の内容と実体 〓 医  療 〓 利益第一主義に転換  ニュージーランドの公立病院は、かつてはほとんどの町にあり、選挙によって選ばれた経営委員会の監督のもとに運営されていた。今では任命されたビジネスマンのもと、その名称も公立病院企業体(Crown Health Enterprise、略称CHE)となり、利益第一で経常されている。ダニーディン市にあるオタゴ病院では、改革が行われた直後に任命された経営責任者が、地方住民の健康を守るという本来の任務を忘れて、儲けの大きいサウジアラビアに分院を作るという計画に夢中になり、非難を浴びて辞職するという事件があった。しかしこのような事件を起こす体質は構造的なものであって、一経営者の突出した行為とは考えられない。その後も、利益のために病人の回転を早めようと、身寄りもない82歳の手術後の婦人を午前3時に退院させたため、彼女は夜が明けるまで待合室で座っていたなどという、信じ難い事件すら起こっている。私の知り合いの72歳の婦人も、乳癌の全切除手術後、2、3日で退院させられている。また新しい治療法を開発した医者に対して、対立する別の地域の公立病院企業体にその治療法を教えるなという圧力が経営者からかかった例もある。そうすることで、新治療法を開発した医者のいる病院に他地域の患者を入院させて利益をあげようというわけであって、患者の利益を図るということは二の次になっている。少しでもたくさんの患者を救いたいと願う良心的な医者のなかには、絶望して辞める人も続出している。  人員削減の結果、看護婦は労働密度が増し、流産する人が増えている。夜間には看護婦の手がまわらず、患者がベルを押してもなかなか来てくれなくなった。夜勤あけの看護婦は、人手不足からくる過労で頬がげっそり落ちて痛々しい限りである。 〓 長期待ち時間、入院費高騰  年間の手術数は予算によって厳しく制限されるようになったので、生命に差し当たり影響しないという意味での非緊急な手術では、待ち時間2年などということが普通になった。実際には待っている間に亡くなった人も出ている。入院患者を減らしたために病室ががら空きである一方では、患者管理の都合から、大部屋に男女の患者を一緒に入れるようなことも起きている。公立病院でそこひの手術をしてもらいたかった患者が待ち時間2年と言われて、翌日手術を受けられる私立病院を希望したところ、執刀したのは前の日にその患者を診察した医者で、手術室は公立病院の一室だったという話もある。公立病院が空いている手術室を有料で貸し出し、医者は本務以外のアルバイトをしているわけである。私立病院では1晩の入院で2、3万円かかる(手術料は別)が、これは平均年収が300万円くらいのニュージーランド人にとっては非常に大きな出費である.このような事態に備えて私的保険に入るのが普通になった。ちなみに、この分野での最大の保険会社はアメリカ資本であり、その理事の一人は行政改革を始めたロンギ内閣の大蔵大臣ロジャー・タグラスである。それでも保険料を払える人は幸運である。保険料は65歳以上では倍額になるので、年金生活者などは保険に加入せずに運を天にまかせたり、重病だけを対象にした保険に入るなど、「地獄の沙汰も金次第」を地で行くような状況になっている。 〓 小規模公立病院や精神病棟の廃止  地方の小規模公立病院は軒並み閉鎖され、患者は100キロ以上も離れた病院に行かねばならなくなった。  精神病院もコミュニテイ・ケアという名のもとに、ほとんど無差別に閉鎖された。町には、ごみ箱をあさったりする患者の姿がしばしば見られるようになった。凶暴性のある患者の無差別退院の危険について、病院当局に警告したが聞き入れられなかったという事実を告発した看護夫が、患者のプライバシーを侵したという理由で解雇されたという事件があった。この患者は退院直後に児童暴行で逮捕されて刑務所に送られた。 〓 社  会 〓 老人や家族の苦難  老人ホームに入るためには、まず全財産を提出し、それが尽きたところで初めて公的な補助が受けられることになった。そのため親の名義の家に住んでいる息子夫婦が、その家の売却にともなって追い出されたりしている。  老齢年金受給者は、年金以外に稼ぐ(貯金の利子を含む)と、その超過分について最高97%という懲罰的な税がかかる.これはあまりに不人気なので、国民党の執拗な反対にもかかわらず廃止の動きが出てきている。 〓 ホームレスの増加  住宅公社は、本来の目的だった低所得者層に対して低家賃住宅を供給することを止め、民間相場の家賃を取る、ただの家主になった。母子家庭や失業者などは家賃が払えなくなり、追い出される人も出ている。こうして生じたホームレスはオークランド市だけでも100人以上いるといわれており、1997年初頭に教会などのボランティア団体が組織したスープ・キッチン(貧しい人に無料で食事を提供する施設)には150人以上が参加するという大盛況だった。フード・バンク(無料で食料などの入った袋を貧しい人に配るところ)も包装が間に合わないほどである。ボランティア団体では、政府の社会対策の失敗の尻ぬぐいをボランティア団体の善意に押しつけるものとして、怒りを隠していない。 〓 バス・サービスの低下  従来地方自治体が運行していたバスは自由化され、運行権を入札によって決めるようになったが、そのために儲かる路線は民有となり、儲からない路綿が自治体の運営となった。それにともなって運行回数の削減、路線の廃止、運賃値上げなどが起き、市民の足はますます不便になった。ここでも、しわ寄せはすべて車を持たない人や運転のできない人、すなわち老人、婦人、低所得層にかかるようになった。 〓 少額貯金の悲哀  少額貯金には口座管理費が創設され、残額が300ドル(約25.000円)以下の預金からは毎月数ドルが引き落とされてしまうようになった。生活保護費や年金は銀行振込なので、口座を持たないわけにはゆかない。トイレの紙の枚数も勘定しなければ使えないといわれる年金生活者や母子家庭など生活保護を受けている層にとって、これは非常につらい出費である。 〓 労働条件の切り下げ  雇用契約法によって労働組合が一括して交渉する権利は大きく制限され、労働者は個人として使用者と交渉することとなった。失業者が多数いる環境のなかで、個人対企業の交渉の勝負ははじめから見えている。労働条件は切り下げられ、大した抵抗もなしに首切りが行われるようになった。パートタイムが非常に増えている。失業率が下がったという統計をそのまま信用することはできない。 〓 犯罪の増加  銀行強盗や殺人などの凶悪犯罪が報道されない日はほとんどなくなった。こそ泥などが増えたので警備会社はうけに入っている。