2020 年 10 月 6 日
北海道大学教職員組合
学術会議から次期会員として推薦された候補の内6名が、発足間もない菅政権によって任命されなかったとの報道が 10 月 1 日にあった。6 名すべてがこれまで政権のさまざまな施策に否定的見解を述べてきたことが任命拒否の理由との解説もある。仮に、それが事実ならば、国民の審判を受けることなく安倍政権の継承を掲げて政権に就いた菅政権は、早くもその正体を現したというべきであろう。いずれにせよ、推薦された候補を政府が任命しなかった理由を本人と学術会議、そして国民に対して説明する責任があることは論を待たない。
学術会議は「学者の国会」とも称され、政府に対する政策提言することも役割の一つである。当然、そこには学問的背景があり、時の政権の政策と異なる判断もあり得る。学問にとって最も重要なことは、忖度することなく論理に沿って物事を考え、成果を制限されることなく公表することである。政権の考えに一致しない意見表明は行なわないというような学術会議はその存在意義を失ってしまう。今回の任命拒否は菅政権がそのような目論見を持っていると受け取らざるを得ない。
学術会議は、2017 年3月に防衛装備庁の安全保障技術研究推進制度に対して、懸念を表明する「軍事的安全保障研究に関する声明」を発出した。北海道大学ではこれをきっかけに採択されていた事業を辞退した経緯がある。また、現在北海道の寿都町や神恵内村で問題になっている高レベル放射性廃棄物の最終処分場選考に関しても 2012 年に、行き詰まった状況を打開するためには政策の抜本的見直しが必要として「高レベル放射性廃棄物の処分について」を出している。
政権の意向におもねることなく学問的見地から見解を明らかにすることは、政権にとっても自らの政策を見直す機会となるものである。今回の議員任命拒否はこのような貴重な見解を排除することにつながりかねない。翻って考えてみれば、自らの政策に異論を許さないという姿勢は、自ら政策に道理がないことを表明しているようなものである。他者の批判を許さない独断的な政権は、やがて行き詰まることは歴史の教訓である。
大学における学問の自由は、思想・信条の自由、表現の自由など国民の基本的人権と一体のものである。それゆえ、国民の学ぶ権利を充たし、知的探究の自由に応えることを可能とする自治が大学には不可欠である。今回の学術会議会員の任命拒否は、このような学問の自由・大学の自治に対する真っ向から挑戦状と言えるものである。私たちは、以上の考えから、菅政権の学術会議会員の任命拒否という蛮行を糾弾し、推薦されたすべての候補を委員として任命するよう菅政権に要求する。