銃器を使った大量殺人など今度の行政改革開始前には聞いたこともなかったが、行革開始以後に3度も起きていることは果たして偶然であろうか。警官の数は1990年の6,037人から1995年の8,639人へと43%も増やされているが、犯罪の増加に対処するためにはもっと増やせという声が強い。 〓 公務員削減、コンサル依存増加  行革によって公務員は大削減を受けた。その結果は行革の成功の好例として大宣伝されている。しかし実態は同じ仕事を民間のコンサルタントに出している例があまりにも多い。コンサルタントは莫大な費用をチャージするのが通例であり、1996年度には大蔵省だけでコンサルタントに2400万ドル(約19億円)を使ったといわれる。コンサルタントは今やあらゆる面に進出しており、政策などを策定する高級なものから移民や税金などの相談に乗るものまで、経営者やもと公務員などあらゆる「エキスパート」にとっての絶好の稼ぎ場を提供している。これを庶民の側から見ると、役所の窓口で無料で済んだ仕事を、今度はコンサルタントを通じてしなければらちがあかないということであり、出費が増えたということになる。 〓 税制改革で貧富差拡大  所得税は最高66%だった累進税が、33%と24%の2種類だけになった。これは一見大減税に見えるが、消費税(GST、最初10%で、すぐに12.5%に増額された。食料品などにも免税はない)が創設され、また各種の控除が一切なくなったので、低・中所得層には事実上の増税になった。貯金利子からも所得税が天引きで引かれている。税負担能力のない学童預金などもこの例外ではなく、零細な預金から利子の24%が差し引かれている。事務上煩雑だからという理由で、学童預金から徴収した所得税の払い戻しは認められていない。結局、この減税によっていい目にあったのは高額所得層であった。  海外からの投資や利益の送金がまったく自由化されたため、大会社は税金の低い海外のタックス・ヘイヴンに逃避した。ニュージーランドのトップテンの大会社は、国内で税金をまったく払っていないといわれている。 〓 国公有資産 〓 資産売却、私企業化  行革によって国有鉄道、郵便局の貯金業務、銀行、電話、国有航空、林野庁などが、アメリカ、オーストラリアを主とする外国資本に安く払い下げられた。その他の国公有資産、公立病院や国立研究所などは、国や自治体が株を持つ企業として再編され、利益を上げることを第一目的とすることになった。郵便局の郵便業務も近く民営化されることになっている。つまり、あらゆる規制を廃止し、すべてを「神の見えざる手」の支配する市場経済に任せるということである。ここで、金融、通信、交通、エネルギーなどの戦略的分野がすべて外国支配のもとに置かれることになったのが注目される。また一切が商業秘密となって、経営内容や役員給与などについて国民の監視が全くきかなくなった。  最近では水資源も私有化するという動きがある。 〓 経営者の給与は大幅増額  民営化された企業の多くが真っ先にやったことは、世界中から有能な経営者を集めるためには世界的レベルの給与を支払う必要があるという理由で、経営者の給与を大幅に増やしたことであった。経営トップの給与は今はアメリカ並みだといわれている。貧富の差はかつてなかったほど拡大している。その一万では大規模な合理化が行われ、例えば電話会社では3分の2の人が失業した。一方、電話の基本料金は2倍になった。ニュージーランドでは住宅用電話の基本料金には市内通話料が含まれており、度数料はない。長距離通話料は下がったが、それによって利益を得るのは主として企業である。その結果、電話会社は空前の利益を上げるに至った。 〓 公営事業料金の改訂  地方自治体はその所有する空港、発電所、森林などが会社化され、それからあがる利益を自治体の一般会計に繰り込むことは禁止された。その結果は自治体議員が公社の役員となって報酬を勝手に値上げしたりすることになった。  電気会社は発電料金のほか送電会社に送電線使用料も払わねばならなくなり、電気代はこの1年だけで6.5%値上がりしている。  郵便料金は改革前に定型封書が1通25セントだったものが45セントになった。1996年10月にこれが40セントに下げられたことを改革の大成功の例として政府は挙げているが、これは上げ過ぎの手直しにすぎない。全国に1200あった郵便局はわずか400に減らされた。これは地方に住んでいる人にとっては大打撃である。たとえばニュージランドの南島は本州の7割くらいの国土に80万人くらいの人口が散在している。地方に住んでいる人は、貯金や小包の送金には数十キロも離れた本局まで行かねばならなくなった。こういう地域には公共交通機関もないために、車がない人や運転のできない人は田舎には住めなくなったわけである。郵便についてはガソリン・スタンドなどが預かってくれるから大丈夫だと政府は言っているが、プライバシーの保護で問題を生じている。 〓 教  育 〓 学生の経済負担増加  大学の授業料はこのところ毎年15%くらいずつ上げられている。これは、「学歴を得れば就職に有利だろうから費用は自分で持つべきだ」という理由によるものである。最近まであった返還不要の奨学資金は廃止され、学生は政府保証の銀行借金(実質利子10%以上)を借りて生活費や授業料に充てている。この総額は現在17億ドルに達しており、数年後には50億ドル(約3500億円)を突破すると予想されている。学生はこうして多額の借金を背負って卒業する。そして年収が14,000ドル(約百万円)に達すると奨学金返還を開始することに決められている。しかしこの時期は結婚して子供が生まれたり、家の購入などでただでさえ生活に余裕がない時期である。返還を逃れる方法として海外に逃亡することを真剣に考慮している学生も多い。  その結果、卒業してもあまり金にならない学科、例えばラテン語、ギリシア語とか基礎科学などには必然的に学生が来なくなり、そういう学科の廃止すら論議されるようになっている。一方、商学などはお金になるだろうということで、短期間に学生数が10倍にも増加した(ニュージーランドの大学にはふつう定員はない)。歯学部では授業料があまりに高くなった(年に15,000ドル以上)ので、ニュージーランド人の子弟は金持ちを除いて入学できなくなり、4分の3が留学生に占められるようになった。歯の治療費が高すぎて治療を受けないで我慢する人が増え、その結果「病院に来る患者の状態は、これまで見たこともないほどひどい」と歯学部長が発表している。高い授業料を払って卒業した学生は開業したところでその費用を回収しようとするであろうから、今後歯の治療費が急騰することは明らかである。 〓 大学教育の質の低下  大学ではこれまで一つの科目は年間を通じて講義を行い、年度末に一斉試験を行って合否を判定していたが、セメスター制を採用し、科目の内容を細切れにして、学生に単位を取りやすくした。こうしないと学生を引きつけることができず、学生数に応じて配分される予算が減れば学科の存続に響くからである。各課目の序論だけを履修して卒業に必要な単位を取ることもできるようになり、必然的に講義のアカデミックな内容は薄められた。教員には有資格で研究業績のある人を採用してきたのを止め、博士号も研究業績もない人を、安い貸金で毎年契約変更できる臨時雇いとして採るようになった。それによって年金の雇用者負担やサバティカル休暇その他の諸出費を節約できるだけでなく、学生数の増減に対して契約を変更しないことでずっとフレキシブルに対応できるわけである。しかしこのような先生に教わる学生はたまったものではない。かくて大学は単なる知識の切り売り機関となり、新たな知識を創造する場所ではなくなった。従来大学でしか得られなかった学士号は高専の一部でも出せるようになったが、その内容には甚だ怪しげなものも含まれるようになった。認可はされなかったが、ある高専では占星術コースを、世の中に需要があるからという理由で申請したほどである。 〓 外国人学生で稼ぐ大学  外国人学生にはニュージーランド人学生の10倍もの授業料を課すことになっているので、大学にとって留学生を多数受け入れることは死活の重要性を持っている。オタゴ大学では1996年度留学生の割合が10%に達し、外貨をたくさん稼いだということで「優良輸出産業」として表彰された.学生数をさらに増やすため、7つある国立大学では学生の取り合いが激化し、競って互いの伝統的テリトリーだった地域に出張事務所を作ったり、タイム誌などに広告を出したりしている。オタゴ大学では留学生のためにマレーシアまで出張して卒業式を行うようになった。しかし最近では授業料をこれ以上値上げしては、学生がアメリカ、イギリスなどに逃げてしまうおそれも出てきている。一方では政府側に国立大学を売却して私立化するという動きもある。  最近の選挙で保守党が勝利したオーストラリアではニュージーランドに学べということで、学科の再編が進行している。クイーンズランド大学では物理学科が廃止された。南クィーンズランド大学では地質学科が廃止され、物理と化学が合併された。これらはいずれも「儲からない」というのが理由である。ニュージーランドでも遠からず同じような動きが出てくると予想されている。 〓 科学研究 〓 研究機関の再編、企業化  科学研究で何が起こっているかは、王立協会(日本の学士院に相当)会長のブラック教授が昨年オーストラリア国立大学とネーチャー誌主催の討論会「研究において創造力をいかに育てるか」で講演したときの演題「文化大革命下にあるニュージーランド科学研究の現状」4)がよく示していると思われる。科学研究分野においても、キーワードは「自由化」、「競争」、「受益者負担」となり、経済に直接有用な研究のみに予算が与えられるようになった。  国立研究所は再編縮小され、あるものは廃止された。日本でもよく知られていた科学工業技術庁(DSIR)はなくなり、旧国立研究所の人員・設備は公共研究企業体(Crown Research Institutes、略称CRI)になった.DSIR傘下の化学研究所、物理工学研究所、土壌研究所、気象研究所、地質調査所などは、CRIでは産業加工株式会社、国土管理株式会社、全国水大気圏研究所株式会社、地質核科学研究所株式会社などになった。これらは商業活動を行う会社として、個別の重役会の管理経営下に置かれている。重役会はほとんど経営者、会計士、弁護士などから構成されており、科学者は一人しかいないのが普通である。再編に際して金儲けに関係のない基礎研究部門は廃止されたり、縮小されたりしたが、その過程は今も進行中である。この再編に際して科学者はほとんど相談を受けなかった。CRI傘下の研究所では、すばらしい色刷りの経営報告書を毎年印刷配布するようになったが、株式会社として、その内容は収支決算に主眼を置くものであり、経営者の顔写真などばかり載っていて、科学的内容は二の次である。その一方では科学的成果の印刷の予算は削られている。 〓 研究予算配分の変化  再編の過程で、20年、30年という経験を積んだ働き盛りの世界的な科学者が多数辞めさせられた。比較的若い研究者多数が海外に職を求めて去ってしまった。数学研究所は1994年に破産して消滅した。化石や岩石の研究部門は廃止された。  研究所の再編とともに、研究費の配分方法も変えられた。大学も国立研究所も科学技術研究基金から研究費の配分を受けるようになったのだが、それはあらかじめ定められた課題に応じて行われる研究の結果を、科学技術省が「買い上げ予約」するという形で行われる。すなわちその配分は研究の過程に対してではなく、予想される結果に応じてなされるのである。言い換えると、この基金には、あらかじめ決められた研究の「結果」があり、その結果に応じて応募するわけである。たとえば、1990/91年度には40のテーマがあった。そのうち16は農業関連の応用テーマであり、畜産や園芸など、農業国ニュージーランドとしてお金に直結するテーマに52.5%の予算が割り当てられた。一方、基礎研究には僅か1%が割り当てられたにすぎなかった。指定分野はそのときどきの戦略的重要性に応じて変えられているが、1995年には17テーマに減り、農漁業の応用テーマ8件で額としては76%を占めるに至った。 〓 基礎研究は壊滅方向へ  科学技術研究基金では新しい研究用機器の購入は認められていない。研究に使用した現有機器の減価償却を計算し、減価分を基金との研究契約に含めることによって回収するのである。基金の配分を受けるには内容が科学的に優れているかどうかではなく、経済戦略的に重要かどうかによって判断が下される。その判断の基礎の一つは研究結果が最終的に応用可能かどうかである。  このような基金の性格からは、やらないうちから結果のわかっている研究だけが行われることになるわけである。このような環境の中からは真に独創的な研究が行われるとは信じられない。優秀な学生が基礎科学離れを起こして手っとり早く金になる分野に流れていること、経験を積んだ科学者が定年前に不本意に退職を迫られて辞めていっていること、残っている科学者もその地位が非常に不安定になっていること、研究費への締めつけが厳しいこと、などによってニュージーランドの基礎研究は壊滅的打撃をこうむったと断定せざるを得ない。 行革は成功しているのか  以上概観したように、一連の改革によって、国民は何も利益を受けていないといってもよいと思われる。税金などが下がったことがあったとしても、私的な保険料の増加などを負担せねばならなくなった。これは形を変えた税金に等しい。それだけでなく負担は低所得層により重くかかるようになった。貧富の差はアメリカ並みに拡大した.また、経済担当者の等式には入っていないように見える社会的コストは、堪え難いほどに増大している。社会は不安定度を増し、おおらかだった国民性は今や拝金主義に毒されつつあるように見える。かつては世界のトップレベルにあった科学研究も、後継者は育たず、今までに築きあげた財産を食い潰してやっと息をついている。  成功といわれる経済でも本当にそうなのかは大いに疑わしい。1989年にはニュージーランド株式の19%が外国所有だったものが、1995年には56%になった.準備銀行総裁のドン・ブラーシュ博士の最近の発表によれば、1995年度のニュージーランド資本の海外投資の利益は7億ドルであったが、同年度の海外資本がニュージーランドであげた利益は実に65億ドルに達している。ニュージーランドは経済的に海外の植民地と化したという人もいる4)。確かに戦略的重要分野はほとんど海外資本のコントロールのもとに置かれるに至っている。1997年3月現在、ニュージーランドの海外借款は800億ドルに達しており、このうち4分の3は私的な借入金である。これはGDPの85%に相当する。  これが大成功といわれるニュージーランドの行政改革の実体である。 参考文献 1)「この人にこのテーマ」(ニュージーランド大使マーチィン・ウィーバーズ氏のインタービュー)朝日新聞1995年12月24日14版9ページ。   「ニュージーランドの経済改革を見た」朝日新聞1996年3月30日夕刊2版5ページ   「市場国家」への大きな試み    毎日新聞1996年5月13日社説.   小国の大仕事 北海道新聞1996年5月27日夕刊。   早房長治:行革、ニュージーランドに学ぶ朝日新聞1997年5月18日12版4ページ主張、解説。 2)河内洋佑(1991):ニュージーランドの教育研究の危機 ニュージーランド便り〓「地質ニュース」438号。  河内洋佑(1991):ニュージーランド地質調査所の解体再構成 ニュージーランド便り〓「地質ニュース」450号.  河内洋佑(1994):楽園の実験「科学朝日」4月号。  河内洋佑(1996):ニュージーランドの経済改革と科学研究「日本の科学者」31―9。  河内洋佑(1996):だれのための改革か?ニュージーランドの今「連合通信隔日版」  河内洋佑(1997):ニュージーランドの行政改革   「婦人通信」3月号。 3)Kellsey, Jane (1995):The New Zealand Experiment. A World Model for Structural Adjustment? Auckland University Press.  Price, Hugh (1996):Know the New Right Gondwanaland Press.  Robinson, John (1996):Destroying New Zealand,Technology Monitoring Associates. 4)Black, Philippa (1995):Researches in New Zealand:Working through a Cultural Revolution. Manuscript of a speech given at a symposium in Canberra on the Ideas as the Foundations of Innovation.  Lowe, Ian (1995):New Zealand reforms come at a cost. New Scientist 2 Dec. New Zealand economic experiment; A View from the Grass‐roots Yosuke KAWACHI (Formerly at Geology Department, University of Otago) keywords:New Zealand, administration reforms, background of reforms,     medical care, society, national and local governments' assets,     education, scientific research. New Zealand economic experiments are said to be very successful. From the grass‐roots point of view. however, it is totally different. The reform has been motivated and steamrollered by New Right ideology disregarding reality and welfare of the people. Social cost of the reform is enormous in many fronts including health care, education, and social stability. Basic science in New Zealand is all but destroyed.  Even in economic terms the success of the reform is not without doubt. New Zealand is now economically under control of foreign capitals. From my 26years' first hand experience in New Zealand I have illustrated how this reform is and will be negatively affecting ordinary New Zealanders.## 【編集部註】  全大教時報が掲載している「草の根から見たニュージーランドの行政改革」は、河内洋佑氏が「ニュージーランド研究第4巻(1997年12月)」に発表されたものですが、河内洋佑氏および出版社の許可を得て、全大教時報に転載させていただいております。論文転載にあたっては、金沢大学の田崎和江氏、青木健一氏、鈴木恒雄氏、末松大二郎氏のご協力をいただきました。ありがとうございました。 地域社会と国立大学 〜地方国立大学の存在意義をめぐる議論についてのノート〜 市原宏一(大分大学経済学部)  独立行政法人化の論議の中において、国立大学が総体としての存在意義の明確化を求められているが、同時に個々の大学においても具体的文脈の中で、それぞれの地域社会における存在意義を明らかにすることが求められてきている。こうした論議の関わりでは、しばしば地方大学はその意義・役割が明らかであるかのように思われがちである。  たとえば、一部マスコミ報道などにも、大都市圏には私立も含め大学の数は十分あり、旧帝大ではない総合大学の存続は危ういとするような論調がある。こうした大都市圏の大学に比較すると地方大学の存在価値は明白だというわけである。  大都市圏の通学範囲外で、戦後しばらく私立大学も設立されることはなく、4年生大学あるいは総合大学としては国立大学一つしかないという状態が今日まで続いているという地域もあり、そうした状況では地理的環境により、4年生総合大学としての国立大学の存在が際立つということもあろう。  また、国立大学の伝統を支持する地域世論の温度差という問題もある。地域によっては、地元国立大学を卒業した後に地元有名企業ないしは自治体に就職するという図式が成立しているか、少なくとも一般に望ましい傾向として受け入れられている場合がある。そうした地域では、地域社会からの要望を根拠に、公的財政支援の必要性ないしは大学存続の必要性を強調できるというわけである。実際、この間提起されている国立大学制度廃止反対署名活動においても、こうした私立大の少ない地域においては、地域住民に強いシンパシーを持って受けとめられているようである。  地域社会における国立大学の役割、存在意義は、結局のところ、国民・地域住民からの要望などをすいあげる取り組み、シンポジウムや意向調査などから明らかにしていく必要がある。また、地域からの進学率や地元就職率などの資料などがあればこうした問題をより緻密に検討できるであろう。ここでは、そうした点まで掘り下げて検討できないが、当面現在までのところで、独立行政法人化問題に際して公表された、大学機関・組合の声明などから地域社会と国立大学との関わりについて言及した部分を参考にして、この問題についての簡単な考察を試みたい。 1 地域社会と国立大学 論点その〓〜人材養成  国立大学と地域社会との関係は、千葉大学文学部教授会の声明が国立大学一般の存在意義の一つとして挙げている。すなわち、国立大学が「全国に配置されることにより、居住地域に関わらず教育の機会均等を国民に保証することができる」(『あるべき高等教育と国立大学の存在意義』1999年7月22日)という点である。この意義付けは、山形大学人文学部有志意見書ではより明確に地方国立大学の役割として位置づけられ、「全国に設置されることにより、居住地域に関わらず国民全体に高等教育の機会均等を保障することができる。とくに、地方国立大学は地域を支える人材養成の核として大きな役割を果たしている」(『独立行政法人問題に関する山形大学人文学部有志の意見書』1999年10月27日)と指摘された。  ここで言うところの居住地域に関わらない機会均等とは、地域間の多様な不均等にも関わらず、教育ないしは人材養成の点で、国立大学がそうした格差を是正するような作用を果たしていたということを意味すると考えられる。この点を一層明確に規定しているのは、全大教九州アピールである。国立大学が「全国に配置されることにより、居住地域に関わらない教育の機会均等を保障してきました」とした上で、国立大学が廃止されて、公的支出の縮減と効率性のみの追求がなされるなら、「現在既にある大学間格差が拡大し、差別化が一層進行することになります。ことに、人口・産業の集中する中央と比較して社会的基盤の脆弱な九州地方では、公的財政支援の縮小は大学の民営化、廃止問題に直結し、この結果、居住地域に関わらず保障されてきた教育の機会均等性が損なわれることになります」(全大教九州委員長連名緊急アピール「独立法人化=国立大学の廃止に反対する」1999年11月15日)と強調する。このアピールは、まず第一に、戦後の国立大学設置以来厳然として存在してきた大学間格差を指摘し、国立という設置形態が多少ともその格差の是正に作用したということを踏まえた上で、国立大学制度の廃止によって、辛うじて補われていた不均等是正の要素すら失われてしまう危険性を指摘する。 2 地域社会と国立大学 論点その〓  教育=人材養成の面以外についても、いくつかの主張がなされる。一つは学術・文化一般である。島根大学教職員組合の声明では国立大学の廃止が「地域の学術・文化をになっている地方大学の存立基盤に重大な危機をもたらすのではないか」(島根大学教職員組合中央執行委員会『国立大学の独立行政法人化問題に関する緊急申し入れ書』1999年9月10日)と指摘する。地域文化における国立大学の役割・意義への言及は他にもいくつかの声明などで見いだされる。(和歌山大学教職組『国立大学の独立行政法人化に反対する声明』1999年9月13日、鹿児島大学『国立大学の「独立行政法人」化について』1997年10月22日)  さらに、地域の文化にとどまらず、産業・行政・医療への貢献についてもまた言及された。先に挙げた山形大学有志の声明では、大学組織としてではないが、「教員の地域貢献も公共政策立案・社会行政・紛争調停・文化活動・地域教育などの多方面におよび、地域のシンクタンクとして多大な役割を果たしている」ことが強調された。また同様の指摘は、九州地方の大学人を呼びかけ人として出された連名アピールでもなされたところであり、そこではさらに生涯教育に果たす役割にも言及している。(『国立大学の独立行政法人化に反対する大学人アピール』1999年11月30日) 3 独立行政法人化による 地域貢献への影響  教育=人材養成を中心として、従来国立大学が果たしてきた地域への貢献、あるいは地域間の不均等是正の役割は、独立行政法人化によって大きく損なわれると考えられる。一つは、国家による財政支援の弱化が、社会経済的な基盤の弱い地域にある「国立大学」存亡に直結するという指摘である。「財政基盤の弱い地域の国立大学は真っ先に切り捨てられる。これは地域における教育文化活動の拠点を失うことにつながり、憲法に保障された教育の機会均等の原則を踏みにじり、国民とりわけ地域住民の教育権を著しく侵害する」(和歌山大学教職員組合『国立大学の独立行政法人化に反対する声明』1999年9月13日)。鹿児島大学は先に挙げた声明で既に97年に「地方の国立大学を独立行政法人化し、かつ安定的な研究費・人件費等を確保するためには一定額以上の基金からの収入が保障される必要があるが、現下の状況では困難である」と強調している。  国からも地方からも財政的支援が期待できないとなれば、「受益者」負担増に向かうことは既に繰り返し指摘されたことであるが、この点でも地域間格差が考えられる。先の鹿児島大学声明は「地方の国立大学は、地域の経済的に恵まれない若者を広範囲に受け入れており、独立行政法人化されると大学の授業料の値上げを含めて、大学教育への機会均等が阻害されるおそれがある」と指摘し、熊本大学教職員組合の声明(『国立大学の独立行政法人化に反対する』1999年10月18日)も同様な問題を挙げた。  また、従来から指摘される教員・研究者の人材確保という面にも影響を与えると考えられ、「地方大学のこのような状況はスタッフの充実にとっても悪条件となり、有能な人材の流出が続き、本学の研究教育の全体的な力量は低下す」(山形大学有志意見書)との指摘もある。  国家財政からの支援が削減され、各地域の経済状況の下で市場原理に委ねられるならば、即座には大学組織全廃には至らなくとも、「とりわけ基礎的学問分野の研究教育は軽視され、当該教育研究組織は統廃合を余儀なくされ、現在の総合大学としての研究教育体制は著しくバランスを欠いたものとなるであろう」し、こうした総合性の欠如は「これまで地域で果たしてきた中核的な役割を実現しえなくなり、地域の行政・産業・文化の長期的発展の基盤も大きく堀崩されていくことになる」(山形大学有志意見書)との指摘は、多くの地方大学に妥当する。  独法化との関連でさらに補足しておきたい点は、現にある資産を前提とした法人化という問題である。独法化は運用に限定すれば、大学単体の財政裁量の余地が大きいようにいわれ、創造的に資産活用ができるかのように宣伝されている。しかし、不動産を初め、豊かな資産を所有する私立大学や、近代国家形成前から資産を蓄積してきたヨーロッパの大学とは異なり、そもそもわが国の国立大学資産は貧弱である。しかも全国の多くの国立大学が現在既に施設・設備の老朽化・狭隘化で長らく困窮している。雨漏りのする学生寮や、通路まで書籍を平積みにしている図書館、盛夏まで講義がありながら空調施設もない講義室などは多くの国立大学でみられる。こうした機能不全の施設を基礎として、どのような財産運用が可能だろうか。国立制度の下で解決できなかったということになる「負の遺産」を解消し、新規施設に更新していく展望が独立法人にあるのだろうか。  日本の国立大学は、高等教育分野に限定されない地域間格差の下に存在してきたのであり、同時に地方国立大学は、国立大学制度を活かして、こうした格差の是正の努力を重ねてきたといえる。国立大学の存在意義、役割を地域社会との関連で考慮するにはまずこの点を明確に押さえる必要があるだろう。同時にそれは個々の地域で異なる内容と実態を伴っているはずである。地域ごとの様々な社会経済文化上の偏差に対して、個々の国立大学がどのように対応してきたか、を明らかにし、国民・地域社会に訴えていくことは、独法化への対応に限らず、大学・高等教育機関と国民・地域社会との関係を見据える上で必要な作業の一端であると思える。 大学教育のあり方をめぐって・1999年 国立大学の独立行政法人化によって事態は決定的に悪くなる 武田 晃二 岩手大学教育学部(教育学)  1999年は大学教育のあり方をめぐって、とくに独立行政法人問題ともかさなりながら、さまざまな発言、討論、政策提言などが展開されました。本稿では大学教育のあり方に関するこの間の動きを中心に(1)学生の不満の根源はどこにあるか、(2)学生の学力「低下」問題、(3)大学側の対応、(4)大学教育に問われているもの、(5)学会も発言しはじめた、(6)「接続」というけれど、(7)むすびにかえて、にわけて述べてみたいと思います。 1 学生の不満の根源はどこにあるか  国立大学の独立行政法人化問題が新たな段階に入った11月、大学改革情報ネットワークに地方大学の学生というH.K君が登場し、大学教育のあり方についての不満を率直に表明しました。H.K君は、学費の全員同額は悪平等である、多くの学生は大学を就職するための学歴を取得するところとみなしている、大学での講議やゼミは受講している学生の満足度を尺度にして評価されるべきである、などについて多くの事例をあげて論じていますが、その根底には大学教育にたいする強い不満があるように感じられました。H.K君があげた事例と主張を以下に列挙しておきます。  ・文系の学生の学費の一部は理系の教育に充てられているのではないか、・学生教育や就職対応で教員によって学生の満足感に違いがあるのに同額では納得できない(学費は〈授業料+α〉とするべきである)、・とくに4年次の教育には教員によって大きな違いが出てくる(教員の給与は〈基本給+指導特別手当〉のように考えるべきである)、・東京の大学と地方大学とでは教育・研究上の違いはないとしても就職条件等の格差は大きく学費が同額であるのは理解できない、・入学以前の偏差値や家計水準に格差があるのに入学後は同額になるのはおかしい、・機会均等論が学費同額を正当化する論拠にされているが学費それ自体を下げる論議をするべきではないか、・大学の使命として人類的貢献とか公共性がもち出されているがそれは教員の研究が個人的な興味から出発しながらその人類的価値を主張できているからであって教育についてはそのように言うことはできない、・研究上の価値は教育に還元されるべきであってその対価を親や学生が払うという考え方でいいのではないか、・学費とは〈年単位の学費×修業年限〉ではなく〈単位当たりの学費×単位数×学位審査料〉と考えるべきではないか。  これでもかこれでもかと具体的に不満があげられてくるところに国立大学における学生と教師との信頼関係の現実を見る思いがするのは筆者だけではないと思います。この問題の背景には異常なまでの高学費や貧困な条件整備等があることは言うまでもありませんが、それらが改善されれば信頼関係が強まるというわけでもないでしょう。  筆者の考えでは、学生は教師の適切な指導のもとで専門的な勉強ができることを大学にもとめているように思います。明確さの度合いはあるにしても学生自身が志向するなんらかの専門的な分野についてその内容を技術的なレベルもふくめて習熟すること、またそのことがどのような社会的・人類的意義を有するのかについて基本的な理解を得ることを学生は求めているのだと思います。もちろん学年によって専門の意味も高まっていくでしょうし、大学院レベルでの専門性とも区別されるべきでしょう。教養科目はこれらの専門性の人類的・社会的意義を基礎づけるものとして不可欠なものであるといえます。このような学生の要求に応えることが大学や大学教師の第一義的な使命ではなかろうかと思います。学生の要求に応えるために大学や教師が努力しなければならないことはまさに山積していると思います。それらの課題を実現するためにも独立行政法人化はまったくふさわしくないのです。 2 学生の学力「低下」問題  一方、1999年6月に『分数ができない大学生』(岡部恒治他編、東洋経済新報社)が出版されていらい、にわかに大学生の学力「低下」問題が社会的な関心事になっています。分数の計算などの小学校レベルの計算もできない学生が、私立トップ校といわれる大学で約2割もいることなどが話題とされました。それは数学だけの問題ではない理科においてもそうだ、いや国語や社会でも同じだ、という報告が数年前から筆者の勤務する大学でも話題となってきました。なぜなのか、どうしたらいいのか、をめぐって論議がおこなわれています。  原因究明も多岐にわたっています。小学校からの学校教育が問題だ、学習指導要領が問題だ、入試制度を改革しなければだめだ、生活環境やマスコミのあり方が背景にある、大学教育のあり方が問われている、これらのうちどれがほんとうの原因であるかはさらに検討が必要であると思いますが、そのまえに学力「低下」というものがいったいどういうものであるのか、さらには学力とは何なのかについてももっと明確に解明される必要があるのではないでしょうか。  筆者は「道徳教育の研究」という講義で<この一週間の間によい・わるいで悩んだり考えたりしたことがあったらなるべく具体的に述べて下さい」というレポートを出したことがあります。一般に学生たちは「道徳」という言葉にほとんど関心を示さないのですが、このレポートの内容は筆者の予想をはるかに越えて、〈時間差で約束を重ねること〉から〈臓器移植〉、〈コソボ紛争〉にいたるまでありとあらゆる問題についてよい・わるいという面から真剣に書いているのです。私はこれらのレポートをあまり選ばず原文のまま講義中に読み返しています。すると学生達はシーンとして聞き入っているのです。日頃はおしゃべりにいそがしいはずなのにお互いの考え方についてはまったく理解しあえていないようすなのです。そしてそれぞれのレポートにいちいちうなずいてみんなけっこうまじめに生きているんだということを確認しているようすでした。ある学生はこんなことを言っていました。これまで同じような勉強をしてきたのにどうしてこんなにも考え方や感じ方がちがうんだろう、どうして他の学生はこんなに深く考えることができるんだろう、と。  筆者はここから授業が始まると思うのです。学生たちの知識や判断がまったく個々バラバラに切断されている。どのような知識が基本的なのか、それぞれ個々の判断なのだからそれでよいではないか、みんなに共通に重要な知識などある方がおかしいのではないか、と学生は「確信」しているのです。このような「確信」に支えられた「学力」こそ「低下」というべきではないでしょうか。お互いのレポートを聞きながらそれまでの「確信」がくずれ、人間だれにとっても共通に重要な知識、知識の社会的・人類的意味というものは存在するのだということに気がついた時、学生達はそれぞれの勉強の意味を問いはじめ、もっとしっかり勉強しなければと思うのではないでしょうか。このような教育も独立行政法人のもとではのぞめません。 3 大学側の対応  冒頭に紹介したH・K君の発言を契機に、大学改革情報ネットワーク上で、大学教育のあり方、教育評価、学生による授業評価(これも「授業者自身による教育評価の一環としておこなうもの」と「大学教育システムの一環としておこなうもの」とに分けられる)などの実践例やその意義等が論じられました。授業者自身による教育評価の一環として行われている「学生による授業評価」で成果をあげている例も確実に増えてきているようです。「教育の改革は研究面での権威主義の克服と不可分の課題ではないか」、「教育評価を嫌う人は研究評価も嫌な人だろう」という実践に裏づけられた見解も表明されています。とはいえ、大学における教育改革は依然として一部であり、しかも個々のレベルに留まっており、相互交流はまだまだこれからという状況ではないでしょうか。ファカルティ・ディベロップメントの名のもとに制度化する動きも強まっています。独立行政法人化で本当に自主的な教育改革やそのための相互交流は前進できるのでしょうか。 4 大学教育に問われているもの  大阪大学の中村収三氏(比較技術工業論)は東海村の「臨界事故」に関連して「工業倫理教育のすすめ」を説かれています。中村氏は「あらゆる近代技術は、危険なものを安全に利用する知恵だと言い換えてもよい。それゆえ、技術者には専門的な能力に加え、高い倫理性が要求される」として「理系大学院生に対しては、たとえ数時間でも工業倫理教育を行うことが望ましい」と強調しています。これはひとり工業教育だけの問題ではないとおもいます。  また、東京中小企業同友会常任理事の小柳忠章氏は中小企業の視点から主として大学を念頭に「青年に期待する学力と人間性」を論じています。 小柳氏は最近注目されているインターンシップ制度は「予備就職制度になりかねない」と危惧を表明しつつ、「労働には科学性と社会性と人間性が必然的に重要な要素」であり、中小企業にとくにもとめられる基礎学力や高い応用能力にはそれらの要素がともなっていることが求められるとして、それを大学などの教育機関に強く期待しています。大学での専門教育の現状が高い倫理性、人間性、社会性に支えられていると言える大学教員はどれほどいるでしょうか。言えないとすればそれはなぜなのでしょうか。どうすれば可能になるのでしょうか。  ところで、私たち大学教員自身の研究活動や教育活動に倫理性や人間性があるとすれば、それらはいつごろどのようにして形成されたのでしょうか。私はこのように考えています。私たちが今日教育者であり研究者であり得るのは少年時代に自然や社会についてのなにかしらの疑問や感動を体験したことに由来している場合が多いと思います。しかし、どんなに疑問や感動を体験しても、それはこうなんだよ、と周囲の人から解るようにおしえてもらったらそれはそれで終わってしまいます。しかし、疑問や感動によっては、おもしろいことに気がついたね、それはだれもこれまで研究したことがなかったことだとおもうよ、面白そうだからこれからも考え続けていったら、などといわれると、よーしという気になるのではないでしょうか。このような対話というか社会関係のなかで私たちの興味・関心がより明確になり、大学に進んで研究してみようと言う気になるのではないでしょうか。このような疑問・感動はそれらがどんなに偶然的で子どもの個人的なものに見えても、いつかは誰でも遭遇する可能性をもっているという意味では人間的・普遍的ということもできるでしょう。その間にそのような興味・関心が立ち消えになったり、妨げられたりしたり、能力などの限界を感じたりすることもあるでしょう。自分の個人的な興味・関心といっても意識するしないにかかわらずすでにすぐれて社会的な性格を帯びているのだとおもいます。そしてその研究の科学的意義.人間的意義もまたそのプロセスの中でもたらされるのだと思います。つまり、小学校、中学校、高等学校そして大学のそれぞれの段階で科学性、社会性、倫理性、人間性などが育まれる教育環境が決定的に重要なのです。教育環境が現在不幸にしてそれらのどれをも必要な程度に持ち合わしていないところに根本的な問題があり、そのことが大学生の学力「低下」問題の根底にあるのではないでしょうか。 5 学会も発言しはじめた  ところで、1999年3月、日本物理学会、日本数学会など6つの理系諸学会が共同して新教育課程に関して見解を表明しました。今回改訂された学習指導要領について算数・数学や理科の時間を削減したことに「遺憾」の意を表明するとともに他に6項目を要望しています。このような動き自体画期的なことですが、同時にこの見解には「我々も、これらの(学習指導要領に示されたー引用者)理念が早急に実現されることを願う」とか「新教育課程の理念の実現に向けて行政と連携をとりつつ協力することを惜しまない」という記述があることにも留意しておきたいとおもいます。学問分野によっては自明の水準というものがあってその水準からみて今日の大学生の学力「低下」が認識されています。しかし、事態はかりに算数・数学や理科の時間を増やしたとしてもなんら解決はしないところに問題の難しさがあるのです。算数・数学や理科の時間の削減はまさに教育課程政策の本質から導かれているのです。  教育課程審議会がほぼ半世紀にわたって主導的にすすめてきた教育課程政策が根本において今日の学力「低下」問題を惹起させてきたのであって、大学生の学力「低下」問題もその延長上にあることは明らかなことと言えます。これまでの教育課程政策がどのようなものであって今度の改訂はなんであるかということについて、すべての大学教師が自己の専門分野からだけではなく、より全面的にまさに科学的に検討することの必要性と重要性を指摘しておきたいと思います。 6 「接続」というけれど  大学教育のあり方は文部省にとっても重要な政策課題として位置づけていますが、その方向は私たちの期待するのとはいわば正反対の方向に向いているようです。中央教育審議会は一昨年10月の諮問を受けて1999年12月16日、「初等中等教育と高等教育との接続の改善について」(答申)を発表しました。全6章からなる大部なものです。その基本的意図はこれまで高等学校以下においてすすめてきた「新学力観」を基調とした教育政策に大学などの高等教育をも巻き込もうというものです。答申第1章第2節「検討課題」は「高等教育については、学部段階では、初等中等教育段階において身に付けられた『自ら学び、自ら考える力』を基礎に、主体的に変化に対応し、自ら将来の課題を探究し、その課題に対して幅広い視野から柔軟かつ総合的な判断を下すことのできる力である『課題探究能力』の育成を重視するとともに、専門的素養のある人材として活躍できる基礎的能力等を培うことを基本とする」と述べています。このような見地に立って「入学者選抜の問題だけではなく、カリキュラムや教育方法などを含め、全体の接続を考えていくことが必要である」と述べています。  自然、社会あるいは人間についての科学的な分析に基づく真理探究能力よりも「課題探究能力」がはるかに重視されています。日本の経済改革が必要であるという場合、日本の経済をめぐる内外の状況はどうなっているのか、どのような改革が日本にとっても世界にとっても展望ある改革と言えるのかを解明することも「課題」といえますが、特定企業の利潤追求という見地からどのような改革方向を目指すのかも「課題」といえるでしょう。両者とも「課題」としては同質であるとして事実上後者のような「課題」探究をこそ大学・学部の任務であるとし、そのような観点にたって大学と高校以下を「接続」するというのが今度の答申といえます。そこでは倫理性や科学性は問われることなく「課題」を設定する主体の側の意欲や関心をいかに明確にするかが問われることになります。倫理性がもとめられても科学研究に内在する倫理性ではなく、日本国民の責任を果たすという意味での「高い倫理観」が求められるのです。紙幅の関係でこれ以上の言及はできませんが、大学教育の今後を考える上でこの答申を徹底的に検討することが求められています。 7 むすびにかえて  大学の管理運営面については1998年10月の大学審議会答申と1999年5月に制定された「学校教育法等の一部を改正する法律」が、学術研究については1999年6月の学術審議会の答申が、そして大学教育については前述の中央教育審議会の答申、というように大学は国公私立を問わず政府・文部省の政策方向にいわば包囲されている感があります。これらの答申等が示す方向はそれ自体としては国立大学の枠内での方向とも言えますが、このうえ独立行政法人となれば、そこでの方向はまさになだれをうって個々の大学に押し寄せてくることになるでしょう。とくに学費の格段の高騰が不可避とされており高等教育を受ける権利を保障するという国立大学の使命を果たすことは決定的に困難となるでしょう。  ところで、国際的な動向としては、1997年11月にユネスコは「高等教育教育職員の地位に関する勧告」を採択し、また1998年10月には「21世紀に向けた高等教育に関する世界宣言」を採択しています。この「宣言」には「高等教育が死活的な重要性を有することの認識がますます深まっ」たと述べられています。高等教育のあり方が国の内外において関心が高まっていることに確信をもち独立行政法人化問題にかかわっていくことが求められていると思います。  注  〓大学改革情報ネットワーク:[reform:02280] 1999年11月12日  〓大学改革情報ネットワーク:[reform:02376]   1999年11月26日  〓)朝日新聞「論壇」、1999年12月30日付  〓『高校のひろば』、旬報社、第34号、1999年冬  〓日本物理学会ホームページ所収  〓文部省ホームページ所収  〓『ユネスコの高等教育に関する資料集』、全大教資料・98ー24、1999年7月